第九十九話 お嬢様のお願い
「ぷぅ」
突然だが、お嬢様がお怒りである。
お屋敷に戻ったことを報告していたときのことだ。突然、お嬢様がほおを膨らませて、そっぽを向いてしまった。お嬢様は僕とヨヨさんに背を向け、口も聞いてくれない。
だが、お嬢様の魅力は、ほおを膨らませていても変わらない。ぷくぷくのほおがお嬢様の魅力を更に上げているといっても過言ではないのだ。小さな唇をとがらせているのも魅力のひとつだった。
それにしても――。
お嬢様を怒らせてしまった原因は何だろうか。
これまでの報告内容を思い返すが心当たりがない。
これでは執事失格だと言われてしまうのも時間の問題だ。
しかし今の僕は落ち着いている。
滝のように心臓がだらだらと流れ、汗がバクバクと鳴り響いている程度。
まだ慌てる僕ではない、落ち着け時間。
よし、僕はどうしようもない。
「アルクん! 動揺しないで! 挙動不審な動きもやめて!」
「お、おち、落ち、つつ、ます、ヨヨヨヨさん」
「全く落ちちゅいてにゃいにょっ!」
「にょにょさんこそ!」
二人で導火線に火が付いた丸い何かをパスし合う。互いに何を言っているのかわからない。まさに不毛ななすりつけ合いだ。
それでもお嬢様の態度は変わらなかった。
「ぷぅ」
見事なまでのお怒りモードだ。
いつもなら、「けんかはだーめなの」とか、「仲良くするの!」とか言ってくれるはずのお嬢様。だが、今は何もおっしゃられない。たまにこちらをちらちらと見て、気にはされているが相変わらず、「ぷぅ」としか口にされないのだ。
「はわわわ。悪い機嫌がお嬢様のままです」
その怒りは僕とヨヨさんに向けられているという事実だけは、間違えようがなかった。
だが、ぼぼぼ僕はまだ、れれれ冷静だ。
「もう。アルクくんもヨヨちゃんもわからない? お嬢様がすねて……怒っていらっしゃるのは、二人だけでシュリーちゃんに会ったからよ。ハーブ園の予定も伝えたんでしょ?」
助け舟を出してくれたのはイーラさんだ。
言われてみれば、シュリーに会った話をしてからお嬢様の機嫌が悪くなった気がする。
そういえば今日の朝、シュリーに会いに行くことをお嬢様に伝えていなかった。招待されたハーブ園に行く予定日を伝えるだけだったので気にしていなかったのだ。
まさか、それがお嬢様のお怒りに触れたのか。
いや、間違いない。きっとそうだ。
配慮が足りなかったのだ。
シュリーを妹と呼んで可愛がっているお嬢様のこと。きっとお嬢様自ら伝えたかったに違いない。少なくとも今日会うことを伝えていたら、手紙などを僕に託しておられたかもしれない。
――ん? 手紙……。
そ、そうだ! シュリーからお嬢様宛に手紙を預かっている。
常に冷静だった僕だが、うっかりして大事なことを忘れていた。
「お嬢様、シュリーちゃんからお手紙を預かっております」
その一言にバッと振り返ったお嬢様はうれしそうな顔をされていた。予期せぬプレゼントをもらったように驚いてもいた。うれしさと驚き。二つの感情が混ざった笑顔だ。そして早く渡してと言わんばかりに、小さな手を差し出しておられる。
手紙を受け取ったお嬢様は手紙の封を丁寧ながらもすばやく開ける。そして手紙を広げるやいなや、「わぁぁ」っと歓喜の声をあげたのだった。
歓声を聞いた僕とヨヨさんは思わず顔を見合わせた。そして同時にホッと息をつく。シュリーからの手紙によって、お嬢様のお怒りは一気に解けたようだ。
「アルクん。ヨヨちゃん。手紙を届けてくれてありがとなの!」
「ティリアちゃん、何が書いてあったの?」とヨヨさんが聞いた。
「こんなにかわいい絵なのー!」
高々と自慢げに掲げられたその紙には絵が描いてあった。
仲良く手をつないでいるお嬢様とシュリーの絵だ。おそろいの服を着て、笑顔を浮かべる二人の絵姿は本当の姉妹のようだった。二人の周りには色とりどりの花がたくさん描かれている。きっと絵の中の二人はお花畑を歩いているのだろう。花畑のところどころにキノコの絵が描かれているのはシュリーカー族らしいというべきか。
片隅に、「ティリアおねえちゃんに会える日がたのしみです」ときれいな字で書かれていた。きっとお母さんのシュナさんに書いてもらったのだろう。
「とても素敵な絵だわ」
「お嬢様もシュリーちゃんも楽しそうですね」
ヨヨさんとイーラさんもその絵を見て笑顔になった。
シュリーは一生懸命描いたに違いない。
絵からお嬢様への気持ちがひしひしと伝わってくるようだ。
「ティリアもお礼にお手紙と絵を描くのー」
「お嬢様のお手紙と絵は、僕が必ずお届けします」
「うん! きれいな貝も一緒に届けてほしいの!」
先ほどまで不機嫌だったお嬢様は、怒っていたことをすっかり忘れてしまったかのような笑顔で答えられた。きれいな貝とはリバシールの砂浜で見つけたピンク色の貝がらのことだろう。確か、ヒミカさんの分も拾っておられたはずだ。
手紙を書いてくれたシュリーには心から感謝している。お嬢様の手紙を届けるときはプリンも一緒に持っていこうと心に刻む。
いろいろあったものの、この日の夕食は楽しい時間となった。
