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悲観楽土 〜高天原には、神はいない〜  作者: 光合セイ
第1章 天津餓狼編

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6話 狐者異の手

*『狐者異』は『こわい』と読みます。

 ――存在してはいけないのだから。



 安倍明美と名乗る女は、俺たちの前でそう断言した。

 陰陽庁だの神祗専門学校だの、聞きたいことは沢山あったが、俺はその峻烈(しゅんれつ)な物言いに圧倒されて言葉が出なかった。


 相対できるのは、隣の狐面だけ。決して俺ではなく、むしろ邪魔なだけだ。そう察して、一歩後退する。


「陰陽庁か……学生風情が、よく国家を名乗れた物じゃな」

「神祗専門学校の生徒は、例外なく国家公務員としての義務が発生するの。自由に生きているアンタたち、妖と違ってね。……アンタたちが、人を拐うからよ」

「括りを繋ぐな。わしは害獣か。毒を持っているのもいれば、持っていないのだっておるのじゃぞ」


 狐面の毅然とした物言いに、安倍は「そう」と一瞬納得したように頷いたが、すぐにキッと目を吊り上げる。



長野山荘(ちょうやさんそう)での登山サークル失踪事件」



「……?」

「Missing409。テムズ川の三姉妹(さんしまい)岾野峠(やまのとうげ)滑落事故(かつらくじこ)尾瀬(おぜ)狐道(こどう)亜流湖(ありゅうこ)バラバラ殺人事件(さつじんじけん)

 これらに共通するのは、一年以内に起こった未解決の失踪事件であることよ」

「ほう? それがどうした?」


 狐面が余裕そうに言うと、ギリと歯を軋ませて、しかし冷静でいることを努めるように言う。


「これら事件には、もうひとつ決定的な共通点があるの。――事件当日、すべての現場付近で“狐火(きつねび)”が確認されたっていう点がね」

「狐火……?」


 狐が放つと恐れられた、都市伝説の火のことか。

 確かリンの自然発火とやらで片付けられてた現象だったはずだ。

 その実態がどうであれ、すべての現場でとなると、かなり不自然な気もするが。


「そこで対策本部は、こう結論付けたわ。自然現象として発火する可能性を考慮しても、狐火がすべての現場で出るのは不自然。ならば妖が関わっているのは明白だろう」

「ほう……」

「狐火といえば、獣型の妖……中でも狐系は、特に。該当するのは、この時代にはただの一人を除いて、存在しない――アンタのことよ、黒環(こっかん)



「――え?」


 

 ――黒環。

 本来ならば俺が問い、その答えとして返ってくるはずだった狐面の名前。

 なのに話を遮った女が、よりにもよって名前を呼んだ。俺の勇気が無碍にされた。その事実に、腹が煮え繰り返る。


「さて何のことやら。わし以外にも化け狐はおるでな。立派な冤罪ではないか? くふふ、その得意げな顔が、どう歪むか見物じゃ――テン?」


 一歩、前に出た。俯きながら、黒環の横を通り過ぎる。


「……なによ、アンタ。部外者は下がってなさい」

「癪じゃが、そこな小娘の言うとおり。下がっておれ、テン」


 二人の間を突き進み、さらに一歩、前に出る。

 黒環さんの手を払い、心を更に奮い立たせた。


「嫌です」

「そうか嫌か……テンよ、何を考えておる?」


 もう一歩、前に出て、問いに答える。


「話の間に割って入って、貴女こそ一体なんなんですか?」

「……再度通告するわ。退きなさい、この問題はアンタが関わっていい問題ではない」

「では、再度言います。嫌です。貴女は、他の誰かから狐面の……黒環という名前を聞いたんですよね? だから黒環さんは、貴女を知らなかった」


 言って、気づいた。今の俺は冷静じゃない。


「……ええ、そうよ。でなきゃ、危険だもの。妖は――」


 本当にどうしたのだろう。最近の俺は、どうにも情緒がおかしい。ほら今も、安倍の話を遮って――



「――危険なわけ、ないじゃないですか!」



 息を呑んだ音がした。

 その音が安倍の物か、はたまた俺のかは、今の俺にはわからない。けれど言葉は立て続けに、喉の奥から流れ出る。


「黒環さんは、俺に言葉を……勇気をくれました。人や外が怖かった俺を、お天道様の下に戻してくれました。……そんな人が、危ないわけがないじゃないですか!」


 本当に、黒環さんは危険な存在なのか?

