第七十一話 牧場で知るエルフの食生活
「それで、アルクさ。このエルフのお嬢さんは何をしただべか」
「僕にもさっぱりわかりません。なぜこうなったのでしょう」
ここはミノスさんの自宅である。
ミノタウロス族のミノスさんの体に合わせてか、部屋や家具も一般的な魔族が使う物より一回りサイズが大きい。
ミノスさんはこの家に奥さんと二人で暮らしており、子供はいないそうだ。その奥さんはというと、ウシドンの子供の世話をするため牧場に行ってるらしく、まだ挨拶はできていない。
ミノスさんの牧場に着いた僕は、ニーナさんを紹介したあと、改めて自己紹介をした。僕が貴族に使える執事(見習い)であることを打ち明けたのだ。
はじめは畏まっていたミノスさんだったが、僕自身は貴族ではないし、今までどおり接してくれるようお願いすると、快くうなずいてくれた。
よく来てくれたべ、というミノスさんの歓迎とご厚意により、ミノスさんお手製によるウシドンステーキをいただいたのだが、今の状況に僕だけでなくミノスさんも驚いている。
――時はウシドンステーキが運ばれる直前まで遡る。
鉄板に乗せられ、ジュウジュウと美味しそうな音を立てて並べられるウシドンステーキ。ステーキを運ぶミノスさんの笑顔が印象的だ。なんといっても、顔は雄牛そのものだ。笑顔の牛を想像してみて欲しい。間違いなく印象に残るだろう。
テーブルの上に置かれたステーキは、付け合わせもなく、「肉々しい肉」と言わんばかりの分厚いステーキだ。縦が横なのか、横が縦なのか、実に悩ましいほどの分厚さである。
熱した鉄板の熱で、弾けるような音を立てるのと同時に、肉の香ばしさが鼻をくすぐる。この肉の塊は、耳で、鼻で、僕たちの食欲を掻き立てる。
ステーキにかかっているのは塩のみ。味付けかと思いきや、塩をふることで焼いた肉が締まるんだべ、とミノスさん。やはり味には無関心だった。
並べられたステーキを前に、ニーナさんがポーチから取り出したのは小さなビン。出された料理に手を加えるのは失礼に当たると思ったのか、「これをステーキにかけたいのだけどいいかしら」と確認をする。その言葉に、「かまわないべ」とにっこり微笑むミノスさん。料理をしてくれた人にこんなことを言えば、嫌な顔のひとつくらいされてもおかしくない。ミノスさんの性格なのか、やはり味に興味がないからなのか、あっさりと承認している。ウシドンの魅力は、柔らかさだ、と言うだけあって何をかけようとも気にしないようだ。
実はこのニーナさん。牧場に着く前の街道で食べていたバナナにもこの赤いソースをたっぷりとかけていた。バナナの白い実が真っ赤になっていたときには驚いたものだ。
それは何かと尋ねると、彼女は、「美味しくなる魔法の液体よ」と答えた。僕はそういうものがあるのか、と思う程度でそれ以上詳しく聞かなかった。
その選択が今回の状況を生み出したとも言えるだろう。後悔先に立たずとはまさにこのことだ。
ニーナさんはお礼を言うと、嬉しそうな満面の笑みを浮かべ、中の液体をステーキにかけ始めた。その液体の色は、鮮やかなまでの赤だ。真紅と言ってもいい。
そのとき僕の鼻は、ちょっとした違和感を覚えた。
風が吹く街道を歩いていたときと違い、ここはミノスさんの家の中。風もなく、ある程度閉ざされた空間である。
だが、そのことに気がつくのが少し遅かった。
「……あのう、ニーナさん?」
「どうしたの、アルクくん。お肉が冷めるわよ」
「いや、その、この匂い、上にかかっている赤いソースは……」
「来る前にも言ったじゃない。魔法の液体だって」
「いえ、そうじゃなく」
僕の言葉をさらりと流したニーナさんは、分厚いステーキにナイフを入れ、一口大に切り分ける。その途端、ややピンクの色合いを残した切り口から、肉汁が、じゅわぁ、とあふれ出す。切り分けた肉を赤い液体にたっぷりとまぶし、フォークで口へと運ぶ彼女の姿は実に上品であり、さながら見慣れた貴族の食事風景のようだった。
ゆっくりと口の中で味わい、こくりと飲み込み、はふぅ、と息を漏らす。
「す、すごいわ! ミノスさん! アルクくん! こんな素晴らしいお肉を食べたのは初めて! しっとりとした赤身、臭みのまったくない脂身、これは間違いなく最高品質ね」
「そ、それは良かったですね」
「そ、それは良かったべな」
僕たちが戸惑っているのには理由がある。
