第二話 「善意と詐欺」
目が覚めた瞬間、最初に視界へ入ったのは天井のシミだった。
六畳一間。
大学近くの古いアパート。
黄ばんだ壁紙。
窓際には読みかけの専門書と、食べ終わったコンビニ弁当の容器が積まれている。
透は布団の上でぼんやりと天井を見つめたまま、小さく息を吐いた。
「……夢、じゃないよな」
昨日のことを思い出す。
料亭。
封筒。
汚職議員。
そして、速報。
偶然――にしては出来すぎている。
透は枕元のスマホを手に取った。
《#城崎議員》
《#収賄疑惑》
《#能力者の予知では?》
《#政府隠蔽》
《#超能力リーク説》
タイムラインは、その話題で埋め尽くされていた。
もう何でも陰謀論に繋げるんだな、と呆れながらスクロールする。
だが、その指が途中で止まった。
《“未来視能力者”現る!?》
《某配信者『事件を事前に察知していた』》
《#本物の能力者か》
「……地獄だな」
透はスマホを顔へ乗せる。
超能力が現れてからというもの、ネットは以前にも増して酷くなっていた。
嘘。
切り抜き。
デマ。
承認欲求。
誰も彼も、“自分が信じたいもの”を叫んでいる。
真実なんてどうでもいい。
気持ちよくなれればそれでいい。
そんな空気が、透にはどうしても気持ち悪かった。
スマホを放り投げ、ベッドから起き上がる。
カーテンを開けると、曇り空だった。
窓の外では、小学生たちが普通に登校している。
その光景が妙に現実感を薄れさせた。
世界が変わったはずなのに、日常だけが取り残されている。
「……まぁ、俺には関係ないか」
そう呟きながら、透は机へ向かった。
昨日から、ずっと頭の片隅へ引っかかっていることがある。
本当に、自分は能力者なのか。
だとしたら、何ができる。
どこまで見える。
透は少し迷った後、ノートPCを開いた。
検索欄へ適当な陰謀論を打ち込む。
『某企業による人体実験』
「流石にくだらな――」
その瞬間だった。
視界が揺れる。
「っ……!」
脳の奥が熱い。
吐き気。
耳鳴り。
そして次の瞬間、映像が流れ込んできた。
白い研究室。
怒号。
署名入りの契約書。
泣いている男。
薬品。
隠蔽。
床へ落ちた社員証。
「……は?」
透は息を呑んだ。
情報量が多すぎる。
数秒で映像は途切れた。
だが、それだけで十分だった。
「……マジかよ」
背筋が粟立つ。
偶然じゃない。
今、自分は確かに“何か”を見た。
透は震える手で次々と検索を続ける。
未解決事件。
都市伝説。
芸能人の薬物疑惑。
政治家の汚職。
検索するたび、映像が脳へ流れ込んでくる。
まるで頭の中へ直接動画を再生されているみたいだった。
そして透は気づく。
自分は、“答え”を知ることができる。
検索欄へ文字を打ち込むたび、世界の裏側が剥がれていく。
気持ち悪い。
なのに。
少しだけ、高揚している自分がいた。
「……いや、待て」
透は我に返った。
これ、普通にやばくないか?
能力者への風当たりは日に日に強くなっている。
ニュースでも毎日のように流れていた。
能力者狩り。
私刑。
登録義務化。
隔離論。
もし自分の能力がバレたら、絶対にろくなことにならない。
「……誰にも言うわけないだろ」
透は小さく呟き、PCを閉じた。
その時だった。
Discordの通知音が鳴る。
【ユウ:おーい生きてるか】
透は少しだけ表情を緩めた。
ネトゲ仲間の一人だ。
リアルの友人より、よほど長い付き合いだった。
通話へ入る。
『やっと来た』
「昨日のレイド深夜三時開始とか頭おかしいだろ」
『社会不適合者しかいねぇギルドだからな』
「誇るな」
『お前も同類だろ』
「俺は大学生だからセーフ」
『留年しかけてる奴が何か言ってる』
「うるせぇ」
少しだけ、気が楽だった。
現実の人間関係は疲れる。
敬語。
愛想笑い。
空気読み。
でもネットなら違う。
顔も知らない。
責任も薄い。
だから楽だ。
『そういやさ』
ユウが少し声色を変える。
『最近、投資始めようと思ってんだよね』
「また変なの見たのか?」
『いや、知り合いの紹介。マジで稼げるっぽい』
「そういうの大体詐欺だろ」
『偏見強すぎ』
ユウは笑っていた。
でもその奥に、少し焦りみたいなものが滲んでいる。
『今のバイトじゃ普通にきついんだよ』
『家にも金入れなきゃだし』
『だからワンチャン欲しくてさ』
透は何も言えなかった。
ブラウザを開く。
「で、何てやつ?」
『なんか海外系の仮想通貨で――』
その名前を聞いた瞬間だった。
視界が揺れる。
「……っ」
脳裏へ映像が流れ込む。
薄暗い事務所。
投資セミナー。
マニュアル通りに笑う男女。
『まずは信用させろ』
『友人を使え』
『金がない奴には借りさせればいい』
机へ積まれた契約書。
督促状。
疲れ切った顔の若い男。
泣きながら電話をかける女。
『騙されたんです』
怒鳴り声。
着信拒否。
消えた連絡先。
「……おい」
『ん?』
「やめとけ、それ」
『え?』
「絶対やめた方がいい」
『なんで?』
言え。
止めろ。
今ならまだ間に合う。
でも。
どう説明する?
“能力で見た”なんて言えるわけがない。
「……そういう、“絶対儲かる”系で本当に儲かるなら」
透は絞り出すように言った。
「わざわざ他人誘わねぇだろ」
『いやでも実際稼いでる人いるし』
「演出だろ」
『お前疑いすぎなんだよ』
本当は違う。
そんなレベルじゃない。
危険だ。
逃げろ。
今すぐやめろ。
そう言いたかった。
でも透は、そこまで踏み込めなかった。
責任を負いたくなかった。
相手の人生へ、本気で関わる覚悟がなかった。
「……まぁ」
透は視線を逸らす。
「好きにすれば」
『何だよ急に』
「別に。俺の金じゃねぇし」
最低だな、と透は思った。
本気で止めるなら、もっと言えたはずだ。
電話番号を聞くことも。
会いに行く方法を探すことも。
でも結局、自分はそこまでしない。
面倒だから。
怖いから。
『まぁでもありがと。ちょっと考えとくわ』
「……おう」
通話が切れる。
静かになった部屋で、PCのファン音だけが響いていた。
透は椅子へ深くもたれかかる。
「……別に、俺の知ったことじゃないだろ」
そう呟きながら、Discordを閉じる。
最後に画面を確認した時。
ユウのアイコンは灰色のままだった。
だが、ステータスメッセージだけが更新されていた。
《人生変わるかもしれん》
その夜。
ユウのアカウントがオンラインになることは、最後までなかった。




