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第八十九話 侯爵領へ

 地下室から屋敷に戻った僕たちは、ベルゼブブを交えてアルティコ伯爵らに事の顛末を話した。


 ベルゼブブの証言により、シュリーカー族の畑を襲い、ヒミカさんを狙っていたのは人族だったと判明。また間接的ではあるがベルゼブブ本人が関与していたことも隠すことなく報告する。

 その際、大神官様が怒りに任せて暴れるのではないかと思っていたが、それは杞憂だった。ここにいるベルゼブブは本体の分身体にすぎない。この分身体を消滅させたところで意味はないのだ。ここにいるベルゼブブがただの分身体であることを看破した大神官様は、「あとで時間があいたら本体を喚び出して焼却するし」とにっこりと笑っていた。暴れる気満々だ。

 それに慌てたのがベルゼブブ。


「え? フェ、フェニちゃん。知り合いだったなんて知らなかったんだから許してよっ。ね?」


 あっさりと上級悪魔であるベルゼブブを片手間で召喚しようとする大神官様。だが大神官様をちゃん付けで呼ぶベルゼブブも大概である。


「じゃあ、貸しにしとくし」

「フェニちゃんへの貸しって、もはや断罪決定じゃ……」


 さて名前を呼んだことでもわかるようにこの二人、昔からの知り合いだった。

 知り合いといっても昔、大神官様が修行と称して呼び出し、一方的にフルボッコしただけの関係だ。上級悪魔ならそこそこ戦えるかなと呼び出した大神官様だったが、悪魔にも弱点がある。それは神聖魔法だ。そして大神官様は精霊といえどその役職のとおり、神聖魔法の使い手でもあった。「上級悪魔のくせに一発ワンパンだったし。がっかりしたし」と大神官様は笑っていた。まさかの物理攻撃。神聖魔法を使うまでもなかったようだ。

 そのときのことを思い出したベルゼブブが震えながら青い顔をしていたのは、何かしらトラウマでも植え付けられたに違いない。そもそも魔力の塊であるベルゼブブ相手にワンパンとは何をどうしたらできるのだろうか。


 対魔王様連勝記録を更新し続ける大神官様には、例え上級悪魔でもかなわないことがわかった。大神官様が泳げるようになったら無敵である。


 最終的にベルゼブブに魔法陣を消去させ、これ以上、ヒミカさんや僕たちに手を出さないことを約束させた大神官様は満足そうにうなずいていた。契約書を遥かに凌駕する大神官様との『約束』にベルゼブブが涙目だったのは言うまでもない。もちろん足を出すことも禁止させられている。

 あと大神官様の助言により、僕とベルゼブブとで仮契約を結んでおいた。契約書を交わすわけでもなく、形だけのものだ。魔王国では契約を結んでいない野良悪魔は基本的に見敵必殺サーチアンドデストロイなため、それを回避するための詭弁だ。いざとなれば大神官様の名前を出すことを許可された。


 その後、ベルゼブブからもらった鏡をユリアナ嬢に渡すと彼女はとても喜んでいた。六歳とはいえ、おしゃれには敏感な年頃である。

 もちろん渡す前に、鏡だけでなくネコニャンのぬいぐるみなど、ベルゼブブからもらったお詫びの品は無害かどうか大神官様に確認してもらっている。ベルゼブブが、「そんなに信用できないの!」と涙目だったが信用できるわけない。相手は今日会ったばかりの悪魔である。自分がどういう存在がもっと自覚して欲しい。そしてすぐに泣くのをもうやめて欲しい。


 同様に『少しだけ毒に強くなる指輪』の効果について確認しておく。こちらは実に微妙だった。指輪をつけて毒を飲むとその毒の名前がわかるというのだ。ただし昆虫の毒限定という残念仕様。これには思わず、「毒に強くなるって知識のほうかい!」とつっこまずにはいられなかった。そもそも毒を口に入れた時点で、僕とヒミカさんは倒れてしまうだろうし、その知識を活用することはない。

 実に悪魔らしい曲解ぶりだが、窓の外を見ながら「友達ってなんだろうね」とため息交じりにつぶやいたら『念じればどんな毒でも一回だけ解毒する指輪』に交換してくれた。やはり持つべきものは友達である。

 もらった指輪は銀でできており、二つともシンプルなデザイン。指輪のサイズは指に合わせて自動で調整してくれる優れものだ。


「ほとんどの毒が効かない高位魔族でも、やっぱり毒は怖いもんね」

「一回しか使えないからあまり意味はありませんけどね」

「ごはっ。アルクくんの毒が僕をむしばんでいくよ」


 うまい返しをするベルゼブブ。上級悪魔は伊達じゃない。

 しかしなんだかんだ言ってもこの指輪はありがたかった。特に麻痺毒など解毒行為を阻害するような毒に有効だからだ。


 指輪のひとつをヒミカさんに渡すと、彼女はなぜか残念そうな顔を浮かべたあと左手の薬指にはめた。「そこはつけてあげるものでしょうが!」とヨヨさんがブツブツ言っていたが、彼女だって指輪くらい自分でつけれるだろうに。子供じゃないんだから。

 指輪を渡したあと一瞬だけ突き刺すような殺気を感じた。ふとそちらに目を向けるとそこには奥様に拳骨を落とされ、ぐったりしている伯爵の姿があった。指輪を渡しただけなのになぜ殺気を向けられたのか理解できない。


 ヒミカさんは、「アルクさんからのプレゼント大切にしますね」と喜んでいたが、それは誤解だ。「指輪はベルゼブブさんからですよ」と指摘すると、「わかってます」と感情のない目を向けられ、ねてしまった。喜んだり、拗ねたりと彼女の表情は忙しい。

