二章 隣国との交渉 4
やや生々しい戦闘シーンがあります。
そして、新キャラ登場です^ ^
城を出発した一行は、なだらかな道を進んでいた。行軍の速度はやや速めといったところだろうか。王都はすでにかなり後方にあり、その姿はぼんやりとしか見えなくなっている。ウィルは一行の真ん中辺りでのんびりと馬を歩かせながら、隣にいるジャスカールの方を向いた。
先頭の多くは歩兵であり、騎兵や馬車はどうしてもその足を遅くせざるをえなかった。
「僕たちはとりあえずどこを目指すことになるのかな」
「差し当たってはロンメルですね。彼の国にレイバン陛下の親書を届けなければなりません」
「ロンメル……魔法の国、か」
ウィルは記憶の中にある情報を掘り起こした。魔導大国ロンメル。建国後数百年続いている長寿国家であり、過去多くの魔術師を輩出した国でもあった。しかしいつの頃からか魔術師は消え、魔法という存在はその概念はありながらも、実際に使えるものはいなくなってしまった。
代わりに発達したのが薬草学や医学であった。それは魔術師の研究の名残であったが、多くの技術者を生み出し、ロンメルの医療技術は他の国と比較にならない程高度なものとなっていた。
しかしトリウムとはそこまで深い付き合いはなく、わざわざ時間を割いて足を向けるような理由は思い当たらなかった。
「父上はどうして親書を?」
ウィルは解せないといった様子でひとりごちた。ジャスカールはしばらく黙り込んだウィルを眺めていたが、形の良い顎先に手をあてて、おそらく、と自分の考えを話し始めた。
「陛下はロンメルの医療技術を必要としたのでしょう。聞いた話ですが、彼の国では腕の一本くらいなら落としても死ぬことはないみたいです」
「なんだって」
ウィルは驚きに目を見開いた。ジャスカールの話はそれ程までに彼の常識の埒外にあったのである。もしジャスカールの情報が本当ならば、それは心強いといった程度の話ではない。些細な傷であれば気にすることなく戦えるということだ。この時代、一番怖いのは化膿からくる破傷風や伝染病だった。
それらを気にすることなく戦えるということは兵士達にとっての不安を大きく取り除くことに繋がるのだ。
「それだけではございませぬ」
二人の話を聞いていたのだろう。後ろを走る馬車の小窓が開き、リゼッタが顔を覗かせていた。ウィルとジャスカールはどういうことだ、と顔を見合わせた。
「これは出発前にモーゼス様がお話になられたのですが、実は彼の国の王女は魔法を使えるという噂が流れているようなのです」
これにはウィルだけでなくジャスカールも驚いた。今では使う者の居なくなってしまった魔法だが、歴史を紐解いていくとそれはとんでもない力をもっていたのである。魔法を扱うものは空を飛び僅か数日で山や川を越え国と国とを往き来したという。それだけではない、彼らは水の中でも火を使い、さらには天候をも操ったという話だった。
三人はそれから意見を交わし合った。憶測は憶測を呼び、日が傾き始める頃には三人の頭の中はロンメルのことで一杯だった。一刻もはやく彼の国に着きたい、逸る気持ちを抑えて一行は進んでいった。
ふと、前方から一人の歩兵がこちらに走り寄ってきた。彼はジャスカールのもとまでやってくると、身体を傾けた彼に耳打ちをした。
僅かにジャスカールの眉が動いた。彼は少しの時間考え込むと手綱を動かして馬を走らせた。
「殿下!しばしお待ちをっ!!」
ウィルが声をかけるよりもはやくジャスカールはその場から離れていく。ウィルは彼を追おうとする先ほどの歩兵に声をかけた。
「おい、君。何があった」
いきなりウィルに声をかけられた兵士は一瞬固まったが、すぐに事態について話し始めた。
「はっ。前方で少女を乗せた馬車が魔物に襲われていまして……」
「なんだって!」
兵士の言葉を聞き終わるやいなやウィルは馬の鐙を蹴った。
「殿下!!」
「すぐ戻る!リゼッタはここにいろっ」
手綱を操って十数メートル先を走るジャスカールを追ったウィルはその更に先から怒号と剣戟が響き渡るの聞いた。
近付くにつれてそれらは徐々に大きくなっていく。目的の場所に辿り着いたウィルの視界に入ったのは倒れた馬車とそれを取り囲むようにして唸り声を上げる魔物、そしてその中で気丈にも剣を構える少女だった。
濃紺のローブを着た少女は不似合いな剣を振り回しなんとか魔物が近付くのを阻止している。その剣は近くで倒れている護衛の物のようだった。重いのだろう、一度剣を振るう毎に少女の頭の後ろで縛られた髪が大きく揺れていた。
