再訪②【苦業をたずさえた主従】
重い身体を励まし励まし、一歩ずつでもユオルは足を前へとだす。
これは運動前の準備というよりかは、むしろ心構えの一環だ。いってみれば精神のための準備運動である。
心と身体は曖昧にも連携をたもっており、どちらか一方が凹んでいてはもう片方もひっぱられる。
つまり、これからくぐる苦行がより辛くなる。
精神のために準備をつくすことはかえりみて身体のためにもよく、準備によって体熱があがってくれば士気もあがるという訳だ。
だが虚しいことには、この準備とやらで身体が温まってくることは時節柄なかった。
己の身体はいま、不自然に余計な重しよって覆われている。その重し──鉄の塊が、温まったそばから熱を奪っている。
物理的に身が重いせいで、気持ちまでひっ張られて沈滞していく。最悪だ。
彼はこれでも、努力すること自体はけして嫌いではない。やればやるだけ身になるというのなら尚さら気張り甲斐もあろう。
が。アスタミオが新たによこしたこの課題は、なかなかに気持ちをへし折るものだった。
彼いわく、鉄人走。
名称そのまま、甲冑を着込んでひたすら遠駆けをするという、むしろさきに頭のほうを鍛えるべき鍛錬法をいう。
ちなみにいま着込んでいるこの甲冑は、アスタミオにいわれて家令さんがどっからかひっぱり出してきた物で、正直ブツ自体が遺っていたことが驚きの、おそろしく時代遅れの遺物だった。機能も見た目同様、まったく冴えない。
騎士たる者──というか彼は騎士になりたいなどと大それたことはひと言もいっていないのだが──戦場では常に全身鎧を着けるもの。なれば平時よりこれを着込んで、自在に動けるようにしていてこそ当たり前。状況下での身体の動かし方に慣れるとともに、鍛えられもする最高の鍛錬法なのだそう。
なるほど。きけば納得の主張だが、といってこれがなかなか。
鎧は重いし、ずっと走っていればさすがに熱が籠もる。それもいま時分ならまだぎりぎり良かろう。
だが、これが夏ともなれば如何になることやら。
竈のなかに放りこまれた鳥──いや小羊か。それをみずから率先してやろうというのだから、自分はいったい誰のためのご馳走に化けようというのだ。
そういえばサヴェリウスは北方だったな、夏もきっと涼しいことだろう。夏は暑いという概念自体ないんじゃなかろうかと、ユオルには勘ぐらずにはいられない。
そんな状態で遠駆けにでて、今日で四日。
不幸にも行き合ってしまったご近所さんが、こちらの通りすぎる様をポカンと口を開けて見守ってくれたのはいまだに引きずっている。郊外にでるにしても街のなかを避けて通ることはならず、無念なことであった。
まったく家令さんに文句をいってやりたい。なぜ兜も発掘してくれなかったんだ。息苦しいか胸苦しいかの選択を、いまなら躊躇うことはしなかったろう。
さすがに羞恥に耐えらなくなり、今日からはアスタミオを説得して、なんとか草地のなかをグルグル周回する、ということで許しを得ていた。
そんなこちらの心情を知ってか知らずか、横を走るアスタミオからは非情な声が飛んでくる。
「どうした! こんな初歩中の初歩、貴様より若い連中も毎日こなしているんだぞ! 気を入れてやれ!」
みずからも範を示してくれているぶん、師匠役としては良心的なんだろうさ。だが、いちいち言いようが癪に障る。
午後からはもうひとつの試練──地面に一本足で立てられた案山子相手にひたすら木剣を振りまわす鍛錬が待っている。
「まあ、この訓練はお馴染みといえないでもないけどなぁ······」
新米警兵時代、じつは似たようなことはやらされていた。もっとも、主旨は集団でいかに対象をとり押さえるかを学ぶことだったから、つねに苦労を分かち合う道連れがいたが。
それで? こいつを張り倒せば終わりでいいんですかね。
初日に試しで訊いてみたものの、
「······それは冗談か? 倒れたら直して続けるんだ、日が暮れるまでな。見習いの一日は半分が鍛錬だ」
当然そんなことはなかった。
「はあッ······はあッ······!」
息を弾ませながら、ユオルはひたすら丸太人形にむかって木剣を振りおろす。
背後からの喧しい催促で左右にステップまでくわえる。
剣を振りまわす以上、これはきっと腕っぷしを鍛える訓練だと思いこんでいた。が、そのじつ、これも持久力をどうにかするものだったようで、いや、これは、キツい。
肉体の疲労はもちろん、なんというか、これ、正直子供のごっこ遊びじゃないか。案山子は反撃どころか反応さえしてくれないのだ。
これにむかって「たあっ」とか「おりゃ」とかいって棒切れを叩きつける行為······じつにいたたまれない。
幻聴だろうか、精神が削れていく音がする。
なんだよ。騎士の鍛錬ってのは、肉体と精神の修養がセットになってるのか?
