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窓の外はひどい雨が降り続いている。ジメジメした空気に当てられて、余計に気が滅入ってしまう。
会いたくないな〜。
あっちからしてみれば、一夜の相手でしかないわけで。例え今日会ったとしてもダレこいつ的な感じだろうしなぁ。
私ってば、痛すぎて、笑っちゃうわ〜。
「…ま…と?…や…ざと〜?お〜いっ!山里っ‼」
へっ?呼ばれてる?
振り返った先には上司の寺川が眉尻を下げてこっちを見ていた。
「…はい。何ですか?」
「何ですかじゃ無いよ〜。ボーッとしてる暇なんてないでしょ!会議室、準備始めないと間に合わないよ?」
「えぇ〜っ。そこの準備、私の担当じゃないです。私は会議の資料作らされてるんですって!朝のミーティングで担当決めたじゃないですか〜。」
う〜ん?そうだったっけかなぁ〜…
とつぶやいた上司は、難しい顔をしたまま、そっと資料に埋れた私のデスクに鍵を置いていった。
「寺川さんっ⁉聞いてますか?考えてる振りしてないで、話を聞いて下さい〜っ!
ちょっと⁉なんで会議室の鍵ここに置いて行くんですか〜っ!担当が違うって言ってんでしょ‼そもそも会議資料、参加しない人間に作らせてどうすんですか⁈」
信じらんない。
この腐れメガネがっ‼
いつか嫁にあのことバラしてやるからな!
東京にある本社から出張して来ているエリートどもとの会議まであと1時間しかない。
会議の準備や議事録は、大体私に回ってくる。
言っておくが、私は新人じゃない。
同期の子たちが、こんな仕事頼まれてるのなんて見たことない。
雑務係。
それが私のポジション。
でも、声を大にして言いたい‼
私、雑務以外に、大量に舞い込んでくるイレギュラーな案件、片っ端から担当してるんですけどっ‼
毎日毎日、日付が変わるころに帰宅して、泥のように眠る。
それでも、元々スケジューリングされてた自分の仕事が中々片付かず、いつまでたっても評価と給料は上がっていかない。
見回しても会議室のセッティング担当の子の姿は見当たらない。
小さく舌打ちをして、鍵を手に立ち上がる。会議資料の印刷を隣の席の後輩に託して、会議室へと向かった。
「…はぁ〜っ」
会議室の状態を見て、もう、ため息しか出なかった。
鍵は確かに掛かってた。
この部屋のマスターキーはわたしの右手にある。
無人だと思うだろ。普通。
なんで、男女がニャンニャンしてる現場を抑えなきゃならんのだ‼
しかも、驚いた拍子に男が吐き出した白いやつがカーペットを汚している。
言い訳をタレ流し、口止めしようとする二人に、出て行ってもらいたい一心で「何も見てません」と、もう、ひたすら遠い目をして繰り返した。
「あのぉ。七海せんぱぁい。ゆかり、ここのセッティングの担当なんですけどぉ。お化粧直したいからぁ、お願いしていいですかぁ?」
よく見たら、お前、会議室のセッティング担当じゃねぇか‼今朝のミーティングで『がんばりますぅ☆』って言ってたじゃねぇか。
何を頑張ってくれてんだ‼
「…もう、お行(逝)きなさい。」
二人が出て行った後、私は取り敢えず窓を開けてみた。
情事の匂いがぷんぷん漂っているもの。空気を入れ換えよう…。
………。
オエっ。くせぇっ‼
雨の匂いとカーペットの染みの匂いが混ざって…。
無理だ。こんな部屋に本社のエリートどもを通す訳にはいかない‼
この後、何年、ネチネチ言われるか分からないっ!
猛ダッシュで自分のデスクまで戻ると、社内システムで会議室の空きを探した。
参加者は20名。この後空いている部屋は…⁉あった〜っ‼
後は、場所の変更を依頼すれば大丈夫だろう。あの腐れメガネにやらせよう。
「寺川さ〜ん。会議室、変更になりました〜。801会議室でお願いしま〜す。」
「えっ⁉今更無理だよ⁉あと30分しかないのにどうやって参加者に連絡すんの?だいたい……」
「使う予定だった会議室の扉に、場所が移動になったっていう貼り紙しときますから、頑張って下さいね〜。」
腐れメガネの反論を無視して、貼り紙を手に部署を飛び出した。
まずは、例のクサイ会議室の扉に貼り紙を貼って、変更先の会議室に駆け込む。
机や椅子の数を確認し、コの字形に並べる。それからお茶のセットを用意して、印刷が終わった資料を並べていく。
ゾロゾロと入ってきた参加者が、まだ準備は終わらないのかだの、急に会議室を変更するなんて非常識だの、もう少し身だしなみに気を付けろだの言いたい放題言ってくる。
まぁ、ごもっともです。
えぇ、わたくし、湿気の多い中走り回ったせいで、髪はボサボサ。化粧も崩れて、もう、何かごめんなさい。
取り敢えずヘラヘラ笑ってごまかしてみた。
嘲笑うエリートどもの中に、今、会いたくない人ナンバーワンの彼の姿があった。
彼は私を驚いた顔で凝視している。
そりゃあ驚くだろう。
昨日、酔った勢いで抱いた行きずりの女がそこに立っていたんだから。
こっちは、あなたの事、ちゃ〜んと知ってましたよ、海東統括本部長☆
35歳。超イケメン。
美味しい経験させていただきました。
いたしてしまったのは、計算外だったんですけどね。
入社して5年。ずっと好きだったもんで。最後ぐらいお近づきになりたかったんです。
今日会ってしまったのは、ちょっとした手違いでして。
もう二度と会う事は無いでしょうから、ご安心くださいね。