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9.密室への招待

 10月13日、という日付を明美は何度も繰り返した。

『元気だった? 10月13日は空いてる? ウチの近所でおいしいケーキ屋さんがあって、明美ちゃんと食べてみたいなと思ったんだけど。予定教えてください。 広瀬灯也』

 どうして…と、何度もメールに向かってつぶやいた。それから洗面所に行き、自分の顔を一生懸命見つめた。

(絶対、美人じゃないし。私、身の程はわきまえてるもん。カンチガイしてるみっともない人たちとは違うもん。ちゃんと、冷静に自分のことは判断できる)

 なのになぜ、広瀬灯也は「用もないのに」予定を聞いてくるのだろう。明美は「恋愛じゃないのくらい、わかってる」と繰り返しながら、ずっと心臓が早鐘を打っていた。

(やっぱり、中学生の知り合いとかっていなくて、珍しいのかな。それに、作詞のアイデアとかも言ってたし、いろいろそれなりに理由はあるよね)

 明美は、机の中にしまったままになっていた「灯也くんメモ」を取り出した。そして、タイトルの下に「妄想日記」とサブタイトルを書き足した。それから、ノートを開いて日付を書き、今日のことを書いた。

【灯也くんからケーキを食べに行こうというお誘いがある。夢のよう。て、夢か。】

 誰かに見つかっても、「ちょっと書いてみただけの妄想」と言える書き方。でも、実は本当のこと。

『10月13日、空いています。ちゃんと最初に言われたときに空けておきました。でも、なんだかこんなにたくさん会ってもらって、いいんでしょうか。忙しいんじゃないでしょうか。私はもちろん嬉しいですが、なんだか不思議な気分です』


 広瀬灯也は背徳の喜びにひたりきっていた。2週間後、禁断の果実が掌に転がり込んでくる。なんだかプロセスはどうでもいいような気がしてきた。恋愛感情に押し流されたという言い訳が通用しないだろうか?

「不思議な気分です」

 灯也はメールの最後を音読した。

「どう不思議?」

 満面の笑みを浮かべながら画面に語りかけた。明美の顔が画面の向こうに浮かんだ。

「おかしいかな、俺?」

 おかしい、のかもしれない。ちょっとしたイタズラ心のはずが、今じゃかなりの期待にふくらんでいる。冗談半分ではあるけれど…、それにしても、我ながら熱心だ。

(憧れはあるかな…、女性として何もかもが無垢、っていうことに)

 灯也は最近、タバコの本数を減らし始めた。のどの調子が悪いと、タバコのせいなんじゃないかと不安になることがある。タバコを吸うシンガーなんか何人もいる。でも、元々格好つけに吸い始めたものだから、タバコにそれほど価値を感じているわけじゃない。だからやめてもいいような気がした。

 タバコだけじゃない。女の子を熱心に口説くのも飽きたし、将来の仕事の行く末も心配になってきた。いろんなことが「枯れて」きたように感じる…。

(明美ちゃんをどうにかしたら、いい加減、遊ぶのはやめるかな…。スキャンダルで色物になっちゃうのも、バカバカしいし。あとは…真面目な恋愛でもするか?)

 でも、結婚するとしたら35歳以降と決めている。家庭はいずれ持ちたいが、25歳の今はまだピンとこない。若さと、男としての魅力を婚姻届で封印したくはない。

(これからの10年、俺はどう生きようかな…)

 灯也は漠然とした人生の岐路を迎えていた。


 10月13日はあいにくの雨だった。JR大塚駅の北口改札を出たところで、明美は顔が見えるようにして立っていた。雨は、ひとつだけいいことがある。灯也の顔が傘に隠れるから、道を歩いていても、人から見つかる心配があまりないだろう。

(…あれ、灯也くんかな)

 明美は1人間違えたが、次には当てた。灯也は厚手の眼鏡をかけていたが、いつもに比べればかなり「広瀬灯也っぽい」服装でやってきた。明美の胸が鋭い痛みに貫かれた。ただ灯也に会えることを喜び、緊張していた頃とは違ってきていた。

