7.少女達、停滞する
「ねぇ怜莉。途中まででもいいから、ボクもついて行っていいかな」
朝食後、に行こうしたところでマヤは言った。
今のマヤは元のゴシックドレスではなく紫のパーカー、短めの臙脂色のスカート、黒タイツという服装になっている。普段着用に買った服装だ。
ちょうど怜莉が玄関でローファーを履いているタイミングである。
「え? どうして?」
既にローファーを履いている右足部分で立ち、未だ履いている途中の左足のかかとから人差し指を抜く最中に怜莉は振り返った。
「いや、別に大した意味はないんだよ。ただまあ、そろそろ一人で街を散策してみたいなって思っただけ。ならせっかくだし途中までついて行こうかななんて。別に迷惑なら後で一人で出るよ。合鍵は既に作ってもらってるしね」
マヤはパーカーのお腹の部分にあるマフポケットに手を突っ込み、斜め上に目を逸らしながら言う。
彼女の様子に、怜莉は少しだけ手を止め黙る。
「……いいよ、断る理由もないし。好きなところまでついてきて、好きなところで離れるといい」
怜莉は軽く笑いかけ、指を抜いた左足のローファーのつま先を玄関にトントンと軽く叩きつけながら言った。
彼女の言葉に、マヤも嬉しそうな表情を浮かべる。
「そっか、良かった」
「うん、じゃあ準備して。ああでも、何かあったら電話入れてよね。公衆電話って確か一キロ間隔であるらしいから意識すれば案外見つかるだろうし」
「了解、そのときはなるべく授業に邪魔にならない時間にかけるよ。こういうときボクもスマホを持てたらいいんだけど」
「それはまあ、悪く思ってるよ。でもほら、やっぱり高校生一人じゃあ契約結ぶのにも限界ってあるから」
「……そうだね、こればっかりは仕方ない」
またマヤが何かを言おうと思って飲み込んだのを、怜莉は感じた。
きっと自分と親の関係についてアレコレ考えているのだろうと彼女は考える。
むしろ、この一週間でそこに引っかからなかったのは随分と遅かったなとまで思った。
だがマヤがそこについて口を噤んだのなら、怜莉からも言う必要はない。負け犬同士でお互いの弱い所を晒すのは、出会ったあの夜だけで十分なのだ。
「ほら、そんなことより行くよ。あんまりぐずぐずしてると、私が学校に遅れちゃう」
「あ、うん、ごめんごめん。すぐ行くから玄関外で待ってて」
二人とも取り繕った笑みで言う。
外に出てきたマヤはパーカーのフードを被って一部毛先がはみ出るもその銀髪の大部分を隠し、左腕には金属バンドの腕時計、胸とお腹の間にボディバッグをかけ、白いスニーカーを履いた姿だ。
二人歩く通勤通学の時間帯ゆえ、道には他にも多くの他校の中学生や高校生の姿、そしてスーツを着た大人の姿もあった。
そんな中、二人はとあるバス停の前を通り過ぎる。そこには、マヤと同じ煌麗学園の紺色のブレザー姿もあった。
「…………」
マヤは通り過ぎる際、ついその姿に目が奪われてしまう。
そして、そのバス停を通り過ぎる怜莉をチラリと見た。
「……嫌いなんだ、ああいう狭い空間での人混みって」
視線に気づいていた怜悧は自らの目線を変えずに言った。
「あ、ごめん……」
マヤはその言葉に少し申し訳無さそうに俯き言う。
「仕方ないよ。明らかにあっちを使った方が楽で早いのに、避けてる方がおかしいんだから」
そう言う怜莉の表情に変化はない。ただ、いつものように微笑みを浮かべるだけ。
しかし、一歩後ろにいるマヤにその顔は見えなかった。
そのまま歩き続け、やがて然同じ煌麗学園の制服を着た生徒達の姿も見えてくる。
彼ら彼女らの多くは、怜莉が近づくとそれぞれ程度の差はあれど彼女を目で追っていた。
もちろん、近づく者などいもしない。
「…………」
その視線を見て、マヤは無言で横と後ろに数歩ずつ、怜莉から距離を取った。両手はマフポケットに突っ込まれ、視線は下に向く。
「…………」
怜莉もまた、それを一瞥すると、口を開かずに僅かに歩調を早めた。両手で学生カバンを握り、視線はまっすぐで。