同じテーブルの上には、僕に出されたウシドンステーキがある。見事な焼き加減が食欲を誘っている。しかし、ニーナさんの食べているウシドンの肉はソースのせいで真っ赤なのだ。いや、それだけではない。さきほどまで僅かにしか感じなかった匂いが、時間とともに刺激という痛みに近いものとなり、部屋の中に充満してきたのだ。
その異変に気がついた僕とミノスさんはお互いに顔を合わせたあと、ニーナさんの前にある赤いステーキへと目を向ける。しばらく興味本位で様子を見ていたのだが、鉄板にその液体が滴り、「ジュッ」と音をたてて蒸発し始めたときから、次第に目をそらすことになった。
痛いのだ。目が。
その痛みは時間とともに激しさを増す。赤い液体が鉄板に触れ、ジュッと音を奏でるたびに、痛みは激痛へと変わっていった。
あまりの刺激に涙が止まらない。目にハンカチを当てているが、痛みは一向に収まる気配がない。目を突き刺すような刺激が次から次へと襲ってくる。鼻は痛みしか感じておらず、もはやその痛みですら麻痺し始めている。
ミノスさんも同様の症状のようで、無言のままテーブルから立ち上がり、窓やら戸やらを全開にしている。呼吸するのも苦しいようだ。僕より鼻も口も大きいのだから、そのダメージは深刻だろう。
僕も慌てて席を立ち、刺激のない空気を求め、開いている窓へと駆け寄った。
「どうしたの、二人とも」
僕たちがひどい刺激臭に悩まされている中、元凶であろう本人はまったく気にした様子がない。なぜこの環境の中で平気なのだろうか。
換気が功を奏したのか、しばらくするとその刺激もなくなり、平穏かつ平和な時間を取り戻すことができた。僕たちは恐る恐る席へと戻り、突然起きた惨事について話し合うのだった。
――さて、話は冒頭に戻る。
「で、アルクさ。このエルフのお嬢さんは何をしたんだべか」
「僕にもさっぱりわかりません。なぜこうなったのでしょう」
すでに一枚目の分厚いステーキを平らげたニーナさんは、二枚目のステーキを口にし始めたところ。僕の分だったが、物欲しげな顔をしたニーナさんに譲ったのだ。いい大人の女性が、人差し指を口に当てながら僕のステーキをじっと見ている姿に耐え切れなかった。
「気に入ってくれたのは、嬉しいだども……」
ありえないほどのスピードで口に運ばれるステーキだが、その上品さが崩れることはない。そして本人曰く、『魔法の液体』が入っている小ビンは、すでに二本目がテーブルに置かれている。
「ニーナさん、それ一体なんなんです?」
「ちょっと舐めてみる?」
食べるのに夢中になっていたニーナさんが、赤い液体の入ったビンを手渡してくる。僕はともかく、「美味しい」が理解できないミノスさんは首をひねっている。
小ビンを受け取った僕は、恐る恐るフタを取り、ビンの中を覗く。光の反射で光る赤い液体は、蠱惑的で別に変わったところはない。しかし、小ビンに鼻を近づけて匂いを嗅いだときに、僕ははっきりと理解することができた。
これは、ダメだ、と。
匂いを嗅いだ瞬間から、体中から汗が吹き出すような感覚に襲われたのだ。自分でもわかるほど顔は紅潮し、手足だけでなく体中が熱い。急激な体温の変化に朦朧としてきたのか、目の前が揺れ始めた。
前世で学生だった頃、理科の授業中、薬品の匂いを嗅ぐときは手で仰ぐようにして匂いを確かめなさい、と先生に言われたことが、走馬灯のように……。
「アルクどーん! ダメだぁ、こっちさ帰ってこーい!」
ミノスさんの声に我に返る。声をかけてくれなかったら危なかった。
「あ、ありがとうございます。もう少しで川を渡るところでした」
「川って何よ! 川って!」
「ニーナさん。これって、トウガラシですよね。ほかにも何か入っているようですけど」
「あら、良くわかったわね」
僕が食材を当てたことに感心した様子のニーナさんだが、この匂い、この刺激は間違えようがない。これは間違いなくトウガラシ。しかもトウガラシ以外にもいろいろブレンドされているようだ。
前世では、スコヴィルという単位で辛さを量っていた。ハバネロという有名な激辛トウガラシがあったが、それがおよそ三十万スコヴィルだ。この液体は、それ以上の辛さがあるだろう。死のソースと呼ばれる激辛調味料があったが、それと似たようなものだろうか。