「雨だね」

 灯也は明美の真ん前にまっすぐ立ち、笑顔を見せた。明美は赤くなってうつむいた。灯也は自分の笑顔がうかつな感情を表現しそうになるのを感じ、

「とりあえず、行こうよ」

 と歩き始めた。

 くだんのケーキ店は喫茶コーナーを併設している。席は埋まっていて、遠目に見てもそれがわかった。元々、この店がいつもいっぱいなのを灯也は知っていた。

「今日は雨だから、混んでるね」

 席に空きがあったとしても、どうせ「ここじゃ目立つから」と言うつもりだった。店に入れないのは予定通りだ。

「…雨だし、どこかに行くのも憂鬱だね。近いし、ウチに来る?」

 灯也はごく自然に言った。中学生相手にしくじるはずはない。これまで百戦錬磨のお嬢さんたちだって、YESと答えやすい程度にはさりげなく上手に誘ってきたのだから。

「えっ!」

 明美は声になるかならないかの音域の声を上げ、そのまま硬直した。いろんなことが頭の中をドッとよぎった。順番にではなく、ほぼ同時に。

(いいのかな、家なんか教わっても。ファンを信用するのはよくないよ)

(男の人の家に行くなんて)

(記者がいたら、困らないかな)

(なんか変なこと、されたらどうしよう? それは考えすぎ?)

 灯也は言葉を足した。

「まあ、明美ちゃんなら、家を知られても大丈夫だと思ってさ。…おかしなファンみたいな真似、しないでしょ?」

 明美は慌てて顔を上げ、

「しません」

 と即答した。灯也は笑顔になり、

「うん、だったら、ウチに行こう」

 と言った。明美にはもう、NOと答えるチャンスはなくなった。

 灯也は明美にお金を渡して、お使いを頼んだ。明美は自分の分もそこから買うのを気後れして戸惑った。

「もー、いいから。俺と一緒の時は、遠慮なんかしなくていいよ、優等生。いちいち諭すのは飽きたよ。…もっと俺のこと、親しく思ってくれないかな?」

 灯也は必要以上の親しみを込めて言った。明美はまた赤くなり、慌てたように傘を閉じて店に入っていった。灯也は店の外で傘に隠れて立ったまま満面の笑みを浮かべた。

 明美は灯也を待たせないようものすごい速さで自分用にケーキを選んで買い物を終え、すぐに店を出た。雨の中、2つの傘は並んで路地を入っていった。


 妙に綺麗に片づいた部屋のドアが開き、まず灯也が、次に明美が姿を見せた。

「入って。散らかって…もないけど。たまたまこの前大掃除して、片っ端から捨てちゃったから」

 明美はあまりに片づいた部屋にびっくりした。

「すごい、きれい好きなんですね…」

「いや、ホント、これは珍しい状態。そうでもなきゃ、人を呼ぶ気になんてならないよ」

 灯也はここがウイークリーマンションだと気付かれないかをわずかに心配した。でも、ウイークリーマンションに詳しい中学生なんていないだろうと高をくくった。

 明美は、「広瀬灯也の部屋に入った」ということには緊張したが、男と2人で部屋に閉じこもったことに対しては緊張が足りなかった。

 灯也は「座って」と言おうとして、座布団がないことに気付いた。

「あ…ゴメン、座布団ないんだった。女の子が来ることなんて、ないから」

 家に女の子が来ないというのは本当のことだ。連れ込むと面倒だから。

「あの、平気です」

「ま、テキトーに座ってよ。お茶、こんなのしかないけど、ゴメンね」

 備え付けの湯沸かしポットで沸かしてあったお湯で、カップに直接ティーバッグの紅茶を作った。灯也の本当のマンションの部屋なら、おしゃれなガラスのポットがあったのだけれど。

「あの、すみません、気が付かなくて、あの」

 明美は「広瀬灯也」にお茶をいれさせてしまい、慌てて立ち上がった。

「いや、いいのいいの、俺、自分の家を他の人にいじられるの、好きじゃないし」

 灯也はカップをテーブルに置きながら座った。

「座ってよ。ケーキ開けようよ」

 灯也は我ながら可笑しくなるほどの商業用の笑顔を見せた。明美はおずおずと座った。膝下丈のフレアースカートがふわっと広がった。

(すげー、お子様)