 ヨヨさんとインプが仲良くため息をついていたのが謎である。


 ちなみに僕の左手の薬指にも同じ指輪が光っている。

 アルティコ伯爵夫人のセセリさんがこの位置以外は許しませんよという顔をしていたからだ。ほかの指や右手につけようとすると口元に微笑みを浮かべたまま、笑ってない目を向けられた。あの目には逆らってはいけないと耳打ちで助言してくれたベルゼブブにうなずき、左手の薬指に落ち着くことになった。

 持つべきは友達ベルゼブブである。

 本来、どの指につけても効果は同じなので関係ないはずだが何か意味があるのだろうか。


 また今回の件でユリアナ嬢が神殿に入ることが決まった。地下室に降りるとき、大神官様らが残っていたのはこの話をするためだったそうだ。ただ神殿に入ると言っても神官になるわけじゃなく、表向きは花嫁修業の一環となっている。もちろんこれは建前で、長期に渡って悪魔に取り憑かれていたため、後遺症がないか確認するというのが本当の理由だ。


 そのユリアナ嬢に取り憑いていたウコバクだが、新たに僕の使い魔となっている。ヒミカさん暗殺という人族との契約はベルゼブブがうまいこと解約するそうだ。なんでも暗殺した証明の提示が契約に書いてないのをいいことに、「終わったよー」で済ますらしい。


 ウコバクとの使い魔契約は、インプと違い普通に終わる。インプのときのように魔力を注ぎすぎることもなかったためウコバクの力はそのままだ。その結果、悪魔界ではインプより上の存在だったウコバクは、通常の3倍の力を持つインプの下につくことになる。ウコバク的には、よほど悔しかったのだろう。そんなウコバクは僕に交渉を持ちかけてきた。


「アルク様。この私をインプより上にしてくれたら、揚げ物という至高の料理をお教えしましょう」


 不慣れな敬語で提案してきたウコバク。その顔には、「揚げ物とか知らないでしょう。味オンチの魔族だし」と書いてある。


「うーん。知ってるから必要ないよ」

「ええ!? そんな馬鹿な! 魔族なのに? 油を使った料理法ですよ? 唐揚げは? 天ぷらは? フライは?」


 さすがはウコバク。ベルゼブブの配下だけあって、フライとか実にウェットな洒落である。えっ、関係ない? せっかく褒めたのに。


「全部知ってる。小麦粉もパン粉も卵もオリーブオイルも材料は全て手に入れている」

「ぐぬぬ……で、では夜を彩る『花火』というものをお教えしましょう」


 僕は先日改良を行った『執事キッチン』を使い、様々な色の炎をお手玉のようにして次々と空中へと放り投げる。僕の手から離れた炎が頂点に達したとき、それは弾け、小さな花を咲かせていく。その花は広がったあと炎の固まりに戻り、僕の手の中へ返ってくる。花火では絶対にありえない現象だ。そしてまた僕の手から放たれる。幾度となく繰り返される花火のお手玉。赤、青、黄色、緑、ピンク、紫などの炎たちが幻想的な光の踊りを描いていった。


「わぁ、なんて綺麗……じゃなかった! ぐぬぬ、アルク様ぁ」

「ウコバク。いい加減にしなさい。アルク様なら知っていて当然でしょう」とインプが叱る。


 そんな悔しそうなウコバクに、僕はユリアナ嬢の護衛を命じた。これは彼女を利用したウコバクに罪滅ぼしをさせるという意味もあったし、ウコバクの所業についてフラム子爵から許しを得るための条件でもあった。

 ウコバクには働き次第で力を強化してやると約束しておいた。鞭だけではなく時には飴も必要なのだ。「働き次第」という曖昧な言葉に浮かれているようでは悪魔としてもまだまだだ。にやりと笑っているインプは、その意味に気がついているのだ。全悪魔諸君は、「あなた次第で給料はもっと上がります」という怪しい言葉には注意してもらいたい。


 またフラム子爵からは『妖精の祝祭』への投資以外にも、お礼として変わった木が生えている場所を教えてもらった。新しい食材が手に入る手助けになれば、とのことだ。

 その場所は侯爵領の東、アルティコ伯爵領との堺にあるらしい。

 話によるとその木は、直径十センチほどの太さで天に向かって真っ直ぐ伸びているという。色は全体的に緑から黄緑色。木の幹には一定の長さごとにふしがあり、中は空洞だという。葉の先端は鋭く細い。また横からの力には強いが、縦に刃を入れると裂けるように割れるそうだ。

 この話を聞いて僕が思い浮かべたのは、『竹』だ。簡単に竹の絵を描いて見せると、似ていると子爵はうなずいていた。竹林ならば筍が採れる。時期的には少し遅いくらいだが侯爵領に戻ったあと、調べにいくつもりだ。


 その後、大神官様とアルティコ伯爵夫妻は悪魔と人族の関与を報告するため城へと向かった。僕とヨヨさんは、ユリアナ嬢に話があるというヒミカさんを残し、フラム子爵の屋敷をあとにする。



 フラム子爵の家を出て向かった先は、グレイたちコボルトの家だ。昨日の苦労をねぎらうとともに、今後について話し合った。その中で僕たちが侯爵領に戻り、準備が出来次第、迎えに来ることを約束。侯爵領内にてグレイ、ブラウン、ブッチの三人には食材探しを手伝ってもらい、それ以外のコボルトたちは『妖精の祝祭』の問屋などを手伝ってもらう予定だ。

