第68話:東方大陸への第一歩
海底トンネルの暗闇が、急速に白光へと溶けていった。
トンネル出口のアーチをくぐり抜けた瞬間、創世号のパノラマウィンドウ一面に、眩いばかりの南国の陽光が降り注いだ。
目の前に広がっていたのは、西方大陸のそれとは植生も建築様式もまったく異なる、鮮烈な異国の風景であった。
青く澄み渡る入江。赤瓦の屋根が段々畑のように連なる美しい港湾都市。
東方大陸最大の交易拠点――『サザンクロス港』である。
「まもなく、終点サザンクロス・セントラルステーションに到着しますにゃ!」
チーフ車掌ミュウの晴れやかなアナウンスが、サロン内に響き渡った。
「西方大陸・絶望岬駅からの所要時間は、五十八分三十秒。――定刻通りの運行ですにゃ!」
キィィィィィン……。
磁気浮上用リニアブレーキが滑らかに作動し、白銀の創世号は、サザンクロス駅の第一番ホームへと静かに滑り込んだ。
時刻は午前九時五十八分。
かつて、熟練の船乗りたちが命懸けで帆を張り、大嵐と海竜の恐怖に怯えながら最低でも一週間を費やしていた暗黒海峡の旅路程が、今、わずか一時間にも満たない日常の『通勤圏』へと塗り替えられた瞬間であった。
ワァァァァァァァァッッ!!
扉が開いた瞬間、駅構内を揺るがしたのは、何万人もの人々が放つ地鳴りのような大歓声であった。
新設された巨大なドーム状の駅舎には、色鮮やかな絹の民族衣装を纏った東方の大商人たち、諸国の特使、そしてこの歴史的瞬間を一目見ようと詰めかけた数千人の市民たちが、所狭しと押し寄せていたのである。
「来たぞ! 本当に海を渡って、鉄の龍がやってきた!」
「嘘じゃなかった! 朝に西方大陸を出た列車が、昼前に東方へ着くなんて!」
「おお……なんて美しい乗り物だ……神の御業か!」
白手袋を嵌めたハルト・クゼ、そして紺碧の制服に身を包んだアステリアがタラップを降り、ホームに敷かれた赤絨毯へと第一歩を記した。
その瞬間、東方諸国連合の代表を務める大商人や宰相たちが、深々と頭を垂れて二人を出迎えた。
「よ、ようこそ東方大陸へ、アルカディア鉄道の奇跡の御方々よ……!」
東方最大の豪商ギルドの会頭が、震える声でハルトの手を握りしめた。
「我がギルドはこれまで、暗黒海峡の難破によって毎年何十隻もの商船と、何百人もの優秀な船乗りを失ってまいりました。それが……わずか一時間で、傷一つなく、定時に荷を届ける手段が生まれたとは……! これは奇跡などという生半可な言葉では足りませぬ。文明の新たな夜明けでございます!」
「奇跡ではありませんよ、会頭」
ハルトは穏やかに微笑み、後方の貨物車両へと視線を向けた。
「定時性と安全性を担保したインフラこそが、商取引の基盤です。――早速ですが、西方大陸からの第一便貨物をお受け取りください」
プシューッ!
創世号の後方に連結されていた最新鋭の保冷貨物コンテナが開放された。
そこから作業員たちの手によって運び出されたのは、今朝、アルカディア平原の農場で収穫されたばかりの朝露光る高原野菜、朝摘みの果実、そして搾りたての新鮮な牛乳やチーズであった。
さらには、ドワーフたちがミリ単位の精度で鍛え上げた高品質な魔導農具や工具、エルフの森で調合されたばかりの高純度ポーションが、整然と木箱に収められていた。
「な、なんということだ……!」
東方の商人たちが野菜を手に取り、その瑞々しさに目を丸くした。
「西方大陸の特産品が、まだ朝露を湛えたまま東方の市場に並ぶだと……!? これまでは乾燥肉や塩漬けしか口にできなかったというのに!」
「このポーションの活性度を見よ! 採取から一日も経っていない極上の品質だ!」
「そして、戻りの便には、東方の誇る極上の絹織物や香辛料、そして未精製の希少鉱石を積載していただきます」
アステリアが誇らしげに告げた。
「西方大陸と東方大陸は、もはや海で隔てられた他人ではありません。この銀のレールを通じて、富と知恵、そして人々の笑顔を巡らせる、ひとつの大きな家族となったのです」
拍手喝采が、駅舎のドームを満たした。
東方諸国の代表たちは、その場でハルトとアステリアに対し、東方全土への鉄道網延伸計画と、全面的な通商友好条約の締結を懇願した。
軍事的な征服でも、武力による脅迫でもない。
ただ定時に安全に物資を運び、互いの生活を豊かにするという圧倒的な価値の前に、二つの大陸の国境は音もなく溶け去っていったのである。
「ハルト様……見てください」
群衆の歓声のなか、アステリアがハルトの横顔を見つめ、熱い吐息を漏らした。
「私たちが敷いた鉄路が、こんなにも多くの人々を笑顔にしています。……私を信じて、ここまで連れてきてくださって、本当にありがとうございました」
「礼を言うのは私の方ですよ、アステリア様」
ハルトは優しく彼女の手を取り、力強く頷いた。
「君が諦めずに前を向いてくれたからこそ、レールはここまで繋がった。だが、まだ終着駅ではありません。――世界中の大地を、一本の線路で結ぶその日まで、私たちのダイヤグラムは止まりません」
東方の大陸に吹く爽やかな潮風が、二人の門出を祝福するように、白銀の車体を優しく包み込んでいた。