街道では風があったし、何より屋外だった。隣にいても刺激を感じることはなかった。しかし今は室内である。前もって赤いソースの正体をちゃんと聞いておけば、このような事態を防げたはずだ。今回の一件は、ソースが熱せられた鉄板に触れたことで、気化したトウガラシなどの辛み成分が狭い空間に充満したのが原因だろう。
確か前世にも同じような道具があった気がする。名前は確か、動物のサイが涙を流して泣くほど強烈な何かだったはずだ。記憶が曖昧なため、これ以上は思い出せそうにない。
川を渡りそうな僕に助け舟を出してくれたミノスさんだが、僕の隣で大汗をかいていた。特に『辛さ』という味を感じているわけではなさそうだが、指先と口の中が痛いと悶えている。開けたままの口からは真っ赤になった舌が垂れ下がっていた。
僕の様子から察してくれればよかったのに、どうやらミノスさんは匂いだけでなく舐めてしまったらしい。指が痛いのは指先につけて口に入れたからだろう。いくらエルフのニーナさんが嬉しそうな顔をしていたからといって、魔族がハッピーになれるとは限らない。
まさに好奇心は猫を殺す、である。牛だろ! というご意見は受け付けない。最も言いそうなツッコミ担当のヨヨさんがこの場にいないのが残念だ。
「もしウシドンのミルクがあるのなら、飲むことによって口の痛みが多少和らぎますよ」
「アルフほんふぁ、ウヒドンのことふぉ、よくひっへるへな」
ウシドンのことを良く知っているべな、と言ったのだろう。舌が麻痺して呂律が回らないようだ。
慌てて家の奥へと向かったミノスさんの様子から、どうやらこの世界にも牛乳があることがわかった。正確には、ウシドン乳と言うべきだろうが、ミルクで通じるらしい。
ミルクがあれば、バター、ヨーグルト、チーズなどが作れる。以前、お嬢様に作ったシチューは、狼のミルクだったためか本来のコクが出なかった。ミルクであれば、より美味しいシチューが作れるだろう。それにバターを用意すれば、作れるお菓子の種類も増える。ヨーグルト、チーズも同様だ。
僕の中では、ウシドンの評価が急上昇、うなぎ登りである。
牛だけど。
(それにしても、口の中が痛い、か)
もしかしたらミノスさんも味が理解できるかもしれない。舌に痛みを感じるのであれば可能性はある。刺激もある意味、味覚なのだから。
僕はふと思い出す。
氷砂糖や塩を舐めても反応のなかったセイバスさんや奥様は高位魔族。味そのものは理解していないが、口の中の刺激を感じた侍女のイーラさんとミノスさんは中位魔族だ。この違いは味覚と関係しているのだろうか。
「やだわ、二人とも。大げさなんだから」
「………はあ」
「私、これくらいのソースが一番好きなのよね。食通と呼ばれる長老たちはもっと刺激的なソースを食べているのよ。憧れるわぁ」
「何言ってんですか、アンタ」
それ食通やない。食痛や! と思わず言いそうになる自分を抑える。
真っ赤な激辛トウガラシソースのかかったウシドンの肉を、幸せそうに食べている彼女。時折、追加でソースをかける姿は、相変わらず嬉しそうな笑みだ。
「ニーナさん。もしかしてエルフって……」
なんとなく予想しているものの、恐る恐る彼女に確認する。
そして返ってきた答えは、僕の予想どおりの答えだった。
僕は思わずため息を漏らす。
ニーナさんによるとエルフ族が普段食べているのは、いわゆる激辛料理だった。僕やミノスさんの反応からわかるとおり、生半可な辛さではない。
普通であれば、辛味が舌を支配し、ほかの味など感じなくなる。それなのになぜかエルフ族は、素材の味まで理解できるというのだから驚きだ。ただ、少し辛い程度の食材の味はできないだろう。あまりにも極端に辛いソースによって、辛味が上書きされてしまうからだ。
彼女の話によれば、ニーナさんをはじめとするエルフ族は、ちゃんと『味』を理解している。その上で、辛くなければ料理じゃないというのがエルフ族の認識らしい。甘いものも酸っぱいものもすべて辛くしてこそエルフの料理なのだと彼女は言う。
またエルフ族にとって激辛ソースは魂の味であり、まさにソウルフード。なくても食事はできるが、体調を崩したり、最悪、精神に異常をきたすこともあるらしい。まさしく魂を繋ぐ大切な調味料だ。
ニーナさんが持ち歩いているこの小ビンは携帯用らしい。エルフにとって激辛料理とは、魂を繋ぐものかもしれないが、限度なき激辛料理は、普通の生物にとって魂を解き放つ危険な物質に成り代わる。なにせ中位魔族のミノスさんにダメージを与えるくらいだ。
