第八十六話 噛めば噛むほど味が出る?
「今の彼女には……悪魔が取り憑いています」
今や僕の使い魔となっているインプが、シュリーカー族の村でチョトツに取り憑き、暴れていたのはつい最近の出来事だ。そのときのチョトツと同じくユリアナ嬢の目は黒一色に染まり、その目からはドロリとした黒い涙が流れていた。態度や声が豹変したのも悪魔に取り憑かれた者の特徴だ。
ヒミカさんに伝えたあと、『執事かご』に閉じ込めたユリアナ嬢、いや、ユリアナ嬢に取り憑いた悪魔を睨みつける。この悪魔は僕の友人であるヒミカさんに毒を飲ませようとしただけではなくユリアナ嬢の声でヒミカさんを侮辱したのだ。もちろん悪魔に取り憑かれているユリアナ嬢に罪はない。取り憑いている悪魔がやった行為は悪魔に償わすべきだ。
悪魔が取り憑いている彼女は侮蔑のこもった僕の顔を見ながらさも愉快そうにニタリと笑った。
「どうした? オレが憎いか、魔族のガキよ。おまえらが慕っている巫女を罵り、殺そうとしたオレが憎くてたまらないか? 殺したいか? 殺したいだろう? だが、オレを殺すのは無理だ。ガキごとやるか? できないだろう? どうだ、悔しいか? 悔しいだろうなぁ」
悪魔は言葉を匠に操る。相手の弱みにつけ込んだり、誘惑したりして堕落させるのだ。悪魔に騙され、追い込まれ、言いなりとなった愚かな者が悪魔に魂を捧げるため家族すら手にかける。最終的に魂を捧げるよう仕向けてくるのが悪魔なのだ。
その悪魔を使役することは魔族の世界では禁じられていない。しかし悪魔の言葉に付け込まれない実力が必要とされ、全ては自己責任となる。
悪魔が僕に向かって、「ねえ、どんな気持ち?」と煽りを入れてくるのも悪魔らしさと言えるだろう。
「ん? なんだって? 聞いてなかった」
「ほげぁっ!?」
悪魔への対処や交渉は、相手のペースに乗らないこと。そして自分のペースに引きずり込むことだ。
少しとぼけてやると、悪魔は黒い目を見開き、僕の言葉に唖然とした表情だ。無視されたことがショックだったのだろうか。見た目はユリアナ嬢なので、中の悪魔がどんな顔をしているのかわからないが恐らく同じような顔をしていることだろう。
いずれにせよ、僕はこの悪魔が気に入らない。
「それにしてもお前というクズ悪魔は、ずいぶんと頭が弱いようだ。ペラペラ喋るだけあって、クズのお前をこの世界に呼び出したクズは、クズのお前に似ているのだろう。クズはクズ同士、仲良くくず餅でも練っていればいいものを、わざわざこっちに出てきたのは魔王国の藻クズになって肥料になるためか? クズ」
この程度の煽りで効果は期待していない。いまどき、子供も使わないような低レベルな煽りだ。少しばかり感情が入っているが、これはあくまで挨拶代わりにすぎない。だが、ユリアナ嬢に取り憑いている悪魔は、顔を伏せて体を震わせていた。フー、フーと荒い息を吐いている。
あれ? もしかして効果大?
こんな子供のケンカみたいな煽りで?
「……もしかしてアルクん。かなり怒ってる?」
「食べ物とティリアちゃん以外のことで怒るなんて珍しいですわね」
不思議な顔を浮かべているヨヨさんとヒミカさんだが、執事といえども怒らなければならないときがある。それは今、ヒミカさんが言っていたように仕える主人、それに友人が侮辱されたときだ。食べ物のほうは状況にもよるので一概にはいえない。
今回、多少お口が過ぎるのは許してもらおう。セイバス執事長が聞いていたら、「執事たるもの、ご主人様の品位を落とさぬよう正しい言葉遣いができなくてどうするのですか」と怒られ、罰として魔王国一周くらいはさせられるはずだ。
ヒミカさんは食べ物とお嬢様以外と言っていたが、そんな彼女は味オンチだらけの魔族においてティリアお嬢様と『味』を語り合うことのできる正常な味覚を持つ数少ない魔族の一人だ。それにお嬢様が、「お姉ちゃん」と慕う仲でもある。そのヒミカさんへの侮辱はお嬢様への侮辱と言ってもいい。
ほかにもある。
彼女は、お嬢様の食材探しに協力してくれている僕の仲間であり友人だ。お嬢様と関わりがなかったとしても彼女は僕と同じフォメット族で、これまでの境遇もよく似ている。同族である彼女に対する侮辱は僕への侮辱でもあった。
二人に笑みを返しながら、ヒミカさんに声をかける。
「ヒミカさん。今までヒミカさんの命を狙い、暗殺しようとしたのは、このユリアナ嬢に取り憑いている悪魔でしょう。フラム子爵の様子がおかしかった原因もね」
「こ、この悪魔がですか?」
「ええ。あと――この悪魔を召喚した者あるいは操っている者がいるはずです」
この悪魔がなぜ悪食のビザー伯爵に近づいたのかはわからないが、どうせヒミカさんに対する暗殺計画に関係しているに違いない。
召喚した者、操っている者という言葉に、ビクリとユリアナ嬢の肩を揺らす悪魔。その様子を見て、僕は思わず口元が緩むのを感じた。僕の指摘に、動揺を隠せないようだ。
以前、インプ本人から王都内にインプより高い地位の悪魔がいると聞かされていた。この件に関しては、ミストファング侯爵様やアルティコ伯爵にお任せしてあり、専門の部署に話が通っているはずだ。僕もインプを使ってその高い地位にある悪魔を探させているのだが、今のところ見つかっていない。
シュリーカー族の畑を荒らしていたチョトツに取り憑いていたインプと、ユリアナ嬢に取り憑いているこの悪魔。両者に繋がりがあるかはわからないが、ユリアナ嬢に取り憑いている悪魔と関係する仲間がどこかにいるのは間違いないはずだ。
「な、なぜお前があの方のことを知っているのだ! どこでバレた! なぜだ、なぜだ、なぜだぁ」
うん、間違いない。
ご丁寧に白状ありがとうございます、だ。
だけど、「あの方」……か。
悪魔が取り憑いたユリアナ嬢は、『執事かご』からなんとかして出ようと暴れ始める。網目の隙間から手を出し、激しく揺らす。その力は子供の力とは思えなかった。
だが、僕の執事魔法はその程度では壊れない。執事魔法『執事かご』は『執事箱』の壁面が網目状になったもの。強度自体は変わらない。網目の大きさは自由自在。ヨヨさん曰く、『結界魔法』の一種だ。『結界魔法』の特徴として、任意のものを指定して通り抜けを可能にしたり、逆に通り抜け不可能にしたりすることができる。条件を設定してやれば、壁抜け能力のある幽霊族、レイゴストさんでも通り抜けできない。もちろん逆に、条件にあったものだけを通り抜けさせることもできる。これは以前の実験で証明済みだった。