「「………………」」
距離を保ったまま二人は歩く。
二人がそうして歩みを進めていくうちに、大きな交差点に差し掛かる。
そこで怜莉は学園が横にあるため赤信号の歩道の前で信号待ちを始めた。
すると、一方でマヤは目の前の青信号になっている歩道を歩き始める。
「「……」」
この際、二人は誰にも分からないぐらい自然に互いに視線を送り、こっそりと腰のあたりでお互いに向けて片手を振り合った。
当然、彼女らがそうしている姿に注目した者はその場にいなかったし、二人が同居しているなんて考える者もそこには誰一人いない。
彼女らは、完全な他人を演じきっていた。
+ + +
学園での授業は午後の時間割に入り、その授業を終えればあとは帰りのホームルームといった時間帯。
怜莉は、霧絵、八重との三人で机を合わせ、教科書やノートの他にいくつかのプリントをその上に置いて話し合ったり、シャープペンシルを走らせたりしていた。
形としては霧絵と八重が隣同士に席をくっつけ、その正面に怜莉が席を向かい合わせている形である。
「しかし、なんで日本史の授業でグループワークなんてしてるのかしらね私達は」
怜莉は自分達がいる机から離れたグループの方を観察している教師を横目で見ながら呆れた様子で言った。
「そこはまあ言ってたじゃん、『歴史は点で覚えるんじゃなくて線で覚えたほうがいいから別の視点を持つクラスメイトと話し合った方がいい』って。まあ実際は学園でやってる独自の要領としてやれって言われてるからなんだろうけど」
「大学に備えてってやつだっけ、世知辛いねぇー教師も。まあでもこうして組むグループの相手も人数も自由ってして貰えてるだけ、楽でありがたいとは思っておくよ」
ペンを指で回しながら言う霧絵に、手元にある資料集をペラペラとめくりながら言う八重。
二人の言葉に呼応するように怜莉は「ハァ……」とため息を付きながら瞼を下ろし、すぐに半目で手元のプリントを取って見る。
「それもそうか……じゃあまあ、どの時代の事を中心にやっていくかさっさと決めちゃうわよ。こんなことまで持ち帰って時間外学習なんてダルいなんてもんじゃないし」
「はいはい。えーっと、じゃあとりあえず私から。私はそうだなー……幕末がやりたいかなぁ、特に新選組。なんかイケメン多いんでしょ? 面白そうじゃん」
霧絵が資料集の幕末のページを開いて言う。
「歴史でも男漁りとかマジかお前……。私はやっぱ戦国時代かなー、やっぱ戦いの歴史ってテンション上がるじゃん。それに長篠の戦いとか小田原攻めとか、こう、終わりの美っていうかさぁ」
対して八重は安土桃山時代について書かれたページを開いて言った。
「えー、終わり美って言うなら新選組の方がそれっぽいんじゃない? よく知らないけどそんな事テレビで言ってたの聞いたし」
「いやー分かってないね霧絵は。一つの時代の終わりじゃなくて流れゆく時代の大河に飲まれるマキシマムな勢力のミニマムな終わりがさ……」
「うわぁ……随分と濃い事言うじゃん……なんかちょっとオタク臭くてキモ」
「えぇ!? いいじゃん別に! てかそれオカルトでテンション上がる霧絵には言われたくないんだけどー!」
「は? 私はただエンジョイしてるだけだし。キモいオタクのとは別だし」
「あのさぁ……今は相手が私だからいいけどマジそのうちか刺されるよそういうの」
霧絵と八重がああだこうだと盛り上がっているのを正面にしながらも、怜莉は右手で頬杖をつきながら左手で資料集のページを一枚ずつゆっくりとめくっている。
「うーん、どっちでもいいから早く決めちゃいましょうよ。どっちを選んでも多分それなりのプレゼンはできるでしょ」
怜莉は二人に目線も送らず言った。
すると、そんな彼女にさっきまで八重と言い合っていた霧絵が言う。
「そういう怜莉は? どこかやりたい時代とかないの?」
「え? 私?」
その質問に、怜莉は少し驚いて顔を上げる。