ニーナさんの話を聞いて、またか、とため息をひとつ。
エルフ族は魔族と違い味を理解することができるが、激辛料理が普通であり、激辛でなければ料理にあらず、という種族だった。エルフもまた立派な味覚傷害といえるだろう。
この世界には、まともな味覚を持つ種族はいないのか。この調子だと人族もかなり怪しそうだ。
「なぜ、可哀想な子を見るような目で私を見るのかしら」
手を止めたニーナさんが僕を軽く睨んでいる。
目は口ほどに物を言う、とはよく言ったものだ。ついついそんな目でニーナさんを見ていたらしい。不満顔のニーナさんだが、手元のステーキ(激辛)も残り少ない。いったいあの細い体のどこに入るのだろうか。
そこへ口の痛みを中和したミノスさんが、二人分のステーキを持って戻ってきた。
「いやぁ、アルクどんのおかげでだいぶよくなっただ。ウシドンのミルクにこんただ効果があるなんて知らなかっただよ」
「エルフのソースなんて普段は見ませんものね」
持ってきたステーキは、一枚目を出す前に準備していたものらしい。じっくりと火を通すことによって、さきほどよりも肉の旨味を引き出しているそうだ。これも僕の分とニーナさんの分らしい。
「僕はともかく、さすがにニーナさんは食べられないのでは?」
「あれだけ美味しそうに食べてくれたでな。嬉しくなってついつい持ってきてしまっただよ」
「あ、はいはーい。食べまーす。美味しいでーす」
ちょうど二枚目のステーキを完食したニーナさんが、子供のように手を上げながら、おかわり宣言をする。もう一度言っておくが彼女は大人の女性である。決して子供ではない。
僕とミノスさんは思わず顔を見合わせた。
「……ミノスさん。ステーキ三枚でどれくらいの量なんです」
「……三キロ弱ってとこだべ。自分で持ってきて言うのもなんだが、おらたちと変わらないくらいの量を食べてるべ」
「美味しいと食欲が止まらないわね」
「そ、それは良かったですね」
「そ、それは良かったべな」
少し前に同じことを言った気がするが、気のせいだろう。
新しいステーキを受け取ったニーナさんは、鉄板に激辛ソースが滴らないよう注意しながら、これでもかとたっぷりとかける。蒸発した刺激が僕たちにとって危険だと察してくれたらしい。まあ、あまり変わらないような気もするけど……。肉の熱だけでも十分、気化している気がするのだ。
そして今までと同じペースで食べ始めた。
(どうなってるのかね、エルフの胃袋って……)
食べる量と辛さへの耐性がハンパではない。
これがエルフの食生活なのだろうか。
以前、ニーナさんは、「美味しいものを食べたときの笑顔は、幸せに満ち溢れている」と言っていた。
彼女の希望は、食堂などの飲食店ではなく食料品店だ。彼女の希望が美味しいものを出す飲食店だったら大変なことになっていただろう。今回、ニーナさんがやったのは、幸せではなく刺激物を満ち溢れさせただけである。
今日ひとつわかったことがある。もしどこかでエルフが経営する食堂を見つけたとしても気軽に入るべきではない、ということだ。十分な警戒が必要である。これは、気をつけようというレベルではない。厳重かつ徹底した警戒を持って当たる事案である。繰り返す。エルフの食堂は、遊びではない。
「さて食べることに夢中になっている肉食系激辛大食いエルフは――「誰のことよ!」……おいといて、ミノスさんにいくつかお話があります。実は今日こちらにお邪魔したのは、ミノスさんにお礼を言うためなのです」
「お礼?」
「はい。先日のウシドンの肉ですが、僕が仕えるご主人様が大層お気に入りになられまして。そこで、その御礼と代金をお持ちいたしました」
そういって僕は『執事ボックス』から、小袋を取り出し、ミノスさんに手渡した。
「あの肉は、あげたものだべ。こんただお金受け取れねぇだよ」
「そう言わないでください。ミノスさんに断られると僕も困ります。どうかお納めください」
最初は渋っていたミノスさんだったか、最後には受け取ってくれた。ウシドンの肉の正当な評価だと思って受け取って欲しいという思いが通じたらしい。
しかし、袋の中身を確認したミノスさんは驚いた顔で大きく首を降り始める。
「アルクどん! これは多すぎるだよ!」
侯爵様が代金として用意したのは、二枚の金貨。