主な目的は、夏場の暑い夜の蚊帳代わりだ。寝苦しい夜も蚊などの害虫を通さず、涼しい風だけを通すことによって、お嬢様に快適な睡眠を約束できる優れた魔法である。今は悪魔に取り憑かれたユリアナ嬢が入っているので、蚊帳というより虫カゴと呼べるだろう。
「黙れ。間抜け悪魔。間抜けのお前が話していただろう。キミの脳みそは数分前の記憶すら抜け落ちていくのかね。ああ、そうか。悪魔は魔力でできているんだったな。記憶とともに魔力も抜けていくから魔抜けなのか。さすがは間抜け悪魔。抜け目ないな」
僕の言葉に、悪魔はショックを受けたかのように硬直してしまった。煽り耐性がないだけでなく、気が弱いのだろうか。電池が切れたかのように、ピクリとも動かない。これでは僕が一方的にいじめているようではないか。なにせ相手の見た目だけは六歳の女の子。事情を知らない者からすれば、完全に弱い者いじめである。間違いなく、「いじめカッコ悪い!」と指をさされてしまうだろう。
それはともかくこの悪魔は本気で怪しまれないと思ったのだろうか。
ヒミカさんを見て、「ちょうどいいところに来てくれた」と言い、抱きついたときには、「やっと捕まえた」と、以前からヒミカさんを狙っていたかのような発言をする。挙げ句には、「幾度と無く」、「長きに渡る」と自ら補完までしてくれる始末。
最後には気が緩んだのか、「何年も縛られた契約」と別の存在まで暴露してくれた。契約は相手がいなければ結べないものだ。この一言がユリアナ嬢に取り憑いた悪魔に契約者がいることを示す決定的な証言となった。
ただ、「あの方」というのは契約を結んだ相手とは違うようだ。それに仲間という感じでもない。
もともと天然系悪魔なのかもしれないが、自分でぺらぺらと話すこの悪魔には、「守秘義務」という塩を傷口に塗りこんでやりたい。悪魔の契約にそんな項目があるのか知らないけれど。
「今回はビザー伯爵をどうにかしようとしていたところ、ヒミカさんが現れたため、計画を変更。ヒミカさんを襲う絶好の機会とでも思ったのでしょう」
「で、では今回は偶然ということですか」
ヒミカさんの声が震えているのは、やはり怖かったのだろう。いくら闇魔法が得意で、大神官様から護身術を免許皆伝されたとはいえ、隙をつかれてはどうしようもない。誰しも油断するときくらいあるのだから。
(ん? ヒミカさんが油断したのって僕のせい……か?)
そういえば大神官様が言っていた。――あの子はアルクくんと知り合ってから、君の前では油断することが多いんだよ、と。
もしかしてヒミカさんが毒を飲まされそうになったのって僕のせい?
うん。これはまずい。
このことが大神官様に知れたら、間違いなく嬉しそうに言いがかりをつけてくるだろう。なにせヒミカさんを守ってやってくれと大神官様が頭を下げて僕にお願いしてきたのだ。アルティコ伯爵同様、ヒミカさんを溺愛してる大神官様は、彼女のことになると魔王様にケンカを売るような精霊様だ。今回は結果的に守れたとはいえ、何かと理由をつけてくる気がしてならない。
前世には、理不尽な要求や自己中な親を意味する言葉として、モンスターペアレントという言葉があった。また、精霊をモンスター扱いしているゲームや物語があった。そう考えると大神官様ほど、この言葉が似合う方はいない。モンスターな親ではなく、まさにモンスターが親、親モンスターなのだ。しかも魔王様より強いときたもんだ。
僕は声を震わすヒミカさんのなめらかな手を両手で包むように握り、優しく話しかける。少し冷たい彼女の手が僕の手の中で徐々に温かくなっていく。彼女は伏し目がちだった顔を上げ、桃のように染まった頬で僕の目を見つめ返している。
「ヒミカさん。もうあなたを傷つける者はいません。万が一、何かあっても僕が必ず守ってみせます」
不思議なことにヒミカさんの顔が一瞬でリンゴのように真っ赤になった。どことなく慌てているようで、僕の手と顔を交互に見ながら、プルプルと身体を震わせている。
もしかして身体の調子が悪いのだろうか。
そのうち僕から視線をはずすようになり、キョロキョロとヨヨさんを見たり、ユリアナ嬢を見たりと少々落ち着きがない。僕は手を握ったまま彼女の反応を待つ。そんな彼女も少しは落ち着いてきたようだ。どうやら調子が悪いわけではないらしい。僕が一安心していると、ヒミカさんはもう片方の手を僕の手に重ねて、真っ赤な顔のまま僕を見ながらこう言った。
「は、はい! よろしくお願いします!」
「ですからヒミカさんも僕を守ってください。大神官様から」
「は、はい? よろしくお願いされまし……た?」
ふう。
これで大神官様が暴れてもヒミカさんが止めてくれるだろう。大神官様を止められるのはヒミカさんと神官長くらいだ。だが、ホッとしたのも束の間、僕の後頭部に硬いものがぶつけられた。
「あだっ」
痛む後頭部に手を当てながら振り返ると、更に何かが飛んでくるところだった。それが額に直撃するすんでのところで受け止めた僕は、飛んできた物体をまじまじと見る。それは硬く、三センチほどの楕円状で穴があいたように凸凹していた。
「桃の種?」
ひと目でそれが桃の種だとわかった僕が顔を上げると、少し離れた場所でジト目のヨヨさんとインプが仲良く並んで浮かんでいた。インプは複数の桃の種を抱えるように持ち、僕に呆れたような目を向けたまま無言でヨヨさんにそれを手渡している。桃の種を受け取ったヨヨさんは、大きく足を上げると綺麗なフォームで僕に向かって投げる。投げる。投げる。次々とインプから桃の種を受け取っては、僕に当てようとするヨヨさんと、無表情のまま種を渡し続けるインプ。異常とも言える雰囲気とその連携に、僕は防戦一方だ。
植物の種とはいえ、桃の種というのは別格である。硬い殻に守られた桃の種は先端が尖っているものもあり、ある意味、投擲用武器といえるだろう。一応言っておくが、良い子は食べ物だろうと食べ物の種であろうとそれを使って遊んではいけない。
「ちょっと! インプ! 使い魔が主人に反抗するってアリなの!? あと食べ物で遊んではいけません」
「おや? アルク様。私は桃の種をヨヨ様に渡しているだけでございます。仕える主人に反抗などとてもとても。それに種に刺激を与えることによって、より甘い果実が――」
確かに植物に刺激を与えたときに起きる変化についての研究はあるけど、果実が甘くなる保証はない。桃の種もインプの言い訳にびっくりしているはずだ。
インプはジト目を向けたまま、種をヨヨさんに黙々と渡している。だが、種を渡すスピードが徐々に早くなっているのは気のせいではないはずだ。
「間接的にはアリかよ! ヨヨさんストップ! ストーーップ!」
「うるさい! 残念執事!」
ざ、残念執事!?
