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海東さんのことが入社以来ずっと好きだったのは確かだけど、じゃあ、どこがいいのって聞かれたら困ってしまう。
顔?雰囲気?性格?どれも正解のようでどこかしっくりこない。
「おい。会議、始めるぞ。」
我に返った海東さんは私から視線を逸らして、周囲で談笑している会議参加者たちに声をかけた。
ほっとした私は、退出しようと出入口まで下がり、一礼した。
顔を上げたところで、後ろから両肩を鷲掴みされて、ギャーっと叫んでしまった。
「ギャーって…。色気がなさ過ぎるだろうよ…。」
この腐れメガネーっ!!いっぺん死んでこいや~。
「寺川サン。ナニカゴヨウデスカ?」
「・・・コメカミの青筋すごいことなってるよ。」
「聞こえませんでしたか?ナ・ニ・カ・ゴヨウデスカ~?」
「ん?何かじゃないよ。会議の議事録、取ってよね~。」
「大事なことなんで何度も言いますけど、今朝、担当者を決めたでしょう?これじゃあ、いつもと何も変わらないじゃないですか!貴重な時間を割いてミーティングしたのに~。」
えぇ~そうだったっけぇ~…
とか言って、考え込む振りをして、私の上司であるこの腐れメガネは、私の両手にノートパソコンをそっと乗せるやいなやバチンっ☆と音がしそうなほどのウインクをかましながら「お・ね・が・い☆」と言い残して退出していった。
オェっ。
30半ばのおっさんの癖に、カワイ子ぶってんじゃねーよ。
この会議の準備にかり出され、自分の仕事が昨日からストップした状態の私のデスクは作業待ちの資料やメモで溢れている。
あぁーぁ…。一刻も早く片付けたいのに。
「ねぇ君、寺川の部下なの?」
近くに居た割りと若くて猫毛っぽいエリートが声をかけてきた。
「はい?…(不本意ながら)…えぇ、まぁ…。」
ふ~んと呟くと、しばらく考えた後、にっこりと微笑んでよろしくねと言い出した。
何でだろう。笑顔が黒いよ。
そもそも、腐れメガネと関わるとロクなことがない。
出世を望んでいるわけじゃないし、接点がないからこの腹黒猫毛エリートとはもうお会いすることもないだろう。
「議事録係の君、早く準備しなさい。」
適当に受け流して、愛想笑いしているところへ海東さんの指示が飛んだ。
エリートどもの注目を一身に浴びていることに気づき、私は慌てて準備をした。
会議は休憩を挟みつつ4時間にも及んだ。
終わった後は、本社と支社の合同の飲み会があるらしく、エリートどもも妙に浮き足立っていた。
会議室の片づけを始めた私の元に、腹黒猫毛エリートがやってきて、今まさに片付けようとした椅子に座ってきた。
うぉーぃ。腐れ腹黒猫毛エリートよ。邪魔してんじゃねぇよ。早く通常業務に戻らせてくれや~。
「ねぇ、名前なんていうの?」
「……。」
「ねぇってば。教えてよ。」
アハハウフフと微笑みながら、『名乗るほどの者ではありませんので』とかわしていると、腐れメガネが来て、腹黒猫毛エリートにこの人は山里だよ~☆と軽いのりで答えている。
爆死しろ。腐れメガネ。
「山里ちゃん、今日の飲み会行くよね?地方のことよく分かんないから、案内してよね。」
としつこく食い下がる腹黒猫毛エリートを根性でかわして、何とか不参加を勝ち取った。
ようやく1人になった会議室で片づけを始めると、妙に空しさがこみ上げてきて、ため息ばかりが出る。
部署に戻った時にはもう誰も居なくて、電気もついていなかった。
あぁ、そういえば、みんな朝からエリートをゲットするって意気込んでたなぁとぼんやり考えた。
今日、ご飯食べてないなぁ。おなかすいたけど、外は雨だし、買いに行く気力もない。
雨の音を聞きながら、4時間分の議事録をまとめて、社内ネットワーク上にUPした。
すでに、21時を過ぎている。
帰りたい。暖かいお風呂に漬かって、柔らかい布団で寝たい。
もう会社なんて、来たくない。
そんなことを考えていたら、部署の電話が鳴り始めた。