 灯也は身近な女性では見られない幼いシルエットに新鮮な感動を覚えた。

「ゴメンね、俺の勝手でこんなとこにしちゃって」

「え、いえ、あの、とんでもないです、私こそ、恐縮です…」

「ケーキ、何にしたの?」

「あ、…今あけます…」

 明美は膝で立ってケーキの箱を開けた。そして少し戸惑った表情をした。

「あ、皿か。…綺麗なのあったかな」

 一応昨夜からここに来ているが、いまいち勝手がわからない。灯也はできるだけ自然に席を立った。幸い、棚にすぐ見つかった。本当は一回洗ってから使いたいところ、灯也はやむを得ずそのまま皿を2枚テーブルに運んだ。

 しばらく食べ進んでから、

「明美ちゃんのそれ、俺、一回も食べてない奴だ。ちょっとちょうだい」

 と言って、灯也は遠慮なく明美のケーキに手を伸ばした。

「はい、あの、どうぞ」

 とはいうものの、明美にとっては大事件だった。顔に出ないように頑張ったが、明美はしっかり赤くなっていた。灯也は内心、(中学生はやっぱり「間接キス」とか思うんだ。懐かしいな~)と思っていた。

「俺のも」

 灯也は明美に自分のケーキを差し出した。明美は恐縮して遠慮した。

「ダメ、平等ね。はい」

 灯也は自分の食べていない方の隅っこを、でも自分のフォークで切って、明美の皿に載せた。明美はますます赤くなって恐縮し、最後に恥ずかしそうに食べた。

「えっ…と、夕飯までに帰るんだっけ?」

「あ、はい、…すみません、親に詮索されると、困るから…」

「大変だね、優等生は」

「優等生とかじゃないですよ、中学生って義務教育だし、夜遊びとかするのだって、普通高校生からじゃないんですか?」

「冗談! 小学生はともかく中学生と高校生はそんなに変わらないでしょ。キミのとこの中学、なんだっけ、名門のとこ…そこが特殊なんだよ。荒れてる子なんていないでしょ?」

「荒れてるって、ヤンキーとかですか? 中学生で?」

「公立中学ではいくらでもいるよ、授業出ないで遊ぶ奴、恐喝する奴、自宅に帰らないで友達のとこ転々と泊まり歩く奴」

「中学で? 本当に?」

「うん、…ああ、でも公立に限らないか。私立でも、あんまりお勉強に熱心じゃない奴が行くところは、そんなもんだよ。真面目な子もいるだろうけどさ、少なくとも、キミのいる中学の方が、世間では特殊だと思うよ」

「…特殊ですか?」

「特殊。キミは普通じゃなくて、特殊なごく一部の人。そのへんの自覚はもっておいた方がいいよ。世の中、いわゆる『バカ』の比率の方が高いってこと、知らずに育つと大変だから」

 灯也は胸ポケットからタバコを取り出しかけて、やめた。減らせる限り減らしたいし、目の前の非常に若い女性にこの密室でタバコの煙を吸わせるのは控えたい。なにより、そこから明美の両親が疑問を持って、足がついたのではたまらない。

「そういえばさ、明美ちゃんて、タバコ嫌いじゃないの?」

 インテリ風の女性の傾向としておそらくそうであろうと、灯也は聞いてみた。

「…それは、やっぱり、あまり好きではないです…、道を歩いてて煙いのは納得行かないし、レストランで煙いのもご飯がまずくて嫌だし、森林浴とかでもタバコ吸う人なんて、何のために森林浴に来てるのか全然わからないし…」

「今まで俺、タバコ平気で吸ってたけど、気にならなかった?」

「そこは、その人のことが個人として好きなら、好きな分とタバコの嫌いな分とで相殺しますから…。広瀬さんはすごく好きなので、タバコの分はそんなにマイナスじゃなくて…」

 ずるい理屈だな、と灯也は思った。でも、タバコの分は確実に嫌われてるんだなとも思った。13歳の女の子を前にしても案外平気でタバコを吸っていた。麻痺していたな、と反省した。灯也が追々タバコをやめるつもりだと言うと、明美は嬉しそうにした。

「それとさ、ファンの子って、ホントは俺のこと、『広瀬さん』なんて言わないでしょ。明美ちゃんも、友達と俺の話するときは、絶対『広瀬さん』なんて言ってないよね。教えて、ホントは普段、俺のこと何て言ってるの?」