これまで残念なメイド、侍女、巫女、それに妖精やエルフなどの種族を見てきたが、まさか自分が仲間入りするとは思っていなかった。
とりあえず、投げられた桃の種はもったいないので全て受け止めておく。この桃の種はシュリーカー族に接ぎ木の技法を伝授しているときもらったものだろう。せっかくなので侯爵領に戻ったら僕も植えてみようと思う。
しばらく凌いでいると、どうやら桃の種がなくなったようだ。ようやく妖精と使い魔による攻撃の手が止まった。やれやれとんでもない目にあったものだ。並の種族以上の防御力を誇る魔族にダメージを与えるとは、妖精と桃の種、恐るべしである。
「「チッ」」
「二人揃って舌打ち!?」
二人が仲良くなったのは結構だが、この理不尽な態度はどういうことだ。インプの目が、「どうせわかってないんでしょうな」という顔をしていたが、事実なので何も返せない。あのインプは本当に僕の使い魔なのだろうか。そもそも使い魔ってこういうものなのだろうか。
「ヒミカちゃん。残念執事は討ち取ったわ」
「あ、はい。ありがとうござい……ます?」
討ち取られた覚えはないのだが、ヒミカさんは口元を手で押さえて目尻に涙を溜めていた。ヨヨさんとインプによる理不尽な暴力に同情してくれているのかと思いきや、笑うのを必死に我慢しているだけのようだ。「アルクさん……ざ、残念執事」という声が聞こえてくる。小刻みに体が震えているのも笑いをこらえているせいだろう。くっ、名付けのセンスが壊滅的な『残念巫女(仮)』に言われるとは。
ただそんな僕も彼女につられて笑ってしまった。元気が出たようでなによりだ。
「き、貴様らオレを無視すんなや! それとそこのくそインプ! おまえ何をしていやがる! まさかお前も魔族なんぞの味方をしてんのか!」
すっかり彼の存在を忘れていた。
どうやら電池切れから回復したようだ。
存在は忘れていたが、彼の言った、「お前も」という言葉。恐らく昔から魔王国にいる使い魔となった悪魔のことをさしているのだろう。
(一応聞くけどさ。コレが前、王都にいるって言ってたインプより高位の悪魔?)
(いえ、違うと思います。コレ程度の悪魔ではないはずです)
念のため、インプが言っていた高位の悪魔がコレであるのか確認したのだが、あっさりと否定された。
そうなるとますます、「あの方」が気になってくる。
(ところで取り憑いた悪魔を引き剥がす方法はある?)
(説得、恫喝、懐柔、取引、拷問など手段は問いませんが、自ら離れさせるのが一番ですな。取り憑かれた者ごと処分するのが手っ取り早いのですが……却下でございましょう?)
(うん。ヒミカさんの知り合いだしね)
無理矢理引き剥がすことはできない、か。
なんとかして悪魔自らユリアナ嬢から出ていってもらわないといけない。とはいえ、ユリアナ嬢を拷問するわけにもいかず、取引を持ち出すとヒミカさんの命を要求しかねない。ならば説得するか、脅すか、懐柔するか、だ。
ちなみに以前、チョトツに取り憑いたインプを引き剥がしたときは説得だった。……説得(物理)だったかもしれないが、決して脅しではなかったはず。何十万秒という遠い昔のことなので記憶にございません。
「おい! くそインプ! さっさとオレをここから出しやがれ! 俺様の命令が聞けねぇのか!」
「アルク様。発言をしてもよろしいでしょうか」
いつも勝手に発言してるじゃないか、と思いつつも黙ってうなずく。ユリアナ嬢に取り憑いている悪魔は、インプよりも格が上なのだろう。命令という言葉からそう推測する。
インプは『執事かご』に閉じ込められているユリアナ嬢の前に立つと、背筋を伸ばし、胸に手を当ててから一礼する。うむ、なかなか素晴らしい挨拶である。見習いの僕がいうのもなんだが、パーフェクトだ、我が使い魔よ。
「初めまして。貴方様がどなたかは存じませんが、わが主の作ったお住まいはいかがでしょうか。身動きできない居住性に、逃げ出すことすらできない密閉性。息が詰まりそうな空間に加え、陽の光は最小限当たるだけの格子状の壁。契約も果たせない、役立たずの貴方様にぴったりなお住まいですね。欠陥悪魔ど・の」
最後にまた綺麗なお辞儀をして言葉を締めくくる。
格下悪魔にいいように言われたことがよほど腹立たしかったのか、『執事かご』に閉じ込められているユリアナ嬢の顔色が見る間に変わっていく。
「く、く、くそインプのぶ、ぶ、ぶ、分際で。――くらいやがれ! 精神支配!」
いつぞやインプも使った精神支配。インプの場合、尻尾を振り回すことで使っていたが、この悪魔にそういった動作は一切見られなかった。準備動作なしで使える分、インプよりも格上なのは間違いないようだ。その威力も高いに違いない。
精神支配をかけられたインプは直立したまま動かなくなった――が、彼なら大丈夫だろう。
「ヒッヒッヒ。魔族ごときに使役されるくそインプごとき、俺の手にかかればこんなものだ。さぁ、インプよ! 目の前の巫女とそこのガキを殺せぇぇ!」
「お断りいたします」
「へ?」
やはり精神支配のほうは全く効いていないようだ。
