2 宿屋
お盆が標準装備。
私は宿屋の看板娘です。
名前はニナ・グレイヒルズ。
宿屋は宿屋でも、主なお客さんは冒険者さんです。荒くれ者の相手と思われがちですが、宿屋ではおとなしいですね。
理由は簡単、宿屋協会のおかげです。
宿屋協会では、冒険者の組合であるギルドさんから、冒険者の素行報告依頼が出されています。たとえギルドで素行が良くっても、それ以外において、女性にだらしない、あるいは女性への暴行・暴力沙汰を起こすなどなど、気が緩むのか色々と出してくれます。
そういう冒険者は、ギルドからも干されることが多いですね。お仕事を回してもらえなくなるのです。そういう冒険者の素行の悪さが目立つと、冒険者ギルドの価値が落ちるので、ギルドの方も必死なのです。
結局、宿屋で、そして店でアホなことをやれば、仕事がなくなってしまうというアホな結末に終わるのです。
冒険者は結構評判が命なところがありますから、それくらいは妥当と見るべきでしょう。それで信用を失うとその後ろ盾となるギルドも大変ですから。
舐められないのも大切ですが、一番はやっぱり民衆からの評判が大いに影響するのです。
さて、堅苦しい説明はこの辺りにしておいて。
私の日常を見ていきましょう。
朝日が登ると、一の鐘が鳴ります。それと同時に起きるのですが、私の父親と母親は、それより早く起きています。代わりに寝るのは早いですね。
そして、私は手早く身支度を整えます。これでも一応看板娘ではあるので、髪を梳ったり、きつく結い上げて髪の毛が落ちたりしないようにしてから、お団子に結った髪の下で、三角の布の端っこを結びます。
そして、清潔感が見えるように淡い緑の服に、白いエプロンをきっちりと着用します。
刺繍は一切ありません。ただただ機能美を追求した形です。膝より少し長い丈のスカートですので、誘っているようには見えないですし。
さて、はじめにするのは、お客さんのドアをノックすることです。昨晩のうちにどのくらいに起こしてくれと頼まれた人には、ノックをするのです。部屋番号はきっちりと抑えてあります。
「セディアさん、セディアさん。そろそろ起床すべきではないですか?」
慌てたような布団をはねのける音と、ベッドの角に頭をぶつけたのか、けたたましい音。
微笑ましいですが、下から床を叩いた音はしなかったので、下の階の人は普通に寝ていられたのでしょう。
たまに上の人がうるさいから、と苦情が来ることがあるのです。
「あ、ありがとうございます……」
半分涙目で出て来た少年に、ニッコリ笑いかけます。起きてくれてよかったです。起きない人も多いですから、一発で起きてくれると嬉しいですね。
さて、そろそろ下に行かなくては。
今日の朝食は、パンにしっかりと出汁をとって、野菜と一緒に煮込んだスープ。それから、エニェ鳥の卵とメズマワの実やそのほかのものを刻んで混ぜたものを焼く、オムレツみたいなものです。
オムレツと違うのは、具がぎっしり入っていて、トロトロには焼かないことでしょうか?
