たらちねのナントカ⑥たらちねの御手をゆめわずらわすことなかれ
「はいり口にて控えておりゃ」
八重子さん、啓一郎さんの前でそれはいけませんよ。うちの家族はまだあなたのご事情はブチャ公しか知らないんですから。
「えっ」
啓一郎兄さん、ちょいと顔色を変えましたが、こう申しました。
「啓太の下手な『たらちね』の稽古聞き過ぎて、八重子さんまで……」
どんな事態でも落ち着いて反応できるのはさすが営業課長の正常性バイアスです。
しかしそんな受け取り方があるもんでしょうか。
「お隣までうるさくして悪いことしたなあ」
人の稽古を騒音みたいに言われてしまいましたが、ごまかせたので黙っていました。
下手なと言われたことに内心ダメージを受けましたが耐えましょう。下手な……下手な……そんなに正直におっしゃらなくても……
「おっと、待ちな、ションベンたれ」
ブチャ公が大きくなりました。
「中には太郎とすみれがいるんだろ? どんなだ?」
兄さんはスマホを見せつつ、
「ご覧の通り、水が出ているんですが、社長と仕入部長はご無事です。
ただ扉がなぜだか開かなくなりまして」
「そうだろう、そうだろうよ」
八重子さんもうなずくのです。
「こりゃ、怪異だからよ。ションベンたれの言った通り古い神の下っ端のようだが、丁寧に封じられたということは自業自得なんだろう。
が、今は永年の恨みがつのって、ただこの世に仇をなすこと、そう動くだけのポンコツよ」
なんとおっしゃいました? 怪異ですって?
「これ、水じゃないんだぜ?」
言われて啓一郎兄さん、屈みます。
「寄ってもよろしいですかね?
……えっ?」
廊下に染み出たところに鼻を近づけ匂いを嗅いだ兄、顔をしかめます。
「酒ですねこれ!」
「ただの酒にはあらず」
そこに八重子さんがややこしいことを言い出したんです。
「封印の棺に満たしたいにしえの酒なり。此度の普請にてなゐ振られれば、棺割れ給ふなり。割れ給ひて、目覚めし神、わずかながら力を用いて酒をしりぞければ、かように上り来るなり」
『なゐ』と申しますのは地震のことでして、こないだ古文の時間に出てまいりました。
どうも地中に古い神を封じた棺があって、封印に酒を用いていた。
その棺が工事の振動で割れ、目覚めた怪異は力を振るって酒を排除し、それが地表に上って来たと、こんなところでしょうか。
「おうおうおう?
おい、綱木。ここには占いババアがやってたスナックがあったよな?」
「え? ええ、ええ、あら、ブチャ公先生にみなさまお揃いで」
あれ、綱木くん、今日のシフトでしたか。モップを持って駆けて参りました。
「スナックの件は先ほど伺いまして。
さすがブチャ公先生、お店をご存じで?」
どこでもさりげなく手揉みが入る綱木くんこそさすがでございます。
「あのババア、道楽の占いで店を繁盛させたけれどよ、酒のやり取りする店だったおかげで封印も強められていたんだな」
「え、やはり封印があったんですか?」
あたくしの知らない間に綱木くん、事情通となっていたようでございます。
「噂ではママの霊力で封印が、ということでしたが」
「そんなこたあねえんだ。酒の力よ、酒の」
「お酒でしたか……アルコールで封じられるなんて、雑菌みたいなやつですねえ」
バチが当たりそうなことをおっしゃる綱木くんですが、酒となれば鎮める意味だってあるんじゃないですかよくあたくしは話がわかりません。あとで伺いましょう。
そこで、兄さんのスマホが鳴りました。
「仕入部長」
おっ母さん。
「え、黒いものが沸いて来た?」
「まずいな」
ブチャ公が舌打ちしました。
「さっさとやっつけねえとな」
「なんです?」
あたしは青ざめていたようです。お父っつあんとおっ母さんに何が迫っているというのですか。
「棺が割れて、力を使って酒を退けて地上へ出て、そこに生贄が二匹いたら、奴はどう考えると思う」
「生贄って、お父っつあんとおっ母さんですか!」
「そこで控えておりゃ」
八重子さんがあたくしの肩を叩きます。
「たらちねの御手をゆめわずらわすことなかれ」
おっ母さん、じきに参りますよ!(八重子さんとブチャ公が)