見れば倒れているのは護衛だけではなかった。魔物達から少し離れて、ウィルの軍の人間も何人か膝をつき痛みに顔を顰めている。だが死んでいるものは幸いにしていないようだった、女の護衛を除いては。
ウィルはジャスカールの姿を探して辺りを見回した。ジャスカールは馬を器用に操って、なんとか少女の方に近付こうとしていた。だが思うようにいかないらしい。こちらを威嚇するかのように牙を剥く魔物達は、己の獲物に近付こうとするジャスカールに入れ替わりでに攻撃を浴びせていた。
ウィルは魔物を見るのは初めて出会ったが、姿形は史学省の書物で何度も読んで覚えている。馬を下りて腰に吊るされた剣を引き抜くと目の前の魔物について記憶を呼び起こした。
(あれは確か……)
思い浮かんだのはドグーという魔物だった。四本の足で駆け回り鋭い牙で人間を襲うその様は文献と一致した。獰猛な性格であり、よく人間に襲いかかることで知られていたが、決して敵わない魔物ではなかった。むしろよく出没する分、その対処法は調べ上げられていた。
ドグーはすばしこく動き回るが、一度動きを止められると次の動き出しまでに一定の時間がかかるのだ。それは決して長くはないが、ウィルにとっては充分な時間だった。
剣の先を地面に勢いよく突き刺して、削りとる。盛り上がった土くれを剣の腹に乗せてドグーへと投げつけた。
土くれはドグーの顔に当たり突如降りかかった激痛に身悶えしている。前足で慌てて顔をこするも遅かった。
ウィルは涙を浮かべているそいつに駆け寄り袈裟懸けに切り捨てた。獲物の思わぬ反撃に驚きでさらに近くの一頭が動きを止めた。そしてそれを見逃すウィルではなかった。振り切った刃を返すと首筋目掛けて振り上げる。くぐもった呻き声を上げて沈み込む一頭だったが、勢いが足りなかったのか肉に食い込んだウィルの剣はそのまま抜けなくなってしまった。
舌打ちをして、痛みでのたうち回るドグーを踏みつけ剣を引き抜こうとするが、中々抜けない。そこへ、さらに駆けつけた一頭がウィルへと飛び掛った。
しまった、ウィルは思わず目を瞑ったが、いつまでも痛みは来なかった。代わりにドグーの悲鳴と肉を切り裂く音が聞こえた。
「殿下!ご無事ですか!!」
恐る恐る目を開けると、そこには返り血を一身に浴びたジャスカールが肩で息を切らしながら立っていた。倒れた馬車の方をみるとどうやら片付いたらしい。何体ものドグーの亡骸と、傷ついた兵士達を治療して回る少女の姿があった。
「済まない、油断した」
ウィルは既に息絶えたドグーから剣を引き抜いた。
「いえ、私の方こそ殿下を危険な目に合わせてしまい申し訳ありません」
それにしても、と血振りをしたジャスカールは辺りに横たわるドグーの遺体を見渡した。
「お見事でした。初陣とは思えませんね」
ウィルも同じように血振りをして鞘に剣を納めると、ジャスカールの賞賛の声に照れ臭そうにはにかんだ。
「こいつの対処法を本で読んで知っていただけだよ。それにやはり実践は違った。敵が複数いる時の対処法までは載っていなかったからね」
「いえ、慣れていても中々動けないものです。その証拠にほら、うちの兵士の何人かは怪我をしております。彼らとて、ただ油断したわけではないでしょう」
そこへリゼッタを乗せた馬車が追いついてきた。慌てた様子のリゼッタが馬車から降りるウィルの元へと駆け寄ってきた。
「殿下、お怪我は」
「僕の方は問題ない。それよりも」
落ち着かないリゼッタを安心させるように微笑むと、ウィルは兵士達の手当てをしている少女に視線を向けた。直前まで自分も襲われていたというのに、それを感じさせない機敏さで次々と手当をしていく。額には汗が浮き出ており、濃紺のローブは治療しているうちに付いたであろう返り血で所々どす黒く染まっていたが、その姿をウィルは不思議と美しいと思った。
最後の治療を終えた少女は立ち上がり、息を吐きながらローブに付いた土を払っている。ふとウィル達の視線に気が付くと、額の汗をローブの裾で拭いながらこちらへと近付いてきた。
頭の後ろで結ばれた長い髪と、ウィルと同じ榛色の瞳が特徴的で、大きな目は真っ直ぐこちらをみつめていた。その視線からは彼女が芯の強い性格であることを感じさせた。ウィルは目の前で立ち止まった彼女をみて、再度美しいと思った。
少女はウィルとジャスカールに頭を下げて礼を述べると、メリダ、と名乗った。