 侯爵領で問屋を管理するエルフのニーナさんに彼らを紹介したあと、僕はお屋敷に戻ることにした。


「あとは侯爵様に報告かな」

「そういえばアルクん、侯爵領に戻る準備は終わった?」

「明日やる予定です。明後日の朝には出発ですからね。そういえば通商交渉は順調なんですか」

「ええ。ようやく目処がついたわ」

「なら良かった。侯爵様も一緒に帰れそうですね」

「侯爵領か。王都以外の街も面白そうだね、アルクくん」

「ええ。僕も楽しみにしてます……ってベルゼブブさんいたんですか!」


 フラム子爵邸を出てから話しかけられなかったので、全く気がついていなかった。影が薄いにもほどがある。僕のなにげない一言に、二メートルを超す中年悪魔はその場で膝から崩れ落ち、往来の真ん中でいじけ始めた。


「いいんだ。僕なんて」

「アルクん。上級悪魔って面倒くさいのね」

「ええ。インプのほうがよほどしっかりしてますよ」


 ただ不思議なことに、道を行く魔族たちは中年悪魔のいじける姿を気にも留めていなかった。まるでそこに存在していないかのように無意識で中年悪魔を避けていく。さすがは上級悪魔。影の薄さも上級である。真面目な話をすると、ほかの人から認識されないような魔法を使っているそうだ。そのせいで、彼の影がますます薄くなっていく。


「そうだ。せっかくなのでベルゼブブさんも侯爵領で食材探し手伝ってくれません? そのほうが美味しいものを早くご馳走できそうです」

「あー、友人の頼みとしては聞いてあげたいけど難しいね。分身体の魔力も残りわずかだし、これ以上こちらで活動するには無理があるかな。たぶん侯爵領も一緒には行けないだろう」

「そうですか。それは残念ですね」

「悪魔界に戻ったら役に立ちそうな情報を調べておくよ」

「本当ですか! ありがとう、ベルゼブブさん!」


 素直にお礼を伝えるとベルゼブブは照れたようにこう言った。「だって僕たち友達だし」と。両手で顔を隠し、体をくねらせる中年悪魔の姿に、僕とヨヨさんの何かがゴリゴリと削られていく音がした。


「そうだ。君の可愛いお嬢様に一度会わせてよ」


 よし、とりあえずもう一度刺しておくか。


「やーめーてー。街中でソウルイーター抜かないで! 何もしないよ! ただ可愛いっていうお嬢様に会ってみたいだけ。下手なことしたら、フェニちゃんに何をされるかわからないからでしょ。あ、そうだ。帰ったあとで食材のありそうな場所調べてあげるから」

「うーん。そういうことなら。でも侯爵様の許可が得られたら、ですよ?」

「そうか。お嬢様は侯爵令嬢なんだね。それは警戒しちゃうかー。まあ無理はいわないとも」


 お嬢様の素晴らしさを根付かせるためにも会わせたほうがいいか。将来的には隠し持ってる契約書で、がんじがらめにしてお嬢様の下僕としてこき使うという手もある。


「なんだろう、この寒気は……」


 身体を両腕で抱きしめるベルゼブブ。


「悪魔でも風邪ひくんですか?」

「いや、たぶん気のせいだと思う……よ?」


 お屋敷にたどり着いた僕たちはベルゼブブを門の前に待たせ、屋敷に戻っていたセイバスさんにベルゼブブのことを話す。大神官様とベルゼブブの約束の話や仮契約を結んでいることなどだ。


「話はわかりました。まあ、ベルゼブブ程度なら問題ありません」


 生命の活動を止めてしまうような鋭い視線をベルゼブブに向けながら、セイバスさんは凛とした態度で言い放った。分身体とはいえベルゼブブを目の前にしても大したことないと言うセイバスさん。さすがである。


「ひさしぶりだねぇ。セイ――ばべらっ」


 両手を広げ、セイバスさんに抱きつこうとしたベルゼブブだが、その動きがピタリと止まる。よく見るとベルゼブブの後頭部から黒い刀身のエストック(刺突剣)の刃が生えていた。エストックをベルゼブブの口から突き刺したのは柔和な笑顔を浮かべているセイバスさんだ。いつエストックを取り出したのかもわからないほどの早業である。


「ご無沙汰してますね。滅ぼされにきたのですか?」

「ひょっと!? ひさひさなのひ、なひふるのはな?」


 大神官様に続き、セイバスさんも彼と知り合いのようだ。

 ベルゼブブの顔の広さに思わず感心する。ただ顔が広くてもボッチなのは不憫としか言いようがない。額に冷や汗をかきながら、「久々になのに、何するのかな?」と言っているようだが、口に刺さったエストックのせいでうまく発音できていない。それどころかエストックからは、じゅるじゅると音がしている。初めて見たが執事長の持つエストックもソウルイーターなのだろう。


 フッと力を緩めたセイバスさんがベルゼブブの口からエストックをすばやく抜いた。その腕の動きは流れるように滑らかだ。そして空気を切り裂くようにエストックを横に払う。そのエストックの刃が、ひゅんと音を鳴らしたとき、セイバスさんの手には何も握られていなかった。そして何もなかったように姿勢を正す。

 目にも留まらぬ剣さばきだ。


「なんで君もソウルイーター持ってるのかな! 確か君も執事だったよね?」

「ソウルイーターは執事のたしなみですよ」

「聞いたよ! そのまんまのセリフを少し前に聞いたよ! 原初の時代に生まれてから今日初めて聞いた言葉なのに、二回目を今日中に聞くとは思わなかった! 誰かこの世界の執事たちをたしなめて! あー、これもさっき似たようなこと言ったよ!」


 実に饒舌じょうぜつである。

 エストックに刺された口の怪我はすでに治っているようだ。口から後頭部にエストックの刃が抜けていたが、さすがは上級悪魔といったところか。


 そんなベルゼブブだが、二人の出会いも大神官様とほぼ同じ内容だった。

 若かりし日のセイバスさんは、執事修行のためベルゼブブと闘ったことがあるそうだ。「上級悪魔のくせに、本格的なおもてなし前にお帰りとは残念な思いをしたものです」とはセイバスさんの言葉だ。実際には、本気を出してないセイバスさんにフルボッコにされたとベルゼブブは語った。

 なんでベルゼブブすぐに負けてしまうん?