今宵の夕食は、見つけたばかりのラディッシュとクレソンを使った生野菜とポテトのサラダ。シュリーカー族が育てたキノコのスープ。メインディッシュはカタローが捕まえたニジマスのムニエル。それに加え、侯爵様御夫妻用にミノスさんが育てたウシドンのローストビーフが出されている。
ヨヨさんにはいつものように花蜜たっぷりのパンケーキとプリンだ。毎度のことながら食事なのかデザートなのか区別がつかない。
今朝、お腹に頭突きをくらった侯爵様も食欲が戻られたようだ。
その侯爵様に庭で食材を見つけたことを報告すると、「庭に食材があったとは」とうなっておられた。
あまりに身近なところで発見された食材たちに、侯爵様御夫妻だけでなくセイバスさんもその事実に驚いたようだ。『灯台もと暗し』の言葉通り、このお屋敷の庭だけで四種類も食材が発見できた。これも庭師であるウルナさんが保護し、育ててきたおかげである。その理由が赤かったからという理不尽な理由だったのはあえて言うまい。
離乳食後期のお嬢様は、いろいろな料理を食べることができるようになられた。好き嫌いもなく食べることが大好きのようだ。
少し前は、パンがゆが多かった。魔力が増えたせいか、今では固めの食材も平気のようだ。
おかげで最近は、侯爵様方と同じ料理が並ぶことも多い。
厳密にいえば、味付けの濃さや火の通し具合は少し違う。だが、親子三人、同じ料理だ。お嬢様も気がついておられるようで、ご自分のムニエルをご両親のものと見比べておられる。そしてうれしそうな笑顔を浮かべるのだった。
食事は進み、残すはデザートだけだ。
そこにレイゴストさんがやってくる。彼の周りにはデザートのカットフルーツ盛り合わせが人数分浮かんでいた。もちろん、ただ切っただけでなく彩りを考えて美しく盛りつけられていた料理長自慢の一品だ。
今日のデザートはもう一品出すことになっている。
それはヨヨさんと約束した砂糖だけを使ったお菓子だ。
レイゴストさんも来たことだし、早速準備を始めよう。
僕は『執事食器棚』で作ったある装置を取り出すと、それを皆から見えるよう床に置く。装置の外観は僕のお腹より少し高さのある円柱形だ。円柱の上部は大きくくぼんでおり、そのくぼみの中央には金属製の筒がある。その筒の側面に小さな穴が無数にあいていた。
お嬢様はその装置を興味津々といった表情で見つめておられた。
「レイゴストさん。そろそろ始めましょうか」
「おう、やるか」
レイゴストさんに声をかけたあと、材料となるザラメを筒に入れる。このザラメはヨヨさんに提供してもらったものだ。たったこれだけで前準備は完了である。
「ほう。デザートはレイゴストとアルクが一緒に作るのか」
「はい。料理長との合作です」
侯爵様の問いに答えたあと、笑顔のレイゴストさんがお嬢様とヨヨさんに声をかけた。
「お嬢とヨヨ殿が喜んでくれるといいな」
「わあ! 楽しみなのー!」
「あら、何が始まるのかしら」
まずはザラメを入れた筒を熱する。ここで活躍するのは『執事キッチン』だ。その状態のまま、レイゴストさんの念動力で横回転するよう動かしてもらう。回転の速さはなるべく一定かつ高速でだ。
しばらくすると筒の穴から溶けたザラメが飛び出してくる。遠心力によって穴から飛び出したザラメは、冷えて細い糸状となる。それこそが今日のデザートとなるものだった。
今、作っているもの。
それは縁日や模擬店で定番の砂糖菓子、『綿菓子』である。
円柱状の装置は綿菓子機と言われるものだ。
装置の構造自体は簡単なのだが、筒を回転させるモーターが作れなかった。そこで今回はレイゴストさんにモーター役をお願いした。
はじめに糸状になったザラメを木の棒でおおまかに絡めとる。あとはあまり動かさず、指先で木の棒だけを回すのだ。こう巻き取ることで、よりふんわりときれいな形に仕上がる。糸状になったザラメの出が少なくなってきたらザラメを追加だ。その作業を繰り返し、綿菓子をどんどん大きくする。
「ふわぁ!」
真っ白な綿菓子がみるみる大きくなっていくのを見て、お嬢様から感嘆の声が放たれた。
「りょうりちょーとアルクんがお空にうかぶ雲を作ってるの!」
「ほんと~、雲みたいね~」
興奮気味なお嬢様の声が耳に入る。
その声は今にも席から飛び出してきそうな勢いだった。
だが、食事の途中で席を立つことはマナーとして褒められた行為ではない。本格的な淑女教育は始まっていないもののお嬢様なりに行儀が悪いことをわかっているのだ。
好奇心と淑女の心得。
二つの思いが互いに妥協し、協力した結果なのだろうか。
手を動かしつつ目を向けると、お嬢様は椅子から身を乗り出していた。もはや半分、降りかけている不安定な体勢だ。身体を斜めに倒し、今にもつま先が床につきそうになっている。大きくなっていく綿菓子から目を離さず、椅子からずり落ちそうになっている。その今にも落ちそうな姿勢は見ている側として非常に怖い。
お嬢様の後ろで待機しているイーラさんもどうしようか悩んでいるようだ。手を伸ばしたまま、ダンスのように前に進んだり、後ろに下がったりを繰り返している。その姿は時と場所によっては事案発生間違いなしだ。
