第43話:皇帝からの親書と独立特区宣言
第一期大陸環状幹線の開通から三日後。
アルカディア中央駅の特別貴賓ホームに、純白と黄金の装飾が施された帝国特使専用の特別列車が静かに滑り込んできた。
車体には、神聖ルクセンベルク帝室の象徴である双頭の鷲の紋章が燦然と輝いている。
ドアが開き、プラットホームへと降り立ったのは、白銀の豪奢な礼装鎧に身を包んだ威厳ある老将――帝国近衛総督にして、皇帝の懐刀と呼ばれるアルベルト公爵であった。
その後ろには、純白のマントを翻す近衛兵たちが、抜剣の礼をとって左右に整列する。
アルベルト公爵は、出迎えたハルトとアステリアの前に歩み寄り、胸に手を当てて深々と一礼した。
「アステリア皇女殿下、ならびにハルト総裁。皇帝陛下よりの親書を携え、帝都より参内仕りました」
「遠方よりの御足労、感謝いたします、アルベルト公爵」
アステリアが凛とした声で応じる。
かつて王都で無力な籠の鳥であった皇女は、いまや一国を背負う統治者としての圧倒的な気品を放っていた。
公爵は静かに頷き、背後の副官から捧げ持たれた黒漆塗りの小箱を受け取ると、その中から帝室の純金印章で封じられた一枚の羊皮紙を取り出した。
「――拝聴なされよ。神聖ルクセンベルク帝国皇帝、フリードリヒ四世陛下が勅状である」
公爵の厳かな声が響き渡ると、ホームにいた近衛兵たちと駅警備隊が一斉に直立不動の姿勢を取った。
公爵は封蝋を解き、羊皮紙を両手で掲げて朗々と読み上げ始めた。
「『朕、神聖ルクセンベルク帝国皇帝フリードリヒ四世、ここに詔勅を下す。
先に第二皇子ゼノスが、私利私欲に駆られて装甲騎兵大隊を動かし、辺境の平和と新たな文明の萌芽を脅かさんとした暴挙、断じて許すべからざる背信の極みである。
よってゼノス皇子の全軍務権限を即時剥奪し、帝都離宮への無期限謹慎を命ずる。
また、ゼノスに同調して不当な利権を貪らんと画策したヴァルツ伯爵をはじめとする貴族一門についても、領地没収の上、厳罰に処すものとする』」
勅状の第一節を聞いた瞬間、周囲の貴族や帝国軍人たちの間に走った衝撃は、計り知れないものであった。
帝国の権力をほしいままにしていた第二皇子ゼノス、そして王都の腐敗貴族たちが、完全に失脚したのだ。
武力によって鉄道を奪おうとした傲慢な権力者たちの野望は、皇帝自身の手によって粉々に粉砕されたのである。
だが、勅状の真の衝撃は、その後に続いた内容であった。
「『翻って、皇女アステリアの功績を称える。
不毛の荒野と見捨てられていた西方辺境において、民の生活を立て直し、わずか数ヶ月にして大陸随一の物流・産業基盤を築き上げた手腕、まさに帝室の鑑というべし。
さらに、奇跡の鉄路を創造し、全種族の共栄を成し遂げた技師ハルト・クゼの功績は神話の英雄にも勝る。
ここにハルト・クゼに対し、帝国史上初となる「帝国最高名誉技師長」の称号と、帝冠最高勲章を授与する』」
ざわり、とホームがどよめいた。
名誉技師長の称号とは、帝国の全元帥や宮廷魔導士長すら超える、最高位の技術職階であった。
かつてパーティから「無能な雑用係」として捨てられた男が、いまや帝国皇帝から直々に最高栄誉を贈られたのだ。
しかし、勅状の最後の一文は、それを遥かに凌駕する歴史的転換点であった。
「『――最後に、朕はここに宣言する。
オラクルからアルカディア、黒鉄山脈、翡翠の樹海に至る全鉄道路線および沿線自治領を、帝国のいかなる属州法からも免除される「アルカディア鉄道特別自治区」として正式に承認し、完全なる自治権と治外法権を永久に保障する。