背筋を伸ばして直立するインプが、肩についた埃を払うように手を動かす。見た目には何もついていないのだが、その手をハンカチで拭く念の入れようだ。よほどついて欲しくないものがついたのだろう。
「ばかな! 俺の精神支配が効かないだと! インプと俺達ウコバクの間には倍の実力差があるというのに」
「あー、ウコバクでしたか。どうりでウコバク臭いと思いました。おー、臭い臭い。ウコバク臭い。魔力がすり減りそうな悪臭です」と鼻をつまみながら、僕を意味ありげに見るインプ。
(嫌な性格だねぇ)
一瞬だけニヤリとした僕は、彼と同じように鼻をつまみ、眉をしかめ、渋面を浮かべる。
「うわっ。本当だ。この臭いはたまらないな。ウコバクって臭いのか。これはひどい」
「な、何を言ってやがる。お、おれは臭くねぇ!」
ウコバクの名誉のためにも言っておくが、ウコバクからはなんの臭いも出ていない。僕がインプの言葉に合わせているだけだ。ウコバクはムキになって否定しているが、僕とインプは止まらない。
言っておくが、これはいまどき魔族の子供でもやらないような低レベルで低次元な嫌がらせだ。もし万が一、こんなことを本気でやってるような連中がいるとすれば、その方の精神性に心から憐れみと蔑みの念を送りたいと思う。
「皆様、ウコバクの臭いにお気をつけ下さい。悪魔一臭いと有名な悪魔です」とノリノリのインプ。
「ええっと、ウコバクだっけ? その臭いなんとかならないかな。すごく臭いんだけど。自分で嗅いだことないの? あー、くっさ、くっさ。うぉっ、息を吸うのも大変だ。近づくと本気でまずい」
「おい、やめろ! 娘に取り憑いている俺から臭うわけがないだろうが!」
「なあ、インプよ。悪魔って、こんな年端もいかない女の子を言い訳に使うものなのか? もっと高潔だと思ってたわ」
「アルク様。もちろん我々下っ端の悪魔にも悪魔としての誇りがございます。ですが、ウコバクにはないのでしょうな。悪臭のせいで、『誇り』が、『埃』になったのでしょう。そんな埃はしょせんゴミでございます」
「なるほど。なら生きてるウコバクは生ゴミだな。だから臭いのか」
僕とインプは声を合わせてウコバクに向かって言う。
「「納得ぅ」」
もちろん鼻を押さえながらである。
ヨヨさんとヒミカさんの呆れたようなため息が聞こえるなか、ユリアナ嬢に取り憑いたウコバクは怒りの表情を浮かべていた。中のウコバクはずいぶんとお怒りらしい。「ふざっ……ふざっ」という声が耳に入る。
そこに、「ねぇ。どんな気持ち?」と僕が尋ねる。
「っざけんなや! ごらあぁぁ!」
もう一度言おう。
悪魔との交渉は自分のペースに引きずり込むこと、である。
怒声とともに『執事かご』から、ずるりと何かが飛び出してきた。同時にユリアナ嬢の身体が痙攣するかのようにビクンと跳ねる。
飛び出してきたそれは、いびつな尖った耳を持ち、怒りに燃えた目でこちらを睨む。顔の大部分を占める大きなかぎ鼻がひときわ目立つ異形の生物だった。ひょろりとした身体に、赤い肌。大きさはインプより一回り大きいだろうか。ウシドンに似た尻尾を持ち、尾の先端には小さな炎が灯っていた。
これがウコバク本来の姿なのだろう。
「ん?」
怒りに燃えるウコバクも気がついたらしい。
突然、『執事かご』から出ることに成功したウコバク本人が驚いている。まさか出られるとは思っていなかったという顔だ。だが、結界魔法でもある『執事かご』であれば可能なことだ。通り受けられるものにウコバクを追加すればこのとおりである。
悪魔が抜けたユリアナ嬢は『執事かご』の中で気を失っている。だが呼吸は安定しているようで命に別状はなさそうだ。
「あれ? 出られた?」
「うわっ、ウコバク臭っ」と僕は鼻を押さえながら顔をしかめる。
「直に嗅ぐと、目にきますな」とインプは目頭を押さえる。
何度も言うがウコバクは無臭である。
だが、ウコバクにとって僕たちの言葉と仕草は触れていけない何かに触れてしまったらしい。赤い肌をますます赤くしながら、どこからともなく一メートルほどもある銅でできたスプーンのようなものを取り出した。よく見るとスプーンというより、長い柄のついた底の丸いフライパンといったほうがしっくりくる形状だ。それはうっすらと全体が赤い炎に包まれており、ウコバクはその柄付きフライパンを両手に持って構え、僕とインプを睨みつける。構えた瞬間、炎はウコバクの魔力によってその大きさを増し、彼の怒りを表すかのように激しく波打っていた。
今や取り憑いていたユリアナ嬢のことなど、彼の頭からはすっかり抜けてしまったようだ。ウコバクは僕とインプばかりに気を取られている。誘導されていることに気が付けない、なんとも単純な悪魔であった。
「脱出できればこっちのもの。魔族のくそガキごときが散々バカにしてくれたな。くそインプ、お前は吸収して……ブゴッ」
ウコバクが話している最中、インプがウコバク目がけて何かを投げた。それは回転しながらものすごいスピードでウコバクの顔面に命中し、ウコバクの体を吹き飛ばす。吹き飛ばされたウコバクは、ビザー伯爵とグレイの体にぶつかると、投げられた物体を顔にめり込ませながら、二人の体の上にぐったりと倒れこんだ。
(パイナップル……?)