愛娘の食いつきようを見た侯爵様と奥様もさすがに苦笑しておられた。
「ティリアちゃん。近くで見てきてもいいわよ~」
「わぁー!」
奥様の声が終わると同時に椅子から滑り降りるお嬢様。そのまままっすぐ僕のそばに駆け寄られた。正確には綿菓子機にだ。
だが、椅子の高さから見えたはずの綿菓子作りは、立っているお嬢様から全く見えないようだ。ぴょんぴょんと何度も跳ねておられる。お嬢様が見えるようお手伝いをしたいが、あいにくと今は手が離せない。
綿菓子機をもっと低く作っておくべきだったか。
このアルク、一生の不覚である。
だが、そのお嬢様が、突然、宙に浮かぶ。
もちろん本当に浮かんだわけじゃない。
お嬢様が飛び上がった瞬間、後ろから侯爵様が抱き上げたのだ。侯爵様に抱っこされたお嬢様は、砂糖の糸と塊になっていく綿菓子をじぃっと見ている。その目は宝物を見つけたかのようにキラキラと輝いていた。
……ところでヨヨさん。
僕の髪の毛を引っ張らないで下さい。
いつの間にか食卓から僕の頭の上に移動してきたヨヨさんも興奮しているようだ。綿菓子を作る真似でもしてるのか、髪の毛をつかんでぐるんぐるんと回している。そこだけカーラーを巻いたような癖がつきそうなので、ぜひやめていただきたい。
「さぁ、できましたよ」
全員分の綿菓子を作り終えた僕と料理長は、みんなの前に綿菓子を並べる。
お嬢様は小さな指でふわふわの綿菓子をつつきながら、その感触を楽しんでおられる。しばらく柔らかさを堪能されたお嬢様は、棒を手に持ち、綿菓子に口をつけた。
「ふぁ~!」
「ふぁば!」
前者の可愛い驚きがお嬢様。
何かに踏まれたような声を出したのはヨヨさんだ。
「すごいの! お空の雲はとても甘くて溶けちゃうの!」
本来、空に浮かぶ雲は砂糖ではなく水蒸気の塊だ。
誤った認識ではあるが、夢あふれる嬢様の声を僕は訂正できなかった。いつの日か、雲を綿菓子に変える執事魔法を創りだせばいい話だ。
「ヨヨさん、いかがですか? 『綿菓子』のお味は?」
綿菓子の中へ顔をうずめているヨヨさんに感想を聞く。砂糖だけを使ったお菓子なので、純粋に砂糖の甘さを楽しむことができたはずだ。綿菓子から顔を上げたヨヨさん顔がそれを物語っている。彼女の顔はほかの妖精族には見せられないほど溶けきっていた。
「想像以上よ。綿菓子……すごいわ」
すごいのは顔中ベタベタにしているヨヨさんである。溶けていたのは顔ではなく綿菓子だ。だが、僕は見て見ぬ振りをした。彼女の顔が飴で固まるまで黙っておくつもりだ。悪意はない。リアル妖精の飴細工が見られるかもというただの好奇心だ。
「ここ最近、アルクんのおかげで妖精族の食生活が激的に変わったわ」
「そうなんですか?」
ベタベタの顔を拭きながらヨヨさんが言った。
だが食生活もなにも、基本、砂糖と花蜜しか口にしない妖精族の食事に変化があるとは思えない。
「砂糖を加工することによって、飴やコンペイトウ、さらに綿菓子まで! しかもパンケーキやプリンを始めとするデザートの数々。これはもう革命よ! アルクんなしでは、妖精の食は語れないわ」
妖精のいう食とは一体なんだろうか。
話の腰を折るようで申し訳ないが、姿、形が変わろうと砂糖は砂糖だ。妖精が食べるものの多くはお菓子に分類される。そもそも砂糖も花蜜も調味料なのだ。妖精を基準に考えると、食の概念がどんどん崩れていく。うん、確かに語れない。
「よ、喜んでもらえてなによりです?」
「……なんで疑問形なのよ。まあ、いいわ。今、妖精界ではパンケーキの一件から、甘くて美味しいお菓子が作れるか研究中なの! 全部アルクんのおかげよ!」
「手放しでお褒めいただき光栄です」
「いつかアルクんをうならせるお菓子を作ってみせるわ。デザート以外にも前菜やスープも研究中よ。砂糖の花蜜スープとかどうかしら? 」
「あ、はい。機会があれば」
砂糖の花蜜スープ……本当に作っちゃったのか。というか、前菜もスープも全部、砂糖と花蜜だったりしないでしょうね。いや、砂糖と花蜜でしょうね! 砂糖と花蜜ですね!
うん。想像しただけで胸焼けと虫歯になりそうだ。
(妖精界でお菓子の研究ねぇ)
コンペイトウなどの商品化を目指しているとは聞いていたが、妖精もいろいろ試しているんだと感心する。こと砂糖にかけては妖精族の右に出るものはいない。いつか本当に驚くべきお菓子を紹介してくれるだろう。つまみ食いさえなければその開発速度も早いはずだ。
(魔族も甘味だけでいいからわかるようになれば、お菓子文化が発展するんだけどなぁ)
「綿菓子、ふわっふわっなの!」
お嬢様はずいぶんと綿菓子が気に入られたようだ。
「ほんと、この綿菓子はふわふわね~」
「確かにな。それにあっという間に溶けてしまう」
「溶ける感覚もいいわね~」
「砂糖というのは調理方法によってこうまで形が変わるものか。不思議なものだな」
侯爵様御夫妻の評価もなかなかのようだ。
だが、残念ながらお二人は味のことはわからない。
