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鏡の守り人  作者: 雨替流
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旅の子供

 峠を越え上野国(こうずけのくに)へと入れば、目指す故郷までもう僅かとなる。安中より高崎、そして最後の宿坊である桐生を発てば、やがて見慣れた景色が広がった。


「もう少しだ」

「おっかねえ程遠かっただな……あ! あの山!」

「水沢の山と似ているだろ」

「そっくりだよ」


 こうして故郷となる平山を遠くから見ていれば、遠い昔の事を思い出す事となった。下野の大沢が故郷としている小平太だが、実際の故郷はこの地よりさらに東となる常陸国は筑波山が見える小さな村であった。二つの頂が連なるその山姿は美しく小平太の記憶にも深く刻まれている。



 しかし、長閑で美しい故郷であったとしても、食うに困ればそこに生きていく事は難しい。小平太の故郷が筑波ではなく下野の大沢となったのは、慢性的な飢饉の最中であった。五男三女の末っ子で小平太が六つになった年の事である。


「今年もこんなんじゃぁ、いよいよ食っていけねえな……これは困った」


 これから育つはずの稲や野菜が日照りでやられ、凡そ七割が枯れてしまったのだ。


「どうすんだおとう」

「どうすべ……」


 父親の困り果てた表情に次男の竹が決意を決めたようだ。


「おとう、おれらの食い扶ち減れば、何とかやっていけんでねえか」


 この家は何れ長男の留蔵が継ぐ事となる、ならばいずれ自分たちはこの家を出なければならないのだ。竹は以前からそのことを弟たちに言い聞かせていたから、小平太にはあまり驚きと言うものは無かった。


「何言ってんだ?」

「俺と彦治に弥介、それに小平太が家を出る」

「……家出てどうすんだ?」

「古賀ってところに行けば子供にだって仕事があんだって聞いたんだ。弟たちは三人とも凄え身体能力持ってんだ、おとうも知ってるべ。」


 竹は弟たちが自分や長男とは違い、何か特別な力があるのだと常日頃言っていた、故にこれを機会に寂れた農村から連れ出したかったのかもしれない。


「他人の言う事なんかまともに聞いてんでねえ! おめえらなんか、あっという間におっ死んじまうに違いねえんだ! このごじゃっぺが!」


 決して父親が不甲斐ない訳では無い。父親は大の働き者であったし、子煩悩でもあった、悲しい事に長引く日照りと戦がこの家や村を不幸に陥れたのだ。


「んじゃあ、この先どうやって食ってくんだよ! このままじゃ皆死んじまうじゃねえか!」

「おめえが心配する事でねえ!」


 現実を子供に突き付けられた事でカッとなってしまったのだろう。竹は頬を打たれて転がったが、流れ出た鼻血を手鼻で出し切れば、少し悲し気な表情を見せた後、気を取り直して負けん気を見せた。


「そっか、じゃあしゃあねえ、本当の事言うからな。俺たちはこんなところで野垂れ死にたくねえって言ってんだ!」

「そんならおめえ一人で出てけ!」


 今にして思えば、竹は子供とは思えぬほどに、考えがしっかりしていたと思う。十三歳でありながらも現実を直視し、どうすれば良いのか分析さえ出来たのだ。


「そうはいかねえ、三人にはこんなところで死んで欲しくねえ」

「このごじゃっぺ!」


 父親の手がもう一度上がったが、それが振り下ろされる事は無かった。父親も現状を把握しているし、家族思いな竹の本質を知っているからだ。


「彦治、弥介、小平太行くぞ」

「う、うん」

「竹!」


 母親の悲痛な呼び止めを聞きつつも、三人は家を出たのであった。持ち物など有る訳もない、着の身着のまま歩けば一町(百九メートル)ほど行ったところで母親が走り追いかけてきた。


「竹、彦治、弥介、小平太……すまねえ……本当にすまねえ」


 両親が悪い訳では無い事は小平太でも理解は出来ている。


「何言ってんだおっかあ、俺たちは食えねえで死ぬのが嫌なだけだ。勝手言って家出る事許してくれ」

「おめえが誰よりも優しいのはおとうも、おれも知ってる……家族を助けるために考えたんだべ……、……これはおとうからだ」


 そう言って渡してきたのは貴重な食料であった、しかし竹は麻の袋に入れられたそれを受け取らなかった。


「これは貴重な食料だ、勝手に家出た俺らが貰うわけにはいかねえ」

「竹、おめえ……」

「心配いらねえって、何とでもなる。それに弟たちの事も心配いらねえからな、俺が責任持って必ず守る、おとうにもそう伝えてくれ、じゃあ達者でなおっかあ」


 母親の前では気丈に振舞っていた竹だが、歩きだせば振り返りもせず、口さえ利かなかった。小平太を含め皆が泣いていたのである。これが今生の別れとなる事は誰しも分っていたのだ。


 小平太は、母親がいつまでも皆の名を呼んでいた事を今も忘れていない。


 歩き疲れと言うよりも、空腹に悩まされれば一行は無人の社の軒下で身体を休めた、間もなく日も暮れる頃合いである。


「あぁ腹減ったな」

「彦治、蛇獲るぞ」

「んだな、弥介火を起こしておけよ」

「わがった」


 空腹を凌ぎ、軒下で朝を迎えれば再び歩き始めた。やがて人の往来も増えてくれば、一行はその人々に導かれるようにさらに進んだ。しかし、どれほど歩いたのだろうか、町などは一向に見えてこないばかりか、空腹と疲労が切実である、やがて得も言えぬ不安に襲われるのは仕方も無い事であった。


「これって本当に古賀に向かってんのか?」

「方角はあってる……筈だ」

「なら、あとどれ位で着くんだ?」

「わかんね」

「あ? わかんねって……竹……」

「聞けばいいんでねえの?」

「子供だけで旅してるってばれっぺな」

「そっか」


 人さらいが横行している今の世ならば、自ら危険を招くような事はするべきではない。竹は行商の男からそうした話も聞いていたから、常に周囲には目を配り警戒していた。四人は不安と戦いながら更に歩き続ければ、やがて賑わいのある町へと辿り着いたのであった。


「やっと着いたか」

「此処が古賀か……すげえな、人がこんなに」

「おい、お前たち」

「!」


 四人の表情に緊張が走った。あろう事か見知らぬ大人に声を掛けられてしまったのだ。ぎょっとして振り返れば籠を背負った旅人と思わしき男が立っていたのである。


「此処は古賀では無いぞ、下野の佐野だ」

「さの?」

「ところでお前たち何処から来た?」

「あ、いや……その」

「筑波!」

「馬鹿! 弥助黙れ!」

「何をいまさら隠す。それ程にきょろきょろしていれば、お前たちが旅の子供だと、誰でも気づくぞ」

「え?」


 古賀へは随分と前に通り過ぎた分岐を左へと行かねばならなかったようだ。


「兄弟の様だが何故旅を?」

「仕事を探しに……」

「なるほどな、家が食うに困ったか。ならば仕事を探すのは古賀でなくても良かろう、此処で探すが良い。手伝うか?」

「い、いや、大丈夫……」


 見知らぬ人を信用する事は無い。竹は弟たちを己の背にして一歩後ずされば気を引き締めて警戒した。旅の男はそれに気づくと微笑んで見せた。


「そうか、ならば気をつけてな」

「うん、ありがとう」










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