第41話:ドワーフの現場監督の鉄拳
カンッ、カンッ、カンッ――!
黒鉄山脈の険しい山裾、第二期延伸路線の補修現場に、鍛え抜かれた鋼の槌音と魔導削岩機の轟音が響き渡っていた。
海抜千五百メートルを超える切り立った断崖絶壁。
山から吹き降ろす冷たい突風と、巻き上がる細かい鉱石の粉塵が視界を白く染める中、逞しいドワーフの保線工夫たちが上半身裸になり、分厚い筋肉から立ち上る湯気とともに巨大な枕木を敷き詰め、砕石を突き固めていた。
その轟音と土埃の只中で、一人の男が、今にも折れそうな細い腕で一輪車の取っ手を握りしめ、青息吐息で喘いでいた。
「ぎ……ぎぎぎ……重い……! こんなの、持ち上がるわけがないぃぃっ……!」
元・天才宮廷魔導士ガイル・フォン・ハイネ。
かつて豪華な絹のローブをまとい、爪先を磨き抜いた靴で宮殿の絨毯を歩いていた男である。
だが現在の彼の姿は、泥と油にまみれたツナギ作業着に、頭には頑丈な鉄の安全ヘルメット。
一輪車の中には、拳大の鋭利な高硬度バラスト石が山盛りに積まれ、その総重量はゆうに百キロを超えていた。
プルプルと生まれたての子鹿のように膝が震え、車輪が砂利に足を取られた瞬間――。
ガシャンッ!
「ぎゃあっ!?」
一輪車が横倒しになり、大量の石がガイルの足元へと雪崩落ちた。
ガイルは泥の中に無様に尻餅をつき、擦りむいた両手を押さえて半泣きで叫んだ。
「無理だ! こんなの絶対に無理だ! 俺は魔導士なんだぞ! 指先を動かして呪文を唱えるのが仕事なんだ! こんな土方仕事、俺のやることじゃないぃぃっ!」
ドゴォォォォンッ!!
直後、ガイルの目の前の地面に、巨大な鋼鉄のツルハシが深々と突き刺さった。
飛び散った小石がガイルの頬を鋭く打つ。
恐る恐る見上げると、そこには丸太のような太い腕を組み、額に青筋を浮き上がらせたドワーフの巨漢が仁王立ちしていた。
アルカディア保線区総監督――バロック棟梁である。
「寝言は寝て言え、このモヤシ野郎がぁぁぁぁっ!!」
山鳴りのような怒声が、ガイルの鼓膜を震わせた。
バロックはガイルの胸倉を片手で軽々と掴み上げ、地面から軽々と吊り上げた。
「魔導士だから土方はできねえだと!? てめえの敷いてるこのバラスト石が何のためにあるか、少しでも考えたことがあるのか、ああん!?」
「ひ、ひぃぃっ……! し、知るかよ! ただの石ころじゃないか!」
「ただの石ころだとぉぉっ!?」
バロックの拳が、ガイルのヘルメットをガツンと殴りつけた。
カァァァンッ! と甲高い音が頭蓋骨に響く。
「この石が敷き詰められてるからこそ、百トンを超える魔導列車が時速百キロで走ってもレールが沈まねえんだよ! 雨が降っても水が抜け、振動を吸収し、何千人もの乗客の命を足元から支えてんだ! 枕木一枚、石一個の狂いが、脱線転覆事故に直結する! 俺たち保線員がここで流す汗の一滴一滴が、鉄道の安全そのものなんだよ!」
「っ……!」
「魔法が使えねえなら、その貧相な筋肉で稼ぎな! 知識を気取って何もしねえ穀潰しより、泥まみれになって石を運ぶ奴の方が、百倍世の中の役に立ってんだよ!」
ドスンと地面に放り出されたガイルは、息を詰まらせて泥の上にうずくまった。
痛かった。
頭も、手足も、そして何より――プライドがズタズタに引き裂かれて痛かった。
かつて自分は、パーティの最前線で戦うアーノルドや、補給を支えるハルトを、内心で見下していた。
『魔法も使えない野蛮人どもが。俺の高等魔術がなければ、貴様らなど迷宮の餌だ』
そう自惚れていた。