そう。ウコバクの顔には小さめのパイナップルがめり込んでいた。あれもシュリーカー族の村でもらったものに違いない。パイナップルは表面がそれなりに硬い皮で覆われている。それはまるで荒いヤスリのように、ゴツゴツしているのだ。それを顔面で受ければ当然、痛い。あれは痛い。かなり痛い。間違いなく痛い。
「先ほどから我が主アルク様に対して暴言の数々。アルク様が許してもこの私とパイナップルが許しません」
いや、インプはともかくパイナップルに許される魔族というのはいかがなものだろう。そもそも言われたパイナップルも困っているに違いない。それよりも食べ物で遊ぶんじゃないと、何度言ったらわかるのかね。
「パイナップルは投げることで、より甘く――」
「パイナップルは追熟しないから、ありえない」
インプの言葉を遮った僕の言葉から、無言のまま数秒の時を置いて言ったインプの答えはこうだ。
「パイナップルも恋をすれば――」
「あまーーい! ってならないよ! 植物が恋をした結果が果実だよ!」
「十歳なのに思った以上に、耳年増ですな」
「相手は植物だよ! 農業だよ!」
「じゃあ、気合さえあれば甘くなります」
じゃあってなんだ!
しかも結局は、気合かよ!
僕らの掛け合いとパイナップルの気合はともかく、ウコバクは下級に分類されるとはいえ悪魔である。もともと魔力の固まりである悪魔の顔面に、どうやったらパイナップルがめり込むのか理解しかねるが、その程度ではウコバクはへこたれなかった。今も足をカクカクさせながら、顔にめり込んだパイナップルを震える手で掴み、引き抜こうと頑張っている。
パィンッ。
「おっ、抜けた」
弾けるような音とともにウコバクの凹んだ顔があらわになる。あー、これはひどい。顔の中止にある大きな鼻に直撃したせいで、鼻から魔力が漏れているではないか。だがウコバクが力を入れると、彼の顔は紙風船に息を吹き込んだかのように元の形に戻っていった。なんとも器用な顔である。
「おのれぇ、くそインプの分際で、格上たるウコバク様に対し度重なる無礼を働きおって」
怒りの頂点をさっくりと超えたようだ。倒れていたビザー伯爵の腹の上に立つ彼は、赤から赤黒くなった顔に憤怒の表情を浮かべている。その目からは今にも炎が吹き出してきそうだ。ウコバクは引い抜いたばかりのパイナップルを苛立たしげに床に投げ捨て……ようとした途中で、鞭のようにしなるインプの尻尾に殴られていた。
しなる鞭のような尻尾の一撃はかなり効いたようだ。辛うじて倒れなかったが足元はふらふらだ。酔っているかのように後ずさりをするウコバクは、結局、伯爵を縛っているロープに足を引っかけ、転んでしまった。伯爵の体を体操マットにするかのように、体の上で後転を披露するウコバクの先には、ビザー伯爵の頭があった。数回転後、ウコバクは寝ているビザー伯爵の額に、後頭部で頭突きを食らわすことなる。派手な音を鳴らしたあと、伯爵の顔の上で自分の後頭部を抱えながら悶絶するウコバク。頭突きを食らわされた伯爵の額にもコブができているが彼が起きる様子はない。
ウコバクが持っていた柄付きフライパンは、彼が転んだ拍子にその手から離れ、空中で回転しながら、ある一点に吸い寄せられるようにして落ちていく。鈍い金属音を響かせて命中した先は、気絶していたグレイの頭だった。
「コボッ」
意識を失っていても声は出るらしい。
底の丸いフライパンは見事にグレイの頭に命中し、彼の頭にすっぽりと被さった。今のグレイはまるで銅でできたヘルメットを被っているようにも見える。
ウコバク、ビザー伯爵、グレイの三人(匹?)が三人とも不幸な事故に見舞われたわけだが、その原因を作ったインプに目をやると、彼は先ほどのパイナップルを手に乗せて、堂々とした姿勢で空中に浮かんでいた。インプは尻尾を振り回しつつ、伯爵の顔の上でぐったりしているウコバクに向かって指をさす。
「食べ物で遊ぶんじゃありません!」
いや、それキミだから。
桃の種を投げる手伝いをしたのも、パイナップルを投げたのもキミだから。
残念ながら僕の心の声は届かなかったようだ。インプは、「困ったものです」と言いながら、ウコバクが落としたフライパンを手に取った。インプは手に持ったパイナップルの葉を手刀で切ると、フライパンの中に丸ごと放り込む。続いて、スプーンに魔力を流しながら火力を上げ、パイナップルを皮ごと焼き始めた。
……なぜ焼く? それも今、この状況で。
先ほどうっすらと炎をまとうフライパンを頭に乗せるはめになったグレイだが、火は燃え移ることもなく、彼は火傷もしていなかった。ウコバクやインプみたいに魔力を流さなければ、見た目は炎でも熱くならないのだろう。ただフライパン本体に熱が残っていたみたいで、頭の毛の一部がパンチの効いた形状に変化していた。音にするならば、「もじゃっ」である。
「そ、そのフライパンは俺のものだ。返しやがれ。く、くそぅ、なぜだ。なぜ俺がインプごときに」
這うようにして伯爵の胸元まで移動したウコバクがピタリと止まる。這ってる彼の前にインプが立ちふさがったからだ。ウコバクはその場で立ち上がると、一歩の距離をあけてインプを見下ろした。一回り小さいインプも負けてはいない。ウコバクを睨み返し、口元には相手をバカにしたような笑みを浮かべている。
だが、パイナップルを焼く手は止まっていない。だから、なぜ焼くんだ、キミは。
寝ている伯爵にとってはいい迷惑だろう。
両悪魔が彼の身体の上で対峙しているのだ。しかもインプのほうは調理中である。インプはフライパンの中でパイナップルを転がしながら、「質の悪いフライパンですねぇ」と煽り、それを聞いたウコバクは、ウシドンのような尻尾で伯爵の顔を叩きながら、「くそインプには魔力制御が難しかったか」と煽り返す。
「ふっ。インプに転がされるウコバクのくせに魔力制御を語るとは片腹痛い。それにアルク様の使い魔となった私は通常のインプの三倍。それすらわからない悪魔など所詮は不良品ですな」