最初の電話は本社からで、主力製品の20%を生産している工場周辺の主要道路がこの大雨で冠水やがけ崩れを起こし寸断されたため、このままでは各方面への配送は不可能との内容ことだった。
「―もしもし、聞いていますか?海東統括本部長はまだ社内にいらっしゃいますか?寺川主任には連絡がつきますか?関係部署に残っているのはあなただけですか?」
矢継ぎ早に質問され、頭が真っ白になる。
「はい、残っているのは私だけです。本部長はもう帰られました。寺川さんの会社用携帯に連絡してみます。」
「わかりました。こちらも連絡を取ってみてはいるんですが・・・。非常事態ですからお客様用電話回線の留守電を解除して対応して下さい。これから関係各所へ連絡しますが、問い合わせはそちらにしていただくように案内しますので、いっせいに電話がかかってくると思います。応援が駆けつけるまで、なんとか乗り切って下さい。」
いやいや。1人しかいないのに、そんなのどう対応すればいいんだ?関係各所って、ゆうに100社は超えるんだけど。
とにかく、腐れメガネの会社用携帯に電話してみる。
―・・・だめだ。出やしない。時間的にはまだお店で飲んでると思うんだけど。
とにかく留守電に緊急事態発生のメッセージを残し、かかってくるであろう問い合わせの電話への対応準備を始めた。
受話器では片手が使えなくなるので、ヘッドセットを用意し、いつどこの誰がどんな内容の電話をしてきたかメモできるようにエクセルに準備した。
そこからは、とにかく怒涛の電話ラッシュで、怒り散らす顧客をとにかく宥めて、謝罪を繰り返した。
「―・・・大変申し訳ございません。詳しい状況が分かりましたら、折り返しご連絡いたします。」
時計の針が24時を回るころ、ようやく本社から代替案が提示され、関係各所に連絡するよう指示が来た。
この時点ですでに喉はガラガラ。
怒鳴られすぎたせいで、電話のボタンを押す手が震える。喉や口がが異常に乾いて、動悸が激しくなる。
あと約150件電話するだけなんだから、頑張ろうと自分を鼓舞して、電話をかけ始めた。
20件ほど連絡を終えた時、廊下を走る複数の足音が聞こえてきた。
登場したのは、腐れメガネと腹黒猫毛エリート、それから、海東さん。
顧客と話しつつも、事態推移を書いたメモを腐れメガネに渡した。
残件は、電話での代替案連絡だけだと確認し、ほっと安堵のため息をついている。
「山里~。助かったよ。うちのエースはさすがだね~。ご褒美何がいい?」
もう、この腐れメガネの軽いのりが本当に神経を逆なでする。
私がエースなわけない。本社からの指示をただただたれ流すだけの機械に過ぎない。
あと100件以上連絡をしなくてはいけないから、喉をつぶさないように怒鳴りたいのをぐっとこらえて、電話に手を伸ばす。
「残りはこのリストか?手分けしよう。お前らも手伝え。」
そう言って手を伸ばしてきたのは海東さんだった。
『何を今更・・・』と思わなくもなかったが、早く代替案を顧客に知らせて安心してもらいたい気持ちが勝って、うなずくと、海東さんは薄く微笑んだ。
結局、すべての対応が完了したのは3時過ぎだった。
もう帰れといってくる3人を見送り、私は、溜まっていた今日の作業を処理した。
そして、かねてから準備していた引継ぎ資料に今回の緊急対応の内容を追加し、腐れメガネのデスクに置いた。
その資料の上に『しばらくお休みします。部長の承認は頂いています。休暇理由の詳細は部長から聞いて下さい。』と書いたメモを残して、会社を出た。
外はまだ雨が降っている。
疲れすぎてかなりハイになっていたんだと思う。傘もささずに雨の中を歩きたいと思った。
張り付く服や髪もそのままに、雨に濡れながら、歩く。
このあたりでは、こんな時間に歩いている人なんていない。
だれに憚ることなく、声を上げて泣いた。
会社に対する不満。
愛されないことへの失望。
何より、不幸を招く自分の言動への嫌悪感でいっぱいだった。
全部雨に溶けて流れていけばいい。
私自身も溶けて消えてしまえばいいのにと思わずにはいられなかった。
もう、何もかもどうでもよかった。