「…えっ…それは、すみません、今後はあつかましい呼び方、しないようにしますから」

 普段は「灯也くん」と言っている。25歳の男性に対して13歳の子どもがそんな言い方をしているなんて…と、明美は冷や汗をかいた。

「そうじゃなくて、…俺、もっとキミと対等に話がしたいんだけど。もうタメ口でいいし、普段『灯也』とか言ってるんだったら、呼び方もソレでぜんっぜんかまわないから」

「とんでもないです!」

「んでも、ホントは俺のこと、広瀬さん…じゃないんでしょ? ね、いいから教えてよ。何て言ってるの?」

 明美はしばらく躊躇したが、下を向いてなんとか答えた。

「…すみません、灯也くん…て言ってます。友人一同も、私も…」

「ヨシ、じゃ、今後はそれ。『広瀬さん』は禁止ね」

「いえっ、無理です!」

「平気だよ。いいじゃん、こうやって2人でケーキ食べるくらい仲良くなったつもりでいるのにさ、あんまりかしこまられると、俺的には淋しいよね。『灯也くん』くらい、言ってよ。楽しそう。中学生の仲間に入れたみたいで」

 明美は下を向いたままだったが、やがておずおずと言った。

「…灯也くんなんて、呼ばせてもらっていいんですか?」

「だから呼んでよ。俺は明美ちゃんって呼んでるんだからさ」

 そして明美はしばらく言おうと努力したようだったが、結局声にはならなかった。

「あのう、あらたまって言うのは恥ずかしいので、あとでチャンスを見計らって言います、すみません」

 からみついていく蜘蛛の糸が見えるようで、灯也はさりげなく明美の胸元や首筋を品定めしていた。すると、明美がうつむいたまま、

「あの…、…灯也くん、お茶をもらってもいいでしょうか…」

 と小さな声で言った。灯也はこみ上げてくる笑いをこらえ、

「タメ口でいいよ。お茶ちょうだい、で」

 と言った。明美は真下を向いたまま小さく首を横に振り、

「もう、『灯也くん』だけでいっぱいいっぱいです」

 と答えた。


 それでも、その日夕方まで話しているうちに、少しずつ明美の言葉遣いがくだけてきた。

「中間テストは来週末からなんです。来週は勉強。学年で中の中のちょっと上くらいだから、がんばらないと…」

「得意科目って何?」

「…国語かな…。歴史もわりといいですよ。でも理科が悪くないのに数学が悪いのが自分でよくわかんない。図形の問題が苦手だからかな」

「あ、アレ読んだ? 男脳、女脳の解説の本」

「読みました。文庫出たから、それを買って。私も地図ぐるぐる回すし、図形わかんないし、女脳だなって思って…。あの、灯也くんは、自分で男脳だなって思いました?」

「すごーい思ったね。一度にひとつしかできないっての、ホントわかるもん。まず弾き語りができない。キーボード弾いてたら歌えない。それどころか、右手と左手で別々の旋律なんて弾けない。あっ、これは男脳っていうより俺がダメなのか」

「そうなんだ…、弾き語りとか、やったら格好いいと思うけど…」

「ファンクラブイベントのライブでやったよ。すっげーたどたどしいの。VTRで見返して死にそうになっちゃった。最悪みっともない、もう絶対やらないと思った」

 しゃべりながら時折意味もなく視線をあちこちにそらし、そういうクセがあるかのように装いながら、灯也は明美の体を見ていた。手首が細い。野暮ったい髪に隠れて見えにくい首筋も、力なく細い。たぶん、これは体格の問題ではなく、若さから来る頼りなさなのだろう。胸元も頼りないが、13歳と考えると、まあまあじゃないだろうか。あと5年くらいは育ち続ける可能性がある。そして、ノーメイクに違いない肌がとても綺麗だ。明美の服の下も、さぞかし綺麗に違いない。楽しみだ。

 広瀬灯也が視線を泳がせている様子を、明美は不思議に思っていた。

(どうして、今日は落ち着かないんだろう?)

 自分自身も今日はとても落ち着かない。今までだって落ち着いていたわけじゃないけれど、今日は格別…。

(おんなじ理由?)