焦るミノスさんの話によると、フトック氏の店に卸そうと提案したときの卸値は、キログラム当たり銀貨一枚だったそうだ。もらった肉が約二十キロだから、銀貨二十枚。今回、侯爵様が用意した二枚の金貨は、銀貨にすると二百枚である。
侯爵様はミノスさんの育てたお肉に十倍の価値を見出したのだ。
これは平民の平均家族十ヶ月分の生活費に当たる。通常、夫婦子供二人の平均家族は、家持ちであれば一ヶ月銀貨二十枚ほどで生活できる。二十キロで銀貨二十枚の肉が、一ヶ月分の生活費と同じと考えれば平民には高い食材だ。 ミノスさんも言っていたが、貴族相手に商売をしようとしたミノスさんの考えは間違っていない。
それに肉の価格は条件によって変わる。乳牛、交雑種、和牛などの種別や性別、ランクなどの等級、それに部位などだ。
前回、ミノスさんからもらったウシドンの肉は、高級和牛最高ランクレベルと断言できる味と品質だった。そういった意味では、侯爵様が見出した十倍の価値もおかしいわけではない。
「ミノスさんは、自分の育てたウシドンの価値を低く見過ぎですよ」
「そ、そうだべか」
「少なくても僕はそう思います。それに、その金貨は通商貿易局局長であるミストファング侯爵がそれだけの価値があると認めた証拠ですよ。素人の僕が言うのもなんですが、もっと自信を持っていいと思います」
「アルクどんが仕えているお貴族様は、ミストファング侯爵様だったべか」
「あれ? 言ってませんでしたっけ?」
「さっき貴族とは聞いたけんど、まさかぁ、断罪の霧侯爵様だったとはなぁ。ありがたや、ありがたや」
そう言ったミノスさんは王都の方向へ向かって両手を合わせ拝み始めた。
(前も見たな。この光景)
侯爵様の名前を出したとき、フトック氏は恐れおののき、ミノスさんは拝みだした。いったい侯爵様は、何をしたのだろうか。そしてなぜ断罪の霧侯爵と呼ばれているのだろうか。
「ほかの方にも言われたのですが、なんです? その断罪の霧侯爵様って」
「アルクどんは仕えている御方を知らないだべか。断罪の侯爵様はなぁー――」
ミノスさんが僕の疑問に答えようとしてくれたその矢先の出来事だった。ミノスさんの家の玄関が勢い良く開けられたかと思うと、ミノスさんと同じくらいの背丈の女性が慌てるようにして入ってくる。
「あんた、大変だよ! ウシドンの子供がまた倒れたべ。うわっ、なんだべ。目が痛い」
換気をしているものの、目の前には元凶を肉に振りまいている者がいる。どうやら僕たちは慣れたか、感覚が麻痺していただけらしい。
さて、慌てて部屋に駆け込んできた女性は、つばの広い帽子をかぶり、だぶついたワークパンツに厚手のタンクトップのような服を着て、首からタオルをかけている。
背丈はミノスさんほどの長身で、スラリと伸びた手はバランス良く筋肉がついており、たくましさを感じさせる。出るところはこれでもかと主張し、引っ込むところはしっかり引っ込んでいるその姿は、健康的な女性そのものだ。音で表現するのであれば、ドドンッ、キュッ、ボーンである。
ミノスさんのことを、「あんた」と呼んだことから彼の奥さんに違いない。
僕はその女性を見て驚いている。
念のために言っておくが、驚いているのはこれでもかと主張するドドンッの部分に、ではない。
顔が牛じゃないのだ。
僕と同じ高位魔族と何ら変わらない顔つきをしている。ミノスさんと同じように角が生えているが、その長さは短い。浅黒く焼けた肌が彼女の魅力をより引き出しているように思えた。それに、自らをおじさんの域と言っていたミノスさんより、だいぶ若く見える。
その女性は、「あんた、急いで! お客さん、ごめんね。慌ただしくて」と僕たちに軽く声をかけ、外へと向かう。ミノスさんも立ち上がると、僕たちにゆっくり食べてておくれと伝え、玄関へと向かった。
「ミノリちゃん。子供とこさ、案内するだ!」
ミノスさんとミノリちゃんと呼ばれた奥さんは、あっという間に家を飛び出て行った。何やら緊急事態のようだ。何か手伝えることがあるかもしれない。これは僕も行ったほうがいいだろう。
「ごくっ。アルクくん。私たちも行くわよ!」
「ニーナさんはゆっくり食べててくださ――」
口の中のものを飲み込んだあと、ニーナさんが申し出る。
そのニーナさんの申し出をやんわり断ろうと、ふとテーブルに目をやったとき、思わず目が点になった。
肉がないのだ。
ニーナさんが食べていた肉も、僕の分もきれいさっぱり。
思わずニーナさんを見上げてしまう。
