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イノセント・アライブ ~命の選択と荒ぶる息吹~  作者: 沙φ亜竜
第3章 ゆったりまったり幸せ気分
18/42

-3-

 ゆりかごさんに迷惑をかけてしまっていることを後ろめたく思いながらも、わたしはそれ以上に、優季くんとたくさんお話できたことで浮かれていた。

 家の玄関をくぐり、自分の部屋に滑り込んでからも、顔は自然とにやけるばかり。

 弥生さんがいきなり入ってきたら、また醜態をさらしてしまうことになるなんて、考える余裕もなかった。


 ぼーっとしていたわたしは、制服のボタンを外す手も止まりがちでなかなか脱ぐことができず、着替えるためにいつもの何倍もの時間をかけてしまった。

 部屋着のほうにはボタンもないし、すぐに着ることができたけど。

 にやけ顔のまま着替えを終えたわたしは、制服をハンガーにかけてクローゼットにしまう。


 と、その瞬間、弥生さんが襲来してきた。

 コンコン。


「お嬢様、夕食の準備ができました」


 ガチャリ。

 ドアを開けて部屋に入ってくる弥生さん。

 でも今日は、ノックの音で一瞬早く気づくことができた。


「あら、弥生さん。ありがとう。すぐに行きますね」


 わたしは落ち着いた声で答える。

 うん、今日は完璧。

 なんて余裕をかましていたら。


 あれ? 弥生さん、必死で笑いを堪えてる……?


「お……お嬢様、上着が後ろ前ですわ。もう、小さい子供じゃないんですから。ぷぷぷ」

「はうっ!」


 視線を下げてみると、指摘されたとおり、わたしの上着は前後逆の状態だった。


「ともかく、お食事、できておりますからね」


 弥生さんは笑いを堪えながら、というか、ぷぷぷと、堪えきれなくなった笑い声を漏らしながら、わたしの部屋を去っていった。

 こうしてまたしても、弥生さんに恥ずかしい姿を見られてしまう結果となってしまった。


 ああもう、弥生さんにはいったいどれだけ、わたしの恥ずかしい話を提供していることだろう。

 いつか弥生さんがうちのお手伝いさんを辞めることになったら、口封じに消すしかないかもしれないわね……。

 そんな物騒な考えを思い浮かべながら、わたしは上着に手をかけた。



 ☆☆☆☆☆



 食卓に着くと、小百合さんがなんだか面白そうにニヤニヤと笑いながら話しかけてきた。


「ふふっ、息吹ちゃんは相変わらずねぇ~。上着はちゃんと確認してから着るんですよ~?」

「ぶっ!」


 美味しそうな匂いを漂わせていたオニオンスープを、今まさに口に含んだところだったわたしは、思いっきり吹き出してしまった。

 はう、またこのパターン!?

 と思わなくもなかったけど、むせ返っているわたしには、弁解やら謝罪やらの言葉を吐き出す余裕すらない。


「あらあら、ごめんなさいね~」


 笑顔のまま、わたしに謝辞を向ける小百合さん。


「奥様、フキンです」

「まぁ、弥生さん。いつもいつも、悪いわねぇ~」


 弥生さんがすかさずフキンを持ってきて、そんな小百合さんに手渡した。

 どうやら弥生さんは、隠れてこちらの様子を見ていたようね。いつもどおり。

 なんやかんやと慌ただしくなってしまう食卓にも、随分慣れてきた感がある。


 小百合さんは素早くわたしが吹き出したスープを拭き、フキンを弥生さんに渡すと、何事もなかったかのように夕食の時間を再開した。

 自分のせいではあるけど冷めかけてきていた料理の優しい味を楽しみながら、わたしはいつものように小百合さんとのお喋りを続ける。


「それにしてもさっきから、随分と嬉しそうですよね~。浮かれているというか……。あっ、もしかして、このあいだ話していた方と、上手くいったのかしら~?」


 楽しく会話をしていると、急にそんなことを言われ、わたしは思わず顔を真っ赤に染める。


「あらあら、図星なの~? 息吹ちゃんにも、ようやく恋人ができたのねぇ~。ふふっ、これはお祝いしなくてはいけないわねぇ~」

「えっと、その、こ……恋人とかってわけじゃないですけどっ! でも、お話とかはするようになっていて……」


 恥ずかしくはあったけど、でもなんだか嬉しくて、聞いてほしくて、わたしは必死の想いを言葉に乗せる。

 そんなわたしの様子を、小百合さんはいつも以上に温かな瞳で見つめてくれていた。


「ふふっ、そう……、もうそんなお年頃なのねぇ~。吐息(といき)にも見せてあげたかったわ~」


 不意に、空気の流れが止まったような、そんな気がした。

 わたしはあまり気にしてはいなかったけど、小百合さんはすごく気にしていることだから……。


 小百合さんは、しまった、といったようなバツの悪そうな表情になって、口に手を当てたまま黙り込む。

 吐息、というのは、死んでしまったわたしのお母さんの名前。

 重苦しい沈黙が流れる。

 いたたまれなくなったのか、小百合さんは、そそくさと席を立った。


「ごめんなさい……のどが渇いたので、お紅茶を用意してくるわねぇ~。息吹ちゃんも、飲みたいかしら~?」

「あっ、はい、お願いします」


 わたしは努めて自然に微笑み返しながら答える。


「そんなに気にすることないのに……」


 小さなつぶやきは、小百合さんの背中にまで届くことはなかった。


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