デザートの途中、そのお二人に声をかける。
「侯爵様、奥様。実は試していただきたいことがございます」
お二人の前に用意したのは、シュリーカー族の新しい村で発見したステビアの苗だ。
「以前、侯爵様は毒を口にされたとき、ピリピリした感覚があったとおっしゃられていました」
「ふむ。確かに言ったな」
「そのことから味覚が全くないとは思えないのです。本日、発見したステビアという植物は砂糖の二百倍から三百倍の甘さを持っています。砂糖では無理でもステビアの甘さなら感じることができるのではと思い、ご用意しました」
そう言ってから僕は一枚の葉を取り、口に含んだ。
毒に弱い僕が食べることで毒物ではない証明にもなる。
ヨヨさんも率先して口に入れている。彼女も毒でないことを証明してくれた……わけじゃなさそうだ。
口に入れている。
口に入れている。
口に入れ続けている。
「ヨヨさん! 一枚だけで十分です! 欲しかったらあとで鉢に植えて用意しますから!」
油断も隙もあったものではない。ヨヨさんは未練がましく僕をにらむ。ステビアを口いっぱいにほおばりながらだ。妖精と書いて、ハムスターと呼ぶにふさわしい姿だった。
ヨヨさん、さっきご飯食べたでしょ! と言いたくもなる。
「アルクくん。このステビアなら魔族でも味がわかるかもしれないと?」
セイバスさんの問いに僕はうなずき、答える。
「正直、試してみないとなんとも言えません。ですが可能性としてはあるかと」
「ふむ。ならばまずは私が試してみましょう」
セイバスさんは葉を一枚千切り口の中に入れる。しばらく口を動かしていたが、その顔に変化はない。
「特に何かを感じることはありませんね」
ダメかぁ。
何百倍もの甘さを持つステビアなら、味を感じることができると思っていたがどうやら見込みが甘かったようだ。……ステビアだけに。
「せっかくだ。私も試してみよう」
「私も~」
そうおっしゃった侯爵様と奥様は、ステビアの葉を千切ったあと口に含んだ。お嬢様はそんなお二人の様子をじっと見ている。
「んん?」
「あら?」
お二人はびっくりされたような声を同時に発せられた。
侯爵様は眉をひそめ、慌てた様子で水を口に含む。
反面、奥様は首を傾げておられるが、不快な様子ではない。
こ、これはもしかすると――。
「な、なんだ? これは?」
「ん~、なにかしら~。口の中に広がった花の香り? でも香りとは少し違うわね。何かが口の中で広がった感覚があるわ~」
驚く侯爵様とじっくりと吟味している奥様の反応は対照的だ。侯爵様は慣れぬその感覚が不快なのか、水をおかわりされている。奥様はじっくりとその感覚を口の中で確かめているようだ。
「ティリアもー」と笑顔でステビアに手を延ばすお嬢様。
「味がわかるお嬢様はお食べにならなくて……も――すぐご用意いたします」
言葉の途中まで、お嬢様は笑顔だった。
だが、お嬢様のほおがぷうっと膨らみ始めたのを見た僕は発言を修正。すぐにステビアの葉をお嬢様の手に乗せる。お嬢様はにっこりとした笑顔で受け取ると、ステビアを口に入れて数回かむと――しかめっ面をしてすぐに吐き出した。
(ですよねぇ)
お嬢様は侯爵様のように眉をひそめ、コクコクと水を飲んでいる。それもかなりの勢いだ。コップを置かれたお嬢様は、僕の顔を見ながら首を振った。
「甘いの! すごく甘くて甘いの! 甘いのがいっぱいはだーめなの!」
「ティリアちゃんもシュリーちゃんと同じでステビアの甘さはダメなのねぇ」
残念そうに言うヨヨさんだが、好みというものがある。
味がわかるお嬢様にはステビアの甘味はきつかったようだ。
「そうか――これが甘味というものか」
「ティリアちゃんが、ぽわぽわって言っていたのも今ならすごくわかるわね~」
「なに! ぽわぽわが甘味だと!?」
侯爵様もようやくぽわぽわを理解できたようだ。
味の感想としか教えてもらっていなかった侯爵様は、ようやくその意味を自ら体験することができた。あまりお好きな様子ではなかったようだが。
「――これが味覚」
侯爵様は脱力気味につぶやいた。
初めて味わうだろう感覚に困惑されているのだろう。
その感覚は鮮烈だったに違いない。
「はい。間違いなく味覚のひとつ、『甘味』です」
「あら? 先ほどまで感じなかった綿菓子からも同じような甘味?――を感じるわ」
「「え?」」
奥様の声に驚いたのは僕とヨヨさんだ。
まさかステビアの葉を一枚食べただけで味覚を感じることができたというのか!? だが、そんなことで味覚が戻るとか信じられない。
砂糖より甘味の強いステビアなら、少しくらい味を感じられるだろう。そう思って試してもらった。それがまさか綿菓子の甘味も感じることができるようになるとは思ってもみなかったのだ。
「確かにステビアよりも優しい感じがするな。なるほど、確かにぽわぽわだ。これくらいの甘味なら大丈夫だ」
奥様に続き、侯爵様までもが綿菓子から甘味を感じ取られているようだ。しかもステビアと綿菓子が持つ甘味の差まで理解されていらっしゃる。
(ど、ど、どういうことだ!?)
