#1
「水場って、冷静に考えると怖いですよね」
急勾配の山道を走りながら、都築は遠くに見えるダムに一瞬だけ目をやった。
「災害的な意味ではなくて。……ほら、よく出るって言うじゃないですか」
「お前、幽霊信じてたのか」
「うっ。信じたら見えちゃうかもしれないから、信じません!」
都築はライトを付け、ぐねぐねとうねる道路を一定のスピードで走った。
今は昼過ぎだが、雨の山中は薄暗い。視界も悪い為、いつもより慎重に運転した。
今回は山梨の景勝地を巡っていた。やはり観光地として人気のスポットだが、流希達のデータには多くの伝承が記されていた為、参考程度に訪れることにした。
神秘的ではあったものの主の気は感じ取れなかった為、明日向かう予定の滝に希望を寄せている。今は目的のキャンプ場へ車を走らせている。
「でも、この前心霊スポットを紹介してる動画を観たんです。とあるダムの近くを走ると、何故かエンストするんですって」
「あ。そういやガソリン入れ忘れた。やばいかも」
「嘘でしょ!?」
慌ててガソリンメーターを見る。しかし警告ランプも消灯してるし、針はほぼフルの方に傾いている。何も心配なさそうだ。
「……景さん」
「はは。怖いなら、そういう動画は観ない方がいいんじゃないか」
景さんは窓に肘をつき、おかしそうに口元を押さえた。
「そもそも俺達だって、生まれ変わる前は霊体のまま漂ってた。ある意味幽霊だ。なのに幽霊を怖がるなんて妙じゃないか?」
「それとこれとは違いますよ! あと俺が怖いのは、悪霊とか怨霊とか、人に危害を加える霊です!」
「霊の話をしてると霊が寄ってくるんだっけか」
「景さん、もうこの話やめましょう! お願いします!」
「お前から言い出したんだろ……」
長い長いダムの外周を抜け、色付いたイチョウの道へ出る。
雨のみぎり。葉から零れる雨粒が、フロントガラスの上で跳ねては消える。
「そういえば、さっき流希さんからメールきてました。彼らも東京にいるから、都合が良ければご飯食べに行こうって」
「どうかな。……うるさそうだ」
「あはは。でもそのうち御礼もちゃんとしたいし、考えておいてください」
ライトを消し、坂道を下る。目的のキャンプ場へ着き、受付を済ませた。
季節柄、家族連れも多く賑わっている。バーベキューをやってる人もいて、何だか見ていて嬉しくなった。
地面はふわふわだ。落ち葉を踏みしめ、遠くに見える青い山の稜線を指でなぞる。
今夜は小さなバンガローを借りた。お腹も空いてきたので、テラス部分のテーブルで夕飯の準備を始めた。持ってきたガスバーナーでお湯を沸かし、袋からメインの食材を取り出す。
「宿代かかってるのでご飯は質素に。でも絶対美味しいインスタントラーメンでいきましょう」
旅の相棒であるメスティンを二つ取り出し、カット野菜を入れて煮詰めていく。最後に卵を投入すれば、栄養もしっかりとれる。……気がする、万能ご飯。
近くの売店でお茶を購入し、二人同時に手を合わせる。
「頂きまーす!」
「……ます」
涼しい空気の中、熱いスープを飲む。空腹だったせいかあっという間に完食してしまった。
「はー。お腹いっぱいです。今すぐ眠れそう……」
「今日はずっと運転してたもんな。シャワーは明日にして、もう寝るか?」
片付けをして、バンガローの中に入る。暖色のランプは秘密基地感があって、子どもみたいにワクワクした。
「眠いけど、何か勿体ないです」
「俺も昔、トレーラーハウスに泊まったときはそんな風に思ったな。暖房ないところで凍死するかと思ったけど」
景さんは眼鏡や腕時計を外し、二つあるベッドの左側に腰を下ろした。
「家以外の泊まりは、結局のところ全部特別だ」
「……ですね」
俺からすれば、ビジホもカプセルホテルも、車中泊だってワクワクの体験だ。
