40話 逃走王女と朝の訓練場
「アリエル様、じっとしてくださいませ」
「むぅ……」
朝から儂は、サリーに捕まっていた。
捕まっていた、という表現は少々語弊があるかもしれないが、しかし実態としては大差ない。
王女の部屋、その鏡台の前。
そこへ座らされて、あれこれと服を合わせられて、髪を梳かれて向きを変えられ
て、また服を変えられ……とにかく、逃げ場のない状況へ追い込まれている。
助けて。
鏡の中には、金髪碧眼の幼女が映っている。
儂である。
中身……というよりは、魂が老いた騎士であることを思えば、この状況はなかなか愉快だったが、そうそう笑ってもいられない。
「よし……今日はこれで決まりです!」
そう言ってサリーが満足げに頷いたので、儂は改めて鏡へ目を向けた。
白を基調とした服へ、深い青の刺繍。
胸元や袖口は上品に整えられており、裾はふわりとしていながらも動きを妨げぬ長さに抑えられていた。
腰には細い飾り帯。
可憐ではあるが、甘すぎない。
剣を差す余地まではないものの、ただの飾り人形にされているわけでもないらしい。
「どうですか? 可愛いのに、ちょっと格好いい。まさにアリエル様のためのお召し物です!」
「可愛いのは、あまり嬉しくないのう……」
「なぜですか!? アリエル様は可愛いのですから、大丈夫です!」
「喜べないのじゃが!?」
大丈夫と言われても困る。
なにが大丈夫なのか、儂にはさっぱりわからない。
とはいえ、いつだったか前に着せられたひらひらだらけの服よりは、だいぶましではあった。
少なくとも、これなら走れるし剣も振れる。
そこはとても大きい。
「ふふっ。やはり、とてもお似合いです」
「うぬぅ……」
鏡の前で唇を尖らせる。
すると、鏡の中の幼女もまた、同じようにむぅっとした顔をした。
……いや、まあ。
確かに愛らしいのかもしれない。
だからといって、儂が喜ぶ理由にはならないが。
やはり、可愛いよりかっこいいがいい。
「では、お着替えも終わったところでお勉強ですね」
「……えぇ」
朝の静けさを乱す恐るべき一言が来た。
即ち……お勉強!
「しなくてはならないのかのう?」
「当たり前です」
サリーは、実に爽やかな顔で言い切った。
「アリエル様は王族なんですから。読み書きはもちろん、礼儀作法、歴史、地理、政治の基礎、他国との関係……覚えることは山ほどあります」
「剣を振っておる方が、よほど有意義なのじゃが」
「今まで剣を握っていた方がおかしいんです」
「ぐっ……!」
正論が痛い。
儂とて、おかしいことは理解している。
王女が朝から木剣を振り回して、暇さえあれば訓練場へ通い、夜には魔力制御の鍛錬をする。
挙句、魔物や盗賊と戦う。
どう考えても一般的な王族の在り方ではない。
だが、仕方あるまい。
儂は国を守ると決めたのじゃ。
母様が愛したこの国を。
今は儂自身も愛しく思うこの国を。
そのためには強くならねばならぬ。
つまり、鍛錬こそ最優先。
そして、悪の討伐も最優先。
これはあまりにも明快な理である!
「では、先日途中で終わった歴史の続きから……」
「というわけで、さらばじゃー!」
「アリエル様ぁあああああっ!?」
窓から飛び出して脱走すると、背後でサリーの悲鳴が響いた。
ふっ、甘い。
儂を机へ縛りつけるつもりなら、扉を封じて窓を閉めて、ついでに結界でも張っておくべきじゃったな。
まだまだ詰めが甘い。
儂は地面にしなやかに着地して、そのまま廊下に戻る。
角を曲がり、階段を下り、侍女達の驚いた視線を避けて、警備の騎士へ軽く手を振って誤魔化して、そのまま外へ。
「待ってくださいーっ!」
む? サリーはもう追いついてきたか。
やるな!
「待たぬ! 待てと言われて待つ者がおるか!」
「普通は待ちます!」
「それは普通の者の話じゃ!」
うむ、走るだけでもよいな。
やはり、机へ向かうより体を動かす方が性に合っている。
服も思ったより邪魔ではない。
少しだけサリーを褒めたくなってしまう。
とはいえ、勉強なんて面倒なので、儂はそのまま騎士団の訓練場へ向かった。
……朝の訓練はすでに始まっていた。
木剣のぶつかる音。
鋭い掛け声。
踏み込みに合わせて舞う砂埃。
うむ、やはりこの空気はよい。
落ち着いて、胸がすうっと澄むようだった。
「兄様ーっ!」
呼びかけると、訓練場の中央で木剣を構えていた兄……セイファートが振り返った。
「おや、アリエル?」
陽光を受けた金髪がきらりと光る。
今日も爽やかだ。
この兄は。儂と同じ王家の血を引いておるとは思えぬほど、すっとした佇まいをしている。
周囲の騎士達も一斉にこちらを見た。
「あっ、アリエル様だ」
「今日はまた、ずいぶんお可愛らしい格好で……」
「いや、なんか格好よさもあるぞ」
「というか、嫌な予感がするんだが……?」
最後の一言は聞かなかったことにしておこう。
儂は兄様の前へ駆け寄り、胸を張った。
「兄様、儂にも稽古をつけてくれんかのう?」
「んー……」
兄様は少しだけ考えるように首を傾げ、それから柔らかく笑った。
「いいよ」
「本当か! ありがとうなのじゃ!」
騎士達がたちまちざわつき出した。
「おい、始まるぞ!」
「またすごい対決だな!」
「前はセイファート殿下が勝っておられたが、今のアリエル様は以前と違う」
「見逃すな! これは朝練どころではない!」
いつの間にか、訓練中だった騎士達が集まり始めていた。
皆、そんなに暇なのか?