「冷めてしまうと、もったいないから食べちゃった」
「え? 食べたのはかまいませんが。え?」
「ごちそうさまでした。さっきのお肉よりも柔らかくて美味しかったわ。前菜としても、ちょうどいい量ね」
「え? え?」
いつ食べられたのか、まったく気が付かなかった。分厚いステーキ四枚を食べきった上に、前菜としてちょうどいいと言われて困惑気味である。もしかして魔族が認めたのは、その食欲なのではないだろうか。
早く、早くと玄関前で急かすニーナさんを、ある意味畏敬の念で見つめつつ、僕たちはミノスさんたちがいる場所へ向かうのだった。
ミノスさんが保有する牧場は、さほど広くない。とはいっても、ぐるりと見渡す程度の広さはある。牧場全体は丈夫そうな柵で囲われており、牧場内には様々な草が生い茂っていた。これならエサには事欠かないだろう。今もウシドンたちがのんびりと葉っぱや草を食べている。こちらを窺うように顔を上げるウシドンもいたが、すぐに興味をなくし青々とした草へと顔を向ける。
ウシドンは図鑑で見たとおり、前世にいた牛そのもので、大きさもほぼ同じ。この牧場にいるのは四十頭ほどだ。種類によって柵で仕切られている。
真っ黒な毛を持つ黒毛和種と呼ばれる種もいれば、肉牛として名の知れたアンガス牛やキアニーナ牛もいる。別の場所には、乳牛として知られるジャージー種やホルスタイン種のようなウシドンもいた。牛乳はこれらの牛から搾ったものに違いない。
比率的には、黒毛和種などの肉牛3、乳牛が1といったところだろう。なかには子牛の姿も見える。
ミノスさんたちがいる場所は牧場内にある草が繁茂している一画だった。その場に着いたとき、ミノスさんの足元には一頭の子牛が横たわっていた。立ち上がろうとしているが、うまく立てずにすぐに倒れてしまう。四肢に力が入らないようで、悲しそうに鳴く声が痛々しい。
「これで三頭目だべ」
「あんた、やっぱり原因がわからないだべか」
黙ったままうなずくミノスさんに、奥さんはため息をつく。
「他のウシドンも食欲がないようだし、まいったねぇ」
ウシドンについて、専門家であろうミノスさんたちがお手上げとなると、僕らが力にもなれることはない。倒れている子牛には可哀想だが、立てなくなった動物はまず長生きできないだろう。倒れたものから死んでいく。経済でも魔族社会においてもごく普通のことなのだ。
そんな子牛から目をそらすように繁茂している草むらを覗いたとき、僕はそれを発見した。『執事ボックス』から目当ての物を取り出すと、意気消沈しているミノスさんに話しかける。
「ミノスさん。この薬を試してもらえますか」
そう言って僕が差し出したのは一本の薬瓶だった。その薬瓶をミノスさんと奥さんは、訝しそうな目でじっと見ているのであった。
――ミノスさんの家の中
「アルクどんは、ウシドンの救世主だべ」
「こんただ、可愛い坊やがおらたちよりもウシドンに詳しいだなんて。もしかしてお医者様だべか」
「ミノリちゃん。可愛い坊やはねえべ。アルクどんはミストファング侯爵家に仕える執事さんだべ」
「あらまぁ、霧侯爵様んとこの。侯爵様に仕える方は、こんただ可愛い坊やでもすごいんだべなぁ」
「だから可愛い坊やはねえべ」
「アルクちゃんが可愛くないとでも?」
「いや、そりゃ、まあ、可愛いほうだと思うだども」
「……あんた、いつからソッチの道に……」
「うおい。ソッチもコッチもないべ。おらにはミノリちゃんだけだで」
「あら、やだよ。お客さんの前で」
僕とニーナさんを前にして、ミノスさんたちの夫婦漫才が止まらない。僕の頭を撫でるミノリさんの手も止まらない。僕の隣では、お礼だと言って出されたウシドンの串焼きを頬張るニーナさんの手と口も止まらない。
テーブルの上には、ウシドンの串焼き以外にも、パンやミルク、それにバターが並んでいる。バターが作られていることに驚いたが、パサパサのパンに塗って食べているそうだ。
平民階級の多いミノタウロス族の生活の知恵だとミノスさんが話してくれた。毎日、柔らかいパンが買えない庶民の知恵だべ、と自嘲気味に笑いながら。
バターが生まれた理由はどうあれ、このバターとミルクも絶品であった。バターは今朝作りたてのもので、無発酵の無塩バターだ。ミルクは濃厚でほのかな甘味を感じる絶品である。
「それにしても、まさか毒が原因だったとはなぁ」