「あぁん? なんだと! そんな口が叩け――ん? おい、やめろ。まて! ふざけんな! なぁ、ちょっと! ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、待っててば」
ウコバクの様子がおかしい。
彼の前に立つインプも首をかしげている。ウコバクがインプに言い返そうとした途端、急に慌て始めた。インプの言葉に反応した様子ではない。焦ったような声を出して振り向くウコバクに釣られ、インプと僕は覗きこむように彼の視線の先を見る。
するとそこには……ウコバクの尻尾をかじるビザー伯爵の姿があった。恐らく寝ぼけているのだろう。ウコバクの尻尾を口に入れ、幸せそうな顔でガジガジとかじる。悪魔は魔力の固まりである。悪食の彼にとって悪魔はある意味ごちそうなのかもしれない。尻尾の先端で燃えていた炎に構うことなく、伯爵の咀嚼は止まらない。
「痛いっ痛いっ痛いっ。ちょっとやめ!俺の尻尾は食い物じゃねぇぇぇ」
悪食というのは寝ていても食い物に貪欲なようだ。しかもスルメじゃあるまいし、悪魔の尻尾をかじるとか信じられない暴食である。
「ああはなりたくないね」
「どちらの方ですかな」
インプが警戒したように尻尾を体に巻きつけながら言う。
「両方だね」かじるのもかじられるのもごめんである。
「ですよね」
その後、ビザー伯爵の魔の手から助けられたウコバクはすっかり戦意をなくしていた。ウコバクをビザー伯爵の魔の口から助けたのはヒミカさんだ。暗殺対象に救われるというなんとも情けない姿を見せたウコバク。尻尾は折られなかったが、心のほうはポッキリと折れていた。それはもう見事なまでのポッキリ具合である。
ビザー伯爵は今も気持ちよさそうに寝たままだ。
ヒミカさんとヨヨさんは気絶したユリアナ嬢とフラム子爵の二人を介抱している。二人を精神支配で操っていたことは、ポッキリウコバクから聞いており、もう危険はないという判断だ。
グレイたちもすでに目を覚ましており、部屋の隅でじっとしていた。いや、じっとしているのはグレイだけで、ブラウンとブッチはそんな彼に対し、笑いをこらえながら慰めていた。どうやらパンチの効いたグレイのニューヘアスタイルはお気に召さなかったようだ。トイプードルみたいな頭でそれなりに可愛いのに何が気に入らないのだろうか。
「さてと、衛兵がこっちに来る前に全部話してもらおうか」
僕がウコバクに問いかけると無言のままうなずいた。
話は数年前に遡る。
契約者から魔族の幼い巫女を暗殺するよう命令されたウコバクが最初に取り憑いたのはフラム子爵だ。幼いヒミカさんに接触した際、子爵に取り憑いたウコバクはかなり警戒されたらしい。ヒミカさんは自分に目を向けるフラム子爵を、憎悪を隠さない人物と表現している。
そこでウコバクは、子供なら警戒されないだろうと考え、ユリアナ嬢に取り憑いた。ユリアナ嬢に巫女のことを慕うよう誘導し、油断したところを狙うつもりだった。ヒミカさんと会うときは察知されないようユリアナ嬢から離れる念の入れようだったという。ほかにも毒を入れた飲み物や食べ物を贈り物として届けさせた。しかし、ヒミカさんはそれらのものに一切手を付けようとしなかったそうだ。
(偏食が原因だろうね)
当時のヒミカさんは、大神官様の作った偏った食事と毒で死にかけたせいで極度の偏食となっていた。そのおかげで送られてきたを口にすることはなかったようだ。
ならばということで、自分の使い魔をヒミカさんの部屋に忍び込ませ、直接、毒を仕込もうとした。だが大神官に見つかり失敗に終わる。このとき余計な警戒心を与えたことを契約者から咎められ、目的を達成できないのならば処分すると、「あの方」に宣告されたそうだ。
この契約者と、「あの方」についてはあとで聞くことにしよう。
余談だが、ウコバクは精神支配の力でフラム子爵夫妻はおろか屋敷にいる使用人全員の精神を支配していた。しかし今現在、その精神支配は解かれている。これは確認済みだ。インプ経由で量産型インプにフラム子爵の屋敷を調べさせたので間違いない。夫人や使用人たち全員が意識を失い、倒れていたそうだ。
更にビザー伯爵とグレイたちコボルトの件についても尋ねた。
これは予想通りで、ウコバクがビザー伯爵と接触したのはヒミカさん暗殺のためだったそうだ。どうやらビザー伯爵を利用しようとしていたらしい。
最近のウコバクは、いつまで経っても達成できないヒミカさん暗殺に焦っていたそうだ。月日だけが過ぎていくことに悩んでいた。
そこに数日前からインプによる、「ゲッゲッゲッ」の大合唱が始まった。次元の隙間に隠れていれば魔族には聞こえない声も、同族である悪魔にはよく聞こえるようで、その大合唱はたまったものじゃないそうだ。暗殺計画が露見し、魔族が使い魔を送ってきたかと警戒したが、こちらを見張っているだけで何か仕掛けてくる気配はない。我慢できなくなったウコバクは、一時ユリアナ嬢から離れ、散歩がてら夜の貧民街に逃げ込んだ。
そこで見たのが、ビザー伯爵がグレイたちコボルトを脅し、さらう姿だった。跡をつけたウコバクは、そこでビザー伯爵の計画を知る。誘拐を計画したビザー伯爵を脅すもよし、油断させたところを精神支配するもよし、悪食伯爵と組んで巫女を喰わせるのもよしと考えたウコバクは、ユリアナ嬢を操り、脅されていたグレイたちに接触。こうして寝たふりまでして、わざと捕まったのだ。
フラム子爵がここにいたのは交渉に使うためだった。交渉するなら子供のユリアナより大人である子爵のほうがいい。今日の朝、フラム子爵をビザー伯爵の家に向かわせたのは、そう言った理由だった。
屋敷を出るユリアナとフラム子爵が、量産型インプに気づかれなかったのは、フラム子爵家に伝わる魔道具のおかげだったようだ。介抱されているユリアナ嬢の首元を見ると、確かにそれらしいネックレスが光っている。ユリアナ嬢が身に着けているこのネックレスは、自らの気配と魔力を隠すというものらしい。また同じ効果のある魔道具を子爵も持っており、こちらは指輪型だった。インプが子爵の姿を見失ったのはこれら魔道具の力によるものだ。
