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【電子書籍化記念SSなど】とある代筆屋の離婚後の人生、と、そして。  作者: 有沢楓花


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【電子書籍配信記念SS3】日曜朝のミルクティー

電子書籍の配信記念SSの第三弾です。

今回は、電子書籍・通常配信版の配信記念SSとなります。


今回のお話の時間軸は、電子書籍版エンディング後、結婚後のとある朝のお話です。

 日曜の朝きっかり同じ時間、寝室に紅茶が運ばれてくる。

 ノックが鳴れば部屋の主であるヴァージル・マクラウドはベッドから起き上がり、眼鏡をかけ、シャツの上からガウンを羽織る。

 ベッドが見えないように配置された前室の扉を静かに開け、全て心得ている執事――実家では彼付きの従僕(フットマン)だった――から銀のトレイを受け取る。

 それが、日曜朝の儀式だった。



 ヴァージルは几帳面だ。

 書斎はおろか、私室の部屋の中のもの全ては把握・整頓されており、書類は元よりペン一本に至るまで、使用人と位置を共有する。

 それは視力が弱くものがはっきりと見えない病のせいで、そうでないと不安だったから。


 家具の位置がずれれば不意に躓くこともあり、ペーパーナイフを置きっぱなしにすれば掴んで皮膚を切るかもしれない。書類の紛失などしたら一枚一枚確認する手間が掛かる。外出時も、手元に拡大鏡や日常用の単眼鏡はあるが、突発的事態に対応できないことも多い。


 不利益を避けるには、余裕を持って対応するためにも、不確定要素をなるべく減らすしかなかったのだ。この習慣は、周囲のものが見えるようになった今も続いている。

 残念ながら残業と帰宅時間だけはどうしようもなかったが、その代わりに一日の始まりは決まった時間に起床し、紅茶は朝食とともに食堂で妻と飲んでから各々の仕事へ向かう。


 ただし日曜の朝だけは特別だった。

 土曜の夜、こちらは習慣というより話し合いの結果、二人はともに過ごしている。だから翌朝は予定通りゆっくり起きるため、紅茶もこの時だけは運んでもらうことにしている。


 運ばれてくる紅茶は、ミルクティー。

 いや、正確に言えば紅茶とミルクだ。


 今までのヴァージルは、ミルクティーが飲みたいときには必ず、規定量のミルクを入れ終えた紅茶を運んでもらっていた。別添えにする手間がかかるのと、手元が狂ってこぼれてしまうのを避けるために。

 けれどグウェンは日によって、その朝の気分でミルクの量を変えるし、ストレートで飲むこともある。そのためここに来てからすぐ、別添えにしてもらうようになった。


 ベッド脇に置いた陶器のティーセットはこの前デパートで買ったばかりの品で、落ち着いた花模様がカップの縁を飾っている。

 ポットから美しい琥珀色を半分ほど注いでから、今日はミルクをたっぷり加える。

 不安からくる周囲を把握したいという欲求は、グウェンの前ではもうかなり薄らいでいる。朝から頭をすっきりさせたいときにはそのままで、胃を休めたいときには多めに入れる。そして昨夜からまだまどろみ続けたいときは――。

 夢の中の雲のように揺らぐミルクと、溶け合う水色(すいしょく)。ほのかな甘い香りを楽しんで喉を潤していると、もぞり、と寝具が動いて、布の波間に広がる栗色の髪が揺れた。





 グウェン・ウェルズリー改めグウェン・マクラウド夫人は、寝ぼけ眼で身じろぎすると上半身を起こした。そして夫のガウンの背中と視界の端に捉えたミルクピッチャーの傾きにぱちり、と目を大きく開けた。