「そうだよ、せっかく三人でのグループワークなんだしそこは怜莉も意見も聞きたいよね」
続いて八重が言う。
「……私は」
二人の言葉に怜莉は詰まり、手元の資料集に目を向ける。
未だぱらぱらとめくられる資料集のページ。そこで、あるところで怜莉はページをめくる手を止めた。
それは江戸時代の文化、元禄文化と化政文化について記されているページだった。
浮世絵や人形浄瑠璃、様々な文学などについての文化の記述を、怜莉はそっと右手の人差し指で撫でる。
だが彼女はそこからすっと手を引くと、すぐさまパンッと上のページを叩きつけるように資料集を閉じてしまった。
「別に、私のはいいのよ。それよりも二人の選んだどっちかがいいと思うわ。幕末も戦国も人気ジャンルだし、ウケは間違いなく取れると思うわよ」
怜莉は教室には響かない程度に声高に言った。ツンとはしているが、別に不機嫌というわけでもないと言った表情だった。
「んー……」
「ふむ……」
そんな彼女の言葉に、目の前の二人は僅かに考え込む素振りを見せる。
短い間ではあるが無言になった彼女らであったが、ふいに霧絵が口を開いた。
「分かった。じゃあどっちかにするとしてさ、怜莉が選んでよ」
「選ぶ?」
僅かに動揺した様子で応える怜莉。
一方、霧絵の横で八重が頷く。
「あーそうだねそれが一番良いかも。私達で話し合ってたらなかなか決まらなさそうだし、ここは怜莉がすぱーって決めちゃった方が後腐れないかもね」
ニッコリとした顔で言う八重。
「私、が……」
困惑しながら机の上に置いた左手の指先に目を向ける怜莉。
瞬間、視界に重なる。
昏き瓦礫の上で、血に染まる手が。
「っ……!? …………えっと……ええ、そうよ、私はやっぱ、そっちで話して決めた方がいいと思うわ」
怜莉は二人には気づかれない程に息を詰まらせながらも言う。その言葉は、途中から腕を組みトゲのある口調になっていた。
「てかなんで私が揉めてるあなた達の間を取り持たなきゃいけないのよ。そっちの揉め事はそっちで解決してよね面倒臭い。決まったら中身作るのには全力出して上げるから、そういうダルい事はあなた達で対処してよね。私の体力を無駄に消費させないで」
ツンとした素振りでブンッと腕を組んだまま体を窓の方に向け、きゅっと瞑っている。
それから少しして、彼女はそのまま目を開き瞳だけ動かして二人だけ見た。
彼女の視線の先にあったのは、少し寂しげに微笑む霧絵と八重の姿だった。
「んーまあ、そりゃこうなるか……」
「だよねぇ……分かってはいたけどね」
「な、何よ……言いたい事でもあるわけ?」
怜莉はあからさまに不機嫌ですと言った顔で二人にまっすぐ顔を向ける。
対して、二人は少しだけ表情を柔らかくする。それはなんというか、小さな子供に向けるかのような顔に見えて、怜莉の心はささくれ立った。
「別にないって。ただ、怜莉って致命的にグループワークの狙いから外れるよねーって思っただけ」
「同じく。ま、私達は別に気にしてないから大丈夫だよ」
「……ちっ」
二人の言葉に、怜莉は小さく舌打ちをする。彼女は正面を向くも、目線は二人から逸らされており、どこを見ているかと言えばどこも見ていなかった。
結局、彼女ら三人のグループワークで取り扱う題材としては、霧絵と八重がジャンケンをして戦国時代に決まったのだった。
+ + +
帰りのホームルームも終わり、怜莉は自宅への道を一人歩く。
人の少ない道をカツカツと歩く怜莉の顔に表情はない。
だが、彼女はふと足を止めた。
少し先の丁字路で家に変えるまっすぐ先の道とは別に横に伸びる角、その塀に背中を見せる形でよりかかっている影があったのだ。
紫のパーカーで腕を、後ろからもフードから伸びる銀の毛先が見えるその姿は、間違いなくマヤだった。
「……はぁ」
怜莉はため息を少しだけ嬉しそうな音色で吐き出すと、両目を閉じて瞼を指でほぐすように親指と人差し指で押し、開く。
