第四章 距離感 2 side 出雲響~3 side 麻生聖
2 side 出雲響
俺は何をしているんだろう?
夕食の準備をしながら考えてしまう。殺す奴の為に夕食を作っている。
二五一〇年と連絡をとる事が出来ないから迂闊に行動出来ない、と自分に言い聞かせて任務を忘れようとしている。
それに、もしかしたら聖を殺さなくても良いんじゃないかと希望が見えてきたのも事実だ。
聖の様子が少しずつ変わってきた。
人に素顔を見せるのを怖がっていたのに、最近はちゃんと笑っている。友達とも素で楽しそうにしている。友達の居る人間が、人類を滅亡させようとするだろうか?
もう、聖は独りでは無いのだから。
「ご飯出来た?」
聖の無邪気な笑顔で覗き込まれる。いつの間にか台所に来ていたようだ。
「うぉっ!」
考え事をしていて、全く気がつかなかったので驚いてしまう。
「何? 何か手伝う?」
「いいって。座ってろよ」
居候という立場なので、流石に料理の邪魔だから座ってろとは言えない。
「そう? じゃあ出来てるものだけ運ぶよ。」
危なっかしい足取りでご飯とサラダを運ぶ聖。
この娘は、俺に好意を持っている。自分でも自分の事を子供だったと言うだけあって、恋愛面では特に幼さを感じる。怖いくらい真っ直ぐだ。でも、どんなに好かれても、俺はその気持ちに応えられない。応えて良い筈が無い。
「ねぇ、響?」
上目遣いで袖を引っ張られる。
笑顔で、
「何だい?」
って聞けたらどんなに良いか……。
しかし、そんな訳にも行かない。出来る筈がない。
そっと聖が引っ張る腕を放し、冷めた視線で
「何?」
と応える。
聖は俺に近付きすぎる。友達でなら居られる。帰り道でのでこピンは友達の範囲だと思う。
でも、他に誰も居ない一つ屋根の下で、ちょこんと服の袖を引っ張られて……この娘は俺に何を期待しているんだ?
俺は何も応えられないのに……。
「あ……ご飯食べよ」
ちょっと素っ気無くし過ぎてしまったらしく、聖が遠慮気味に言う。
最近は振り子のように揺れながら、こんな距離感の移動を繰り返している。決してゼロにはならない。なってはいけない距離。
「ああ、飯にしようか」
曖昧な笑顔で応える事しか出来ない。
「私、知能指数が高いんだって」
シチューを食べながら唐突に、ホント何の前触れも無く聖が言ってきた。足元では二匹の子猫も夕食を食べている。
「…………」
知ってると言った方が良いのか、驚いた方が良いのか……。取り敢えず黙ってる。こういう時は黙ってるに限る。
「小さい頃はね、よくテレビにも出てたんだよ」
「へぇ……。それで知能指数はどれ位なの?」
「さんびゃく……」
「ぶっ!」
ちょっと予想外に高過ぎて、思わず飲んでいたシチューを噴出してしまう。とてもそうは見えないのだが……でもまぁ、世界を征服する女だ。これしきの事で驚くべきでは無いのかも知れない。
「でもね、弟も天才って言われてたけど、私ばっかり注目を浴びてて……三年前に大喧嘩しちゃったの。確かに知能指数だけなら私の方が高かったけど、弟は勉強が好きだし、研究熱心だった。それを私が踏みにじったって輝……弟は言ってた」
努力では超えられない才能・能力の壁。その壁を越えているものは気付かない。気付けない。それがどんなに悔しい事かを……。
「うん」
器用貧乏な俺は、どちらかと言うと弟さんの気持ちの方が共感できる。なので、コメントは差し控える。
「喧嘩になった時、お父さんもお母さんも弟を庇ったの。だから私は次の日に貯金通帳を持って家を出たの」
例の寂しい笑顔をする。こういう時は無理して笑顔にならないでもらいたい。
「それで?」
「私はしっかりしてるから、自分で納得したら帰ってくるだろうってほったらかし。一月後、この家に帰ってみたら、家族は弟の為にアメリカに移住していたわ。私のチケットも用意されていたけど、行きたくなかった。以来、一応毎月私の口座に仕送りは入ってる。でも一度も手をつけた事は無いわ」
「じゃあどうやって生活しているんだ? テレビか?」
「ううん。それは子供の頃にしか出てないし、メディアに露出して親に居所ばれるのも嫌だったから……」
「から?」
すると聖がにっこり微笑む。
「最初の半月くらいは街をぶらぶらして悪い友達とつるんでたの」
「へっ!?」
予想外もいいところだが、蹴りの謎は解けた。どうりで慣れている訳だ。
「好き勝手馬鹿をやってみたかったの」
「あんまりイメージじゃないな」