突然の出来事に僕の心は波に浮かぶ船のように揺れていた。それはもう打ち寄せる波どころの揺れではない。
嵐だ! 台風だ! 堤防を守れ! 的な状態である。「ちょっと、心臓見てくるわ」と脳が語りかけてくるが、「まて! それはフラグだ」と脳の判断を必死に押しとどめる。
(こんなにあっさりと治るものなのか? 葉っぱ一枚食べただけだ。たったそれだけで治ってしまうのか? でも結果的に治ればいいか。しかしなぜ治ったんだ? いやいや。治ればいいんだ。いいに決まってる。でも、本当にいいのか? 偶然で終わらせていいのか)
自分でも何を言ってるのかわからない。
退化した味覚、生まれながらの味オンチと言われた魔族のお二人が葉一枚で突然、甘味を理解されたのだ。
だが焦る僕をよそに、お嬢様はお二人の様子を見て、とてもとてもうれしそうだった。その笑顔は、長雨が止み、雲間から太陽がのぞいたかのように晴れやかだ。
「父さまも母さまもティリアと一緒にぽわぽわなの! わーい!」
笑顔のお嬢様は椅子から飛び降り、奥様へと抱きついた。それはもう鳥が羽ばたくほどの勢いだ。
そのお嬢様を奥様は優しく抱きとめる。
そのお嬢様の姿を見て僕は思う。
このお屋敷の中で味がわかるのはお嬢様と僕の二人だけだ。
ヒミカさんとシュリーも味を理解できるが常にそばにいるわけではない。本当の意味で、「美味しいのー」というお嬢様のお気持ちをそばでわかってあげられるのは僕だけだった。
だが、僕は執事(見習い)だ。
ただの使用人にすぎない。
決して同じテーブルにつくことはないのだ。もちろん一緒に食事をしながら料理の感想を言い合うこともない。
共有できない味覚。理解してもらえない思い。
きっと寂しかったのだろう。
だからこそお嬢様は本当にうれしかったのだ。
侯爵様と奥様のお二人が自分と同じ感想を抱かれたことに。
家族一緒に食事をして、料理の感想を言い合えることに。
そして自分が感じている感覚を両親が理解できそうなことに。
本当の意味で家族一緒に食事ができるようになったことに。
だが、次に発せられたお嬢様の一言に、この場にいる使用人全員が驚くことになる。
「これからはみんなもぽわぽわするの! みんな、みんな、みーんなでぽわぽわするの!」
奥様に顔を埋めていたお嬢様は顔を上げ、この場にいる僕たち使用人全員の顔を見ながらはっきりとおっしゃった。お嬢様の『みんな』には、ご両親だけでなく我々使用人も入っていたのだ。そして全員でぽわぽわしようとおっしゃった。
今はまだ味覚が理解できない使用人たちを見て、そうおっしゃったのだ。使用人である以上、一緒に食事をすることはできない。お嬢様もそれはわかっておられる。
だが、お嬢様はご両親同様、僕たちにも味を理解し、気持ちを共有し合えることを望んでおられるのだ。
この瞬間、僕の中ですべてが変わった。
お嬢様のためにと白の賢者様から提案された、『お嬢様の食材探し』と『魔族へ美味しい料理文化を広める』という話は、お嬢様本人からの望みへと変わったのだ。
お嬢様のお言葉は、我々、全使用人に対する正式な指示であり、命令である。そのご下命は、生まれたときから味覚オンチである魔族の根底をひっくり返すお願いだ。それが困難であろうと、生まれ持ったものだろうと関係ない。
ここにいる使用人たちの気持ちは僕と同じはずだ。
お嬢様のため、「使用人たるもの、味オンチくらい克服できなくてどうするのですか?」だ。
――夕食後
夕食も終わり、お嬢様を部屋にお送りしたあと、僕とヨヨさんは侯爵様の執務室に呼ばれた。ヨヨさんが同席しているのは、甘味大好き妖精族の意見を聞くためだ。そのことからも僕たちが侯爵様に呼ばれた理由は明白である。
「さて、突然、甘味を感じることができるようになったわけだが……」
執務室に集まったのは、侯爵様御夫妻をはじめ、セイバス執事長、レイゴスト料理長、それに僕とヨヨさんの六名だ。
「確実とは言えませんが、ステビアがきっかけとなった可能性は高いでしょうね。実際、旦那様と奥様のほか、食堂にいたイーラとラミ、それにメイド数名が『甘味』というものを感じ取れたようです。特にイーラはほかの者よりはっきりと味を理解しているようですね」とセイバスさんが結果を報告する。
お嬢様の、「みんなでぽわぽわするの!」というお願いに、侯爵様からも正式に命令が出された。すでに使用人全員にステビアを食べるよう通達されている。
愛娘の願いをかなえようとする侯爵様と奥様のお気持ちは非常に強い。是が非でも味覚を理解しようという意欲が伝わってくる。もちろん我々使用人たちも同じ気持ちだ。
夕食のあと、まずはその場にいた使用人たちがステビアを試してみた。そのときステビアの甘味を理解できたのは、イーラさんとラミさん、それにメイドの数名だけだったのだ。ほかのメイドや、二度目の挑戦となったセイバスさんは反応がなかった。幽霊族のレイゴストさんはそもそもステビアを食べることができない。また、屋敷に戻ってきたサイロス隊長とプレスコットさんも、残念ながら甘味を感じることはなかった。
結果からもわかることだが全員が全員、味を理解できるようになったわけではない。今のところ、甘味がわかる者とわからない者が出た理由は不明だった。今日、試せなかったほかの使用人たちの結果が出るのは明日以降になるだろう。
それにもうひとつ、問題があった。
それは――。
「アルクから聞いた味覚……苦味、酸味、塩味、うま味だったか?」
「はい」
「それらを全く感じないのはなぜだろうな」
不思議なことに甘味以外の味覚は全く戻っていなかった。
確認のため侯爵と奥様に塩をなめてもらったのだが反応がなかったのだ。
同じように『甘味』を感じ取れたイーラさんやラミさんらにも試してもらった。だが、結果は変わらず。かろうじてイーラさんが前と同じ反応をしたくらいだ。ラミさんとほかのメイドたちは、「んー?」と微妙な反応をしていた。
塩以外にもいろいろ試してみたが結果は同じである。
「ステビアは薬と同じようなものかもしれません」
「その可能性もあるか」
薬ではないかというセイバスさんに、侯爵様がうなずいた。
なるほど、薬か。
確かに魔王国にも薬草は存在しているし、漢方薬のような薬が存在している。
「まあ、我々は味覚というものを正確には理解できていない。正直、甘味以外の味覚を本当に感じていないのかどうかもわからん。本当は感じているのに、理解してないから感じていないと思っているだけかもしれない」
