元徴用工の謎⑨
1949年10月「朝鮮人の在日資金について」の調査が始まる。
これは韓国側の賠償要求に対応してのGHQによる調査である。
1950年6月12日、大蔵省管財局長による労働省労働基準局長あての文書・蔵管外第402号「朝鮮人の在日資金について」によれば、調査は次のような経過であった。
1949年7月19日、大蔵省はGHQによる国外居住外国人等に対する債権弁済のために、
特別の整理勘定の設定の指示(SCAP2030)を受ける。
1949年10月8日、蔵理発第16号、
1949年10月18日、同17号で労働省に調査を依頼した。
労働省は口頭で大蔵省外債課に調査を報告し、
1949年12月21日に大蔵省はGHQにそれを提出した。
日本側はGHQから韓国側に渡った数値について、韓国側の根拠を推定するために、再調査をおこなっている。
1950年6月12日、蔵管外第402号「朝鮮人の在日資金について」を見ると、
所管業務の雇主に関するものとして、
金銭4,582,401円54銭
有価証券55,448円57銭
金銭96,471,510円90銭
郵便貯金・報国貯金9,463,893円52銭、が記されている。
ここで記載されている
金銭4,582,401円54銭は俸給・手当であり「供託済」とされ、
金銭96,471,510円90銭は「未払い金」である。
「朝鮮人の在日資産」『経済協力 韓国105 労働省調査 朝鮮人に対する賃金未払債務調』所収の記載による。
「朝鮮人の在日資金」には、この労働省分を含めて大蔵省が集約した各省での「未払い金等」の記事があるが、集計時期によって数値が異なっている個所がある。
1950年10月6日、労働省労働基準局給与課による
基発917号「帰国朝鮮人に関する未払金並債務等に関する調査」がおこなわれた。
1953年7月に集計された「帰国朝鮮人労務者に対する未払賃金債務等に関する調査統計」
(『経済協力 韓国105 労働省調査 朝鮮人に対する賃金未払債務調』所収)
はこの1950年調査の報告書である。
この報告書には事業所ごとの朝鮮人労務者の「未払い賃金等」とその「供託状態」が示されている。
日韓会談の事前準備に関する会議が始まる中で政府は賠償要求があった場合にそなえ、
「朝鮮人労務者等に対する未払金その他に関する件」(1946年10月)
による供託資料の保管などを指示している。
実際に会談が始まると日本側は「徴用当時は外国人ではない」とし、
自らが所蔵する名簿類を示すことなく逆に韓国側に被害の証明を求めるような対応をしている。
1961年5月の第5次日韓会談一般請求権小委員会第13次会議では、
韓国側は「強制的に動員され」「奴隷扱い」されたとし、
「未払い金」のみならず国家への「補償金」を要求している。
これに対し日本は韓国に具体的な被害の提示を求めた。
1962年2月の第6次日韓会談一般請求権小委員会での被徴用者関係第3次専門委員会では、
日本側は「集団移入朝鮮人労務者数」の表を提示した。
そこには約67万人の移入者数があげられている。
また、厚生省が1946年に17県分の個別名簿を集約したことも述べている。
韓国側は1万2千人の死者数をあげ
「韓国人労務者を日本に連れていく方法はとても残酷だったということを知ってくれ」と語るが、日本側は「特別に差別待遇したとは思わない」と対応した
(李洋秀「韓国側文書に見る日韓国交正常化交渉(その4)」)。
ここでの交渉で韓国側は徴用労務者への補償金を求めているが、
1953年4月から7月の第2次日韓会談で、
韓国側は一般徴用者関係では申告者数「10万5151人」に対する「未払い金・弔慰金」を求め、
死亡者を「12603人」負傷者を「約7000人」としている。
他には陸海軍関係で「約7万4800人」分の弔慰金を求め、
