ダグのパン屋さん
気を取り直して赤いペンキ塗りの扉を押すと、シャララララン、とフォークのドアベルが鳴って、焼きたてパンの香りに包み込まれる。太陽と土でしっかりと育てられた上質な小麦の香りだ。
「こんにちは」
「ああ、ベリィちゃんおかえり。学校はもう終わったの?」
気さくに迎えてくれる店主のダグさんは、目と目の距離が並より若干広く、魚類っぽい顔に人の良さがにじみ出ている。毎日パン生地を捏ねているだけあって、半袖のコック服からのぞく腕は筋肉隆々だ。
「今日は新作を出したんだよ。僕の渾身の作、春限定‘‘クローバーのワッフル’’!ぜひお試しあれ」
ワッフルとは型破りに潰えたお焼きの異名だったろうか。美的感覚を狂わせて頭の中に疑問符を召喚させる謎の垂れ流し焼きが、バスケットに大量に盛られている。好意的に目先を変えて、規格外れの素朴な田舎パン、とも一概に言えないフォルムの微妙さ。悩ませる。そして、目を逸らさせる。
ダグさんの屈託ない笑顔についついごまかされそうになるが、あれはどう見ても先月まで売られていた冬限定‘‘雪の結晶ワッフル’’なのだ。その前の秋限定‘‘メープルリーフのワッフル’’も一切変わらない見た目だったっけ。その前の夏限定‘‘太陽のワッフル’’も。去年の春限定‘‘サクラのワッフル’’も。確かその前の冬限定‘‘白樺の切り株のワッフル’’も、ネーミングを変える必要もなくただのけったいなへちゃむくれだった。しかも、全体として形状はより不恰好になり、サイズが小さくなりつつある気さえする。
縮小すればいいというものでもなく、ダグさんの美意識が反対方向にずれていっているのか意地汚いやけっぱちなのか、端的に言えば、どういうわけかグレードダウンしている期間限定パン。
「クローバーは…」
「入れてないんだ。形だけ忠実に再現してる。残ってる種類が少ないけど、ゆっくり選んでね」
形だけ忠実に再現してる?性懲りもなく無根拠の自信でのほほんとのたまういい人笑顔のパン職人は、年々生え際が後退しているものの男盛りの四十歳。お嫁さん候補を絶賛募集中である。低く通るいい声をしているし、穏やかな人柄と安定した稼業、女性ウケする腕っぷしの筋肉の色気でもっと売り出せないものだろうか。村の結婚市場は男性を引く手あまただというのに。
なぜかワッフルだけは失敗作なのが逆におもしろいのだが、実のところ‘‘ダグのパン屋さん’’は種類豊富で見た目にも楽しい商品ばかりを取り揃えている。
鮮やか七色のハーブパン、トウモロコシの粒でトウモロコシを描くコーンブレッド、食用花とミントの葉で立体的に花を咲かせたケーキのようなブリオッシュ、三角屋根の小さなおうち形にもっと小さなドアと窓の焼き印を押したミニ食パン、紫と黄緑色のブドウを割って交互に散らしたデザート系オープンサンド、熱々だけど溶けないバニラアイスデニッシュ、一個の白桃を丸ごと包むころんとした球体のピーチパイ。
ぼんやり発光する‘‘夜空のパン’’などは、もちもちした濃紺のソフトロールにすっきり後味の星屑入りカスタードクリームが詰められていて、齧った後の断面は夜空を横切る天の河。ぷちぷち食感の星砂糖がなめらかクリームのアクセントになり、なかなか芸が細かい。
この時間には残念ながら売り切れが多く、食事用の‘‘中世パン’’とクロワッサン‘‘ノーマル’’を確保できたのが幸い。まだ焼きたてなのにあらかたはけてしまったようで、最後の一個が残っていてラッキーだった。全粒粉の中世パンは、地味だけどコクがあっておいしいのだ。
シナモンの効いたおやつ用のリンゴの揚げパンもついでに籐編みトレイに載せる。余ったドライハーブを濃いめに煮出して、ミルクと蜂蜜を加え作業の合間にいただこう。
「540WTCです」
今回は‘‘WITCH COIN’’読み取り機にスマホをかざすとすぐにピッと作動音があった。
お金はチャージしているのに店頭で決済が通らないミステイクが多々あったが、エンジニアの天文魔女が総力を挙げて改善に取り組んでいるおかげで利便性が向上してきている。 ‘‘天文魔女館’’は、昼夜問わずの交代勤務で二十四時間フル稼働らしい。ミセス・ゼムフィーラの方の不具合もすぐに解消するだろう。
「ありがとう。さよなら」と定番卒業ソングの歌詞みたいな挨拶を残して帰路に着こうとした時、ダグさんは、義理ですら購入検討の余地もなかったワッフルの堆積を切なげにすっと見遣った。




