再訪①【課題をたずさえた鬼】
すいません、今回は閑話です。
そのくせナゼか長くなってしまった、と···
いろんな人が再訪する予定です。
ディルソム国カソリナ伯爵領アミキスの街にあるアウルロア邸自室の窓は、ほぼ南側へと面している。目覚めるとまずこれ開け朝の空気に親しむとともに、天気のご機嫌をうかがうのが日課となっている。
今朝も目覚めよく起床、習慣にしたがって体がしぜんと窓を開いた。
まっていたように差しこんできた朝風に、ロプサーヌはぷるりと身を震わせる。
今朝はよく晴れたせいかすこし寒い。四月に入ったといってもこんな日もある。せめて女中が洗面器にお湯を満たして持ってきてくれるまでは、寝具にくるまっていよう。そうおもい窓を閉めようとした。
と、目の端に見慣れぬ陰がかかり、固まった。
二度見直してみて、さらに窓から身をのり出してまで確かめる。
間違いない。
朝起きると、庭にグリフォンがいた。
あまりのことだ。ヒラヒラの寝巻きに室内履きという恰好で階段を駆け下り、外へととび出した。
露ののこる芝を踏みながら寄っていくと、朝日を受けてのそりと起きあがったのは、やはり間違いない、グリフォンだった。
「やっぱりグリフォン······けどこのコ、見たことあるような···?」
鷲の精悍な顔立ちをもつ頭部に、力強く大地を踏みしめる四肢。
いまは折りたたまれているが強靭な翼を肩のあたりに備え、全身は茶白のふわふわとした羽毛で覆われている。神の生みたもうた自然発生の生物ではなく、いわゆる戦獣の分類に属する獣だ。
ロプサーヌは人をのせ空を駆けるだけに、思うよりも巨体をもつ獣へも、心配になるほどずんずん近寄っていく。遠慮のないその足どりに、見知らぬ人間を警戒した羽獣のほうでも急速に緊張感が高まったことにも気づかない。
ついに許される最後の線を踏みこえた刹那、彼女をとらえた眼がおおきく見開かれる。
あっ、と思う間もなく、つながれた鎖を意にもせず、頭上は影でおおわれていた。とうぜん支えきれるはずもない。芝へと押し倒されたところへのしかかられる。
「ぐえっ!!?」
──だが。襲われたわけではなかった。
グリフォンはでかい頭をゴシゴシと、まるで猫のように腹に擦りつけている。鳥類特有の喉からくる甘え声と一緒に擦りつけられる頭をひき剥がしながら、ロプスは確信した。
「やっぱりこのコ、姉様のところへいたコ?」
鞍こそ解かれているが、こうして鎖でかってある。であれば野良ということはなし、やはり誰かの騎獣としてここに来たのだ。
「大変だユオル! 庭にグリフォンがっ!」
寝癖も寝巻きもそのままに、ロプスは食堂へ駆けこんだ。いつもならユオルが諸々の用意を整えてくれている筈だったから。
だが実際、堂内はそれどころではなかった。よりたいへんな事態が進行していたのだ。
そろって背後にひかえながら渋い顔をむけてくるユオルと家令の前で、しずかに食器をくっている者がひとり──
彼女のたてた騒音を咎めるように顔をあげる。
聞きしった声が堂内によく響いた。
「おさきに朝餉を与っております、姫様。······なんですかその恰好は、はしたない」
「なっ······なななっ! ······アスタミオっ!?」
「はい、アスタミオです。お久しぶりでございます」
男、アスタミオ・トゥルパールは、ナプキンで口を拭い、たち上がって一礼をとった。
久しぶりに会った彼は、やや伸びて顎のあたりまでになった茶の髪に、重ね着をしたチュニックのうえから、旅装の上衣を羽織っている。様子からみるに先程着いたばかりとみえた。
「···いったいどうしたんだよ、こんな急に」
ロプスはガタゴトと椅子をずらし、彼の横へ席をしめる。
若干笑みがひきつり気味になったのは、まさかボリュッソスでの一件が耳に入ったのではあるまいな、という不安が、一瞬頭をよぎったからだ。だがすぐに、いや流石にそれはないかと思いなおす。知っているのは同行したメンバーのみだし、その誰もが本国との連絡網を持ってはいない。しいて疑うとすれば神教国の経由がかなうニコラだが、彼が融通のきかぬ真似をするとも思えない。
「何故、と? インブリット様にあのような荷を送られたからではないですか」
あ、あの灰色の龍晶、と背後でユオルがちいさく呟くのに横目をくれてから、アスタミオは彼女に正面する。
それは遡ることひと月ほど前──