コツガニテの乳のチーズ、幾らかの香草も入っていて、それをフライパンに入れて、何分か蒸し焼きにするのです。
具がゴロゴロで、チーズがよく絡まって美味しいんですよ。
え、チーズですか?これは異世界から来た人が、200年前くらいに伝えたそうですよ。気さくな方でこちらの風習には慣れましたけど、どうも食事だけは容認できなかったみたいです。いくつか伝えていったものがありますね。
私は賄いをパクパク食べると、即刻食堂の扉を開けました。すでに泊まりでないお客さんも来ているようで、私はそれに気づかずに扉を開けました。がつんという音にビックリして、心臓が一拍飛び跳ねます。
「へぇ!?だ、ダズウォークさんんん!?」
「あー、まあ痛えが、大丈夫か?扉」
「あ、あの、……はい。割れてません」
「そりゃよかった」
ダズウォークさんは、毎回オムレツもどきができる日を狙いすまして、ご飯を食べに来るのです。どうもお気に入りのようですね。
焼く日はランダムなはずなんですけど、毎回遠出をしていない限りは、ほとんどきっちり。
彼は、運び屋——ポーターをやっています。彼がついた若手は、著しく出世することで有名で、いくつもの英雄譚の著者でもあるすごい人です。
彼に憧れる人も、少なからずいます。
ですが、ポーターはきつい仕事。夢や憧れだけでは続けられずに、やめる人が大半のようですね。ダズウォークさんはどうも特別です。
「今日もアレ、あんだろ?俺仕様で頼むな」
「はい!」
私は厨房に走って行って、母さんが終えたサラダの盛り付けられているお皿をプレートに載せました。そして、オムレツもどきが二つ。お値段は三割増しになりますが。
「おぉ、来たか!」
「ぁれぇ?」
おっと、乙女にあるまじき声をまたしても。
どうやら新人くんのセディアさん、そしてダズウォークさんは知り合いだったようです。
同じテーブルについて、この近辺にあったダンジョン用の地図を見ては真剣な表情で話し合っています。
「お二人は、一緒に潜るんですか?」
「え、あの、えと、ダズさんが良ければ、ですけど……」
「おっ、俺は構わねえぜ?」
「では、棒銅貨三枚でお昼、作らせていただきますが」
「いいのかい?あれ作ってくれよ、チーズと肉いっぱいの……」
「セムハムチーズサンドですね。わかってますよもう!」
「おぉう、さっすが俺の嫁」
「やだダズウォークさんったらもう」
軽口を叩き慣れていないのか、セディアさんが目を白黒させています。初々しいですねえ。私は自分の全力でダズウォークさんの手をお盆で引っ叩きます。ですが、鉄でも殴ったような感触。
あ、別に暴力というわけではありません。一応腰に伸ばされた手だったので、問題ないですよ。うちはお触り禁止です。
お尻を撫でるくらいなら冒険者でなくてもやります。
一流の運び屋は一流の冒険者にも劣らないとはよく聞きますけれど、やはりこういうのをみると痛感させられますね。
「では」
だんだんと忙しくなって来る厨房に合わせて、そんな軽口を叩く暇はなくなって来ます。お尻を撫でようとする客には脚でローキックをかましお盆で叩いて、執拗に話しかけて来る客を無言の笑顔で振り切って、お昼前にようやく暇になって来ました。
このあたりに来ると、冒険者を主客とするうちのお店は暇になります。
冒険者稼業を休んでいる人が何人かいるので、頼まれればその人たちには賄いくらいを出しますが、それ以外は仕事はしません。貴重な休憩時間です。
たまには買い物に出ることもありますが、基本は部屋で寝たり、本を読んだりします。
要請とチップがあれば、部屋は完璧に整えます。チップをケチったら、寝台のシーツは変えずに整えるだけをします。
自分の汗臭い匂いで充満した布団に寝ればいいのです。ふんだ。
ほとんどの冒険者は、一週間に一回は変えてもらいたいと言う人が多いですね。そのタイミングを見計らって、お洗濯をするのです。
稀にですが、お貴族様がこっそりお忍びで来て、泊まることがあります。その時は、私たちは綺麗に洗って特別に綺麗にしている、一組だけの綺麗なお布団を使います。一番身分の高い方に使わせるのです。
ですが、たまに頭が阿呆な方がいらっしゃると、私に添い寝をしろとのたまうのです。私は笑顔で曖昧に流し、高級娼館のものを呼ぶと、そこに突っ込ませて、それから朝に請求書を突き出して金を搾り取ります。
貴族が払わないこともあるので、私たちはあえて「まさか払えないなんてことありませんよねぇ、ウフフ」と言いながら差し出します。
普通にプライドを持っているなら払ってくれます。ただ、下の爵位の人たちの方が、金払いは悪いですね。金額ぴったりを出してくるのです。ぴったりなら威張って出さないでほしいです。
夕方ごろになると、帰ってくる冒険者さんたちのために私たちはお湯を沸かします。鍋にいっぱいではないですね。かなりの量ですから、薪をぼんぼんくべていきます。手を入れてあっつぅ!となるくらいがちょうどです。そこにタオルを浸して体を拭くのが、ほとんどの冒険者さんです。
「おう、ニナちゃんありがとな!さっすが看板娘!」
「いえいえ、それほどでもー」
「これで添い寝でもしてくれたら、おっさん感激しちゃげぶら!」
隣にいた女冒険者さんにぶん殴られていました。きっと恋人だったのでしょうか?
