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鏡の守り人  作者: 雨替流
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おきぬと言う名の娘

「踏み外すぞ! 右へ修正しろ!」


 草に覆われた崖上で、きぬは素早く後ろ回転しながら追手の放つ棒手裏剣を避けていた。小平太の位置からでは手助けも出来ずに崖下から、きぬを追い走るだけである。



 大沢の忍びが仕える、田村家との長年の同盟を一方的に反故とし、敵方へと寝返った川原を見過ごす事は無い。この裏切りによって田村は不利な状況へと追い込まれてしまったのだから当然と言える。


 しかし、勇猛果敢で恐れられる田村とはいえ、明らかな多勢となった相手に挙兵するのは無理がある。川原もそれを見込んで裏切ったのだ、ならば敵将を始末し、その代償を払わす事となる。敵将は昼夜を問わず忍びによって守られているから暗殺を恐れていないようだが、大沢忍びからすれば、それは無駄な事である。


 任務には小平太が選ばれ、実戦は未だ経験の無い()()が同行する事と決まった。それは現場の空気を経験して今後に生かす為であった。



 川原の地へと入った二人は、身を隠すことなく往来を行き屋敷の脇まで来れば、草鞋(わらじ)を締め直す振りをして中の気配を探っていた。忍びの気配からその配置と動き、視線を読めば人目が無くなったところで板塀を跳び越え身を隠した。敵の忍びは一切気付いていない。


 この屋敷の間取り図は、幻の定吉が数日間潜入し調べ上げたものである。敵将の行動さえ把握しているから仕事は早かった。昼には決まって池の鯉に餌をやるのだが、そこには忍びの目がある。その後屋敷の裏へと移動して屋敷の女たちと共に犬を愛でるのだが、此処には忍びの目は無い。よって暗殺するにはこの機会を見逃してはならない事となる。


 先回りして身を潜めると、小平太は毒を仕込んだ吹き矢を手にしていた。情報通りに敵将が現れれば全員の動向を見て予測を立てていた。間もなくして女中たちの視線が敵将から外れれば、間髪入れずに毒矢を放った。


「行くぞ」

「承知」


 矢が証拠として残るが問題はない。これは川原の屋敷へ潜入していた幻の定吉が手に入れてくれたもので、川原が雇う忍びの吹き矢なのだ。田村にも疑いが掛かるだろうが、川原は己の懐に入り込んでいる忍びを疑う筈である。


 女たちが騒ぎ出す前に板塀を跳び越えれば任務は終了の筈であった。しかしあろう事か、きぬが一足遅れた際にその姿を忍びに晒してしまったのである。


「女だ! 忍びだぞ! 追え!」

「きゃあぁぁ!」

「しまった! 川原の殿がやられた!」


 姿を見られたと同時に女たちの悲鳴があがった。此処は一刻も早く立ち去らねば窮地と化す事となる。


「きぬ! 死ぬ気でついてこい!」

「承知!」


 小平太の後ろを違わずに走り森へと走ったが、きぬは追手の放った棒手裏剣を避けたまま方向修正が出来ずに走り続けてしまい、小平太と離れて自分は崖上へと逃げる事となってしまったのだ。


 きぬの様子を見ながら走り、手探りでクナイの尻環に縄を結ぶと、崖上へと行けそうな枝を見極めていた。もう時がない事は明らかである。


 見極めた枝にクナイを投げ枝に廻し引っ掛けると、地を蹴って三間(五メートル四十センチ)の崖上へと跳んだのであった。縄から手を放し短刀を抜けば着地と同時に一人を始末し、瞬時にして身を丸め前転で進めば、勢いよく踏み切って二人目の首を裂き、今度はそこから跳躍し背を向けていた三人目の急所を刺した。