帝国の軍事力、徴税権、司法権は、この鉄路の内側には一切及ばないものとする。
以上、帝国歴三百四十二年、秋。皇帝フリードリヒ四世』」
静寂。
そして、爆発的な大歓声。
「ど、独立だ……! アルカディアの独立が認められたぞぉぉぉぉっ!!」
「帝国の重税からも、強制徴兵からも、完全に解放されたんだ!!」
駅構内に詰めかけていた市民たち、そして元帝国軍の捕虜であった保線員たちからも、狂喜乱舞の叫びが上がった。
それは事実上の、新国家の誕生であった。
皇帝フリードリヒ四世は愚者ではなかったのだ。
ハルトの築いた鉄道という巨大な心臓を力で奪おうとすれば、帝国そのものが経済的・軍事的に崩壊することを正確に見抜いていた。
だからこそ、独立を承認し、対等な友好関係を結ぶことこそが、帝国を生かす唯一の道だと判断したのである。
「ハルト総裁、おめでとうございます」
アルベルト公爵は勅状を恭しく両手でハルトへと差し出した。
帝国の重鎮が、一人の青年に向けて深々と頭を下げる姿は、時代の主役が完全に交代したことを物語っていた。
だが、ハルトは差し出された黄金の勲章を一瞥しただけで、穏やかに首を横に振った。
「公爵閣下。勲章や称号は、アステリア副総裁にお納めください。私に必要なのは、飾り物のメダルではありません」
「……ほう? では、貴殿が真に望むものは何ですかな?」
「私が求めるものは、ただ一つだけです。『定時運行』の遵守です」
ハルトの澄み切った瞳には、一切の虚飾も野心もなかった。
「帝国本国が我が鉄道のダイヤグラムを尊重し、線路の安全と自由な通商を妨害しない限り、私たちは帝国全土へ物資を定刻通りに届け続けましょう。しかし、もし一度でも運行を故意に遅延させ、線路を脅かす者が現れたなら――その時は、帝国全土への補給を即座に停止します」
「……ッ!」
公爵の背筋に、冷たい戦慄が走った。
脅しではない。
世界を動かすインフラの支配者だけが口にできる、絶対の事実であった。
アルカディア鉄道が車輪を止めた瞬間、王都の中央市場は食糧を失い、帝国の軍隊は燃料を失って餓死するのだ。
「承知いたしました……。陛下にも、その通りにお伝えいたしましょう。――帝国は、貴殿の鉄路を侵すことは断じてございません」
公爵は再び深く一礼し、敬意を込めてハルトの手を握りしめた。
その夜、アルカディアの街は、空前絶後の祝祭の光に包まれた。
駅前広場には無数の屋台が立ち並び、ドワーフの黒ビールとエルフの果実酒が振る舞われ、市民たちが肩を組んで踊り明かした。
操車場からは、色とりどりの魔導花火を満載した特別祝賀列車が汽笛を鳴らしながら夜空へと光の華を打ち上げた。
駅舎の最上階、総裁室のバルコニーに立ったハルトとアステリア。
眼下に広がる光の海と、闇の中を銀色の糸のように輝きながら伸びていく鉄路を見つめながら、アステリアがそっとハルトの腕に手を添えた。
「ハルト様……私たちは、本当に成し遂げたのですね」
「いいえ、アステリア様。これはまだ、始発列車が最初の駅を出たばかりに過ぎません」
ハルトは懐中時計の銀の蓋を開け、正確に時を刻む秒針を見つめた。
「大陸の半分は、まだ鉄路を知らない。飢えと孤立に苦しむ人々が、遠い東の果てにも、南の海にも待っている。私たちのダイヤグラムは、世界中のすべての駅を結ぶまで、止まることはありません」
青年の静かな決意。
独立の歓喜に沸く街の彼方で、新たな時代の夜明けが、ゆっくりと東の地平線を白く染め始めていた。