「ホボルク・シュターゼン······ありました。たしかに失効しております」
老眼に鞭うち帳面へと指を滑らせていた老監察官が、探していた列でハタリと指をとめていった。
ところはサヴェリウス近衛騎士隊隊長室。
三月も半ばとはいえ、北国はいまだ暖炉の世話が欠かせない。ほどよく暖められた室内に冷めた吐息がもれた。
王族の身辺警護をつかさどる近衛騎士隊の長にして、女騎士、将軍令嬢インブリット・グレスクォル卿は、手元で弄っていた灰色の塊を卓へとおく。
「そうか。問題だな」
「······申し訳もございません」
「ああいや、すまない。責めている訳ではないんだ。これは国の騎士全体の問題だからな······
とにかく、その件はこちらから通達しておこう。わざわざご苦労だった」
は、と一礼して退室する老監察官を見送る。
扉が閉じられて独りになると、薪がたてる音だけが鼓膜を満たした。インブリットはふたたび灰の晶石を掲げみ、溜息を漏らす。
「散逸した龍晶を回収してくれたことは嬉しい。が······こんな危険なものにまで関わっているとはな······」
結果だけをみれば巧くやれたのだろう。だが、まだまだあの娘の実力でコレを相手にするのは厳しかったはずだ。急速に力を伸ばしたのであればそれで良いが······
これは早急に手を打たねばならぬ、とインブリットは結論にいたる。
本来ならば自身で翔んでいきたいところだ。しかし、折悪くも国内はいま特別警戒中。かりにも王家を護る者が留守をしてよい筈もない。
「仕方ない···」
口には出しつつも、いとう思いもある。それでも、と心のなかで詫びをいいつつ、インブリットは隣室に控える側近をよぶ。
「タチアナ。タチアナはいるか?」
上司を待たせることなく扉をあけ入ってきた女騎士に、彼女は用を告げた。
「アスタミオは戻っていたな。呼んでくれないか」
··················
············
「──まさに絶好のタイミングでしたよ、ええ。ちょうど私が国内の内偵任務からもどった直後でした。
我が主は、それはお優しい声で仰られました。
『御苦労だったアスタミオ。どうだ、ここらで休暇などとっては。旅行なんか良いんじゃないか? なに、案じなくてもいいさ、後のことは我々だけで用が足りる。具体的には······そうだな、ディルソム辺りはどうだろう。隣国でそう遠くもなし、うん、休暇にはピッタリじゃないか。しっかりと羽根を伸ばし疲れをとってくるといい』と······」
この言葉には、うわぁ、とロプスも漏らした。
さすがに同情を禁じ得ない。みえるように画が浮かぶ。誰の目をもハッと惹きつけだろう面には、さぞかし優美な笑みが浮かんでいたことだろう。
まあそれはそれとして。
胸のうちには急速に、むくむくと好奇心が湧いてきてもいた。まさかそれほどに姉様が興味をしめすとは、あのアイテムにいったいどんな秘密が隠されていたというのか。
「それは······うん、なんか悪いことしたね。でも······アレってさ。そんなに問題になる物だったのかい?」
「······そうですね。そこも嫌にタイミングがあったといいますか······まあ、お話は朝餉を済ませて追々と。その前に······姫様?」
「ん?」
「まずは朝のお仕度を」
従騎士は呆れ顔でぴしゃりと言った。
ちいさな主人が身支度を終え朝餉をすませると、一同は片付けもそこそこに問答へとはいった。使用人らはすでに皿をもって下がり、あとに残るのはロプス、ユオル、そしてアスタミオの三人だけとなっている。
「まずはじめに。アレはけして特殊な事例というわけではありません」
アスタミオはいった。
「もちろん、ザラにあることでもありませんが。ただ、国の記録をくってみれば、過去にも事例の報告は幾らもあります。専門部署では【骸化】という名称をつけて呼んでいます」
「【骸化】?」
はじめて聞く単語にロプスも首を傾げる。
「もちろん、言葉どおりの意味ではありません。便宜上の名です」
「······龍晶はそもそも龍の魂、というか心臓で、身体はすでに滅んでいるんでしたよね」
ロプスの背後に侍立するユオルの態度に、アスタミオは少しだけ眺めいったあと頷いてみせる。
「そう、憶えていたとは感心だな。龍は肉体が滅んでも本当の意味で死を迎えるわけではない。だからより細かくいえば、これは病、と呼んでいいように思う。飢餓をよぶ病だ」
