OTHER SIDE
正直、これは非常に困った事態だ。非常事態というか、ぶっちゃけただの迷惑。とんでもなく迷惑。
己の右腕を掴んで離さない少女をちらりと見遣り、護は心中で盛大なため息を吐いた。
彼女は護が臨時講師として期間限定で働き始めた塾の生徒の一人だった。名前は美空 一瑠。ついさっき本屋で偶然会って、しっかりとした自己紹介をされれば覚えるというもの。
今の高校生というのは積極的なのかスキンシップが好きなのか知らないが、とにかく美空が人の腕をとって離さない。
いっそ突き放したいレベルなのだが、塾の生徒の一人だという手前もあってさすがに出来ない。とりあえず『暑いから離れてくれ』とか『歩き難いから、手ぇ離せ』とかいってみたけれど、『気にしない気にしなーい』といわれる。
若さ故の勢いはこうも一方的なのか。10年前の自分もここまでひどくなかったと思うんだがなあ、と思う。率直なところ、うざったい。
もう何度か分からないため息を、護はげんなりしつつ吐いた。
「ねえ、護せんせー」
「ん?」
「彼女いるのー?」
「はァ?」
思い切り顔を顰めて、人の腕にしがみついている美空を見る。なんだかやけに期待のこもった目をしているように思えるのは気のせいか。
この世代はそういうことに異常に興味を示すタイプが多い。とくに女子。まあ思春期なんてそんなもんかと思いつつ、護はえらく面倒臭そうに答えた。
「いるわけねえだろ、そんなもん」
だいたい自分はすでに結婚している。蓮華がいる身で彼女なんぞいるわけがない。中には結婚してなお、他の女性に手をだす輩もいるが、自分は間違ってもそんなことはしないし、そんな欲求もない。
そう続けようとしたのだが、『あ、やっぱり? そうだと思ったー』と美空の早い切り返しで伝えることはなかった。
「せんせー地味だもんねー! そうそう出来ないか!」
「ほっとけ」
きゃはは、と美空が笑った。対して護はため息。たぶんもう10回は優についている。
なんていうか女子高生の迫力はすごいというか。本当にもう勘弁してほしい、というのが本音だ。教師時代にもここまで生徒にべったりされたことがなく、どう扱うべきなのかもよくわからない。
そうしてふと、これが蓮華だったらなあ、と思う。彼女に対してはとことん甘いところがあると自覚しているから、きっとこんな風に迷惑だと感じることもないのに。
まあもっとも、蓮華の性格からしてこういう甘えはしてこないだろう。結婚している今だって、蓮華は常に自分を前に出すことはしない。行動はもとより、気持ち云々だってそうだ。彼女はいつだって大人しく、受け身ばかりだ。
事実二人で出かけたりして手をつなぐことは何度かあったが、いつも先に護が手を伸ばす。
美空と蓮華はあまり年齢は離れていない。なのにこの差は、本来の性質の違いなのだろうと思う。とくに蓮華に限っては、実家にいたときの影響が強過ぎてしまって余計だ。
なにかとおどおどとしてしまう気弱な蓮華だが、護はそんな彼女を嫌いでもなかった。
今、蓮華は何をしているのだろうか。そんなことを考える。時間的に午後の授業を受けているころか。たぶん一生懸命ノートを取って、講師の話を聞いているのだろう。
あまりの想像の容易さに、護の頬が緩む。じわりと広がる温かさが心地よかった。
そのまま浸っていたかったのに、ぐいっと腕を引っ張られて現実に戻ってしまった。温かな感覚は四散してしまい、護は眉を顰める。
「にや〜って顔してますよー? 何考えていたんですかぁ?」
「………別に」
「やらしーことでも考えていたんですかぁ? なんていっても右腕に女子高生ですしー」
「んなアホらしいこといってんな」
「ツンデレってやつですか!」
「どこがデレてんだよ…」
「照れることないんですよー!」
ふふとどこか満足げに笑う一瑠に、護はげんなりを超えてうんざりし始めていた。話が通じなさ過ぎる。とても付き合いきれないと護は足を速め、車を置いてある駐車場へ向かった。
さっさと塾までいってしまおうと車に乗り込めば、あろうことか美空が乗せていってくれという。
「お前は若いんだから歩いていけよ」
「えー、どうせ塾にいくんなら乗せていってくれてもいいじゃないですかぁ」
「乗せてったりして変な噂立てられたら困る」
「いいじゃないですか、彼女いないならー」
彼女はいなくとも、嫁はいる。護はそう言おうとしたが、もはや出るのはため息だけだ。もう彼女には何をいっても話が通じなさそうで、しゃべる気力もなくなる。
女子高生相手というのは本当に疲れる。と思いかけて、蓮華が高校生のときはこんな風に感じなかったなと思い出し、美空相手にするのは本当に疲れる。と無駄に修正してみた。
「とにかく、乗っけてはやらない。そんなに車が乗りたいなら親にでも迎えを頼め」
「せんせーのに乗りたいのにー」
「寝言は寝てからな」
「ひっどーい」
「そうそう、だからひどいヤツの車に乗ろうなんて思うな。ほら、車出すからもう離れてくれ」
しぶしぶながらも美空が離れ、護はクラッチを踏み、ギアを入れた。通りの道路に出て、ちらりとバックミラーに視線をやる。美空が手を振っていたが、とても振り返す気にはならなかった。