やや投げやりな口調で話し、ため息交じりに椅子の背もたれへと身体を預ける侯爵様。だが、確かにおっしゃるとおりだった。どれが甘味で苦味なのか感じなければ判断できないし、味を知らないままでは理解できない。知らないということは、味の評価もできないのだ。
以前、お嬢様に塩をなめてもらったことがある。そのとき、「しょっぱい」や「塩辛い」という言葉をご説明したように、ある程度、皆に助言する必要があるだろう。それでも味覚そのものは本人にしかわからないし、本人が感じなければ説明しようがない。
今回、皆が甘味を理解できたのはお嬢様のおかげだ。
お嬢様のおっしゃる『ぽわぽわ』が甘さの理解をスムーズにした。それに加え、お嬢様が育てている花のおかげもあった。甘い香りのする花を参考にしたことが甘味の理解を深めたようだ。
だが、甘味を感じるのも長くは続かなかった。
先ほどヨヨさんから角砂糖をもらって甘味を確かめていた奥様が眉を寄せながらこうおっしゃられたのだ。
「あら? なんだか甘味の感じ方が鈍くなっている気がするわ~」
「なんだと? エリス、本当か!?」
困惑されている奥様に侯爵様が声をかける。
奥様の話では、甘味の感じ方が時間とともに鈍くなっているらしい。それも甘味に慣れたという単純な話ではなさそうだ。
侯爵様も自らお試しになられた。その結果、間違いなく甘味の感じ方が鈍くなっているそうだ。その後しばらくして、甘味を感じなくなったと侯爵様は天を仰がれた。
「甘味が理解できるようになったのは一時的だったか」
「はあ、残念ながらそうみたい~」
侯爵様と奥様はがっくりと肩を落とす。
ようやくお嬢様と甘味の共有ができたというのになんということだろうか。お二人の気持ちを考えると、なんともできない自分がもどかしい。
「ティリアちゃん、私たちのことを嫌いにならないかしら」
「いや、ティリアは君に似て優しい子だ。大丈夫さ」
「でも~、きっとがっかりするわ~」
「……そうだな。喜んでいたからなぁ」
「ごほん。旦那様、奥様。心配される前にもう一度、ステビアを試してみてはいかがでしょうか?」
そうアドバイスしたのはセイバスさんだった。
侯爵様と奥様は顔を上げ、互いの顔を見合わせた。
試した結果。
「うん。甘いな」
「ぽわぽわねぇ~」
角砂糖を口に入れた侯爵様と奥様が、角砂糖の甘さを評価している。そのお二人を見ているヨヨさんも角砂糖をかじりながら首をひねっていた。
結果は大成功。
セイバスさんのアドバイスによって、お二人はまた甘味を感じ取ることができるようになった。これで間違いなくステビアが甘味を理解するきっかけになったことが証明された。
ヨヨさんが角砂糖を食べているのはただのつまみ食いである。
「完全に甘味を理解できるようになったわけではないが、デザートを食べる前にステビアを食べれば、ティリアとぽわぽわを楽しめそうだな」
「今はそれだけでも十分よ」
侯爵様と奥様の体験からいくつかわかったことがある。
ステビアの葉は甘味という味覚を呼び覚ます効果があった。甘さを感じなくなったら、またステビアの葉を食べればいい。ステビアの葉一枚の効果は二時間ほど続くこともわかった。
ただし、味覚オンチを治療できたわけではない。
それにしてもステビアにこんな力があったとは、効果を目の前にしても信じられなかった。白の賢者様にもらった前世の知識の中にはない事実である。
そもそもステビアだけで甘味を理解できるようになること自体、あり得ない話なのだ。
セイバスさんはステビアが薬だとおっしゃっていたが、果たしてステビアの葉にそのような効果はあるのだろうか。
(ん? ステビアだけで?)
「あっ。もしかしたら――」
「どうしたアルク。何かわかったのか?」
「いえ、何の確信もないのですが……」
「アルクくん。まずは話してみてください。何か解決策が見つかるかもしれません」とセイバスさん。
僕はセイバスさんに従い、自分の考えを皆に話す。
「ステビアは砂糖の数百倍の甘さがありました。そのステビアが『きっかけ』で甘味を感じ取れるようになったこともわかりました。ということは、ほかの味覚もステビアと同じように何倍も、いえ、何百倍もの『刺激を持つ食材』を食べることで、味を理解できるようになるのでは? と思いまして」
「普通とは違う食材、ということか?」
「はい。例えば、もだえるほど苦味のある食材、尋常ではない酸味のある食材、のたうち回るような塩味の食材、そしてこの世のものとは思えないほどのうま味が豊富な食材、などでしょうか」
「……それは食べても本当に大丈夫なのか? どう考えても身体に良くなさそうな言い方だぞ」と侯爵様。
「あくまで言葉としての表現でございます。あるかどうかもわかりませんし」
「アルクよぅ。例えばだが、そのもだえるほど苦味のある食材には何がある?」
レイゴストさんに聞かれたが、すぐに食材の名前が出てこない。仮に名前が出てきても魔王国にあるかどうかもわからない。
焦った僕の口から出てきた答えは――。
「え? えーと……焦げて芯まで真っ黒になったパンとか」
「よし焼いてくる」
「やめてくれ! 絶対に食べんぞ! 味がわからなくても焦げ臭いのはわかる!」
「旦那、試してみなくちゃわかりませんぜ?」
んー、さすがに焦げたパンはどうなんだろう。
考えてみれば芯まで真っ黒のパンとは炭に近い。
いや、むしろ炭だ。
だが、各味覚を感じられそうな食材は、今まで手に入れた食材の中にはない。言い出しっぺの自分がいうのもなんだが、どんな食材が効果あるのか見当もつかないのだ。やはり焦げたパンを試してもらうしかないか。
「こら、アルク。お前までそんな目で見るな」
「そうですよ、アルクくん。侯爵様ならきっと食べてくださるでしょう」
「……セイバス。お前も味覚を理解すべきだな。侯爵家に仕える執事として」
「レイゴスト。やめておきなさい。焦げたパンなどで味覚を理解できるようになるとは思えませんよ」
おお。さすがはセイバスさんだ。
いつ返したのかわからないほど鋭い返しである。
手のひら返しは執事技のひとつだ。
いつか僕も自然に使えるようになりたい。
それはともかく、味覚を感じられそうな食材か。
もだえるほど苦味のある食材。
尋常ではない酸味のある食材。
のたうち回るような塩味の食材。
この世のものとは思えないほどのうま味が豊富な食材
うーん。考えても思いつかない。
そもそも、そんな恐ろしい刺激物あるわけ――
――あっ!