病? つまりは異常な状態であり、これを治すためにより糧を求める、ということか。
龍晶はほんらい、天然自然の力以外では相棒の生命力のみを喰らって復活のための力を溜めこむ。
が、それは健康な状態にあってのこと。
これがこの病に罹る。するとより以上の生命力が必要になる。そのため、周囲にまで食指をのばすようになるという。
「······さきほど嫌にタイミングが合った、といったのはそのことなのです。じつはここ数年、この【骸化】症状の報告例が増えておるのです。いまはごく少数に留まってはおりますが、比率から考えればやはり無視も出来ません。ゆえに騎士団もずっと注視しておりました」
「え······?」
ロプスも神妙に表情をトーンダウンさせる。
本国を離れてそろそろ一年ほどになるが、その話は初耳だ。水面下でそんな事態が国内にジワジワと拡がっていたとは。
「病の原因自体もいまだ不明です。が、常態となってしまえばその龍晶はもう戻れないとされていますね······」
当然持ち主も無影響ではいられません、と従騎士は憂慮の表情をみせた。
ユオルは回想する。そういえばあの騎士くずれ──あとでホボルクという名だと知ったが──あの男の様子もどこか尋常ではなかった気もする。
あのときは、たんに戦うことに膿み、擦り切れてしまっただけだと感じていた。だがこんな話を聴いた後では、受けた印象もまた違ってみえる。
「つまり······龍晶の状態に人のほうがひっ張られたと······?」
「それほど龍晶と持ち主とは、つよく影響を与えあうということだ」
「そうそう。ユオルだって一時術種が変わっちゃってたじゃん」
「······術種がかわった?」
不穏な声音の変化にユオルはしまったと思ったが、もう遅かった。ロプスの漏らした何気ないひと言に、アスタミオは不快そうに眉毛を歪め、ガタリと席をたつ。
「······姫様。よろしければ少々裏庭をお貸しください」
「あっれ〜、お客さん? ってか······朝からナニやってんのアンタら」
やっと起きだしたマイシャは、喧騒この上ない裏庭で口をあんぐりとさせた。
「うぁあああッッ! !」
勇ましい声をあげたユオルが、どこからかもち出してきた修練用の木剣を振りかざし、見慣れぬ体格のよい男へと突進していく。
得物こそ玩具のようなものとはいえ気迫は真剣なものであり、その証拠には、まわりを龍装術の風がとり巻いていた。
だがそれは男のほうも同様だ。
ふたりの巻きあげる風の帯はぶつかり合い、迷惑にもあたりの大気を攪拌している。
アウルロア邸の裏庭には観賞用の庭のほかに、裏の林に隣接した草地ばかりの野辺地がある。ふたりはそこでどつきあっている訳だが、それはじつに理性的な判断だといえた。
もしあの美しい庭でこれをやろうものなら。軒並み樹木を丸ハゲにして、家令を卒倒させてしまったかも知れない。
「んー? なんかあのデカい方、見覚えがあるような······?」
呟きながら、なんの気なしに横へと目線を転じる。
その眠そうにしていた翡翠色の瞳がゆるゆると見開かれた。
視線の先にあったのは。
草のうえに退屈そうに寝転んでいるくせに、存在感たっぷりな羽獣の姿だ。慣れているのか、傍でこれほど騒がしくされてもまったく平然としている。
「うっわ〜っ! これグリフォン? だよね?、だよね? へぇーっ、へぇ〜っ! こんな間近で初めて見るわ〜。ファンタジーっ♡」
俄然高揚し、無邪気によって隣に座りこむと、遠慮なくその毛並みに手をのばす。
グリフォンはちょっと瞼をあげてマイシャの方をみたが、とくに気にするでもなく、その優しい手並みに身を任せている。
そんな平和的な光景とは対照的に、草原では緊迫感あふれる稽古が続けられている。
「っ」
まったく動じない相手にユオルは果敢に挑んでいくが、どう斬りつけようとそれでアスタミオの刃先が迷うことはなかった。
足元を狙った剣もなんなく見切られる。
調子をくずす突きも弾き落とされる。
不足分を埋めようと奇をてらった剣筋はすべて粗を暴かれ、安々と崩されて逆におのれの隙をさらされる。
「ふん? なまじ半端に実戦をかさねたせいで拗ねて育ったというわけ、か。話にならん」
もはやヤケクソ気味に繰りだされる剣へと律儀に合わせるくぐもった音の向こうから、そんな憎らしい言葉が聞こえてくる。
なにを言ってやがるんだ、しょうがないじゃないか······!