「しかし何度も言いますが、アルクくん。なぜ食材を探しに行くたびに別の物を持ってきてしまうのでしょうかね」

「な、なぜでしょうね」と焦る僕。

「執事長もそろそろ諦めたほうがいいわ。彼はアルクんだから」

「僕、物じゃないんだけど?」


 ベルゼブブの否定の言葉はスルーされた。

 所詮は物扱いなので仕方がない。


 こんなやり取りがあったもののベルゼブブはその日の夕食を侯爵様らとご一緒することになった。というのも魔道具好きの侯爵様とベルゼブブの息が妙に合ってしまったからだ。しまいには四足歩行のゴーレムと二足歩行のゴーレムの機動性はどちらがいいか、という議論を交わしておられた。魔道具はどこにいったのだろう。妖精族との駆け引きでお疲れの侯爵様も良い息抜きとなっているようだ。


「はじめまして、ベルゼブブさま。ティリア=ミストファングです?」

「これはこれは、アルクくんが話していたよりもずっと可憐なお嬢さんだ」


 ふわっとしたピンクのドレスが良くお似合いのお嬢様はまさに花の女神!

 スカートの端をつまみ、礼儀正しく挨拶をするお嬢様。実に素晴らしい挨拶でございます。実に可愛らしい挨拶でございます。美しゅうございます。ご立派でございます。

 ベルゼブブごときに、「様」付けなど不要かと思いますが、お客様と考えれば完璧です。さらに語尾の疑問符も可愛らしさポイントアップなので問題ありません。


 笑顔が眩しいお嬢様に挨拶できるというこれ以上ない栄誉を得たベルゼブブの挨拶も様になっていた。泣かず、語らず、はしゃがなければ美形で通るベルゼブブは、見た目だけは神官服風の美系中年なのだ。


 お嬢様の頭を撫でようとしたのだが、その手はすぐに止まった。僕が短剣ソウルイーターを抜こうとしたことに気が付いたようだ。

 お嬢様に触れるなどもっての外である。


 そんな食事会も、「和気あいあい」と進み、終わりも近づいていた。侯爵様の許可をもらい、ベルゼブブには特別に一品多く出しておいた。やや強引に指輪を変更してもらったお礼のつもりだ。当のベルゼブブが、「友達だからだよね!」と嬉しそうだったので、「ソダネー」という思いを込めて無言のままうなずいておいた。ベルゼブブに限り、友達という言葉がストーカーという意味に変わる日も近いだろう。


 彼は今日の料理をとても気に入ってくれたようだ。何度も、「素晴らしい味」、「この味の深みはプロの仕事」などなど大絶賛だった。レイゴストさんの料理は暴食の悪魔すらうならすことが証明されたわけだ。レイゴストさん本人は味がわからないというのに。

 また、ベルゼブブを驚かせたのはなんといってもデザートに出した花蜜たっぷりパンケーキだ。花蜜の魔力の豊富さと甘さは初めての体験だったらしい。あっという間に十枚ほど平らげた食欲は、さすが暴食の王と呼ばれるだけのことはある。あまりの褒めっぷりに花蜜を提供したヨヨさんも嬉しかったようで、花蜜の樽をひとつベルゼブブに渡していた。「悪魔の世界に戻っても食べられるよ」と喜ぶベルゼブブだったが、妖精から賄賂を受け取ったと、あとでメモしておこうと思う。


 お嬢様はベルゼブブが悪魔だと理解したうえで積極的に話しかけていらっしゃった。悪魔を理解し、いつか支配しようとお勉強されているのだろう。

 頭を押さえてしまえば下の悪魔などなんとでもなるはずだ。「将を射んと欲すれば馬ごと射っちゃえばいいのよ」という言葉が浮かんでくる。


「ティリアちゃんも味がわかるんだねぇ。魔族なのにすごいなぁ」

「ぽかぽかもふわふわも好きなの!」

「僕も美味しいものが大好きだよ」

「ティリアも美味しいもの大好きなのー♪」


 お嬢様と談笑中のベルゼブブの横に立った僕は、お嬢様に見られぬよう『執事ボックス』の中からネコニャンのぬいぐるみを取り出し、彼に渡す。


「預かっていたぬいぐるみですが、せっかくなのでこれはベルゼブブさんからお嬢様にお渡しください」

「いいのかい? アルクくんから渡したほうがキミのポイントが上がるよ?」

「かまいません。あなたの評価が上がるのも友人としては嬉しいものですから」


 友人という言葉を聞いて目に涙を溜めるベルゼブブだったが、なんとかその涙を誤魔化し、ティリアお嬢様にぬいぐるみを渡す。話しかけるたびに泣きそうになるのはなんとかできないものか。


「これはティリアちゃんにおみやげだよ」

「うわぁー! ネコニャンなの! すごく可愛いの! ありがとう! ベルゼブブさま」

「よかったわね~。ティリアちゃん」


 ひと目でネコニャンだとわかったお嬢様。

 僕はまだネコニャンなるものをこの目で見たことがないのだが、お嬢様はどこで見られたのだろうか。


 小さな両手でぬいぐるみを受け取ったお嬢様は目を輝かせ、天使の笑顔でぬいぐるみを抱きしめていた。侯爵様や奥様にも自慢気に見せている。お礼を言われたベルゼブブも照れているようだ。