実は牧場に、ある食材が生えていた。栄養価が高い健康食品として前世でも有名になった野菜である。
その野菜の名は、『モロヘイヤ』だ。
しその葉に似た形をしており、食用となるのはその葉の部分。野菜の王様とも言われ、栄養素が豊富でカルシウムや鉄分などのミネラルも多く含んでいる。
ところがこのモロヘイヤ。種子や果実に毒がある。
前世でもモロヘイヤの種子や果実を食べた牛が死亡するといった事例があった。もちろん、スーパーなどに流通しているものは種子や果実は取り除かれているし、葉にも毒は含まれていない。むしろ家庭菜園で作ったものを知らずに食べるほうが怖い。
草むらでモロヘイヤを見つけたとき、もしやと思い、執事長が持たせてくれた解毒薬を飲ませたところ、立つことができなかった子牛が何事もなかったように立ち上がり、牧場内を跳ねるように駆けまわったのだ。
その後、牧場内に生えていたモロヘイヤをある程度処分し、その一部をわけてもらった。種もあったのでこちらも『執事ボックス』へと入れておく。これで侯爵領で増やす食材がまたひとつ増えたことになる。ちょっとした粘りのあるこの食材は、おひたしやスープにも使えるのだ。
牧場からすべてのモロヘイヤを処分したわけではないが、被害は減らすことができるだろう。このモロヘイヤだが、ミノスさんが植えたものではなく、どうやら自生したもののようだ。今後の対応はミノスさんに任せるとしよう。
「ところでミノスさんのところに来た理由がもう一つあるんです」
「なんだべか」
「侯爵様のもとで働きませんか?」
「「ぶもっ!」」
驚いたような声を上げるミノスさんとミノリさん。僕の頭を撫でていたミノリさんの手もピタリと止まっている。
「先ほども言いましたが、侯爵家ではミノスさんの育てたウシドンを大変気に入っておられます。もちろんこれだけのウシドンを育てたミノスさんの腕も高く評価されてます」
「んだどモ~、おらなんかじゃ……」
「それに、ここにいるニーナさんは素晴らしい食材を扱うお店を開きたいと、うっかりサイン――「んんっ」……商人になられた方。彼女も侯爵領に来ていただく予定です。それにウシドンの肉を大変気に入っておられます。ミノスさんが侯爵領に来てくれれば、間違いなく彼女のお店にもウシドンのお肉が並ぶでしょう」
「それは嬉しい話だどモー……」
「働く場所は侯爵領になりますが、新しい牧場もご自宅も用意させていただきます。もちろん引っ越しやウシドンの移動もお手伝いしますよ」
「……それはありがたい申し出だどモー……」
ミノスさんの声が徐々に小さくなっていく。ウシドンの代金のときもそうだったが、もう少し自信を持っていいと思う。
そこにミノリさんの激が飛ぶ。
「あんた! 男なら千載一遇の機会を逃すんじゃないべ。侯爵様たちがここまで買ってくださっているんだ。あんたを置いてでも、おらは行くだよ!」
「ぶもっ!? ミノリちゃん、おらを置いてくなんてひどいだよ」
「何言ってるだい! ウシドンの柔らかさを魔族たち認めさせてやる、と言っていた勇敢なミノタウロス族の男はどこにいったんだい!」
「それはそうだども」
「その牧場主とやらの仕事は、牧場を大きくすることだべ。このままじゃ一族全員露頭に迷うことになるだ」
ミノスさん御夫婦の話し合いは続いている。
その話し合いはミノリさんが優勢で、ミノスさんは防戦一方だ。男が自分の奥さんに弱いのは高位魔族、中位魔族も変わらないらしい。
しかしここでミノスさんの一言が流れを変える。
「だども侯爵様や貴族様ばかりに気に入ってもらえても、ウシドンの価値を認めてもらったことにはならないだべ。それにおらたち二人だけで侯爵様のところに行くわけにもいかないべ。一族の皆を置いてけねえだ」
「……それはそうだども」
どうやら旗色が変わってきたようだ。
ここらでちょっと奥さんの手助けをしよう。お嬢様のためにもミノスさんにはぜひ侯爵領に来てもらいたいのだ。
「一応、面談はさせてもらいますが、一族の皆さんも一緒にお迎えしますよ。また、ウシドンの素晴らしさを貴族、平民問わず、多くの人に知ってもらうための料理も伝授しましょう。いただいたお肉は素晴らしかったですが、あのウシドンならスジ肉や内臓だって間違いなく美味しい料理になりますから」
僕の助言に二人は黙り、互いに顔を見合わせている。
何かまずいことを言っただろうか。