「兄様、囲まれておるぞ」
「みんな仕事熱心なんだよ」
「野次馬の間違いでは?」
「たぶん半分くらいはそうだろうね」
兄様は苦笑しつつ、木剣を一本差し出してきた。
儂はそれを受け取る。
手に馴染む重み。
木剣とはいえ、やはり剣はいい。
握っただけで体の芯と、それと心が整うような気がする。
「本気でいくかい?」
「兄様相手に手加減などできぬ」
「頼もしいね」
兄様は軽く構えた。
儂もまた構える。
空気が静まる。
騎士達の視線が集まる。
朝の光の中で、砂がふわりと舞った。
「始めるよ」
「いつでも」
次の瞬間、兄様が踏み込んできた。
速い。
が、以前の儂ではない。
今の儂には、その初動も重心移動もはっきり見えていた。
兄様の木剣が袈裟へ落ちる。
儂は半歩引いてそれを外し、すぐさま打ち返した。
ガッ、と木がぶつかる。
「おぉ……!」
「受けた!」
「いや、今のはアリエル様が合わせたぞ!」
周囲がどよめく。
兄様が嬉しそうな顔をした。
儂の成長を喜んでくれているのだろう。。
「いいね。前より、ずっと成長しているようだ」
「当然じゃ。がんばったからのう! このようなこともできるぞ?」
儂は踏み込んだ。
低く。
鋭く。
小さな体は不利にもなるが、使い方次第では強みになる。
真正面から競り合わず、懐へ潜り込み相手の力を逃がす。
足を狙うと見せかけ、途中で軌道を変える。
兄様がそれを読んで受ける。
だが、その受けに少しだけ浮きが生まれた。
そこ!
儂は身を捻って木剣を滑らせるように回し込み、兄様の手元を崩す。
そしてその一瞬のずれを逃さず、木剣の先を兄様の胴へぴたりと当てた。
「……参った」
兄様が肩をすくめる。
一拍遅れて、訓練場が爆発した。
「おぉおおおおおっ!?」
「勝った! 本当に勝ったぞ!」
「アリエル様がセイファート殿下から一本取った!」
「すげぇ……やっぱり、あの王女様は規格外すぎるだろ……」
「ふっふっふ……やったのじゃーっ!」
皆がどよめく中、儂は、ぴょんっと飛び跳ねて喜びを表現した。
兄様は木剣を下ろして、苦笑混じりに言い。
「成長したね」
「うむ、がんばったからのう」
「毎日訓練してる成果かな」
「鍛錬は裏切らぬからのう!」
そう、鍛錬は裏切らない。
しかし、勉強は裏切る。
忘れるから。
儂が満足げに頷いていると、兄様がにこやかなまま続けた。
「なら、勉強もがんばらないとね」
「……え?」
嫌な予感がして、ゆっくり後ろを振り向くと……
「アリエル様ぁ……?」
サリーがいた。
にっこりと笑っている。
それはもう、春の陽射しのように柔らかな笑みを浮かべて、そこに立っていた。
「ひぃっ!?」
「サリー、アリエルを頼むよ」
「承知いたしました」
「まさか兄様、儂を売ったのか!?」
「王族だからね。勉強もしないと」
「裏切り者じゃーっ!」
「心外だなぁ。兄として、妹の将来を案じただけだよ」
嘘だ。
半分くらい面白がっている顔だ。
しかし、そんなことを見抜いたところで状況は変わらない。
サリーが一歩、また一歩と近づいてくる。
「さあ、いきましょう、アリエル様」
「ま、待つのじゃ! 今の戦いの余韻へ浸る時間くらいは必要ではないか!?」
「ありません」
「勝者には休息が認められるべきじゃ!」
「勉強にも勝ってから仰ってください」
「そんな無茶な!」
「今度は逃がしません」
「ひぃいいいいいっ!?」
儂は反転して逃げようとしたが、今度のサリーは抜かりなかった。
いつの間にか騎士達が包囲網を敷いていた。
サリーの命令だろう。
「道を開けるのじゃ!」
「申し訳ありません、アリエル様……!」
「応援しております! 勉学の方を!」
「貴様ら、寝返ったなぁあああっ!」
だが、衆寡敵せず。
最後にはサリーへひょいと抱き上げられ、そのまま連行されることになった。
「離すのじゃーっ! 儂はまだ訓練がしたいのじゃーっ!」
「本日の訓練は終了です。次は歴史のお時間ですよ」
「歴史が国を守ってくれるのか!?」
「守ります。少なくとも無知よりは」
「うぐっ……!」
ぐうの音も出ない。
兄様と騎士達へ助けを求めるように手を伸ばしたが、誰一人として救ってはくれなかった。
ああ、なんということじゃ……
王女とは、まこと過酷な生き物である。
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