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常に楽しく! 常楽高校野球部物語~入学編~  作者: 深淵ノ鯱×kareat
1年・春~夏
50/54

対西行高校戦ーラストイニングー

 次なる試合の舞台は、京都府南部の宇治市にある「太陽が丘球場」だ。両翼は九一メートルで、中堅は一二二メートル。八千人を収容できる、京都府内ではわかさスタジアム、宮津市民球場に次ぐ規模を誇る球場だ。この球場も、ほかの地方球場と同じく、周囲を木々で囲まれており、暑い日差しの中に緑の香りが時折漂ってくる。

「軽く体ほぐしてからキャッチボールなー」

 スタジアムに入るなり、石崎先輩の命が下る。僕たちは、いつものようにランニングやストレッチの後、ペアを組んでキャッチボールをはじめる。

 今日、僕はスタメン入りしていない。洗髪投手は言わずもがな、野村先輩だし、ショートは石崎先輩が努めてくれる。この試合では応援や急な出番に備えることになりそうだ。

「集合ー!!」

 七分間の守備練習も終わり、僕たちはベンチ前に集まる。太陽に照らされている背中が、じりじりと焼けて痛い。ぐるりと視線を這わすと、野村先輩が真剣な表情でグラウンドの土を睨んでいる。今の先輩にとって、今見ている風景の全て、感じている痛みの全てを最後のものとして受け入れているのだろう。先輩のその気持ちが裏切られることを信じることしか、僕にはできない。

 円陣の中で、石崎先輩が話し出す。

「お前らも知っとる通り、今日は野村キャプテンが先発や。……全部は言わん。もう耳にたこができるほど聞いとることやろしな。察してくれ」

 先輩はそう言い、視線を一度落とした。影によって黒みを増した土が、僅かに吹く風に揺れる。砂塵が好き勝手に散っていった。

「俺らーができるんは勝つことだけや! 勝つぞ!!」

 部員全員の、それぞれの想いを乗せた声が過去最大のボリュームで球場内に響き、そしてそれが開戦の狼煙のろしとなる。


 本日のスターティングメンバーは、僕たちが初めて試合を行った、あの練習試合の日と全く同じだ。選手たちの調子や、前回の試合から考えた結果だ、と監督は言っていたが、理由はそれだけではないような気がした。監督もちょっと粋な計らいをしたのだろう、と僕は思っている。


1. 中 柴田

2. 二 支倉

3. 一 山本貴

4. 三 谷村

5. 遊 石崎

6. 右 前田

7. 投 野村

8. 捕 山本良

9. 左 桧山


 開門高校との試合では、結果的には勝ったものの、僅差だった。西行高校もレベルだけで見るとそう大差はないが、やや不安材料が残るのだろう。それならば、と負けはしたものの、良い機動力をみせたこのメンバーで挑むことにしたのかもしれない。

 試合は定刻通りに始まった。先攻は西行高校。先に投げるのは野村先輩だ。吹奏楽の音だけが響く球場内では、キャッチャーミットにボールが収まる音などが良く聞こえる。客席にいると感じないかもしれないが、ベンチや内野だと、それは火を見るよりも明らかだ。

 野村先輩は順調に一球一球を投げ込んでいく。近松高校との練習試合の時よりも、球威、コントロール共に向上しているように見えた。しなやかな風に乗るように、時には抗って、白球は色々な軌道を描いてミットへと吸い込まれる。そのピッチングは、見ていて美しいと感じるほどだった。

「……野村先輩、調子ええなー」

 マネージャーと、そして記録員の役割も兼ねた葵が、先輩の投げっぷりを見て、感嘆する吐息を漏らす。その姿に見惚れながらも、記録員としての仕事は忘れない。前回の試合ではベンチにいたメンバーがやっていたのだが、折角知識が豊富な女子マネがいるんやから、ということで葵に白羽の矢が立ったのだ。ちなみに瑠璃は、まだ完全に覚えきれていないらしく、記録員には不向きということでスタンドでの応援に徹している。だが、ベンチの中に女の子の姿があるというのは、男子としては非常に嬉しいものだ。特に、直射日光を浴び続けた果てに、ようやく帰還したのであれば、その幸福感は一気に増す。僕も、グラウンドから帰ってきたときには、それをひしひしと感じていた。

 初めて体感するであろう、相手校の吹奏楽と部員の声援に一切ひるむことなく、野村先輩は、相手打線を難無く三人で抑えた。先輩の巧みに操られる変化球に、三人ともが内野ゴロに封じられていた。