 二人っきりだから…。

(…ううん、二人っきりだなんて思ってドキドキしてるのは私だけだよ)

 恋の始まり、という言葉が明美の心を支配していた。「そんなはずないよ」と何度繰り返し思っても、次の瞬間には恋の始まりを思い描いていた。


 17時を回り、夕食に合わせて帰るために明美が残念そうに立ち上がると、灯也は最後の仕上げに取りかかった。

「…残念だけど、帰らないとね…」

 灯也は名残惜しそうな顔をした。今まで明美に対してこんな態度をしたことはない。

「あの、今日は、ありがとうございました」

 明美は灯也の異変に気付いたが、期待しないように平静を装った。灯也がもっと一緒にいたいがってくれているように感じる。でも、絶対に自惚れだと言い聞かせた。

 灯也は心の底で小さく笑った。

(はじめの頃は何もかも疑ってたのにね。結局、机上を離れれば、子どもなんだよね)

 広瀬灯也が個人的にお友達になってくれるなんて、おかしいと思わないんだろうか。こんな態度も、嘘だと思わないんだろうか。確かに、明美が帰ってしまうのは残念だけど。そう、「無傷のまま帰す」という一点において。

 慌てて靴を履き、明美は灯也を見上げた。灯也は何かに迷っている顔を装った。

「…駅まで送った方がいいかな。…人目につくかな」

「あの、大丈夫だから。変な記者に変なこと書かれたり、ファンの人に見つかって騒ぎになったりしたら困るし。ひとりで平気…」

 無理やり丁寧語を取り払った明美の話し方に、灯也は快感のようなものをおぼえた。あとは、次に会ったときに恋を語るだけだ。今日のラストは、その伏線を…。

「うん、…ゴメン。そこは、俺の仕事が悪かったと思って」

「いえ、いいんです。もう十分、…嬉しかったし、楽しかったから。…帰ります。あの、…ありがとう、灯也くん」

 いささかわざとらしく、明美はもう一度「灯也くん」と呼んだ。それから、

「あの、…これからも、…灯也くんて、呼んでもいい?」

 と、真下を向いてたどたどしく訊いた。灯也は危なく笑ってしまうところだった。返事をしてあげようと思ったら、明美が慌てて言葉を足した。

「あ、これからも、会ったり、メールをくれたり、するなら…だけど」

 一生懸命タメ口をききながら、結局は距離をおいている様子に、灯也は満悦した。その感覚のままで恋愛ゴッコにつきあってもらおう。芸能人と慎み深いファンの関係を維持しながら…。灯也は優しく返答した。

「もちろん。すぐ他人行儀になったりしたら、俺、怒るよ」

 灯也は、ドアを出ようとした明美に、決めておいた芝居を投げかけた。

「あのさ、明美ちゃん」

 少し緊迫した声色。明美は振り返った。灯也はわざと目をそらした。

「…変なこと訊くけど、…あのさ、キミって、…」

 声を小さめにして、不自然さを装った。

「…好きな人はいるの?」

 明美の周りの空気が一瞬にして凍った。灯也もその氷の中にいるフリをした。そして慌てて氷を砕いてみせた。

「ゴメン、俺、変なこと訊いてるね。気にしないで。じゃあ、また」

 不自然な笑顔で手を振ったが、この不自然さも芝居でしかない。こういう演出は得意だし、場数さえ踏めば誰だって上手くなる。…もちろん、お堅い中学生にはそんな知識はないに決まっているけれど。

 明美は戸惑いながら、それでも一生懸命に、

「あの、いません。…あの、それじゃ、…さよなら」

 と伏し目がちに答えてドアを出ていった。慌てて閉まったドアに向かって、灯也はウインクを投げた。

「好きな人がいたって、俺はかまわないよ~」

 だって、中学生の恋愛なんかが、広瀬灯也に勝てるわけがない。

 テーブルの上の茶碗を片付けながら、灯也は明美の気持ちを想像しては口に出した。

「今の質問って何?」

「どういうことなんだろう?」

「灯也くんって、やっぱり私に興味があるの?」

 そのたびに快感が脊髄をのぼってくるような気がした。

「サイコーじゃん、中学生。おもしろすぎ」

 灯也は満足し、その日はそのまま明美と過ごしたウイークリーマンションに泊まった。

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