2ー9
芙は暗い蔵の中で唯一の窓から差し込む月明かりを見ていた。
蔵に入れられてから数時間経ったが、食事すら与えられず水の入った椀が一度渡されただけだった。
(本当に弱い人ね。食事や本の一つでも入れてくれたって父上にはバレやしないのに)
芙が心の中で臆病な母に毒づいていると唯一の光が何かに遮られる。
その代わり、窓の外に兄の顔が見えた。
「兄様?」
「うん、兄様だよ」
窓の位置は高く、雲の背では近づけない。
おそらく何か土台を使っているのだろう。
彼は芙の顔を見ると、着物の合わせから何か袋を取り出し蔵の中に投げ入れる。
それを受け取って開いてみると中には二つの饅頭と大量のお菓子が入っていた。
芙は呆れたように兄の顔を見上げる。
「兄様、こんなには必要ないわ。
それに3日食べなくても大丈夫なのに」
雲は静かに首を振る。
「君が大丈夫でも、私は大丈夫じゃないよ」
まっすぐな兄の言葉に芙は少し恥ずかしくなり誤魔化すように饅頭をちぎって口に入れる。
「私の心配はしてくれないの?」
雲は不機嫌になってしまった妹に声をかける。
「するわけないわ。
だって仮病だもの」
芙の言葉に雲は恥ずかしそうに笑う。
「そんなに分かりやすかった?」
「分かりやすすぎたわ。
あんないきなり倒れるなんて。
それに兄様は別に軟弱なわけじゃないもの」
「困ったな。
みんな分かったかな?」
雲の言葉を芙は鼻で笑う。
「分かるわけないわよ。
みんなそんなに兄様のこと知らないもの。
どうせまた太子はか弱すぎるって馬鹿にしてるわよ。
いい餌を提供できたじゃない」
刺々しい言葉に雲は苦笑した。
「兄様、できれば水が欲しいわ」
「あ、うん、ちょっと待ってね。
岑!水をくれ」
「岑?!岑兄さんもいるの?」
芙は声を荒げる。
「うん、もちろんいるけど、
あ、岑とも話す?」
雲は台から降りようとしたが、芙は「冗談じゃないわ!」と言ってそれを止めた。
「私は当分岑兄さんとは口を聞かないって決めてるの」
「なんでだよ?」
雲が困ったように言うと芙はそちらを睨む。
「当然でしょ?
岑兄さんはあの場にいたのに何もしなかったのよ!」
「姫さん、それはないですよ〜」
芙が大きな声を出すと、下の方から少しくぐもった声が聞こえてきた。
「ちょっと勝手に話さないで!」
岑は弁明もできずに黙り込む。
しばらく芙が饅頭を食べ、その場は静寂に包まれる。
あと二口ほどと言うところで雲が口を開く。
「芙、怒ってる?」
「怒ってるわ。
当然でしょ」
芙は静かにそういうと水をグッと飲む。
「兄様、私行かない方が良かった?」
その声は不安そうで弱々しかった。
雲は首を振って笑う。
「そんなことはないよ。
君が来てくれたおかげで剣も抜けない太子という噂が、すぐに倒れる太子に変わったんだ。
どちらがいいかは分からないけどね」
茶化した声に芙は笑うこともできず、兄を見つめる。
雲は静かに口を開く。
「私は君が来てくれて嬉しかった。
ありがとう」
その言葉を聞いて芙はようやく嬉しそうに笑った。
「俺はすぐに倒れる太子の方が好きですよ!姫!」
「黙っててよ!」
沈んだ空気を打ち消すように岑の声が聞こえ、芙は強く言う。
少しして芙がぽつりと言葉をこぼす。
「……兄様、私男に生まれたかったわ」
「どうして?」
「だって女じゃ兄様を守るのが大変なんだもの」
雲は小さく笑う。
「できないとは言わないんだね」
「当然よ!
必ず守るもの!
……でもやっぱり男に生まれたかった」
「うん」
芙は暗い天井を見上げる。
「女ならどうやって兄様を守ろうかしら?
商人になってお金の力でみんなを黙らせようかしら。
それとも執忤よりもずっと高名な学者になって誰も逆らえなくするのもいいかもね」
芙の提案に雲はうーんとうなる。
「師父より高名になるのは難しいよ。
何てったって師父は蒼土一の学識を持ってる。
二胡だって上手いしね」
それに芙の目が鋭くなる。
「どれだけ学識を持っていようとどうしようもないわ!
執忤は臆病なんだから!」
その言葉に雲が返す前に岑が「いいぞ!もっと言ってやってください!普段俺をいじめる罰だ!」と野次を入れたので、芙は「自業自得よ!」と怒鳴りつけた。