 棒手裏剣に足をやられたきぬは、少し先で短刀を抜き覚悟を決めていた。小平太の到着が数呼吸遅れていたら、きぬの命は既に無い。


「動けるか?」

「不覚を重ね、このような事態に……」

「反省は後だ、今は急ぎ手当を」

「承知」


 少し動こうとした、きぬを止めた。


「待て、弓手の気配だ、身を低く保ち地と同化するのだ動くなよ」

「承知」


 どれ程優れていたとしても、その逆であっても人には運命と言うものがある。良し悪しは別として、それによって人生が大きく分かれる事は言うまでもない。


キィィィ! ……バサバサッ……


 気配を消していた事で山鳥が二人に気付かず接近していたのだが、目の前で

ようやく気付き慌てて飛び出したのだ。


 そこへ矢が飛んでくるのは明らかである。二人は瞬時に身を回転させて素早く避けるも、きぬの方は動きを読まれていたのである。きぬもそれを悟りかわそうとした瞬間、二本の矢がきぬの胸に深く刺さったのである。


「くっ! おきぬぅ!」

「こ……たさま……小平太様……なんだで酷くうなされてるだで……大丈夫だか?」 


 夢にうなされていた小平太を揺さぶり起こしたすずは、心配そうに見つめていた。


「あ、起きた。大丈夫だか? 凄くうなされてただよ、それに凄い汗だで」

「すまない心配かけたな」

「良いだよ」


 手拭いで汗を拭き、立ち上がれば障子を開け放ち濡れ縁へと出た。秋の夜風が竹を揺らし心地よい音色を奏でていた。竹林の中の住まいはきぬの理想であったのだ。子が出来たら小平太とそんな家で暮らしたいのだと、夢を語っていた愛らしい忍び、いや娘であったのだ。


 今見ていた夢は実際のきぬの最後であった。小平太は夜風に吹かれつつ更に当時を思い出していた。



 目の前で起きた衝撃に一瞬にして血の気が引いていた。それより先はまるで時が止まったのかと思う程に時の経過が遅くなり、頭の中は却って恐ろしい程に冷静となっていた。小平太が幻の心技を手に入れた瞬間である。


 きぬの懐に手を入れてクナイの尻環に縄を結ぶと、今までにない戦闘態勢へと身を投じていた。周囲は既に十人の忍びによって囲まれていたが、まるで臆する事も無い。少し驚いた相のままで息絶えたきぬの目を閉じ額を合わせれば、その場にゆっくりと立ち上がった。


 敵の忍びは小平太が諦めたものと勘違いをしたのだろう。警戒しつつも捕らえようとの動きである。


 敵の動きを見極め、突如大きく跳躍しながら凄まじい勢いでクナイを放てば、円を描く様に大きく回したのである。それにより三人が顔面を深く損傷した。ほんの一瞬の出来事に敵は深く動揺していた。続け様に二人が死体となり転がれば、その者から奪った棒手裏剣で弓手の二人を始末したのである。後は順を追って始末して行くだけである。


 愛する者の死によって覚醒した小平太の身の熟しは、もはや化け物であった、敵は腰を抜かすほどに怯み恐怖に顔を歪めるばかりであったのだ。


 追手の全てを始末すれば己のクナイを回収し、きぬを背負うと、陽が沈み始めた森を進み、長い道のりをひたすら歩いた。背中で徐々に固くなっていく死の感触を小平太は唯々受け入れるだけであった。この時小平太は十九で、きぬは十七になったばかりであった。



 身体が程よく冷め室内へと戻れば、すずは自分の夜具を小平太の隣に並べて白湯を飲み待って居た。


「ん? どうした?」

「此処ならおらが小平太様さ守れるだで、安心して寝てもらいてえ」

「すまないな」

「小平太様さ、命の恩人だで当然だよ」


 横になり少しの間、天井を見ていた、夜目が利き巣を修復する蜘蛛の細部まで見えれば、旅の初日にすずが言っていた光の話を思い出していた。


「命に宿る光の話をしていたが、虫にも光はあるのか?」

「あるだよ、とんでもなく小っちゃい虫にだって光はあんだ」

「何か話すのか?」

「話はしねえだども、挨拶はしてくれんだ」

「虫がか?」

「虫ではねえだ……光が挨拶してくれんだ」

「不思議な事だな、しかしその光とは何だろうな」

「なんだでな」












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