 このぬいぐるみだが、ベルゼブブの手作りだったことが判明した。もちろん手縫いである。しかも布から綿から全てベルゼブブが育て、用意したものだった。やっぱりこの悪魔、暴食の悪魔じゃなくて紡織の悪魔のようだ。よくよく見れば継ぎ目もほとんど見えないし、何かをくすぐる可愛らしさがある。完成度も高く芸術品に近い。侯爵様や奥様も感心しておられた。


 そんな時間もやがて終わりを迎える。


「さて、そろそろ僕は悪魔の世界に帰るとするよ」

「え? もうですか?」

「うん。魔力たっぷりの美味しい食事をごちそうしてもらったおかげで、こっちにいられる時間も増えたんだけど、お嬢様とアルクくんのために少し力を残しておきたいんだよ。役立ちそうな情報を探したいからね」

「ほかにもまだ美味しいものがありますけど」

「いや十分だよ。まさか魔族の国でこんなに美味しいものが食べられるとは思わなかった。悪魔の世界に戻ったらみんなに自慢しなきゃ」


 ぼっちなのに誰に自慢するのかわからないが、ここは素直にうなずいておく。


「またこっちに来ると思うから、そのときに美味しいものをご馳走してくれればいいさ」

「ええ。必ず」

「侯爵家の皆さんも私のような悪魔にご馳走くださり誠にありがとうございました。また機会があれば、ぜひ私を指定の上、ご召喚ください」


 大仰に一礼しつつ、しっかりと営業活動を忘れないところは悪魔のさがに違いない。そんなベルゼブブの体は徐々に薄く、透明になっていく。


「えっ? ベルゼブブさま、帰っちゃうの?」

「「がはっ!」」


 半透明のベルゼブブと僕は膝から崩れ落ち、口元から流れる赤黒い何かを手で拭う。食堂の壁沿いでは、お嬢様の専属侍女イーラさんとメイドでラミアのラミさんらが頬に手を当て、クネクネウネウネしている。


 それというのもネコニャンのぬいぐるみをギュッと抱きしめ、目に涙を溜めながらベルゼブブを上目遣いで見つめるお嬢様の姿に、僕もベルゼブブも耐え切れなかったからだ。


「ぐふっ。アルクくん。お嬢様の破壊力をあなどっていたよ」

「ごふっ。当たり前です。わずかな時間でお嬢様の魅力を把握することは不可能なのです」


 口元からあふれる忠誠心が止まらない。


「ごっそり魔力を持ってかれた。ソウルイーターの比じゃないよ」

「お嬢様の無垢で純粋な瞳に吸い込まれたのでしょう。執事として僕もまだまだです」

「アルクくん。もうダメだ。時魔法はあとでインプくんに渡しておくから」

「はい。どうかお大事に。お身体には気をつけて」

「うん。アルクくんも養生するんだよ」

「似た者同士さっさと悪魔界へ帰ったら?」

「「……」」


 吸い込まれることのない冷めた瞳を向けるヨヨさんの一言に僕たちは何事もなかったように立ち上がる。言っておくが僕は魔族であって、悪魔ではない。

 その後、ベルゼブブはお嬢様に再会の約束をしたあと、ぶんぶんと元気良く手を振るお嬢様に笑いながら手を振り返し、悪魔の世界へと帰っていった。


「ネコニャンのおじちゃん、帰っちゃったの」


 ネコニャンのぬいぐるみを撫でながらお嬢様は寂しそうだ。

 だがベルゼブブは必ず帰ってきます。彼は暴食の王。悪魔の中の悪魔。これからも悪魔の世界で僕たちを見守ってくれることでしょう。さようなら、ベルゼブブ。ありがとう、ベルゼブブ。

 たぶん庭先に料理並べておけば寄ってくると思います。ぶんぶんと。


「お嬢様、また会えますよ」

「うん! 楽しみにしてるの!」


 楽しいひとときも終わり、笑顔を取り戻したお嬢様は専属侍女のイーラさんとネコニャンを連れてお部屋へとお戻りになられた。



 食事の片付けも終わり、おやすみ前のお嬢様に、「明日は引っ越しの準備と最後の確認を行う予定です」とお伝えしたあと自室へ戻る。

 引っ越しと言っても僕自身ほとんど持っていくものはない。家具ごと『執事ボックス』に放り込んで終わりなのだ。


 僕が部屋に入ると、部屋の中央でインプが待っていた。

 手には一冊の本を持っている。


「ベルゼブブ様より預かった呪文書にございます」


 インプから渡された本は黒い革で装丁そうていされており、表紙には『時を喰らい、時を作り、時にあらがう』と赤い文字で書かれている。中をパラパラとめくると時魔法に関する理論や詠唱などが書かれていた。最初のページには時魔法を取得するための簡単な理論が書かれている。


『まずは時を理解するために一から十まで正確に数えます。次に十まで早口で数えます。これに魔力を込めながら十まで数えれば時が進みます。逆に、魔力を込めながら十まで一まで数えると時が戻ります。時を停めるためには魔力と気合が必要です』


 僕は呪文書を閉じたあと、もう一度今のページを開く。

 一字一句確認したのだが、残念ながら何度見ても同じことが書いてあった。


 本当に大丈夫か、これ。

 こんなので時魔法が使えるようになるのだろうか。

 とりあえずほかのページはまともなことが書いてあるようなので、そちらを中心に読めば大丈夫だろう。大丈夫だと思っておかないと不安になる。ふと裏表紙を見ると、『生き急ぐな、急がばまわれ』と書かれていた。まさかの時魔法全否定である。ますます不安がつのる。


「あとこちらを預かっております」


 渡されたのは青い水晶のついたペンダントだった。水晶は小指ほどの大きさで全体的にうっすらと発光している。水晶の中央には何やら幾何学模様が掘られており、かなり高度な細工が施されていることがわかる。


