#3
「え?」
どういう事かと顔を上げる。
すると彼はペットボトルを額にあて、シートに深くもたれた。
「旅してる中で思い至ったことがある。どれだけ捜しても主を見つけられない理由」
彼は真剣な表情を浮かべていたが、俺の顔を尻目に告げた後、気まずそうに笑った。
「……やっぱり言わない方がいいか」
「いやそこまで言ったら教えてください!」
何かを躊躇して、景さんは長考していた。
あくまで可能性の話だろうし、俺は何を言われても受け入れるつもりだ。ここまで来たら、どんなことも視野に入れて動かないといけない。例えそれが、目を背けたくなるぐらい辛いことでも。
語調を強めてもう一度お願いすると、彼は「落ち着いて聞けよ」と前に屈んだ。
「俺達にはもう、主の気を感知する力がないのかもしれない」
景さんの落ち着いた声が、暴れる鼓動を宥めた。
本当ならもっと困惑して、取り乱してもいいところだ。暗然としたさなかにいるのに……いやに腑に落ちてる自分がいる。
「そう……か」
主様の力が消えてしまったというより……俺達が主様に“気付く”力がなくなった、と考える方が妥当だ。
主様から頂いた真珠は手の中に持って生まれたけど……肉体が変わったら、何もかもがリセットされる。真珠と記憶だけでは、神様の存在に気付くことができないんだ。
かつては俺と景さんは認められていたから、主様と会話することができていた。でも今は違う。
どうしようもなく、ただの人間なんだ。
「……都築。大丈夫か?」
頬を撫でられる。
息することも忘れて振り向くと、不安げに顔を歪める景さんがいた。
……やっぱり言わなければ良かった。
なんて、優しい景さんは思いそうだ。
でも絶対、そんな風に思ってほしくない。
俺は昔より強くなった。それも全て、彼がいるから。
彼がいたから、今もこうして、継ぎ接ぎの心を保てている。
「大丈夫です」
シートに手をついて、景さんの頬にキスをした。
「すごく大事なことです。話してくださってありがとうございます」
「……都築」
「主様を感知する力がなくなったとしても、俺の気持ちは変わりません。何がなんでも捜し続けますよ。……景さんは?」
視線を前に戻し、静かに問いかける。
それに呼応するように、降り出した雨が窓を激しく叩いた。
「……俺も変わらない」
フロントガラスに映る歪んだ景色を眺め、彼は呟く。
とても可笑しそうに肩を揺らし、不敵に笑ってみせた。
「ここまで来たら全国回ってやる」
「ですね。主様の存在に気付けなかったとしても、主様は俺達が会いに来たって気付いてくださるかもしれない」
指を鳴らし、ワイパーを動かした。
行く手を阻むような雨も、自分達にとっては鼓舞してくれてるとしか思えない。
今まで巡った場所に、主様がいたかもしれない。そして、まだまだかすりもしてないかもしれない。
どちらの可能性も考慮した上で、旅を続けることを決めた。
左手のブレスレットにそっと触れながら、気を引き締めてハンドルを握る。
「さ、今日のところはすごすごと帰りましょうか」
「すごすごと、って言うわりには元気いっぱいだな」
景さんは腕を伸ばし、苦笑する。
俺も笑って、帰りのルートを入れた。
結局、俺達がやることは一つも変わらないんだ。主様を捜す、ただそれだけ。
それに、既にどこかで主様にお会いしてるかもしれない。……そう思ったら寂しさ、たまらない喜びに打ち震えそうになる。
「時間押してるんで飛ばします。景さん、着いたら起こすので寝ててください!」
「安全運転で頼む」
走り出したら止まれない性分だから、天候なんて関係ない。大雨のドライブは、いつも俺達を駆り立ててくれる。
◇
東京へ戻る途中、都築は昔のことを思い出していた。
霧に包まれ、景色は霞んでいる。鈍色の岩を裸足で歩く。自分が今いる場所も分からないが、滝の音だけは鮮明に聞こえた。