だが、いざ魔力を使えない状況に置かれた時、自分は何一つできない役立たずの赤ん坊に過ぎなかったのだ。
『ガイル、水分補給用の魔力水を用意しておきました。あなたの属性に合わせて、水属性のマナを馴染ませてあります』
『徹夜で呪文の詠唱術式を組んでいたのでしょう? 肩の凝りをほぐす薬草を調合しておきましたよ』
記憶の奥底から、ハルトの穏やかな声が鮮烈に蘇った。
ハルトは常に、ガイルが万全の状態で魔法を放てるよう、見えないところで完璧な環境を整えてくれていたのだ。
魔導書の湿気を防ぐための除湿石を仕込み、重い触媒袋を代わりに担ぎ、野営地では静かに精神統一ができるテントを真っ先に設営してくれていた。
それを自分は「雑用のくせに生意気だ」「俺の才能に群がる寄生虫め」と嘲笑い、追い出したのだ。
「う……ううっ……! ハルト……俺は……俺はなんてバカだったんだ……!」
ガイルは泥に顔を押し当てて号泣した。
自分が誇っていた「才能」など、他人の支えがなければ一瞬で消え去る砂上の楼閣に過ぎなかった。
インフラを支える現場の汗。
泥にまみれ、手を血豆だらけにして働くドワーフたちの背中。
それこそが、この世界を動かしている真の力だったのだ。
「……泣いてる暇があったら、石を拾いな」
頭上から、ぶっきらぼうな声とともに、一本の頑丈な革手袋が放り投げられた。
見上げると、バロックが背中を向けてツルハシを振るっていた。
「てめえの運ぶ石一個が、明日の特急列車を無事に走らせるんだ。しっかり運べば、夕飯の味噌汁に豚肉の端切れをぶち込んでやるよ」
「と……豚肉……?」
「おうよ! 働いた奴には、美味い飯を食わせるのがハルト総裁の鉄則だからな!」
ガイルは涙を袖でゴシゴシと拭い、落ちていた革手袋をはめた。
破れかけた手袋をはめ、倒れていた一輪車を力一杯起こす。
手のひらに激痛が走ったが、今度は逃げ出さなかった。
スコップを握りしめ、散らばったバラスト石を一心不乱に掻き集める。
「うおおおおおっ! 運びます! 俺に運ばせてくださいッ!」
それからの五時間、ガイルは無我夢中で一輪車を押し続けた。
全身の筋肉がちぎれんばかりの悲鳴を上げ、足がもつれ、何度も転びそうになりながらも、一回、また一回とバラストを軌道へと運び込む。
バロックたちの指導のもと、突き固め用のバーを握り、レールの下に敷き詰められた砕石の密度を均等に突き固めていく。
夕暮れ時、西の空が真っ赤に染まる頃、敷設されたレールはミリ単位の狂いもなく美しく水平に整えられていた。
プシューーーーッ!
そこへ、山頂の鉱山へ向かう資材列車が、滑らかにレールの継ぎ目を踏み越えて通過していった。
ガタゴト、ガタゴト――。
一切の脱線も揺らぎもなく、完璧な安定感で通り過ぎる貨車の列。
その列車の通過を見届けた瞬間、ガイルの胸に、かつてどんな高等魔法の詠唱を成功させた時よりも熱い、誇りと感動がこみ上げてきた。
「はし……走った……! 俺の運んだ石の上を、列車が走った……!」
夕闇の中、休憩のドラが鳴り、焚き火の周りに集まった工夫たち。
バロックが約束通り、大鍋から豚肉の脂が浮かぶ濃厚な味噌汁をガイルの椀に注ぎ入れた。
両手で椀を包み、熱々の汁を喉へと流し込む。
豚肉の濃厚な脂の甘みと、野菜の旨味が、疲弊しきった身体の五臓六腑を温かく包み込んでいく。
「うまい……! 信じられないくらい、うまいよぉぉっ……!」
ガイルの頬を、黒い煤と混ざり合った涙が伝い落ちた。
傲慢なペテン魔導士は死んだ。
泥と汗にまみれ、一本の鉄路を未来へと繋ぐための一人の工夫が、いま真の再生の産声を上げたのであった。