 あの傾きの大きさは時折みられ、その結果をグウェンはよく知っている。

 気付かれないようにと夜着の長い裾から足先をそろそろと出して、ベッドから降り立とうとしたとき、


「おはようございます、グウェンさん」


 振り向かれ、いつもよりいっそう柔らかくてどこか甘い声を掛けられて、どきりとする。

 それでも何事もないように装ったグウェンは、何事もないように起きようとする。


「おはようございます、ヴァージルさん……私も紅茶をいただきますね」

「運びますから、寝ていていいですよ。……ミルクはどうしますか」

「では……何も淹れずにそのままで」


 一杯目を飲みきったヴァージルは、もう一脚のティーカップに紅茶を注ぐと、小さなトレイに乗せて、ベッドの上のグウェンに差し出した。

 グウェンも湯気に喉の渇きを自覚し、芳香とともに朝向きのボディの強いそれを飲み干す。

 最後の一滴まで飲みきれば、次のチャンスを窺う前にトレイが片付けられ、すぐに眼前に甘いミルクティーの香りが近づいてきた。


「……私ももう起きますから」


 口に出して立ち上がろうとしたとき、ベッドの端に座るヴァージルに手が取られた。

 ごく優しい感触だったが、そっと離れようとしても離してくれない。当然振り払うわけにはいかず……これでは動けない。

 おまけに、眼鏡はいつの間にか外されていて、宵色の瞳が見つめてくる。


「結婚してそろそろ三ヶ月になりますね」

「はい」

「披露宴も終わりましたし、代筆所の仕事も所員も増えました」

「ええ、賑やかになりましたね」

「働き詰めだったでしょう。……そろそろ、もう少しこちらで寝る日を増やしたいというのは駄目でしょうか」

「……駄目ではないですが」


 カーテンの隙間から漏れる光に、ヴァージルの穏やかで優しい笑顔が照らされている。

 のだが、それは普段の彼と比較して、とてもとても甘い。日曜の朝、ミルクたっぷりの紅茶を飲んだ日のヴァージルは、いつもこうだ。


「仕事に支障のないよう、金曜日が妥当でしょうか」

「確かに金曜日が最適ですが……」

「それとも週の真ん中がいいでしょうか。週末まで落ち着かなくなりそうなので」

「……そう、かもしれません」


 互いに納得しての別室だが、忙しくて夜に顔を合わせられない日は寂しくもあった。窓から綺麗な月や星が見える日は特に。

 それに新居に移るまでベッドの隣に体温を感じたことなどなかったのに、次第に日常に馴染んでいった。

 そんなことを意識させられて、行き場をなくして、返事をしながらグウェンの頬はじわじわと熱くなっていく。それを見た彼の息が小さく漏れる。


「嬉しいです。……褒めても、大丈夫ですか」


 戸惑う合間に口付けをひとつ耳に落とされ、囁かれる。


「……もう、あなたになら大丈夫です。でも、人前ではやめてください」

「もちろん。他人にはこんな可愛らしい顔を見せられない。……少しずつ、咲き()めるあなたを」


 美化しすぎだと思う。

 受け止めきれなくて、つい何を言うのですかと返しそうになって――うまく言葉が出ない。


「待ってください、原因はヴァージルさんじゃ……その、いくつ咲かせるおつもりですか……」


 触れられていく場所が、頬も耳もひどく熱い。きっと顔中、真っ赤になっているのだろう。

 瞳を見返せば、そこに揶揄うような様子はない。そういう人だと知ってはいるが、真剣だからこそ甘すぎて、過剰摂取になってしまいそうだ。


「されたくない場所は」

「……あ、ありません」

「他にして欲しい場所は?」

「い、言えるわけありませ……」


 では、と取られていた手がエスコートするように持ち上げられる。それからグウェンの、社交のためにクリームを塗り込んだ指の――決して美しくはないペンだこに、唇が触れた。


「そこは嫌ではありませんが、あまり綺麗ではなくて」

「……これは、()()したかったからです」


 声は穏やかな中に強い意志が潜んでいて――ただの、戯れではなかった。

 結婚前に甘やかしたいと言っていたことを、彼は忠実に実行している。

 それからもっと大事な、幾つかの、話し合って決めたことも。

 そう思えば熱は少しずつ引いて、恥ずかしさよりも感謝と、そして愛しさが勝る。


「……それなら、私も」


 彼の誠実さに応えるべく、今度は自分からおずおずと顔を寄せて、閉じた瞼にそうっと口付ける。

 それから瞳を見返して、開かれた目の、深く、より甘くなる宵の色に――やり過ぎてしまっただろうかと我に返る。

 すぐにヴァージルは、さりげなく脱いだガウンをベッドの上に広げた後、そのまま再度布団の中に潜り込んできた。起き上がろうとしたグウェンを、背中から片腕で抱きしめて彼女ごと寝転んでしまうと、髪を梳かれて口付けられる。

 こうなってしまうともう、抵抗が難しいことをグウェンは知っている。

 温められたふわふわの布団とそれよりも高い体温に再びじんわり包まれて、心地良くて幸せで、いつまでもまどろんでいたくなる。


「……このまま昼まで過ごしましょうか」


 今朝はゆっくり、読書するつもりだったのに――先程飲んだ紅茶の目覚ましによるちょっとした抵抗も、ヴァージルに対してはしばしば無力だった。

 それでも半ば以上諦めながらも、言葉だけで諭してみる。彼だけでなく、自分に対しても。


「先週みたいに、また寝てしまいますよ。この調子でいたら、気が付いたらお爺さんになっているかもしれません」

「歳を取ったら、今度は私が色々と教えてあげられます。目が悪いのにも慣れていますから」

「そういうことではなくて……」


 二人が思い描くもののためには、まだまだやるべきことがたくさんあるのに。

 そう思って言えば、安心させるようにもう片方の腕も回される。


「休息は大事ですよ。先は長いですから」

「……長かった、ですか」


 子供の頃から今に至るまでの、困難と不安とは。

 小さく問えば頷く気配がした。


「今はこのままの時間が続けばいいなんて思う日が増えましたが、それでも――」


 切なげな、祈るような声。


「――どうか、無理だけは」


 想像してみれば、一緒に歳を取るのは望んでいた未来で。その時には。

 抱きしめられながらしばらく沈黙したグウェンは、すぐ後ろでされた身じろぎに心配を感じ取って、息を吸って小さく吐いた。

 オリーブグリーンの瞳にほんの小さな決意が宿った。腰を抱く彼女よりも大きく骨張った手に、自身の手を重ねる。


「そうですね……お婆さんになっても一緒ですから。その頃には孫に囲まれているかも」

「グウェンさん……?」

「そんないつかも、想像できるようになりました」


 微笑がついこぼれれば、そっと長い指が絡み。

 どちらとも知れない寝息が静かに漏れて、ふたつに、やがてひとつになった。

結婚後の仕事(事務所)の様子をシーモア様限定SSで書きましたので、こちらはプライベートの休日になりました。


ヴァージルは彼なりに真剣ですが、たっぷりミルクに砂糖増量の朝です。甘すぎなければ良いと思いますが、いかがでしょうか……。

グウェンは彼女なりに動揺を抑えていますが、かなりぎりぎりです。これ以上摂取すると倒れるかもしれません。

……ですがそれはおいても、このまま順調にいけば遠くの未来だけでなく近くの未来のことも、(結論は先にしても)少しずつ考えられるようになるかな、と思います。


そしてこちらの連載から、またはWeb短編版や、もしかしたら電子書籍版からいらしてくださった皆様。

お読みいただき、お付き合いいただきましてありがとうございました。

もしかしたら、またSSなど追加するかもしれません。ご縁がありましたら宜しくお願いいたします。

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