①
「あなたがアステル・コンコルディ子爵令嬢かしら?」
授業も終わり帰宅しようと廊下を歩いていたアステルは、背後から呼び止められたので振り返った。見事に波打つ長い金茶髪に明るい緑色の瞳の女性だ。胸に着けた校章の生地が赤いので最終学年の生徒だ。先輩になる。高級貴族に違いないが一人である。大抵こんな女性は背後に取り巻きを数人引き連れているものなのだが。
「はい、そうですが」
「ふーん」
女生徒は高圧的な態度でアステルの全身をじろじろと眺めた。
地方貴族出身のアステルは王立貴族学院に入学するにあたり、失礼があってはいけないので高級貴族に関わらないようにしていた。高級貴族たちは仕草も上品で、派閥で固まっていたので分かりやすく、アステルは極力近付かなかったので、彼女の事も知らない。
「あの、あなたは……」
早く解放されたい。とにかく名乗ってほしい。
「あら、失礼。私はセルフィナ・イグラスよ」
「! 魔法伯爵家の!」
「さすがに名前は知ってくれていたようね。話が早いわ。……あなた、ルキアン・グラキエス男爵令息と婚約したって本当?」
意外な話だったのでアステルは目を丸くした後、へにゃりと笑う。
「はい、私の入学と彼の就職とに合わせまして」
アステルのその締まりのない顔に苛立ったセルフィナは、猫のような瞳を釣り上げた。
「あなたと結婚したら、彼は次期コンコルディ子爵になるのでしょう!?」
「はい。私は一人娘ですし、彼は次男ですのでお婿さんに来てくれるんです」
「どうしてお相手があなたなの?」
「領が隣同士で昔から交流があって、幼馴染ですからそういったお話が」
「妥協ですの?」
「……いえ、気心知れているからと、両家で話し合って決まったのです」
「それではルキアン様の意思ではないのね!」
「ですから両家で納得の婚約ですから……」
なんだか責められている気がして、アステルの声も小さくなってくる。
「あなた! ルキアン様の未来を縛っているのよ!」
セルフィナがアステルの鼻先に向かって、ぴしりと人差し指を突き出した。
「えっ?」
「考えてごらんなさい! 彼は卒業後に魔法省に特級魔法士として就職したでしょう? 自動的に一代限りの“魔法爵“を得て既に貴族籍だわ。でも子供は? 平民になる子孫のことを考えて、子爵令嬢のあなたのところに婿入りするのよ!」
「はあ、それに何か問題がありますか?」
そもそも他家の事情で、セルフィナには関係ない話だろう。しかしセルフィナは胸を張って自分より小柄なアステルを見下す。
「私と結婚すれば、ルキアン様はイグラス次期魔法伯爵になれるのよ。同じ政略結婚ならその方が彼の為になると思わない?」
セルフィナの主張は、正論とばかりの堂々としたものだ。
魔法士の魔法省への就職は難関である。高い魔力を有した上で、魔法の精度技術にも長けていなければならない。尤もこの国に魔法を使える者はあまり存在しないので、普通の人間は入省の選択肢もない。市井の魔法士の中には力あるアウトローもいるけれど、貴族界では魔法省へ入れなかった落ちこぼれと見做される。
魔法省の魔法士は、貴族平民、関係なく能力のある者は出世する。顕著な例が特級魔法士の資格を持っていれば、一代限りだが“魔法爵”という爵位を授けられる事だ。平民でも貴族の仲間入りである。そして貴族からの結婚打診が降って湧く。魔法力の高さは国への貢献度に直結する事が多いため下級貴族は陞爵も望めるし、どこも彼らを取り込みたいのだ。
「えーと……、ルキアンはセルフィナ様と結婚した方が幸せだとおっしゃるのですね?」
ずばりと要点だけ捉え、きょとんと小首を傾げるアステルに一瞬虚をつかれたが、すぐに「当たり前よ」と断じるセルフィナ。
「先日ルキアン様に結婚を申し込んだら、もう婚約済みだって断られたのよ。これからじっくり人生を考えるべきなのに、決断が早すぎるのではないかと思ったの!」
「知りませんでした……。ルキアンに選択肢があったなんて……」