「バカねえ、ホント。お客様だから丁寧なのよ、あんたみたいな冴えない男……私しか相手はいないでしょうに」
「そうですね。お客様じゃなかったら、きっとクレシアさんみたいな応対になると思います」
惚気をスルーして笑いあっていると、じわじわと忙しくなって来ました。
夜は、あちこちのテーブルで、いろんなおつまみをオーダーされます。そう種類は多いわけではないですが、なかなか美味しいので何度も来る人が多いようです。
チーズとハムの盛り合わせやら、ソーセージとキノコの炒め物、それから海で取れるグァザムを干し、それをパリッパリに焼いたものなどなど。夕飯は固定のメニューで選べませんが、おつまみを食べるので文句は出てませんね。
お酒は地酒を頼む人が圧倒的に多いですね。しかし、飲んでいい時刻は決まっています。
建物同士がそう離れているわけではないので、皆さん夕方ごろになるとここに来て、飲み始めます。夜に八の鐘が鳴った時点で飲んで騒いでいると、そこで迷惑になってしまいますから。
これを守らないと、お貴族様でもしょっぴかれるそうです。
家の中で静かに飲むぶんには結構ですが、どんちゃん騒ぎは祭りの日・王国の慶事があった日以外は禁止されているそうです。
八の鐘が無事鳴り終わると、そこで火種を時止めの魔法陣が描かれた金属の箱の中に移して、残った薪の残りやらには汲んで来た水を
かけいれます。そして、それをかまどの隅にある灰入れに流し込みます。
これは流れて行って、農夫が自由に使う肥料となるそうです。
そうして、ようやく終わりが見えて来ました。一階の奥の居住スペースにある自分の部屋に行き、体をすっかり冷めている水で綺麗に拭うと、そこに体を浸します。水が限られた都市内部では贅沢な使い方ですが、なかなかに気持ちいいです。もちろん冬はしませんよ?冷たくってそれどころじゃありませんし。
今日も一日頑張ったなあとチャプチャプ小さなタライの中で顔を洗ったり、髪を洗っていたら、唐突に扉がノックされました。
「あの、明日の朝なんですけど……」
聞き覚えのある声です。セディアさんです。間違い無いです。
というか。今だけは。今だけはやめてください。
入って来てないですからいいんですが、扉に鍵ってかけてありましたっけ!?
「ひ、ひゃい!」
「あ、一の鐘が鳴ったらまた起こしていただけると」
「わ、わかりました!」
ちゃぷ、と水が跳ね上がり、それを耳にしたのでしょうか、扉の向こうで慌てたような声。
慌てたいのはこっちです。
「か、体を清めているとはつゆ知らずっ……失礼しましたあああ!!」
だだだっとかけて行って、上の階からばたーん、と扉が閉まった音が聞こえて来ました。
ほう、と私は息を吐いて、体を拭いた後に、ようやく眠りにつくことができました。
これが私の一日の業務です。
え、最後のもよくあることかって?やですよお客様、そんなわけないじゃ無いですか。
あんまり変なこと言ってると、怒りますよ!
お読みいただきありがとうございます!