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三章 北の森の魔物 4

おいおい、違う魔物が出て来とりますがな、の回です。

 五人に対して牙を剥き威嚇の声を上げる魔物の名はベアズリーといった。熊のような体躯と膝丈まである長い腕、そしてその先から伸びる分厚い爪が特徴的なこの魔物は、人前には中々姿を現さないが遭遇したときには何があっても逃げろと言われているほど凶暴な魔物であった。

 少なくとも手練れの一個中隊、十人規模の隊列で討伐するような魔物であった。


 駆け寄ってきたリゼッタを背中に庇いながらウィルは緊張した声でメリダの方に視線を向けた。


「おい、メリダ!君の国ではこいつをカザールなんていうのかいっ」

「馬鹿言わないでっ!こんなのわたしも聞いてないわよっ」

「そこの二人!!くるぞっ!!」


 男の声にはっとなった二人は意識を目の真のベアズリーに向けた。同時にベアズリーが咆哮をあげながらこちらへと走る寄ってくる。ウィルはリゼッタをジャスカールの方に向かわせると腰に吊るしてある剣を抜いた。メリダに目配せをすると彼女はわかったと頷いてウィルと男から距離を取る。


 ベアズリーが突進の勢いもそのままに右腕を大きく振り上げた。獰猛な叫び声とともにその腕が振り下ろされた。


 ウィルと男は半ば転がるようにして、左右に分かれてその爪を躱した。鋭い一撃が地面へと叩きつけられ砂埃が舞う。攻撃を外したことへの怒りか砂が舞ったことへの煩わしさかベアズリーは苛立った様子で両手を振り回した。


 周囲に舞う土煙に顔をしかめながらウィルはくそ、と吐き捨てた。


「なんて力だ、これじゃあなかなか近づけない」

「ああ、それに、みろ」


 ウィルの呟きに同意するように男は頷いた。ついで徐々に薄れていく砂埃の中心を指差した。

 完全に視界がひらけてくると、ウィルはそこに広がった光景に思わず息を飲み瞳を見開いた。


 そこにはまるで巨大な岩でも叩きつけたかのように大きく窪んだ地面があった。一体どれほどの膂力をもってすればこのような状態になるのだろうか。ウィルは知らず知らずの内に己の背中が冷や汗で湿ってしまっていることに気が付いた。


 油断なく剣を正眼で構え、後方の仲間に指示を出すために声を張り上げた。


「ジャスカール!リゼッタを頼む!メリダ!悪いけれど条件の話は無しだっ。君にも手伝ってもらう!』

「わかってるわよ!」


 メリダは近くの木に飛びつくと手ごろな長さの枝を折り、何度か振って感触を確かめた。よし、と頷くと枝の先をベアズリーへと向けて身構える。


「ええと、それと……」

「……ギルだ」


 ギルと名乗った男はベアズリーから視線を外さないようにじりじりと摺り足で移動しながら機を伺っている。

 ウィルはその名前を聞いた時に己の心臓が激しく脈打つのを感じた。思わず、その横顔を見つめてしまう。どこかでみたことがあるような、そんな既視感を覚えながらも、ウィルの頭はそれが錯覚であると己の持ち主に伝えていた。


「ウィル!くるぞ!!」

「っ!」


 知らず意識を遠くに飛ばしていたウィルはギルの言葉で我にかえる。ふと、何か違和感を感じたが、目の前にはベアズリーの爪が迫っており、躱すことに必死になっていたウィルはその違和感を消し去ってしまっていた。


 すんでのところでベアズリーの攻撃を躱したウィルはギルと横並びに立った。再び剣を構えた二人は荒れ狂う魔物を見据えたまま言葉を交わす。


「くそ、どう近付けばいい!?」

「何かで気を逸らすしかないだろうな……おい!魔法使い!」

「わっ、わたし?」


 唐突にギルに名前を呼ばれたメリダは驚いた。ギルはその間にも牽制の突きを打ち込むが弾き返され舌打ちを漏らした。

 ウィルもその隙に踏み込んで切りつけているが、どれも浅く、脂のついた硬い皮に弾かれてしまい決定打となる一撃を与えてはいなかった。



「どうにかしてあいつの動きを止めてくれ」

「どうにかって、これならどう!」


 メリダは手に持った枝をベアズリーに向けて振り下ろした。枝、もとい杖の先から紫色の煙のようなものが湧き出てベアズリーの顔面にまとわりついていく。

 視界を煙で覆われたベアズリーは戸惑いからその動きを止めた。


「よし、いまなら!」

「殿下!」


 好機だとウィルが剣を突き刺そうと走り出すも、離れたところで見ていたジャスカールが制止の声を上げる。しかし僅かに遅くウィルはベアズリーの懐の辺りまで踏み込んでいた。


 肉を貫く鈍い音を響かせてウィルの剣が魔物の身体に半ば程まで埋まった。


 やったか、と歓声を上げる前にウィルの身体はとてつもない膂力で弾き飛ばされる。宙を舞うウィルは三秒ほど経ってから地面へと叩きつけられた。


「がっ」

「でんかああ!」


 ウィルの剣を受けたベアズリーは己の身体に剣を突き刺したまま、激痛に怒りくるうかのように両腕を振り回していた。目の前を煙に覆われているせいか、より一層激しく暴れまわる彼奴の腕にウィルは弾かれたのだった。

 こちらへ駆け寄ろうとするジャスカールを制してギルがうずくまるウィルの元へと駆け寄る。


「たてるか?」

「っつ。……ああ、なん、とかね」


 若干よろつきながらもウィルはなんとか立ち上がった。その目の闘志はまだ失われることなく目の前のベアズリーに向いている。ギルは安堵の息をつきかけたが、ウィルの様子を見て思わず唸り声を上げてしまった。


 彼の左の肩口から肘のあたりまでが大きく抉られていた。おそらくベアズリーの爪に引き裂かれたのだろう。血管もいくらかやられているのだろうか、ウィルの鼓動に合わせて脈打つように血が流れていた。


 ギルは首を横に振ると懐からハンカチを取り出しウィルの腕に結び付ける。締め上げられる感触にウィルは顔をしかめるが、目に見えて出血の勢いはおさまった。


「すこし下がっていろ」

「でも」

「あの魔女に止血してもらえ」


 そういってギルは立ち上がり剣を構えた。彼のことを気にしながらもウィルは言われた通りにメリダの元へと下がる。メリダが治療を始めたのを確認したギルは切れ長の瞳をより一層細めてベアズリーを睨め付けた。


 ようやく視界も晴れてきたのか、ベアズリーも獰猛な顔付きでギルの方を睨みつけている。その脇腹からはじくじくとどす黒い血が滲み始めていた。


 鋭く息を吐きギルがベアズリーに駆け寄る。ギルを敵と認識した彼奴は剣の刺さっていない方の腕をギルに向かって振り回したが、直前で一歩大きく踏み込んだギルは容易くこれをかわし懐に入り込んだ。すれ違い様に剣を振り抜く、が、浅い。


 ギルの攻撃は僅かに赤い線をベアズリーにつけるだけにとどまった。魔物もその瞬間を待っていたのか、回転するようにして今度は反対側の腕を横薙ぎにギルへと叩きつける。


 土煙が舞い上がり周囲に響くような鈍い音がして、両者の動きが止まった。


「ギル!」


 片腕を治療されながら様子を見守っていたウィルは心配そうに彼の名前を呼んだ。見ればジャスカールとリゼッタも息を飲むようにして一人と一体の攻防を見守っている。

 徐々に土煙が晴れていく。


 そこには魔物の攻撃を剣の腹で受け止めるギルの姿があった。

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