第三話 「既視感」
大学へ向かう足取りは重かった。
四月中旬。
空は薄曇りで、湿った風が駅前の空気へまとわりついている。
大型ビジョンでは今日も能力者ニュースが流れていた。
『能力者登録制度について政府は――』
『能力犯罪件数は先月比で――』
『一部SNSでは“能力者狩り”を扇動する投稿も――』
立ち止まって画面を見上げる人間たち。
不安そうな顔。
興奮した顔。
スマホを向ける人間。
誰も彼も、“世界が変わる瞬間”へ立ち会っているつもりだった。
透はイヤホンを耳へ押し込む。
「……終わってんな」
小さく呟く。
だが、その“終わっている世界”へ、自分も足を踏み入れてしまったのだと思うと少し気分が悪かった。
昨日から頭が静かにならない。
検索するたび、真実が流れ込む。
しかも。
ただ“見る”だけじゃない。
見た後、現実の方まで変わっている気がする。
それが一番気持ち悪かった。
ーーー
大学構内は妙にざわついていた。
「昨日の動画見た?」
「能力者ってマジで存在すんのかな」
「政府絶対なんか隠してるだろ」
そこら中で能力者の話をしている。
透は人混みを避けるように歩く。
視線を合わせない。
目立たないように。
いつも通り。
それなのに。
今は少しだけ感覚が違った。
自分だけが、“向こう側”を知っている気がする。
その感覚が少し怖い。
少しだけ――気持ちよかった。
ーーー
講義室後方。
透は気だるそうに頬杖をつきながら、前方スクリーンを眺めていた。
英語。
最悪だ。
教授の発音を聞いているだけで頭が痛くなる。
何で日本人がこんな必死に英語を勉強しなきゃいけないんだ。
結局、戦争に勝った側の言葉を押し付けられてるだけだろ。
そんな考えが脳裏をよぎる。
「真壁、お前ちゃんと聞いてるか?」
突然名前を呼ばれ、透は肩を揺らした。
「……あ、はい」
反射的に敬語が出る。
教室前方では黒田修が呆れた顔をしていた。
厳しいが、感情で怒鳴るタイプではない。
だから余計に苦手だった。
「この英文、訳してみろ」
「え……」
最悪だ。
透は嫌そうに教科書を見る。
長い英文。
知らない単語。
やる気が失せる。
その時だった。
ふと、脳裏へ考えが浮かぶ。
――これ、能力で分かったりしないか?
透は半信半疑のまま英文を見つめた。
次の瞬間。
妙な感覚が脳へ広がった。
単語ではない。
文法でもない。
もっと直接的な何か。
この文章を書いた人間の意図。
感情。
皮肉。
伝えたかった温度。
そこだけが、頭の中へ自然に流れ込んでくる。
「……は?」
まるで。
“意味”だけを直接理解しているみたいだった。
「真壁?」
「あ、えっと……」
透は口を開く。
気づけば、英文を訳していた。
教室が少し静かになる。
高田が後ろを振り返り、少し驚いた顔をしている。
透は急に居心地が悪くなった。
見られている。
その感覚だけで喉が詰まる。
「……正解だ」
黒田が意外そうに言った。
「ちゃんと予習してるじゃないか」
「……まぁ」
透は視線を逸らす。
心臓がうるさい。
今の、絶対能力だろ。
しかも。
ただ答えが分かるんじゃない。
“人間の認識”そのものが流れ込んできている。
その感覚に気づいた瞬間、背筋が少し冷えた。
前方の女子グループが小さく話している声が耳へ入る。
「真壁ってあんな喋れたっけ」
「いつも寝てるイメージしかない」
透は聞こえないフリをした。
でも。
胸の奥が少し熱くなる。
気付かれた。
見られた。
そんな小さなことで、自分でも気持ち悪いくらい意識してしまう。
ーーー
帰宅後。
透は机へ向かい、ノートPCを開いた。
閉め切ったカーテン。
薄暗い部屋。
モニターの光だけが顔を照らしている。
SNSを開く。
《#能力者》
《#未来視》
《#能力犯罪》
《#政府隠蔽》
タイムラインは相変わらず酷かった。
《能力者擁護してる奴、家燃やされても同じこと言えんの?》
《登録制反対してるの能力者本人だろ》
《政府が隠してる時点で黒》
《“普通の人間”が損する時代始まったな》
怒号。
陰謀論。
切り抜き。
断定。
でも。