「インプ。いったい何匹の量産型インプで見張っていたのさ」
「私を除いて六十六匹です」
あー……。
それはうるさいわ。しかも悪魔にしか聞こえない声とか、完全に嫌がらせである。悪魔が取り憑いていることをわかってて、ワザとやってたんじゃないだろうかと邪推する。
その後、地下室でビザー伯爵と接触する機会を狙っていたところ、僕が来たそうだ。どんなやつかわからなかったため、そのまま寝たふりをして様子をうかがっていたらしい。
――そのときの状況をウコバクはこう語った。
どうやら新しく捕まったやつがいる。子供らしいのようだが、邪魔をするようなら始末すればいい。ビザー伯爵と接触するのは後回しだ。ウコバクはそう判断し、寝たふりを続けていた。
ビザー伯爵が様子を見に来たあと、コボルトたちだけが何度か地下室と屋敷を出入りし始める。
何度目の行き来だろうか。しばらくして、新しく捕まった子供がコボルトたちと一緒に屋敷へと上がっていった。「何をするつもりだ?」としばらく待っていると、連中は伯爵と争った様子もなく地下室へと戻ってくる。そして驚いたことに捕まっていたほかのコボルトたちと共に、ゲートの魔法を使って地下室から脱出していくではないか。ここで困ったことが起きた。自分を助けるため、あとで戻ってくるという声が聞こえたからだ。
子供のくせにゲートの魔法が使えるとなると面倒な相手に違いない。そう判断したウコバクは、得意な炎の魔法で鍵を壊し、慌てて屋敷に上がる。そこで見たのはロープで縛られ、気持ちよさそうに寝ているビザー伯爵の姿だった。
ここでウコバクは自分の失態を自覚する。
ビザー伯爵が誘拐犯であることをコボルトたちが話したに違いない。臆病なコボルトが圧倒的上位者である伯爵を裏切ったのだ。
にわかには信じられなかったものの現実は目の前に転がっている。睡眠薬をどうやって伯爵に飲ませたのかわからないが、さっきの子供は、コボルトを懐柔し、誘拐犯である伯爵を捕らえることに成功しているのだ。ここから脱出したのも衛兵を呼びに行った可能性すらある。
これでは、もはや伯爵との交渉どころではない。幸いなことに伯爵と自分の関係は、誘拐犯と被害者のままで、バレていないはずだ。被害者のふりをしておけば問題ないだろう。
だが待て。
もし伯爵を利用するなら、戻ってきた連中を殺し、別の場所に伯爵を移してから改めて交渉してもいい。逃げたコボルトたちの住処もわかっているので口封じも問題ない。
フラム子爵はすでに屋敷に着いており、睡眠薬などの薬品が並ぶ部屋で待機させてある。子爵と二人がかりならなんとかなるだろう。ゲートを使うやつも女の子の姿なら油断するはずだ。ひとまず子爵は待機させておこう。
おっと、どうやら戻ってきたらしい。
まずは相手の出方を見るとするか。
ユリアナに取り憑いたウコバクは地下室へと向かった。そこで真っ先にウコバクの目が捉えたものは、伯爵を捕まえたであろう子供ではなく、逃げ出したコボルトでもなかった。
ウコバクは反射的に、悪魔の神に感謝の言葉を捧げた。
目の前にいるのは、恋と呼べるほど心を焦がし、恨み、憎み、呪ったあの巫女だ。これは絶好の機会に違いない。巫女さえ殺せば契約から開放される。処分されなくてもすむ。
伯爵を捕まえたガキ? 毛むくじゃらのコボルト? そんな連中のことなど、もはやどうでもいいことだ。
――そして全ては失敗に終わった。
「そして現在に至るわけでございます」
ウコバクは蚊の鳴くような声でそう締めくくった。話している最中も何度か聞き返さないといけないほどの小さな声だった。もともとあるかわからないが、今のウコバクの目は生気すら感じない。完全に、完璧に、見事に落ち込んでいた。全魔王国落ち込み選手権があれば上位に食い込めること間違いなしである。
そんなウコバクに契約者と、「あの方」について確認する。
はじめは無言だったウコバクも観念したのか、契約者について話しだす。まずこの契約者とウコバクは直接の面識がないことがわかった。この契約者と引きあわせたのは、「あの方」だそうだ。「あの方」とやらについて何度も問い詰めたが、断固として話そうとしなかった。
「それにしてもずさんな計画だねぇ。いや、計画とも呼べないか」
「行き当たりばったりですな」
「しかも今日まで約六年経っても成果なしですよ、インプさん」
「桃ですら三年で実をつけるというのに無能っぷりが半端ないですな、アルク様」
容赦無い僕とインプの言葉に、心がすっかり折れているウコバクは煽っても怒るどころか何の反応も示さない。元気づけようとしたのに、なんて張り合いのない悪魔だろうか。「余計に折ってるわよ」というヨヨさんのご意見は、窓口が時間外のため受け付けておりません。
「アルクさん。ユリアナちゃんが目を覚ましたようです」
ぐったりしているウコバクを念のため『執事かご』に閉じ込め、ヒミカさんに膝枕をされているユリアナ嬢の元に歩み寄る。長い眠りを惜しむかのようにゆっくりと目を開くユリアナ嬢の瞳は、草木の息吹を感じさせる鮮やかな若草色に戻っていた。しばらく寝ぼけ眼をこすりながら呆けていたユリアナ嬢だったが、自分を優しく見つめる視線に気づいたようだ。
「あれ? お姉ちゃん?」
「痛いところはない? ユリアナちゃん」
優しく微笑みかけるヒミカさんを寝たままの姿勢で眩しそうに見ながら、照れたような素振りを見せる彼女はゆっくりと部屋を見回してこう言った。
「あれ? ここどこ? どうしてユリアナはここにいるの?」
「おや? ここはどこだ? おお! ユリアナまで! それにそこにおわすはヒミカ姫ではありませぬか。ご健勝そうで何よりでございますぞ」
「おとうさま?」
そこからがまた大変だった。