……あった。
いや、待て。
侯爵様らに報告するのは本当に存在するかどうか確かめてからだ。
今、話すと警戒気味の侯爵様から止められる可能性が高い。
侯爵様に食べてもらう前に、まずはゴブさんあたりで効果を確かめるべきだろう。そもそもアレは味覚とは全く関係のない刺激物だ。効果があるかどうかもわからない。それに彼とはズッ友だ。お願いすれば聞いてくれる……はず。拒否された場合は――死刑執行人の指輪ってカイザー本人にも有効だったかな?
まずはその食材を知ってる本人と直接会って確認しなくてはならない。会うなら早いほうがいいはずだ。幸いにも明日会う予定だったのでちょうどいい。
だが、手に入ったとしても味オンチを完治できるかどうかはわからない。ステビアみたいに一時的な効果しか得られない可能性もある。しかし、一時的とはいえ味覚を感じることができるならその可能性を捨て去ることはできない。これはお嬢様、ひいては侯爵家のためだ。
そんなことを考えていると、誰かが僕の袖を引っ張っていることに気付く。ふと目をやるとそこにいたのはヨヨさんだ。
「ねえ、アルクん。本当にステビアで治るのかしら?」
「ん? といいますと?」
「一定の効果があったのはわかる。でも執事長が言ってたじゃない。ステビアが薬と同じかもって」
「ええ、確かに」
「薬なら症状に合わせた種類や量が必要でしょ? ステビアで甘味を感じるようになったり、ならなかったりと個々に差があったのは、食材の種類や量が原因の可能性もあるんじゃないかしら?」
「ステビア以外の食材ですか? ステビアなら量の確保は可能ですが……」
「あくまで可能性よ。でももっと効果的なものがあるんじゃないかなって」
ヨヨさんの言い方は何かを知っているかのような口調だった。
それが味オンチを治療できるものなら手に入れたい。例え、理解できるようになるのが甘味だけだとしても十分だ。もちろんすべての魔族が味覚を理解したいと思っているかはわからない。中には味オンチのままがいいという種族もいるだろう。
しかし、侯爵様御夫妻やこのお屋敷に仕える使用人たちは違う。
全員がお嬢様とぽわぽわしたいのだ。ぽわぽわのために味覚を理解したいに決まってる。イーラさん、ラミさん、プレスコットさん、ウルナさんは特にそうだ。彼女らはお嬢様大好き四天王なのだ。
ここにいる全員がヨヨさん一人を見ていた。
注目を浴びたヨヨさんは、その重厚から逃れるように僕の後ろへと隠れる。
「もし何か心当たりがあるなら教えてください」
「そ、そんなに期待されても困るんだけどっ?」
ヨヨさんは僕の肩から遠慮がちに顔を出す。
そしてゆっくりと話し始めた。
「食材じゃなくて薬そのものなんだけどね。妖精界には生命の樹という樹があるの。その木の実から抽出した液体を乾燥させて作る『妖精の奇跡』という粉薬があるのよ。女王様が祝福をかけて作るんだけど、味だけで言えばものすごく甘いわ。激甘なの」
妖精のヨヨさんですら激甘という『妖精の奇跡』。
それが侯爵様たちの味覚を治す鍵となるかもしれない。
「でも食材ではないの。だから魔族にどんな影響を及ぼすのかわからないわ。そもそも体力が落ちたときや身体が弱ったときに飲むものだし。『妖精の奇跡』が持つ甘さが苦手な仲間も多いのよね」
ヨヨさんは身体を震わせながら言った。
その態度から彼女は飲んだことがあるようだ。
身体が震えるほど甘いものらしい。
体力が落ちたときに飲むということは、リポやユン的な栄養剤みたいなものなのだろうか。
それよりも激甘至上主義の妖精が甘すぎて苦手と言ってる。
天変地異の前触れだろうか。
考えてもらいたい。
砂糖の数百倍の甘さを持つステビアをすばらしいと言って、口いっぱいにほお張る妖精が激甘だからと飲むのを拒否する薬。それが『妖精の奇跡』だ。
本当に奇跡のような薬だった。妖精が手を出さない的な意味で。
「しかし、女王様が関わっているのなら、おいそれと手に入るものではないのでは?」
侯爵様のおっしゃるとおりだ。
たまたまヨヨさんが女王様に近い役職にあるからこそ、この薬の存在を知ることができた。本来であれば知る機会はない。それに妖精の女王が祝福を与えて作るとなると希少性も高いはずだ。まさしく妖精族の秘薬と呼べる代物に違いない。
「ねえ、ちょーだい」、「いーいーよー」というわけにはいかないだろう。
「確かに作るのは時間がかかるわね」
ヨヨさんも言われて気づいたのか、侯爵様の言葉を肯定する。
だがお嬢様のためにも侯爵様と奥様には是が非でも味覚オンチを治していただきたい。なんとか手に入れる方法はないだろうか。
「ヨヨさん」
「何かしら?」
僕は肩にしがみついているヨヨさんに話しかける。
「魔族が甘味を知ることになったら砂糖と花蜜の売り上げは倍増どころではありませんよ。突然、味覚を知ることになった魔族の反応は最初こそ驚きと戸惑いに包まれることでしょう。ですが次に来るのは、今まで知ることのなかった味に対する反動です。唯一、知ることになった甘味への欲求と情熱の波は、それはもう大変なことになるでしょう。魔王国中に甘味の大流行がやってきます。そしてその欲求を満たすべく、一気にお菓子文化が広まるのは間違いなし。魔王国中、どこに行っても新作のお菓子が店頭に並ぶのです。しかも妖精には思いつかなかったようなお菓子たちもです。では、お菓子の材料はどこから手に入れるのでしょうか。砂糖と花蜜を売ってるのは誰でしょうか。――そう、ヨヨさんたち妖精族からしか手に入りません! 蜜のように滴る金貨たち。砂糖のようにこぼれ落ちる金貨の山が約束されているのです」