「これはなんだろう」

「はて、私も渡せばわかるとしか聞いておりませんでした。おや?」


 インプの言葉に反応して、持っていた水晶に目をやると水晶が激しく点滅し、ぶーんーぶーんと振動していた。

 そして聞き覚えのある声が水晶から聞こえてくる。


『……てーす……てすてす。あー、あー、アルクくん聞こえるかーい。こちら現場あくまのせかいのベルゼブブでーす』


 とりあえず水晶をベッドにぶん投げる。

 ベルゼブブが帰ってからほとんど時間は経っていない。

 別れの余韻などあったものじゃない。

 それとも無事に帰宅できたっていう連絡のつもりだろうか。一人暮らしの子供か、ベルゼブブ。あー、ぼっちで暮らしてたな、そういえば。


 放り投げた水晶を手に取る。


「水晶に魔力を流しながら、頭の中で伝えたい言葉を念じてくれれば交信できるよ」


 聞こえてきた声に僕は言われたとおり水晶に魔力を流し、念話のように頭の中で伝えたい内容を思い浮かべる。

 うん、なるほど。

 これはヨヨさんが使っているような交信可能な魔道具だ。ヨヨさんが妖精界と交信できるように、この水晶は悪魔界にいるベルゼブブと交信できるのだろう。


『こちら侯爵様のお屋敷です。現場のベルゼブブさん。そちらの状況はいかがですか』

『はーい。こちらは煩悩と誹謗中傷が渦巻いており、ねっとりとした猜疑心あふれる風が吹き荒れ……ってアルクくん。妙にノリノリだね? もしかして友達効果?』

『そんな友達効果はありませんよ。あっ、今日はありがとうございました。あと時魔法の呪文書も受け取りました』

『こちらこそ、ごちそうさま。時魔法は魔力をかなり食うけどそんなに難しくないから大丈夫だよ。わからないことがあったらこの水晶でいつでも聞いてね』

『わざわざありがとうございます』

『やだなぁ。友達じゃないか』

『……ええ、もちろんです』

『今、妙な間がなかった!?』

『はっはっは、通信障害でもあったんですかね?』

『う、うん。まあいいや。それじゃあ今日はこれで。またねー』

『はーい。おやすみなさい』


 水晶に魔力を流すのをやめると水晶の点滅は止まり、もとのように淡い光を発し始めた。着信時は点滅と振動をするようだ。時魔法を習得できるか気にしているようだが、なんとも面倒見のいい悪魔である。とりあえずこれは首からかけて……すぐに外してみたが問題ないようだ。


「アルク様。ベルゼブブ様があれほど気さくな方だとは思いませんでした」

「うーん。インプの前で言うのもなんだけど、彼は悪魔だ。信用を得るため、最初は甘く、優しく接するのは君たちの『営業テクニック』の基本でしょ」

「ええ。よくご存知で」

「もしベルゼブブに本気で同情したり、共感したりするようなことがあれば、それはすでに彼の術中にはまっている」

「お気づきでしたか。アルク様なら立派な悪魔になれそうですな。悪魔に転職する気があるのならいつでもご相談ください。悪魔になれば、ずっとお嬢様にお仕えできますよ」

「ずっとか……魅力的な勧誘だね。まるで悪魔のようだよ」

「ええ。悪魔ですから」


 (まあ、ベルゼブブの場合、本気で友人が欲しかったみたいだけどね)


 そして忙しかった一日も何事もなかったように静かに更けていった。



 次の日の朝。お嬢様を迎えに行った僕に激震が走る。

 心が黒く染まっていくのが自分でもわかるほどの衝撃だ。


 なんとお嬢様はベルゼブブお手製のネコニャンのぬいぐるみを抱っこしたまま、一緒におねんねしたというではないか。ベルゼブブが触ったぬいぐるみを抱っこした……だと。


 お嬢様の朝食後、僕は青く光る水晶に魔力を込めた。


「はいはーい、こちらベルゼ――」

「絶対に許さない」

「え? ちょ、ちょっと。どうい――」


 通信を切り、お屋敷の門を出る。


「インプ!」

「はっ!」

「悪魔の世界にはどうやったら(暗殺しに)行ける?」

「……行けるのは基本的に悪魔だけですね」

「ちぃ」


 王都で過ごす最後の一日はこうして始まった。

 オノレ、アクマめ。



 僕は今、一人で王都の街中を歩いている。

 いつも一緒にいるヨヨさんは、魔族と妖精族間における通商貿易権調印式があるため別行動だ。


 この調印式をもって魔王様から正式な発表がされることになる。これにより魔王国はしばらく賑わうことだろう。妖精族から提供される見た目が美しい食べられる花(エディブルフラワー)や魔力たっぷりの花蜜は味のわからない魔族でも引っ張りだこ間違いなし。


 同じく輸入品の砂糖は、お菓子の基本となる調味料だがコンペイトウや飴などのレジピを知る魔族は今のところレイゴストさんをはじめとする侯爵家料理人の皆さんと僕しかいない。これは花蜜も同様だ。なにせ今まで魔王国には砂糖も花蜜もなかった。生産している妖精族ですら、砂糖をかじり、花蜜をそのまま飲んでいたくらいだ。

 砂糖を使ったり、加工したりして見た目にも美しいお菓子を作れば間違いなく売れるはず。これは加工技術やレシピを持つ侯爵家の独占となるだろう。


 調印式が終われば、通商防衛局局長の侯爵様も一段落。お嬢様と一緒に自領へと帰ることができるだろう。そう言った意味では妖精族との貿易が締結されて一番ホッとしているのは侯爵様のはずだ。