(あっ、そうか)
先ほど言った言葉を思い出して、納得する。
「すいません、言い直します。スジ肉や内臓だって間違いなく柔らかくなりますよ」
「本当だべか! アルクどん! ぜひとも教えて欲しいだ」
やはり美味しいという意味が通じなかったようだ。
ミノスさんは、以前もウシドンの魅力は柔らかさだと言っていた。本来であればウシドンの魅力はそれだけではないのだが、魔族には通用しないのだ。
僕の申し出に興味を示してくれたミノスさんに、食べられる部位とその料理について簡単に説明する。
その話の中でミノスさんがウシドンの骨やスジ肉、それに内臓を捨てていたことがわかった。牛骨や内臓はじっくり煮込むことで極上の料理になることや、スジ肉や尻尾も食材として使えることを説明する。残念ながら、実際に作っている時間はなかったため、料理法に関しては別の機会に教える、ということで納得してもらった。侯爵領に来てもらえれば、もっとゆっくりお話できますね、と付け加えて。
「アルクどんは、おらたちよりもウシドンに詳しいだべな」
「本当よね。魔族のくせに料理に詳しいし、どこからその知識を得ているのかしら」
「執事たるもの、ご主人様が喜ばれる食事のひとつくらいご用意できなくてどうするのですか、という執事長の教えのもと日々頑張っております」
「無茶な執事長だべ」
「それ料理人の仕事よね」
二人とも執事という仕事を理解しきれていないようだが、お嬢様に会えば、きっとわかってくれるだろう。
「よし! 決めただ! おら侯爵様の元で働くだよ!」
「あんた! さすがはおらのミノスっちだべ」
ミノスさんは、ミノスっちって呼ばれているらしい。なんとも仲の良い二人である。仲睦まじい二人を微笑ましく思う。
「はい、ごちそうさま」
二人を仲の良さを揶揄するような言葉が投げかけられた。
しかし、何かが違う。その言葉の抑揚に嫌な予感がした僕は、声の持ち主には目も向けず、テーブルを隅から隅までじっくりと観察する。
ない。何もない。
ウシドンの串焼きもパンもきれいに無くなっていた。バターすら残っていない。テーブルの上に残っているのは、バター皿や串焼きの乗っていた皿、それにパンの入っていたカゴ、あとは空になった激辛ソースの小ビンがいくつかあるだけだった。
テーブルから顔を上げ、隣を見ると、そこには満足気な顔を浮かべているエルフが一人。僕の視線に気がついた彼女は、「どうかしたの?」という視線を送り返してくる。そんな彼女に首を振りつつ、僕は何もなかった(文字通り、何も残ってなかった)ようにミノスさんに声をかける。
「ご決断感謝します。一度、侯爵様に会っていただきますのでよろしくお願いいたします。日取りは後日、連絡させていただきますね」
「侯爵様に会うだべか!」
「はい、奥様もご一緒に」
「おらもだべか! おらたち平民だべよ」
「大丈夫ですよ。侯爵様は身分にうるさくありませんから」
焦る二人の気持ちもわからないわけじゃないが、一度会ってもらう必要がある。ニーナさんと同様、お嬢様について侯爵様から話があるはずだ。
それとミノスさんの一族の件だ。
話を聞くと、人数は五十人ほどだという。ミノタウロスの名に恥じず、全員が力仕事を得意としており、牧場の手伝い以外にも木こりや革細工師などを営む方がいるそうだ。
しかし、その全員が侯爵領への移住を希望するとは限らないため、ミノスさんに確認してもらうようお願いする。ただし、素行の悪い方はご遠慮いただく必要があるため、一度、僕が顔を見せる予定である。
用も済んだことだし、そろそろソーサさんのところに行くとしよう。
ミノスさんに帰ることを伝え、食事のお礼をする。特にニーナさんは何度もお礼を言っていた。素晴らしいものに出会えた、と。彼女の激辛嗜好と食べる量には驚いたが、相当気に入ったのだろう。
ミノスさん御夫婦からは、おみやげということでウシドンの肉やミルク、それにバターや牛骨や牛脂などをたっぷり持たされた。これはご好意としてありがたくいただいておく。骨や内臓を使った料理を教えることを改めて約束し、僕たちはミノスさんの牧場をあとにした。
帰り際、子牛の鳴き声が牧場から聞こえてきた。振り向くと、一匹の子牛が僕たちのほうをじっと見ている。助けた子牛かどうかはわからなかったが、その子牛はしばらく僕たちを見送ったあと、牧場の奥へと跳ねるように駆けていった。




