6年前:フランの受難
落ち葉はもうすっかり落ちて山は冬の装いだ。街でも冬支度が始まっており、今日は鍛錬のついでに乾燥させて保存食にする木の実の類を拾いにきている。ノアールとどちらが多く採れるか競争をしていて、木に登って高い所にある実を採ろうとしたら動物の分まで取ってしまうなと父さんに怒られてしまったけれど。人間が採っていいのは木の根元に立って手が届く所までだ。
でも木の上には沢山まあるく肥った赤い木の実が生っていた。アレは摘むと甘酸っぱくて美味しいのだ。惜しいなあという気持ちをどうにか抑えて木から降りようとすると、山の少し上の方に煙が立ち昇っているのが見えた。
「父さん、あっちに煙が見えるよ。火事かな?」
「さぁ、どうだろうな...誰かが焚火でもしているのかもしれない。山を降りる頃になっても煙が消えていないようだったら様子を見に行こうか」
「わかった」
冬になると空気が乾燥して火がつきやすくなる。落ち葉が擦れ合ったり、人が消し損ねた火が燃え移ったりして意外と山火事が起きるものだ。山を狩場にする狩人はそういった山火事の予防や監視も請け負っている。雷などで焼けてしまうのは自然の摂理として街に影響が出ないようなら見守ったりもするのだが、人が原因だとしたらどうにも具合が悪い。私達は山の生き物達に食わせてもらっているのだから、最低限彼等の居場所が人間に追われないようにするのが務めである。ということで山の治安には杞憂し過ぎるぐらいで丁度いいのだ。
なんとなく木から降り損ねてジィ、とたなびく煙を眺める。ヒュウと吹いた風は冷たくてますます冬の訪れを感じさせた。
「...ああ、そういえば誕生日がもうすぐだ」
もうあれから1年だ。私が前世の記憶を取り戻し、ストーリーに抗うと決めてから1年。王子様を見つけて、盗賊の手から逃れ、魔獣に喰われかけて、ノアールの魔法が目覚めて、いけ好かない騎士と約束をしてと振り返れば濃厚だが、全てあの冬に起こったことで今年の春から秋にかけては拍子抜けするぐらい平和だった。だからこそ、この前のアリスとの邂逅が頭を過ぎる。
(...何だったんだろうなあアレ)
気味の悪い出来事だったが、あれ以来家の付近でアリスを見掛けたり不審な出来事が起こったりはしていない。ならまぁ、精々平和を祈るぐらいで十分だろう。
✳︎
少し日が傾いて空が淡い赤色を帯びている。
父さんは薪になりそうな枝を纏めて背負って空を見上げた。
「そろそろ帰ろうか。ノア、さっきフランが言っていた煙がまだ登っていないか確かめてくれるかい?」
「...えと」
「ノアはあんまり木登り得意じゃないよ。私が行ってくる!」
持っていたベリーの入った籠をノアールに預けてするすると木をよじ登ると、ノアールが羨ましそうに「すごいなあ」と溢す。それを聞いた父さんが「ここまで上手いとお猿さんみたいだけれど」と笑うので軽い胡桃を引っ掴んで頭に落としてやった。冗談だよ〜と上がった声が情けないのが面白かった。
そうして木の天辺について辺りを見回す。
葉が落ちてるのもあって随分と見通しやすい。向こうの方の煙は無事落ちている様だった。ついでに異変は無いかとキョロキョロ眺めていると、あることに気がついた。
「......やけに焚火の跡が多いな」
山に焚火の跡がある事自体は別段おかしな事でも無いかもしれない。キチンと火は落としてあるし、問題は無い。けれど、不審なのだ。
この山はバロックの街に面している。山にも真っ直ぐ登って峠を下る山道があるが、バロックと言えば大きな街道があって、山の向こうと行き来をするにもずっと使いやすくて安全な迂回路が街道から枝分かれして引かれている。迂回路と言ってもキチンと整備されていて警備体制もバッチリだし、なにより魔獣も出ないから山道を通るよりもずっと早く用事が済む。行商人や旅人にしても、余程妙な事情が無い限り迂回路を通ってくるのだ。偶に狩人が山を降り損ねて焚火を焚いていたりはするが、こうも多い事は今までになかった。しかもこの焚火、この比較的麓に降りやすい地点から大きくズレることなく、点々と散らばっている。
「...誰かが意図的に山に滞在しているんだな」
わざわざ麓に降りれるところまで来ているのに街には降りず、冬を迎える山に留まっているのが何とも怪しい。一応バロック方面の山の管理権はバロックの街にあるのだから、これは山の警備も務めている父さんに言うべきだろう。そうして木を下りて父さんに声を掛けようとした時だった。
「お姉ちゃん右!!!」
「ッ!?」
ヒュン、と風を切る様な音が聞こえたあと、咄嗟に構えた二の腕に矢が突き刺さる。そのままバランスを崩して木から落ちるが、薪を投げ捨てた父さんの腕に受け止められる。
「...右から射られていたな。ノア、フランを診てあげなさい。応急処置は出来るね?」
「っうん」
父さんは私をノアールに預けると背に背負っていた弓を構えて周囲を窺う。ノアールはハンカチを取り出して私の二の腕に添えた。
「...ごめんねお姉ちゃん、ちょっとだけ我慢してね」
「うん...、!...ぐッ」
「よしっ、抜け...え、これ、毒矢?」
矢を引き抜いて傷口にハンカチを巻こうとしたノアールがまじまじと鏃を見つめている。鏃には毒々しい色をした液体が塗されている。マジで?思わず空を仰ぎたくなった。
...なんかこういうの多くないか?いやしかし魔獣や盗賊は仕方がなかったとしても、私は毒矢を射られる様なことをした覚えはないのだが。私も大概冬の妖精に愛されてるのかもしれないと鼻で笑いたくなるが笑い事ではない。矢で射られるのは完全に狙って行われている行為だ。しかも咄嗟に防ぐのが間に合っていなければ心臓に当たっていたかもしれない。
誰かが明確に私を、もしかしたらノアールや父をも殺そうとしている。
「お父さん!鏃に毒が塗ってある!」
「...ノアール、お姉ちゃんを背負って診療所まで走りなさい。途中で大人に会えばすぐに助けを求めること。分かったかい?」
「お父さんは!?」
「お父さんはやる事が出来たから。大丈夫、すぐに済む」
そう言っていつになく凍てつくような目付きをした父さんは木々の間に消えていく。それを見送り切る前にノアールは私を背負って山を駆け下りていった。私の方が身体が大きいせいで足は少し引きずっているしふらつきもするが、スピードは少しも緩まない。しかし毒のせいだろうか、傷口は異様な熱を持っていて頭がクラクラする。
「...ごめん、ノア...迷惑、かけ...」
「謝らないで、大丈夫だから...!お姉ちゃんのせいじゃない!」
ノアールはそういうが、私はあまりにも情けなくてちょっと泣きそうだった。あれだけこの子を守ると決めたのに、結局こうして怪我をして心配を掛けているのは私だ。そりゃ一年前に両親もろとも死んでいるよりはマシだろうが、ノアールに余計な心労をかけている気がしてならない。ああでも、ノアールが怪我をしなくてよかったな。もしノアールが木に登っていたら射られていたのはノアールだったかもしれない。それだけは、それだけは本当に良かった。
それにしても、なんだか私は前世の記憶を取り戻してから死にかけ過ぎである。少しだけそれが頭に引っ掛かった。