なにせ立ちはだかってくる皆が皆、自分なぞよりずっと上の使い手だったのだ。本来なら素人同然に振り回すだけの剣なぞ歯牙にもかからなかったろう。
それでもくぐり抜けてこられたのは、ロプスや仲間たちと力を合わせてきたから。そして何より、龍晶が助けてくれていたからだ。
だからこそ、そのすべてが運であったとは認めたくはないのだろうが。
「······憶えておけ。本道ありきの外道だということを······!」
ふっと息を吸うと、アスタミオが踏みこむ。一転して攻勢にでた。
あっと怯むユオルに対し繰りだされる斬撃は、どれも真っ直ぐな剣筋。
しかし重く、そして疾い。基本をしっかりと突き詰め昇華させたそれは、あのホボルクの姿ともかぶってみえた。こちらの攻めに繋がる起点が即座に潰され、風もあっという間に彼の色へと塗りつぶされていく。
左肩を狙って降ろされた剣をかち上げるように受ける。手応えを感じるや否や、突如としてアスタミオの風が変わった。
「ぐっ! ?」
急速な減速。
前のめりになってたたらを踏んだところを刃をずらされ、ガラ空きの胴に見事な一撃がふり抜かれた。
「ぅぉえッッ!?」
したたかに打たれ、ユオルは腹を抑えて膝をついた。
刃の面を立てられた訳ではなく、剣の腹で打ってくれたので骨をどうこうした訳ではない。それでも激しく打たれたことには変わりないのだ。かなり効いた。
「······くそ、いちども、炎がでな、かった···」
当たり前だ、という声に、四つん這いのまま、呼気を枯らせながらアスタミオを睨みあげる。
「そうコロコロ術種が変わってたまるか。そも貴様は、龍晶に頼りすぎ、勝手にさせすぎる。
心に刻みこめ。不安定に頼るな。龍晶の本能を刺激するような術種は······危険なのだ」
「············くそ」
口惜しい。正直にいって。これでも幾度か死線をくぐってきた自負はあった。だのに······
龍晶とだってずっと向き合ってきたのだ。毎日、毎朝。まだそれが足りないというのか。
「······なにが、不足足だってんだよ」
苦渋を滲ませた呟きにも、しかしアスタミオは無情なほどにきっぱりと解を投じる。
「いったろう、基礎さ。龍晶をあつかうにも、長時間戦闘を継続させるにも、必要なのは体と、そして心の持久力だ」
言うだけいって、アスタミオは形だけでも木剣を鞘へと納めた。
(とはいえ気にはかかる。あとで姫様に状況をきいておくがな······)
そのまま捨て置かれるのかと思ったが。
従騎士はわざわざ持ちだしてきた荷のほうへもどると、なにやら一枚の巻布紙をとり出してきた。
仰向けになっていたユオルの腹へと落とす。
「······?」
「土産代わりだ。闇雲にやるよりはマシだろう、やってみるんだな」
「············」
ユオルはまだ恨みがましくアスタミオを仰いでいたが、渡された物をつかんで立ちあがる。
くそ······相変わらず偉そうに言いつけやがって······。
「──じゃあ次は私の番っ!」
待ちかねたとばかり、ロプスがぴょこんと腰掛けていた石像の台座から身を起こした。ふたりの立ち合いに触発されたか、身体が疼いてしょうがないという顔をしている。いや、手にしっかりと稽古用の棒切れを持っているから、はじめからそのつもりだったのかも知れない。
アスタミオの方でもとくに断ることなく、ふたりは間をおいてむきあった。
「久しぶりだね。アスタミオに稽古つけて貰うのもさ」
ロプスは手許に長棒、口には笑みを宿して語りかける。対峙するアスタミオも、どこか微笑ましいものをみるような眼差しでいる。
「はい。さほど昔でもない筈ですのに、なにやら懐かしいような気もいたしますね。
──せっかくです、賭けをしませんか?」
賭け? と、ロプスが問う。
アスタミオはここで何故か、にやりと笑みを悪巧みする者のそれへ変化させた。
「敗けた場合、姫様には舞踏の訓練をしていただきたく」
提案が気に入ったとばかり、ロプスも勝ち気な笑みをうかべて応じた。
「なに? 私にまで特訓させる気だった?」
「はい、せっかくの機会ですので」
「······いいよ。私に勝てたら、ね」
「結構。では──存分に参られませっ!」
風を散らして打ちあうふたり。
特訓を賭けて繰りひろげられる両者の対決を腰をおろして眺めながら、ユオルはわいてでた奇妙な感傷にとらわれていた。
ロプサーヌが国でどのように過ごしていたのか、自分はまったく知らない。
訊こうとしたこともない。問われても、きっと良い心地はしないだろうと思ったから。
あの歳であれだけの槍捌きを身に着けている彼女。きっと昔も、ああして負けん気全開で強い相手に食らいついていたのだろう。
なぜ、王家の令嬢としてもっと優雅な道を選ばなかったのか。
なぜ、武術を選択したのか。いや、選択せざるを得なかったのか──
それをおもうと、なにやら彼女の一端を垣間見たような神聖な気持ちになる。
それとともに、やはりへだたりを感じ、ほんのすこし寂しくも思うのだった。
速球あっての変化球、みたいな?