他には郵便貯金、有価証券、日本銀行券などについても数値をあげて返還を求め、
引揚時預託金の返還も求めている
(「韓国側提示項目及び金額」外務省文書1953年)
このような対応からわかるように、
日本には占領と植民地支配を反省する視点がなく、
強制連行を犯罪として認知する姿勢がなかった。
資料も隠蔽し、供託名簿や厚生省調査労務者名簿、郵便貯金名簿、厚生年金保険名簿などがあったにもかかわらず、それを韓国側に提示していない。
日韓交渉では賃金や預貯金などの未払い金の実態は提示されなかった。
結局、アメリカのベトナムへの軍事的侵攻と日米韓の軍事的同盟強化という政治的意思の下で、
日本による無償3億ドル、有償2億ドルの「経済協力」と引き換えに、
韓国側は対日請求権を放棄し、1965年に日韓条約と協定が結ばれることになる。
この日韓協定の成立を受け、さらに日本政府は
1965年12月に、韓国人の請求権を消滅させるための「韓国民等財産権措置法」(法律144号)
を制定した。
それによって被害者個人へと「未払い金」が返済されえない状態をつくりあげたのである。
1995年2月、三菱重工広島機械製作所に連行され「未払い賃金」を請求する朴昌煥さんの代理人(弁護士)が本人の供託名簿を広島法務局で閲覧した。
交渉の末に連行企業の供託記録が公開されたのだが、
法務局は未払い金の返還については認めなかった。
2004年に盛岡地方法務局は、日本製鉄釜石製鉄所に連行され、艦砲射撃で死亡した朝鮮人4人の遺族の未払い金還付請求を認めなかった。
「韓国民等財産権措置法」で請求権が消滅しているというのである。
これでは「未払い金」などの供託金は永久に支払われないことになる。
1946年の厚生省勤労局調査(朝鮮人労務者に関する調査)の名簿には企業ごとに多くの未払い金が記されているが、そのすべてが供託されたわけではない。
調査未報告のものも多く、闇に消えたままの未払い金も多い。
1949年末での大蔵省の朝鮮人の在日資金調査で判明した「未払い金」をみれば「供託・未供託」をあわせて「2億4000万円」近い金銭がある。
この調査では、
軍人軍属関係の「未払い金」を「約17万件」
陸軍「約900万円」
海軍「約5640万円」としている。
1956年に厚生省引揚援護局が作成した「朝鮮出身のもとの陸海軍軍人軍属に対する給与について」では
「約9万人分」「9131万円」となっている
(朝日新聞2002年10月28日付夕刊)
ここでの増加分は1950年代になって軍人軍属関係の供託がすすめられたことによるものとみられる。
当時の額面を日本政府は台湾人軍人軍属については120倍でレート換算したが、
これよりも数倍の比率で換算すべきであろう。
判明未払い金だけでも、たとえば1000倍して換算すれば2700億円ほどになる。
そしてそれは戦争被害者個人に返されるべきものである。
1956年に法務省は供託金に対して、時効による歳入への納付を留保し、保管し続けることを指示している。
田代有嗣「日韓条約の成立と朝鮮関係供託」(民事月報21-12、法務省民事局、1966年)
をみると、朝鮮人供託金のうち北の分の供託を残すためには、朝鮮人の供託についてすべてそのまま残しておかざるを得ないことが記されている。
供託金は返還されることもなく、今も日本銀行に残されている。
この供託金の存在をふまえ、連行被害者賠償関係法を制定し、連行企業からの拠出をも求め、
強制労働被害者個人への賠償のための基金を形成することもできるだろう。
厚生省勤労局調査名簿や供託報告書名簿の存在は、日韓交渉で自ら資料を持ちながら韓国側に被害立証を求めた日本側の虚偽と欺瞞を明らかにする。
時期は遅れたが、いまからでも、日本政府と関係企業が史実を認め、歴史的な責任をとり、和解に向けての道を切り開くことが求められている。