 今日、僕が出かけた理由は王都でお世話になった方々に挨拶回りをするためだ。当然、お嬢様には許可をもらっている。引っ越しの準備もあるため、午前中に回りきるつもりだ。

 挨拶に行くのは森林管理局や商業ギルドをはじめ、シュリーカー族の村、ミノスさんの牧場、ソーサさんら河童族の村、エルフのニーナさん、グレイたちコボルトの家、アルティコ伯爵、フラム子爵、そして白の賢者様の神殿だ。


 このうちシュリーカー族の皆さん、ミノスさん夫婦、ソーサさんら河童族の皆さん、ニーナさん、グレイたちコボルト族らは僕たちが侯爵領に着いたあと、改めて迎えに来るつもりだ。もちろん迎えに行くのは家が建ってからになるだろう。

 エルフのニーナさんは、用意された問屋に従業員用の部屋があるので、そちらに住んでもらうつもりだ。そのため引っ越しはすぐにでも可能だが、侯爵領に来るのはみんなと時期を合わせてもらった。


 シュリーカー族は自分たちで家を建てるそうだ。ただ族長のジュロウさんをはじめとする建築班とシイタケ探索班は侯爵領に着き次第、迎えに行く予定になっている。シイタケがあるかもしれないと知ってから、彼らの目が怖い。


 またミノスさん夫婦以外のミノタウロス一族については、引っ越しする当日に面接を行う予定になっている。一族は五十人ほどいるそうだが全員が引っ越しを望むわけではなかった。侯爵領にくるのは半数ほどだと言う。残った一族は今ある牧場を管理していくそうだ。


 手ぶらというのもなんなので、おみやげとしてプリンを持参し、配っておいた。残念なのは味がわかる魔族がほとんどいないということだろう。



 お昼に近づいた頃、僕は大神官様の部屋にいた。部屋には大神官様とヒミカさん、それに僕の三人だけだ。

 挨拶回りは大神官様とヒミカさんのお二人で最後となる。

 神殿を最後にしたのには理由があった。


 僕の目の前には、神官の皆さんにと持参したプリンを両腕で抱えている大神官様がいる。プリンを取ろうものなら、「渡さん。絶対に渡さんぞ。このプリンたちはうちのものだし」と威嚇された。最初に挨拶に来ていたら、ほかに配るプリンも全て奪われていただろう。挨拶を最後にした理由はこうなることが予想できたからだ。大神官様の卵好きも今や中毒という領域に片足を突っ込んでいた。そのせいでラミさんからもらった卵の在庫は残り僅かとなっている。


「大神官様、ヒミカさん。いろいろお世話になりました」

「何をおっしゃるのですか。私こそアルクさんに命を救っていただきました。それに父さまや母さまもです。この御恩はいつか必ずお返しいたします」

「気にしないでください。ヒミカさんのおかげで毒のない食材が集まりましたし」


 ヒミカさんとアルティコ伯爵の件がなければ、オリーブオイルもアボカドもバナナも手に入らず、シュリーカー族にも会うことはなかった。シュリーカー族に会わなければ、キノコも各種果物も手に入らなかっただろう。これらはヒミカさんがいてくれたおかげである。


「それはお互い様です。私も食べられるものが増えましたよ」

「毒に弱いですからね。僕たち」


 思わず僕とヒミカさんの口から笑みがこぼれる。

 今、ヒミカさんの左手の薬指には銀色に輝く指輪がある。ベルゼブブからもらった指輪で、どんな毒でも一度だけ解毒してくれる優れものだ。効果の真偽は大神官様に確認済みなので問題ない。そして同じ物が僕の左手の薬指で光っていた。


「しばらくは侯爵領かい?」

「ええ。その予定です。あっ、新しい食材が手に入ったらすぐにヒミカさんにお届けしますね」

「え? あ、そ、そうですね。楽しみにしてます」


 (ん? 少し慌てるようにヒミカさんが返事をしたのは気のせいか?)


「それにしてもいつまで経っても二人とも口調が硬すぎだし。固ゆで卵だし」

「アルクさんは執事ですし」

「ヒミカさんは伯爵家のお嬢様ですから」

「「癖なんです。なかなか抜けなくて」」

「息ぴったりなのになんで固い口調のままだし?」


 頭をひねりながらプリンを頬張る大神官様に、僕とヒミカさんはしばらくの間、笑い合っていた。


 神殿からおいとまする際、二人はわざわざ入り口まで見送りにきてくれた。それにおみやげとして大量のオリーブオイルまでいただいている。僕は大神官様とヒミカさんに改めてお礼を言い、再会を約束して神殿を出た。


 ただ、このときの僕はすっかり見逃していた。

 大神官様が、ニヤけていたことに。

 ヒミカさんが、茶目っ気たっぷりの笑顔であったことに。

 そして神殿やオリーブの木の陰から多くの神官や信者が、僕とヒミカさんの左手を射抜くように睨んでいたことに。

 その意味について僕が気づくのはもう少し先の話になる。



 挨拶回りを終え、お屋敷に戻った僕は昼食のあとメイドさんたちと一緒に引っ越しの準備と部屋の掃除を行っている。


 普段ならお昼寝の時間となるお嬢様だったが、今日は起きていらっしゃった。侯爵領に戻るのが楽しみで眠れないのだろう。そのご機嫌なお嬢様はというと、メイドさんたちが掃除をしている中に交じり、自らホウキを持って床を掃いていらっしゃる。掃いているといってもまだ力がないので床を撫でているに近い。最初はお止めしたのだが、「ティリアもお部屋にありがとするのー」と言われてしまっては何も言えなかった。自分よりも長いホウキを懸命に動かす姿に、ほっこりしてしまった僕やイーラさんらの手が止まってしまうのは仕方ないことだと思う。