「……ごくり」
ヨヨさんが喉を鳴らす。
僕は一気に語りかける。
「それだけではありません。魔王国にはお菓子のうわさを聞きつけた多くの種族がやってくるでしょう。中には妖精とは縁遠い種族たちもいるはずです。そういった種族が大勢、魔王国にやって来る。当然、魔王国で評判のお菓子を食べるためにです。しかし、食べに来るだけでしょうか? いいえ、違います。もしかしたら、いえ、確実に故郷へのお土産としてお菓子を買って帰るはず。もちろん妖精族が研究を重ねているお菓子も土産物として並べれば確実に人気の品となるでしょう。そしてそれぞれの故郷に妖精族の砂糖や花蜜を使ったお菓子が広まるのです」
僕はここで一息区切る。
「さあ、妖精族の皆さんはどうされますか? 砂糖を求め殺到する民衆、花蜜を探しさまようお菓子の巡礼者がやってきます。ひとかけらの砂糖を渇望し、ひとさじの花蜜に恋い焦がれる甘味の信者たちが、妖精族を、妖精族が作ったお菓子や砂糖や花蜜を待っているのです。妖精族の異界商人兼貿易担当者として、これを見過ごすことはできませんよね。ええ、わかってます。わかってますとも。爆発的な売り上げに笑いが止まらなくなる未来が僕には見えます。でも魔族は味が理解できない。ですが、『妖精の奇跡』さえあれば今の話が現実のものとなるかもしれません」
さあ、どうする。
「――ふっふっふ」
背後から笑い声が聞こえてくる。
声の主はもちろんヨヨさんだ。
その笑い声は決して欲にかられた笑いではない。笑いの影から金貨がチャリンチャリンと鳴るような音が聞こえてくるが気のせいだ。
「乗ってあげるわ! 『妖精の奇跡』を用意してみせる」
「おお! ありがとうございます」
「命と砂糖の製法とプライド以外なら、常識の範囲内でなんでも売るわよ」
「価格も常識の範囲でお願いします」
「でも治るかどうかの保証はないけどいいの?」
不安げな様子のヨヨさんだが、効果があるかないかは試してみないとわからないので問題ない。
「保証はなくても大丈夫です。でも、『妖精の奇跡』ともなるとお高いんでしょ?」
「さほど手に入りにくい素材じゃないし、女王様に頑張ってもらいましょう。アルクんがちょいちょいっと書いたお菓子のレシピ本、『魔族もビックリ! 編』でも用意すれば確実ね」
やっすいなぁ、『妖精の奇跡』。
僕の説得口上はなんだったのだろうか。
「本当にレシピなんかで女王様にお願いできるのでしょうか」
「え? いいわよ。――って言うと思うわ、うん」
「女王様、軽っ!!」
「お互いウィンウィンよ」
いいのでしょうか。女王様。
あなたの部下は、敬意という言葉を知らないようです。
お菓子があれば喜ぶと思ってますよ?
「あっ、でも魔族全員の分はさすがに無理よ? 侯爵様や奥様、あとは使用人の皆くらいの分なら早めに用意できると思うけど」
「ええ。最初はそれだけあれば十分ですよ」
「じゃあ、早速女王様に伝えてくるわね。今日はこれで失礼するわ。侯爵様、奥様、皆さんもごきげんよう。あっ、アルクん。薬を作るのに女王様のお手伝いをするから、しばらくこっちに来れなくなるわ。でもリアルルのハーブ園にはついていくから、ティリアちゃんにはよろしく伝えておいて。あと、お店の改装の件は私からニーナに伝えておくわ。じゃあねー」
言うが早いかヨヨさんは、その場でくるりと宙返り。妖精界に通じる門を開く。そして彼女は、軽く手を振ってから中に飛び込み帰っていった。
「なんというか……ずいぶんと慌ただしかったな。しかし、本当に大丈夫なのだろうか」
「試してみないとわかりませんな」
「妖精すら拒む激甘の薬を、か?」
「……まあ、誰かで試してからですな」
難色を示す侯爵様に対し、セイバスさんが誰で試すつもりかはわからない。
でも、なぜか頭の中にゴブさんの顔が浮かんできた。不思議なことに、ここにいる誰もがそう思ったに違いない。ゴブリンカイザーとはなんとも不思議な種族である。
ヨヨさんが帰ったあと、これにて今日は解散となった。
明日からは食材だけでなく味覚オンチを治すための方法も探さなくてはならない。
甘味に関しては味を感じることができた。きっかけは普通の砂糖よりも甘いステビアだ。ほかの味覚も、強い刺激を持つ食材があれば感じられるかもしれない。治る可能性だってある。
ほかの味覚とは、苦味、酸味、塩味、うま味だ。
ただ、それらしい食材を見つけても味を感じるようになったり、味オンチの特効薬になったりする保証はない。すべては手探りだ。
まずは『妖精の奇跡』とやらを試してみよう。結果として甘味が理解できたなら、ほかの味覚も特別な食材や薬で治るかもしれない。
これもすべてはお嬢様のためだ。
お嬢様が皆とぽわぽわできる日が来るまで、僕の旅は続くだろう。




