5話 丘の上、空の景色
「ほれ、着いたぞ」
数分間の浮遊感が続いた後に、ようやく着地した。
狐面に背を叩かれ、閉じていた目をゆっくりと開く。
視界いっぱいに広がるのは、見渡す限りの街の景色。
見覚えのある市民館ホールや、ショッピングモール。
少し離れた場所に、森に包まれた星隠社が見える。
俺の住んでいる街だ。
安全を図る手すりもない丘の上。俺は狐面の隣で立っている。
「夜でないのが不満じゃがな。ま、昼の景色もまた良かろ」
「……こんな場所が、あったんですね」
「知らんかったろ?」
「はい……外に、出れないので」
「ふむん」と鼻を鳴らした狐面は、言い淀む俺の肩を抱き寄せた。
昨夜の俺だったら恥ずかしさで突き放しそうなものだが……なんというか、もう慣れた。
抱き寄せた肩から手を離し、今度は俺の頭をポンと撫でて言う。
「それは違う。自意識過剰じゃな」
「え?」
「きっと、この街の誰もが、この場所の事を知らんよ。空を飛べねば見つけられん。穴場すぽっと、というやつじゃ」
誰もが、という言葉に俺は疑問を抱く。
その疑問に答えるように、狐面は言葉を紡いだ。
「時が進み、技術が発達し、やる事が増えたこの時代。自分のやりたい事、為すべき事のみを求め続ける人間が増えた。己のために時間を使い、周囲を見れなくなった」
「……」
「空の青さや広さを、知識の上では知っていても、実際の大きさは体感しないからの。誰も興味がないんじゃろ」
「空を、飛べないからでは?」
「飛行機でもなんでも出来るじゃろ、ほれ、ふりぃふぉおるじゃったか? 常人だと、怖いと言ってしないじゃろ?」
それはまぁ、たしかに。何かあったら怖い、万が一にも死ぬのは嫌だ。そんなことをするなら、家でゲームや読書をしていたい。
そう思ってしまうのは、仕方ない事だろう。
「怖いんじゃよ、誰も彼も。新しい事に臨むことも、それで失敗することもな」
「そう、でしょうか……」
「そうとも。そういう輩に限って、知識の上でも知ろうとしない。知ったとて、やろうとしない。己がやりたい事を、その逃げ口にしている」
「……」
「其方はどうじゃ。ほれ、向き合うてみぃ」
……俺は……
俺は、どうだ? どう、なんだろう……?
他の人からは、どう見えてる?
道端に伏し、声をかけられた時。俺は周囲にどう映った?
「ぉぇ……」
気持ちが悪くなってきた。無数の人から向けられた同情の目。その瞳には、俺はどう映った――?
「……あいたっ」
――ぺちん、と。
俺の額を、狐面の細指が弾いた。
顔を上げると、狐面が人差し指を此方に向けている。
「あまり周りを見過ぎるな。慣れない事に挑戦してる其方は……よぅやっとるよ」
その言葉が、ズンと深く心に落ちた。
「……そう、ですね」
「説教臭くなったな。すまんのぅ」
「謝ることじゃ、ないです。ありがとうございます」
俺が言うと、狐面は「くふふ」と笑い、ぐりぐりと俺の頭を撫で回した。
頭が揺れる中で、俺は何度も咀嚼するように、狐面の言葉を噛み砕いた。
◇◆◇◆◇
「そろそろ帰るとするかの?」
「そうですね……」
丘の上から景色を眺めて、三十分ほど経っただろうか。
狐面に言われて、俺はそう答える。結局、結論は出なかったが、それでも何か得たものがある、と思った。
心は落ち着き、陽も少しずつ赤くなっているのを見ながら、俺は立ち上がる。
そういえば。失礼な話になるが、この狐面は何歳なのだろうか? かなり若々しく見えるが、その実は超常的な力を扱う妖だ。
もしかしたら、歴史の偉人とも出会ったことのあるような歳だったりして……そう思って、俺は狐面を見上げる。
「ん? どうした、テン?」
「俺、そういえば、貴女の名前を――」
カラスが鳴いた。
それも一羽だけでなく、無数の黒が、空を埋め尽くした。
耳鳴りがするほどの大音量が鼓膜を叩き、俺はつい、その声に耳を塞いだ。
狐面を案じて視線を向けると、その面は此方を向いてはおらず。仮面の奥から凄まじい殺気を放っている。
「――見つけたわよ」
向いた方向からひとり、此方に近づいてくる女がいた。
長い黒髪を夕焼けに照らし、吊り上げた瞳を此方に向けて威嚇している。その右手には紙切れが一枚、風に靡いて、左手で右腕を支えている。
「陰陽庁から緊急派遣されました、神祇専門学校の安倍明美です。歓談してるところ悪いけれど、その狐面に用があるの」
「……ほう、わし単体か」
「当然でしょ――」
女がその言葉を終えた瞬間、俺の思考は停止した。
いや恐らく、考えたくなかったのだろう。妖がいるのなら、それと対峙するものがいてもおかしくはない。
対峙するということは、つまり――
「――貴女は、存在してはならないのだから」