「若い独身の“魔法爵”なんて引く手数多に決まっているでしょう。おまけにルキアン様は容姿も良い。在学時から婿取りの争奪戦よ!」
セルフィナは呆れ顔だ。
魔法伯爵家とは攻撃魔法特化型の貴族に授けられた、古くからある特殊な爵位の家柄で、国内で三家しかない。国の軍事力に関わるため普通の伯爵家より地位は高いが、王家の傍流の公爵家や政治に携わる侯爵家などの高級貴族の立場を慮って伯爵扱いだ。しかし事実上の扱いは侯爵に匹敵すると言われている。
そんな魔法伯爵家のお嬢様に『あなたはルキアン様に相応しくない』と糾弾されたアステルは、セルフィナの前で頭を抱えた。
「た、確かにそうですよね! ほんとどうして、しがない子爵家に婿入りしてくれるんでしょう!?」
顔を上げたアステルが困惑している目を向けてきたので、セルフィナの調子が狂う。
「き、貴族なら上を求めるのは常識じゃないの。あなた、少し想像力が無さすぎじゃない?」
「分かりました! セルフィナ様! ちょっとルキアンと話してきます!」
「えっ、何が分かったの!? いきなり婚約解消の話をするの!?」
それならセルフィナの望み通りの展開だろうに、アステルの勢いに押されて彼女も混乱気味だった。
「では失礼します!」
アステルはセルフィナに大きく頭を下げたあと、踵を返して走り出す。
呆気に取られたセルフィナは、いきなり駆け出したアステルに驚いて、「ちょっと!」と呼び止めた。が、アステルの姿が忽然と消えたので「……え?」と絶句する。
そして、彼女は唖然と呟いた。
「……転移魔法、ですって……? あの子、魔法士なの……?」
学院から慌てて空間移動したアステルは、目の前の扉をドンドンと叩く。
「ルキアン! ルキアン!」
しばらくしてドアが開いた。
「あー煩いよ、アステル。近所迷惑だ。それに転移魔法はあんまり使うなと言っただろ。おまえの実力じゃすぐに魔力切れする」
眠そうな瞳で頭を掻きながら部屋から現れたのは、アステルの婚約者、ルキアン・グラキエスである。肩甲骨辺りまである紫色がかった銀髪に、陽光に照らされる湖面のような綺麗な青色の瞳の美しい青年である。
「じゃあ研究室に直接入れるようにしてよ」
「嫌だよ。寛いでいたり実験中だったり、いきなり邪魔されたくない。今だって仮眠中だったのに。俺が不在中に来て研究室を荒らされても困る」
「そんな事しないわよ!」
アステルが転移魔法で来られるのは、ルキアンの研究室の前までだ。彼は部屋に結界を張っていて、他者が勝手に入れないようにしている。
極秘資料や危険物も扱う魔法省では、各自そうして防衛するものなのだ。文句を言うアステルも、実情は分かっているので本気で言っているわけではない。
ドアが開き「入って」とルキアンが顎で指したので、アステルは「お邪魔します」と添えて、部屋に入る。
「で、どうした。これから魔法士養成所じゃないのか?」
「その前に確認に来たの!」
アステルは真剣な顔でルキアンを見据えた。珍しいその表情にルキアンの眠そうだった瞳も開く。
「何を?」
「ルキアン! あなた、私より条件がいい結婚話があったんでしょう!?」
「急にどうした」
「あったのよね!?」
ぐいぐいくるアステルにルキアンの目は益々大きくなる。眠気も吹っ飛んだ。
「そりゃあ、自分で言うのもアレだが、学生のうちに特級魔法士にまでなったしな。在学中から縁談はたくさんあったに決まってるじゃないか」
「……なんて事!」
アステルは動揺して首をゆるゆると横に振る。
「どうしてチャンスを棒に振るの!? 魔法伯爵家にでも婿入りしたら、魔法省でもすぐに出世できるのに! なに幼馴染で妥協してんのよ!」
「……え? これって俺が責められる状況?」
「当たり前でしょ! 政略結婚なら子爵家よりいい相手がいっぱいいるでしょうに! 今なら間に合うわよ。婚約を公にしていないから白紙状態にできるわ!」
「なんだよ、アステルだって俺でいいって納得してたじゃないか。今更」
ルキアンが一気に不機嫌になる。