時を同じくして目を覚ましたフラム子爵から質問攻めに合った。それだけならまだいい。ヒミカさんと対等に話す僕に対し、子爵が怪しい者を見る目を向けてきたのだ。最後にはヒミカさんが僕のことを友人だと説明してくれたことと、ミストファング侯爵家の執事見習いだと告げたことでその誤解は解けている。
そして話をしているうちにユリアナ嬢は、グレイたちに誘拐されたこと、悪魔に取り憑かれていたこと、ヒミカさんの命を狙っていたこと、その全てを何ひとつ覚えていないことが判明した。インプが言うには、ウコバクが抜けたときのショックが原因だろうということだった。
今、ユリアナ嬢は初めて目にした妖精のヨヨさんと隣の部屋で椅子に座りながら楽しげにお喋りをしている。そんな彼女の前には、花蜜がたっぷりかけられた焼きパイナップルがカットされ、盛りつけられた器があった。生で食べるときよりも芳醇な香りが部屋いっぱいに広がり、ユリアナ嬢も、「ユリアナ、この香り好きー」と嬉しそうに口へと運んでいた。
彼女の楽しげな顔を見ていると真実を伝えないほうがよさそうだ。
問題があるとすれば、目の前でヒミカさんに土下座したまま顔を上げないフラム子爵である。
「ですから頭をお上げください」
「とんでもございませぬ。姫のお披露目パーティによる失態に続き、大恩ある伯爵様の姫に対し、数々のご無礼のことを思えば顔を向けられる立場ではございませぬ。あまつさえその姫のお命を狙っていたとは言語道断。また我が娘が悪魔に取り憑かれておったとしてもそれは親である私めの責任。この上は、アルティコ様の前でこの身に火を放ち、自ら炭となってお詫びする所存。お願いできる立場ではございませぬが、どうか、どうか我が娘ユリアナには、姫のお慈悲を持って寛大なる処置を伯爵様にお口添えしていただけるよう伏してお願い申し上げまする」
これがまた実に面倒くさいおっさんだった。
長い間、精神支配にてウコバクに操られていたフラム子爵は、ユリアナ嬢と違い、うっすらと記憶が残っていたのだ。
実はこの前にも一悶着あった。
ユリアナ本人が悪魔に操られていたとはいえ、そこは自分の娘である。その娘を誘拐したビザー伯爵の首に、子爵は無言のままどこからともなく取り出した短刀を突き刺そうとしたのだ。魔族の子爵である以上、それなりに実力があるのだろう。いつ短刀を抜いたのか感じさせない早さだった。反射的に証拠品を蹴飛ばすことでなんとか凌いだのだが、今、彼を消されては困るのだ。ユリアナ嬢が誘拐されたことを覚えていない以上、この証拠品には利用価値ができたからだ。
そんなユリアナ嬢誘拐の実行犯であるグレイたちは、脅されて仕方なくやったこととして子爵に許されている。殺気のこもった血走った目を向けられ、二度目の気絶をするだけで済んだ。目を覚ました本人らは、一刀のもと、首を斬られた感覚を味わったと顔を青くしていたが、首に短刀を突き刺されないだけマシである。
その後、何をしでかすかわからない子爵の相手をヒミカさんにお願いしたところ、子爵の土下座劇場が始まることになった。
「フラム子爵に責はございませんから」
「いやいやいや。それでは私めの気が済みませぬ。姫に対する失態はこれで二度目にございます。どうかこの不義なる腐木めに自らの罪を償わせる機会をお与えくださいませ」
フラム子爵は、いまだに伏したまま顔を上げる気配はない。
子爵が悪魔に操られているとき、ヒミカさんは彼が豹変したと感じていたそうだが、今の子爵を見ればそれもよくわかる。子爵の口調のみならず、ヒミカさんに対する接し方まで、操られていた時と極端に違うのだ。操られる前のフラム子爵を知らない自分からすれば、殺気混じりだった子爵との差に戸惑ってしまうほどの差だ。これだけ歴然と差があっては疑われても仕方がないだろう。改めてウコバクの無能さに呆れてしまう。そのウコバクは今も『執事かご』の中で、どこを見ているのかわからない顔をしながら膝を抱えていた。
「フラム様。ここでお話しされていても仕方ないでしょう。大神官様やアルティコ伯爵を交えてお話しされたほうがいいと思います。お屋敷でも奥様や使用人たちがお待ちのはずです」
「むむ! 確かにアルク殿の言うとおり。奥たちに責任がいかぬようせねばなりますまい。それに伯爵様の目の前でこの身を処するためにも大神官様のお力をお借りするとしましょうぞ。大神官様なら我が身を罪ごと浄化の炎で一片も残さず清めて下さることでしょうな。素晴らしいご助言感謝いたす」
いや、そういう意味じゃないから。
なんで僕が子爵の自殺願望の助言をしなくてはならんのですか。
もう彼のことはヒミカさんに任せておくことにしよう。顔を上げると僕の気持ちを理解してくれたように彼女は軽くうなずいてくれた。
そろそろ衛兵たちがやってくるころだ。グレイたちも覚悟をしてもらおう。
「ところでフラム様。ひとつお願いがあるのですが」
頭を下げたままの子爵に、僕はあるお願いをした。その願いに子爵が快諾してくれたあと、僕は王都の北門前に『執事ゲート』を開き、子爵とユリアナ嬢、そしてヒミカさんとヨヨさんを送りだした。こちらの用事が済み次第、子爵のお屋敷で皆と合流する予定である。
今、この屋敷に残っているのは、僕と姿を消したインプ、グレイたち三人のコボルト、それに寝ているビザー伯爵だけだ。
ちょうど『執事ゲート』を閉じたと同時に、屋敷の前に集まる気配を感じた。その数は十を超えるほどになっている。
これから行われる事に対し、緊張のあまり顔色が悪くなったグレイたちに気合を入れるため声をかけた。
「さあ、英雄が誕生する時間だよ」と僕は笑う。
「どっちかというと偽装工作だろ、これ」とグレイが返す。
「何言ってんのさ。英雄は人の為に自らを装うものだよ」
「……やっぱり偽装じゃねぇか」
グレイとほかの二人は諦めたように深いため息をつくのだが、そのため息は屋敷の中に入ってくる幾人もの足音にかき消されることになった。