透は以前より、その情報群へ“意味”を感じ始めていた。
もし。
自分の能力が本当に“真実を見る力”なら。
この世界の嘘を暴けるんじゃないか。
そんな考えが少しだけ頭をよぎる。
SNSで騒いでいる連中より。
何も知らず断定している人間たちより。
今の自分の方が、よほど“本当”へ近い。
その感覚に気づいた瞬間、透は小さく眉をひそめた。
「……いや」
首を振る。
別に世界を救いたいわけじゃない。
正義の味方になりたいわけでもない。
ただ。
騙されて不幸になる奴を見ると、胸糞悪いだけだ。
……それだけのはずだった。
透はまとめサイトを開く。
【某食品メーカー、産地偽装疑惑】
「またか」
適当なゴシップ記事。
コメント欄には憶測ばかり並んでいる。
《絶対やってる》
《昔から怪しかった》
《内部告発来たぞ》
透は鼻で笑った。
「どうせ便乗炎上だろ」
記事を開いた瞬間だった。
視界が揺れる。
「っ……!」
頭の奥が熱い。
次の瞬間。
映像が流れ込んできた。
工場。
熱気。
油の臭い。
機械音。
汗で湿った作業服。
『バレなきゃ問題ない』
怒鳴る上司。
差し替えられるラベル。
無言で作業する従業員。
見て見ぬフリ。
諦め。
疲労。
その空気ごと流れ込んでくる。
「……マジかよ」
映像は数秒で終わる。
だが、嫌な現実感だけが残った。
透は椅子へ深くもたれかかる。
そして。
少しだけ思ってしまう。
――やっぱり俺だけは、本当を見れてる。
その感覚は、酷く危険だった。
でも同時に。
今だけは、世界のノイズが少し薄く見えた。
自分だけが、“答え側”に立っている気がした。
「まぁ……でも」
透は小さく呟く。
「今の時代、どこも似たようなことやってんだろ」
そうでも思わないと、頭がおかしくなりそうだった。
その時。
スマホが震えた。
【速報】
『大手食品メーカー、産地偽装発覚』
「……は?」
透は画面を見つめる。
タイミングが早すぎる。
記事を開く。
そこには、さっき自分が見た映像とほとんど同じ内容が書かれていた。
『内部告発により発覚』
『以前から社内では常態化していたとの証言も』
透の指が止まる。
「……前から、あった?」
違和感。
妙な既視感。
透はさっき見ていたまとめ記事を開き直した。
そして眉をひそめる。
「……何だこれ」
記事の内容が増えていた。
数分前には存在しなかった文章。
『以前からネット上では噂されていた』
コメント欄も変わっていた。
《やっぱりな》
《知ってた》
《前から怪しかった》
《あの時点で気付いてた奴いたよな》
「……いや」
おかしい。
さっきはこんなのなかった。
絶対に。
透はページを更新する。
だが何も変わらない。
まるで最初から、そうだったみたいに。
数分前まで、誰も断定していなかった。
なのに今は違う。
全員が、“最初から知っていた側”へ回っている。
透は喉の奥に嫌な感覚を覚えた。
「……気持ち悪ぃ」
椅子から立ち上がる。
窓を開ける。
外はもう暗くなっていた。
遠くで救急車のサイレンが聞こえる。
冷たい夜風が頬を撫でた。
その時だった。
ふと、透はニュース記事の企業名を見ながら呟く。
「こんな企業、潰れて当然だろ……」
別に深い意味はなかった。
ただの愚痴だった。
だが翌朝。
その企業の株価は暴落していた。
内部告発の拡散。
過去の不祥事の掘り返し。
まとめ動画。
炎上系配信者。
SNSの怒号。
全てが一斉に企業へ殺到していた。
《#不買運動》
《#経営陣辞任しろ》
《#被害者面すんな》
透はスマホ画面を見つめたまま、小さく呟く。
「……偶然、だよな?」
だが。
その言葉は、自分自身へ言い聞かせているようにも聞こえた。
そしてもう一つ。
透の頭から離れない違和感があった。
――“真実が暴かれた”んじゃない。
まるで。
“最初からそういう現実だったことに、世界の方が書き換わった”みたいだった。
その感覚には、覚えがあった。
昔にも。
どこかで。
何かを失った時にも。
世界の形が、少しだけ変わった気がした。
だが透は、その既視感の正体をまだ思い出せなかった。