 ――そんなわけが、ない。

 弱った俺を励まし、外に連れ出してくれたこの人が、危険なわけがない。危険なら、そんなことをする必要がない。


 慣れない大声に喉が苦しみ、息を切らしながら言う。

 ケホケホ、と咳ずく俺に、安倍は呆れたような目を向ける。


「なにアンタ、洗脳でもされてるの?」

「……貴女から見たら、そうかもしれません。けど洗脳だっていい。俺は、彼女に感謝しているんです」

「……」

「俺を昼の外に出してくれた人を……恩人を、存在してはいけない、なんて言われたら……怒るのって、当たり前じゃ、ないんですか?」


 俺の言葉に、安倍は怪訝そうな目をした。

 当たり前じゃ、ないのだろうか。もう、普通がわからない。


 もし普通なのだとしたら……俺は普通が嫌いだ。


「まったく、ここまで子供を心酔させるなんて、何を考えて――危ないっ!?」


 安倍に手を引かれ、俺の身体は横に飛んだ。

 雑草が頬や服を擦り、肉体はボールのように投げ出される。


 投げられた直前、橙色の炎が見えた。

 あの炎の色を、俺は一度見たことがある。たしか、()()()()()も――


「――うぐっ!?」


 しかしその思考も、大地を弾んだ反動で消える。木の幹に激突して停止した。

 そして直後に、奈落の底から這い出てくるような声が聞こえ、俺の耳にはやけに響いた。



「――ふむん。まさかこの辺境に陰陽師が現れるとはな。お陰で予定が狂ったではないか」



 考えたくなかった。

 そう、考えたくなかっただけなんだ。


 袖引き小僧が子供を誘拐するように、子泣き爺が石に変化して人体を潰すように。

 妖怪が人にとっての害になることだってあるのに。俺は頑なに、出会ったばかりの狐面を信じていた。



 ……信じたかっただけ、なんだ。



「本性を表したわね、化け狐」

「くふふ、小童ひとりなら、街中でも調達できると思うたのじゃがなぁ。いやまさか、()()()()()()()とは思わなんだ」

「アンタを見つけた方法まで、見抜かれてるってことね……」



 俺がいた場所が、燃えている。

 間違いなく、殺す気のある火力だ。炎は木々より高く上り、人殺しを厭わない様相をむざむざと見せつけている。


「な……なんで……?」

「何故、とは妖に聞くことか? テンよ、もう少し(さか)しくなれ」

「……?」


(たの)しいからに決まっておろうが」


 カラカラ、ケタケタと。

 嘲笑う黒環を見て、また、俺の思考は凍結する。


 夕陽を背に影に沈んだ狐面が、般若のように恐ろしく見えた。


「妖は人の生気や感情を喰らい、生きる。わしもまた例外ではない。テンよ、其方の感情は美味であったぞ。ころころ味が変わってなぁ。……ほぅらまた、絶望の味がする」


 黒環はひとしきり笑った後に、ふぅ、と息を吐いて言う。


「じゃがまぁ、小童ひとり抱えて逃げるのも骨が折れる。ならば血肉を食ろうて、我が力にするは合理的じゃろ? ほれ、大人しく炎に飛び込め。わしに恩を感じておるのだろう?」

「……」


 メラメラと燃える炎に目を向ける。この中に飛び込めと? 嫌だ、死にたくない。なんで、誰かのために死ななきゃ――



「……ぉぇ」



 脳裏に過ぎる、かつての炎が噴き上がる。

 肌を焼く熱。鼻腔にまとわりつく、濁った煙の匂い。

 無数の視線。優しげな声のざわめき。


 胸の奥で心臓が暴れ出し、走馬灯のように流れる思考の中で、俺はようやく思い出す。



「橙色の、炎……?」


 数年前の衝突事故。

 当時の記憶が、ぶり返す。

 親を殺した橙色の炎。

 熱さも匂いも、同様に。


「まさか……黒環さん、」


「――さてな?」



 ククッ、と妖しく笑い、黒環は黙った。その瞬間、俺の中で、ガシャンと何かが崩れる音がした。


「それ以上はやめなさい」


 少し服の焦げた背中が、俺の眼前を塞いだ。


 安倍明美だ。

 両手にそれぞれ六枚ずつ紙切れを持ち、さながら黒環を脅すような口調で告げる。


「それ以上の愚弄は、聞くに堪えないわ。もし更に彼の感情を揺さぶり、味わおうとするのなら――人類の守護者たる、安倍氏族との全面戦争にしてもいいのよ」


 牽制するような一枚紙切れを投げると、紙切れはぼこぼこと音を立てて変容し、やがて人の形になった。


 その姿は、尻尾が蛇の巨大な亀。

 俗に玄武(げんぶ)と呼ばれる神獣の姿に酷似している怪物が、ズゥンッと地響きと共に着地した。


「ふむ、いま戦うのは少し面倒じゃな」

「ここは退きなさい。退かないのであれば、宣戦布告と受け取るわ」


「おお、怖か怖か。物騒な娘じゃのぅ。良かろう、ここは退く。じゃが、その者の住処は知っておることを忘れるなよ? ――精々、守り通すことじゃな」


 そう言って黒環は浮き上がると、俺を置き去りにするように飛び立って行った。



 ――その場に、混乱と静謐を残して。



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