そこには先程までの空の双眸はなく、感情が消えていた無の相貌もなく、落ち着いた中性的な気配を持つ姉としての顔があった。
「まったく、こんなところで人待ちかなレディ?」
「ああ、今その待ち人が来たところだよレディ」
二人は冗談めいたキザな口調で言い合う。
塀に背中をつけたまま顔だけ振り返ったマヤは不敵に笑っていた。
おそらくこれが彼女の自然体の一つなのだろうと、怜莉は思った。
「もしかしてずっと外にいたのかな? 合鍵は持っているのに」
「思いの外街の散策が捗ってね。気がつけば午後もそれなりに回っていたから、せっかくだし一緒に帰ろうかと」
「で、どれだけ待ったの?」
「そうだね……だいたい一時間ぐらいかな?」
マヤはマフポケットから左手を出し、手首の内側に時計盤があるように巻いた腕時計を見ながら言う。
「はぁ……ここで一時間潰すぐらいならそれはさすがに一人で帰りなよ」
怜莉は呆れたように学生カバンを持っていない左手を腰に当てながら言う。
だがマヤはその彼女の言葉にふふっと笑った。
「まあ、確かにね。でもせっかく出発も怜莉と一緒だったんだ。なら、帰宅の道のりが怜莉と一緒なのが形として綺麗じゃないかい?」
「形として、って……一体何の形なのか」
マヤのよく分からない理屈に苦笑する怜莉。
でも、そこに嫌がる気持ちはなかった。
「分かったよ、ここからの帰り道なら朝みたいに距離を離す必要もないし、ゆっくり帰ろうか。どちらにせよここでバラバラに帰るなんて選択肢はないんだし」
「うん、そうこなくっちゃ」
彼女の言葉にマヤは軽く笑って飛び跳ねるように塀から背中を離す。
明らかに嬉しそうなマヤに怜莉は少し笑いつつも、彼女の隣に並び二人で歩き出す。
「それで、街の散策はどうだった?」
「んーそうだね、地図は頭に入れてたけど実際歩いてみるとやっぱり印象ってのは変わるね。どこがどれくらいの近さなのとか、どこが歩きやすいとか、やっぱ自分で歩いてみないと分からなかったよ」
「お気に入りのお店とかはあった?」
「まあいくつか目星はつけたよ。でもまだ一回通っただけか、なんなら外から眺めただけって店もあるから、まだまだ分からないかな」
「なるほどね……まあ、これから時間だけはあるんだから、ゆっくりと見ていくといいよ。……お店は、私達と違ってそう簡単には逃げないから」
「……そうだね」
自虐的なブラックジョークに二人揃って苦笑する。
だが、言葉とは裏腹にそこに悲壮感はあまりなかった。
「……ねぇ、怜莉。ボク、感謝してるんだ」
と、そんなとき、マヤが不意に言った。
歩きながら、顔を前に向けたままの姿で。
「なんだい、改まって」
同じく怜莉も彼女に顔を向けず、歩みも止めずに応える。
「いや、ちゃんと言っておこうと思ってさ。ボクは、こっちに来て一人でなんとかやっていくつもりだった。何もプランはなかったけれど、とにかくあっちにいるのが嫌で飛び出してきた。でも、そんな矢先に、怜莉に出会えた」
怜莉に向けていない彼女の顔はとても穏やかなものだった。
横でただ聞く怜莉もまた、ゆったりと、少しだけ口角を上げている。
「最初は急にこっちの素性を当たるものだからびっくりしたけれど、あそこで怜莉と会えてよかったよ。おかげで、考えてたよりずっと気楽にこれからを過ごせそうだ」
「そっか……なら良かった。まあ、これからはこれからで生活で苦労することもあるだろうけど、なんとかやっていこう。いらないもの、見たくないものなんて、全部捨てて、楽にさ」
「そうだね……目を逸らし耳を塞ぐだけでこんなに楽になれるなんて、思ってなかったよ。それを教えてくれたのは、間違いなく怜莉だ……だから、ありがとう。これからも、よろしく」
「うん……よろしく、マヤ」
二人はお互いに顔を見ないまま言い合う。
彼女らの面持ちはすっきりとしたものであり、だがどこかに寂しさがあるものだった。
「――なぜ、雪は美しいと思う?」