遊ぶ為に旅してるわけじゃないし、快適さを求めてるわけでもない。なるべく費用を抑えて、抑えたら時々奮発する。どれも特別で、忘れられない思い出だ。
「景さんとの旅も、どんどん上書きされていきます」
「それは、良い意味で?」
「もちろん!」
即答すると、彼は笑って、隣をぽんぽんと叩いた。
少し迷ったものの、上着を脱いで彼の隣に腰を下ろした。
「……一緒のベッドで寝るか?」
……狭いけど。と呟き、彼はあどけない笑みを浮かべた。
「狭くて耐えられなくなったら、床に蹴り落としていただいて大丈夫です」
「ばか」
景さんは今度こそ吹き出し、俺を抱き寄せて横になった。
二人だけの空間で、木目調の天井を見上げる。
「もう、どこに行ってもお前を独り占めできるんだな。嬉しいよ」
「えへへ。俺もです」
互いの顔や首筋を愛撫し、猫のようにじゃれ合う。
ベッドはさすがに狭い。でも、狭苦しさを感じられることが嬉しい。
以前は、広ければ広いほど虚しさが募り、寂寥感に襲われた。だけど今は、心にすきま風が入ることはない。
誰よりも近い場所で、彼と眠れる。
叶うなら、夢の中でも景さんと一緒にいたい。
彼と手を繋ぎながら、まどろんだ世界に落ちていった。
◇
『もう限界だ……』
深夜、空腹で眠れず、寝床から出た。両親の話し声が聞こえたので、足は自然とそちらへ向かった。
何故か無意識に足音を殺しながら。一歩一歩慎重に、渇いた土を踏みしめる。
戸に手をかけようとしたとき、父の掠れた声が聞こえた。
『明日、明永を御滝へ連れていく。村の為には仕方ない』
父の言葉を聞いて、母は泣き出してしまった。
俺は少しずつ後ずさり、逃げるように外へ出た。
昼間はあれだけうるさいのに、今は怖いほど静まり返っている。
自分と言葉が通じる者は誰一人いなくなってしまったような、不安と心細さ。
けど村で過ごした最後の夜は、雲が晴れて、星がとても綺麗だった。
「ふあぁ……」
空は良い具合に曇っている。シートベルトを締め、都築はルームミラーを調整した。
「都築。昨日は眠れなかったのか」
「はい、何か夢を見て……あ、狭かったからじゃないですよ! 入眠は早かったんで!」
夜が明け、都築と景はキャンプ場を後にした。ここから大移動し、流希のデータにある有力そうな滝へ向かう予定だ。
景さんは心配そうに運転を交替すると言ってくれたけど、そこはエナジードリンクを飲んで断った。体調が悪いわけじゃないから、気を引き締めて捜索にあたる。
……ただ、昨夜からなにか思い出しかけている。しかし“どの辺り”の記憶なのか分からず、内心小首を傾げていた。
四、五時間ほどかけ、山奥の集落へ出た。稲穂が揺れる棚田は目を見張る美しさで、つい走るスピードを落としてしまった。
「ここ、本当に綺麗ですね。俺の地元の棚田も、水が張ったときは綺麗だったなぁ」
「あぁ。夕暮れ時とか、夜も良いな」
そういえば田植えもやったな、と景さんは珈琲を飲んだ。
「景さん、生き物平気なんですか? 都会っ子でしょ?」
田植えなら、ありとあらゆる生き物がいる。泥だらけになるし、苦手な人も多そうだ。
しかし彼は、窓を開けて頬杖をついた。
「平気に決まってるだろ。昔は何でも食ったんだから」
「は~……! …………食べました」
それ以上は話題を広げることなく、豊かな景観の中を進んだ。
ここで困ったのは、目的の滝はナビで入力してもヒットしなかったことだ。山奥のせいかネット上の地図にもない場所で、右往左往した。下手したら日が暮れると思い、再び集落に下りて、民家の前にいた男性に声を掛けた。
「あの、すみません。ちょっと道をお聞きしたいのですが……」
車から降りて、目的の滝が書かれた紙を見せる。男性は多分あそこのことだろう、と指をさして教えてくれた。
「本当に小さい滝だけどね。この辺じゃ昔から雨神様がいると言われてるんだ。ゴミを捨てたり、荒らしたりはしないでくれよ」