「そう? まぁ、確かに合ってなかったけど。だから直ぐに止めたよ。今は援助で生活してるの」
「学校の?」
「違うよー。あしながおじさん」
「ああ、前もそんな事を言っていたな。で、本当に足が長いのか?」
「まぁ、それは普通かな。昔、私がテレビに出てたのを覚えてくれていたお金持ちのおじさんが、のびのびと学業に励んで欲しいって援助してくれてるのよ」
「名前は?」
何故か気になってしまう。
「東雲さん。幾つもの会社を経営している実業家なんだって。大学を卒業したら系列会社に就職する事が条件なの」
「それって有名な話なの?」
「どれ? ええと、援助してもらってるのはそんなに知られてないけど、テレビ出てたから知能指数が高いのは有名だよ。高校入学当時は異星人でも見るような目で見られてたんだよ」
みんなが聖を特別視して、聖もそれを感じ取ってしまい、しかも応えてしまったからあんな風に無理をしてしまったんだろう。
俺も九歳の時に時空移動者候補に選ばれ、学校教育のプログラムから時空移動者候補生のプログラムに代えられ、特別視されてきた。友達に、
「凄い」
と言われる度に距離を感じてしまった。だから、俺は天才じゃないけど、聖の気持ちは少し分かる。俺達は勝手に特別にされたんだ。
「何でこんな話をしたんだ?」
感想では無く疑問をぶつける。ズルイ手段だ。
「私の事知って欲しかったから。そしたらこの距離が縮まると思ったの」
どうしてこの娘はこんなに真っ直ぐなんだ……。
「距離なら充分に縮まってるよ。近過ぎるくらいだ」
これはこれで本音。
でも、俺の事は聞いてこないんだな。実際に聞かれても困るのだが。
食後はいつも聖の部屋で宿題をする。
じゃんけんで負けた方がやる事になっている。そして聖はやたらとじゃんけんが強い。本人は確率論に基づいているとか何やらややこしい説明をしてくれたが、単純に運が良いんじゃないかと睨んでいる。
真田高校の宿題はとにかく量がある。俺に机を貸して、聖はベッドの上で真剣な顔をして絵を描いている。
「何それ?」
「えっ?」
聖が瞬間的にスケッチブックを隠す。
「悪い。絵じゃなくってさ、その画材の方なんだけど」
「これ? ただの色鉛筆じゃない」
「ああ、これが色鉛筆か……」
教科書で見たことある。二十六世紀ではコンピューター以外の彩色道具は無い。資源不足だから禁止されている。もし画家の才能のある奴が二十六世紀に産まれてしまったら、不幸で不運としか言い様が無いだろう。
「それ、使ってみてもいいか?」
「宿題は?」
「もう終わった」
机をちらっと見た聖は溜息を漏らす。
「嘘つき。いいよ、私がやっとくから……あっ、このスケッチブック使って良いよ」
スケッチブックを受け取ると、色鉛筆を何本か使って仕組みを確認する。
「ああ、成る程」
色鉛筆を持ちスケッチブックに向かった瞬間、自分の血が沸きあがる感覚を覚える。
そして意識が遠のいていった。
3 side 麻生聖
「響! それどうやって描いたの!?」
思わず声を上げてしまった。
声を出すべきでは無かったのかも知れない。けれど響が真剣な顔をし過ぎて怖かったのだ。
「!」
言葉も無く振り返る響。放心している上、額にはびっしょりと汗をかいている。
響が描いたのは、学校の屋上から見た空の絵だ。
雲一つ無い青空。ただ青の筈なのに、それがあの空だと分かる。
否、あの空でしか無い。全てを吸い込みそうな空。空の温かさも怖さも空しさも全て詰まっている。これを色鉛筆で表現できるのか……。こんなものが描ける人間が居るのか。
「えっとー、絵は好き?」
他に聞く事が思いつかなかった。圧倒的な才能に飲まれそうだ。
「……好きとか嫌いじゃないと思う」
幾分か意識を取り戻した顔で響が応える。
私も数式を解いている時にたまにそんな気分になる。自分よりも大きな力に動かされる。
絵を描くのは好きだけど、私は絵を描いていてそんな気持ちになった事は無い。響が少し羨ましい。
「俺、先に休むな」
虚ろな瞳でそう言うと、響は自分の部屋に戻っていく。
もう一度スケッチブックを見る。何気なく他のページを開くと、全てのページが絵で埋まっている。宿題をしていたのは五教科、二人分で三十二分三秒。その後、真剣に絵を描く響の様子をジャスト十五分見ていた。いくら小さいスケッチブックで、残りのページが十三ページしかなかったとしてもこのクオリティーの絵を四十七分三秒で描くとは。よく自分は凡人だって言ってるくせに……。
「ホント嘘つきなんだから」