 そして手が止まった僕たちが、セイバスさんからさぼらないよう注意されたのも仕方ないことだと思う。


 この日の夕食はいつもより少し豪華な料理だった。

 お嬢様のご要望により、ウシドンのハンバーグとオムレツをご用意している。まだ離乳食中なので量はそれほどでもないが、お嬢様が美味しそうに食べるその姿に侯爵様御夫妻はもちろんのこと僕たち使用人たちも笑顔でいっぱいだ。


「そうだ、アルク。以前、話していたロシュロス陛下の手記だがもう少し時間がかかりそうだ。全く王室管理局は動きが遅くていかんな」


 ロシュロス陛下というのは魔王の中の魔王と言われ、勇者とも闘った魔王様だ。

 その手記には食材探しの手がかりがあるかもしれないのだが、禁書扱いだったため、侯爵様が閲覧許可を申請していたのだ。


「許可が降りるまで待っていてくれ」

「わかりました」


 まあ、許可が降りたら『執事複写』でコピーすればいいか。


「アルクくん。残念ですが禁書に『執事複写』を使わないように」


 セイバスさんが僕の考えていたことをずばり当ててくる。

 複写禁止?


「以前は問題ありませんでしたが、禁書の多くは内容が内容だけに複写は禁止されているのです。書き写すこともしないほうがいいでしょうね。ただメモ程度なら許されています。まあ、禁書だけあって閲覧が許されるのはほんの一部だけです。今回も侯爵様だからこそ閲覧申請が出せたのです。普通なら申請すらできません」

「そうなんですか」

「ええ。昔は複写できましたが数百年前から厳しくなりました」

「昔は禁止ではなかったと?」

「読書はいいものです」


 セイバスさんはそれ以上、語ることはなかった。

 もしかしたら禁書を複写した『誰か』がいて、そのせいで禁止になったのかもしれない。いや、禁止になったに違いない。僕はあえて『誰が』とは聞かなかった。



「それと今回は領内にある港町リバシールに寄る予定だ。滞在の間、使用人の皆には交代で休暇を与え自由行動とする。仕事が済めばすぐに出発となるが滞在は二日くらいだろう」


 メイドさんたちも休暇と聞いて喜んでいるようだ。

 せっかくなので僕もお嬢様の食材探しのついでに街中を歩いてみよう。港町であればやはり海の食材があるに違いない。やはり魚や海藻あたりが……ないかもしれないなぁ。魚=リヴァイアサンだし。

 それでもお嬢様が美味しいと喜んでくれる食材の一つや二つあるはずだ。気合を入れて探してみようと思う。



 次の日。

 今日も雲一つない青空がどこまでも広がっている。

 お屋敷の前には侯爵家の紋章が輝く立派な馬車が用意されている。その後ろには使用人が乗るための大型の馬車もあった。


 侯爵領に戻るのは、侯爵様御一家のほか、セイバスさん、レイゴストさんら料理人の皆さん、お嬢様専属侍女のイーラさんとラミさんを含むメイドさんたちだ。それに加え、妖精族のヨヨさんもいる。


 侯爵様御一家が乗る馬車の御者はセイバスさんだが、御者席には僕も座っている。「執事たるもの、御者くらいできなくてどうするのですか」というセイバスさんの指導のもと、まずは見て覚えるよう言われたからだ。考えてみれば馬車で移動中、御者席に座ることも初めてだった。

 使用人用の大型馬車の御者は料理長のレイゴストさんだ。念動力ポルターガイストで手綱を操るのもお手の物らしい。妙に馬が緊張感を持ってるような気がするのはなぜだろうか。


 (あっ、そういえば馬も食べれたな)


 馬車を引くのは目の前にいる四頭の馬。しかし前世にいた馬とは少し違い、足が六本あるスレイプニル種。分類としては魔物扱いだ。スレイプニル種でも足が八本ある個体は軍馬に向いてるそうだが、どちらの種も持久力に優れ、力も強く勇猛なのが特徴だ。


 (スレイプニルの肉って毒あるのかなぁ)


 そんなことを思っていると目の前の馬が一斉にこちらを向いた。

 なぜかその目が怯えているように見える。

 なるほど。レイゴストさんが引く馬車の馬が緊張感を持っていたのは、そういうことか。

 僕は馬たちを安心させるように、微笑みながら「食べないから大丈夫だよ」と声をかける。


 馬は一声、いななくくと安心したかのように力強く足を進めるのだった。


 うん、幸先がいい。

 出発前に食材になり得るものを見つけることができた。

 まあ、前世でも馬刺しとかほとんど口にする機会はなかったし、スレイプニルを食材として考えるのはやめておこう。

 馬の嘶きにふと目を上げると、四頭の馬がまたこちらを見ていた。

 なんか、ごめん。僕は馬たちに謝っておいた。

 絶対に食べないから安心してほしい。



 御者席にいてもお嬢様の楽しげな声が聞こえてくる。

 馬車の中でお嬢様はヨヨさんに侯爵領の素晴らしさをお話しされているようだ。


「お花がいっぱいなの! すごくきれいなの!」


 今は侯爵領の屋敷にあるお庭を誇らしげに説明されている。

 そういえば庭師さんは元気だろうか。


 王都の屋敷に残る使用人さんたちの見送りを背に、馬車は北門へと向かって進む。門を出たあとはあっという間だ。北門を出るとセイバスさんは御者席を降り、馬車が余裕で通れるほどの『執事ゲート』を開いた。

 ゲートくぐれば、侯爵領にある街のひとつ港街リバシールだ。


 きっと侯爵領でも美味しい食材が見つかるはずだ。

 いや、なんとしてでも見つけなくてはならない。

 お嬢様の離乳食期が終わるまでもう半年もないのだ。

 お嬢様のためにも毒のない食材を見つけるよう僕は改めて心に誓い、王都に別れを告げるのだった。



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