ただ雑なのか。それとも合理的というべきなのか。
「でもそれ、まだ易しいほうだよ?本国の騎士たちはちゃんと甲冑着こんでこなしてるしね」
まったく、こんな時も我が主様はお優しいな。そんな暇そうにしていて良いんですか? ボヤボヤしているとアスタミオからまた──
「姫様? 本日はまだ舞踏の修練は終わっていないと存じます。家令殿が待っていますよ」
ホラ来なすった。ロプスは藪蛇だったかと首をひっこめたが、それでもむなしい抵抗を試みる。
「すこし休憩したらやるよぉ。······だいたいさぁ、舞踏なんてなんの為にやるの。それで強くなれる訳じゃなし······ブツブツ」
意外にも、というか、ロプサーヌはダンスに関してはほぼ初心者だというのには驚かされる発見だった。
本人いわく親睦の席からは外されていたというから、そういうこともあるだろうと一瞬納得させられかけたが、いや待て。だからといって、そも舞踏は貴族の嗜みの一環だろう。いくら必要性が薄かろうともいちおうは身に着けておくものであり、今時の貴族といって思いつくのはまず舞踏会。それはここ、ディルソムの平民界隈でも同じである。
いまの反応をみるに、まず本人が嫌いだったから、というのが最大の原因か。アスタミオの提言をうけた家令さんが嬉々として瞳を輝かせていたから、おそらく口を酸っぱくされていたものの拒否し続けてきたのだろう。
「なにを仰られるか。貴女はかりにも王族に連なるお人。舞踏のひとつも出来ないでどうするのです。それに前にも申したとおり、舞踊の呼吸は龍装術の奥義にも通ずるところがあるのですよ。一流の使い手とは、一流の舞踊家でもあるのです。インブリット様をご覧なさい」
嘘だぁ、とロプスは唇を尖らせた。
同意。そこだけはさすがに嘘だとユオルにすら判る。ゴネつづける彼女に、ついにアスタミオが最終兵器をふりかざした。
「お黙りください。姫様も一団の長をお望みならば、今後かならず必要になってくることです。
社交、折衝······これらの機会に舞踏会がついてくることはままある。そのおりに壁の華で通しますか? それともそこまで部下にお任せになりますか? まだ反論はおありならば承ります」
「······わかったよぉ、やるよぉ······」
ようやく観念しらしいロプスが、のろのろと立ちあがって去っていく。ユオルはせめて同情の想いを視線にこめて、その後ろ姿を見送った。
御愁傷様です。けど俺だってしごかれているんですからお互い様ですよね? 主従は一蓮托生、でしたっけ。
「······なにを言っている。貴様もやるんだ」
「──はあッ!? なぜ!? 俺は平民······」
「馬鹿か貴様は。姫様が行くということは、貴様も行くんだ。護衛が恥をかけば姫様が恥をかくだろうが」
チラリと目をやる。耳聡くききつけたらしいロプスが背中ごしにキシシ、と嗤っていた。
藪をつついて蛇をだしたのはこちらだった。
こうして忌々しくも、ユオルにもうひとつ宿題が増えたのだった。
それにしても。
未来の重荷から目をそらし、当面の課題へとむき直ってあらためて想う。
これを甲冑こみで半日やる──マジかよ。いろんな意味で最強になるわけだ······サヴェリウスの騎士はみな頭がやられているに違いない。
ユオルはそう決めつけ、木剣をとりあげるのだった。
誤字を修正しました。