前世の俺は、夜更けに滝の傍で置き去りにされた。両親の最後の情けなのか、去り際に縄は解いてくれた。後は崖から飛び込むだけ……。
だが見下ろす滝面の中で、大きな何かが動いた。
滝の中にいる生き物なんて聞いたことがない。ましてや、滝と同じぐらい巨大な生き物なんて。
驚いて腰を抜かした俺に、滝の中の影は語りかけた。
人間が滝を汚すことは許さない、と。
つまり、飛び込んで人間の死体が浮かび上がることはご法度なのだと分かった。
『では……どうすれば雨を降らしてくださいますか? 私は村の為に、この身を龍神様に捧げるよう言われて参りました。村は酷い干ばつが続いています。このまま帰るわけにはいかないんです』
もし自分が生きて帰ったら、村人達から制裁を受けるだろう。父は喜ぶどころか、村の仕来りを破った息子を最期まで憎むはずだ。
必死の思いで地に額をつけると、強風が吹いて周りの木々が揺れた。
───相変わらず、身勝手で傲慢な。
お前のような子どもひとりを寄越して雨を乞うとは。
影の主は轟音を上げながら唸った。風の音に近いその声は、上から下からこだまする。
改めて、自分が未知の人外と対面してることへの恐怖に震えた。
龍神を怒らせたら、どんな殺され方をするか分からない。深い水底に沈められるのか、大きな爪で八つ裂きにされるのか……。
滝に身投げするつもりだったから、どの道死ぬことにはなるけど、せめて楽に逝きたい。そう乞うと、影は滝壺へ緩やかに降り、滝面を二つに割った。
落ちないよう、岩を掴みながら慎重に下を覗く。すると、滝の裏側に奥へと続く洞穴があることに気付いた。
……ちょうどいい、と声はどこか楽しげに言った。
村に戻ることもない。私を祀るなら、祠のひとつぐらい用意してみろ、と。
そこにいた龍神は、俺や村の人が想像してるよりずっと朗らかで、おおらかな方だった。
村に帰れない俺に山の中で生き抜く術を教えてくれた。冬の越し方、食材となるもの、危険な生き物がいる場所……。
ただの人間の俺を傍においてくれた。
同じ人間の中で起きる争いを厭い、気ままに暮らせばいいと説いてくれた。
滝へ連れていかれる前夜には思いもしなかったことだ。
あの夜は朝までひとりで泣いた。
死ぬのが怖かったんじゃない。誰かを犠牲にすることだけを考える、人間が怖かったんだ。
「懐かしいな……」
深夜の道は空いていて、信号に捕まることも少なかった。
景さんは珍しく深い眠りに入っている。とりあえず運転手としての役割を果たせたことに安堵し、暖房を少しだけ上げた。
いつも気を張ってる感じするから、これからはもっとゆるく行動してもいいかもしれない。
無事に景さんのマンションに到着し、駐車場へ入った。
エンジンを止め、彼の肩を優しく揺する。
「景さん、着きましたよ」
「ん……」
彼は瞼を擦り、何度かまばたきした。
「おはようございます」
「ああ。お疲れ」
彼はあくびしてシートベルトを外した。
「泊まってくだろ?」
起き抜けから、彼は当然と言うように視線を向ける。
「いや~……毎回毎回お邪魔するわけには」
「どのみち終電ないから、泊まるしかないだろ」
「タ、タクシーあるから大丈夫ですよ」
「都築」
ドアを開け、景さんはこちらを指さした。
「もしかしたら、今この瞬間も主が見てるかもしれないだろ? 俺達の絆を見せないと」
そう言い残すと、彼は車を降りた。俺も一応降りて、彼にキーを手渡す。
……ツッコむタイミングを逃してしまったけど、景さんって、寝起きはテンション高いのかな?
「確かに主様は、俺達が仲良く暮らしてると知ったら喜んでくれそうです」
「そうだろ」
景さんは俺の手を引きながら、エレベーターのボタンを押した。階数のパネルを見ながら、静かに呟く。
「大丈夫だよ。絶対にいるから」
誰が、とは言わない。
でもその言葉を聞いただけで、胸の中が熱くなった。