 ベンチに戻ってきた野村先輩は、選手たちの称賛に控えめな笑顔を見せ、大粒の汗が流れる額を豪快にタオルで拭う。上気したその顔は、心なしかいつもの先輩の表情とは全く異なっているような気がした。


 試合は早いペースで進んだ。元に戻した打線は相手投手の球威のあるストレートと、それによって効果を増す緩急に対応しきれず、見逃し、空振りの三振を積み重ねていった。対して相手打線も野村先輩の好投から攻撃の糸口を見出すことは困難であるらしく、こちらは凡打の山を築いていた。互いにゼロ行進が続く中、初めにピンチを迎えたのは僕たち常楽高校だった。

 六回の表、そろそろ疲労が見え始めたのか、野村先輩の投げる変化球の球威が落ち始めた。日光は容赦なくグラウンドじゅうを焦がし、選手たちの体力を奪っていく。投球に多くの体力を消耗する投手にとってこの状態が地獄であることは、僕たちが一番わかっている。

 イニングの先頭打者に出塁を許してから、続くバッターにも安打されたところで一旦タイムをとり、全員で集まる。選手たちを落ち着かせるために、僕もマウンドへ向かう。その時に、監督から一言だけ耳打ちされた。

「…………」

 傾斜の先に、砂にまみれたロージンバッグがぽとりと横たわっている。その地を目指して、僕は一歩ずつグラウンドを踏みつける。

「……先輩、落ち着きましょう。まだ点は取られてへんのです。苦しいとは思いますが、最後まであきらめずに。……それと……」

 そこで僕は言い淀む。言った方がいいのはわかっているが、汚物が詰まったみたいに、言葉が出てこない。ベンチを出る直前に、苦々しく監督が伝えてきたこと。

「野村先輩、俺たちも死ぬ気でボールに食らいつきますから! 絶対にゼロでこの回、乗り切りましょう!ほったらチャンスがやってきますよ! まだまだ先輩は投げられます!」

 貴浩が焼けた顔から白い歯を覗かせ、そう励ます。野村先輩は微笑んで、僕の方に視線を戻した。

「ほんで楠木、それで……何や?」

 タイムに使える時間が残り少ないことはわかっている。審判の一人が、僕たちの方に向かって歩み寄ってきているのが視界の隅に映っていた。残酷なことだろうか。先輩に全力投球をしてもらう糧となるだろうか。どちらに転ぶかは、僕が判断できることではない。だが、そのことを伝える義務が、僕にはあるのだ。

「……先輩、ラストイニングです。全力で投げてください」


「ちゃんと伝えてくれたか?」

 ベンチに戻ると、僕と一切視線を合わすことのない監督が声をかけてきた。

「……はい、きちんと」

「そうか」

 監督は短く返し、それぞれの守備位置へと戻っていった選手一人一人を鋭い視線で見る。今は試合中なので、厳しい熊川監督だが、瞳の奥には、温厚な熊川先生の姿が見えるようだった。

「野村は体力手にもこの回が限界や。野村のあとを楠木、お前に継いでもらうから、肩作っとけ」

「あ、……はい」

 僕は複雑な気持ちでボールを手に取る。ベンチにいた西野にキャッチャーをやってもらい、何球か投げる。

 すると、ひときわ大きな歓声がスタジアムを埋めた。慌ててその方を見ると、ボールは転々と外野を転がっている。ベンチからの監督の「くそ!」という叫び声が、掻き消される直前に聞こえた。

 走者の一人がホームベースまで到達し、スコアボードにようやくゼロ以外の数字が刻まれる。野村先輩は苦しそうに息を吐きながら、喜ぶ相手ナインには目もくれず地面を睨んでいた。

「点、取られてしもたな」

 いつの間にか僕の隣に立っていた西野が悲しそうにつぶやく。

「あぁ……。でも、今の僕たちにできることはない。先輩が投げ切ってくれることを祈るだけや」

 マウンドの上に僕が見た姿は、先ほどよりも熱く熱く燃え上がる炎をその瞳に宿した野村先輩だった。

 

 ベンチに下がってきた野村先輩は、椅子に座るなり頭を抱えて、悔しそうに足元のアスファルトを睨んだ。その表情はうかがえない。誰しもが、気を遣ってか先輩には話しかけられずにいた。初回のように汗をぬぐうこともなく、伝っていく滴を自由に落とさせていた。

「……くそっ……」 

 彼の眼前に広がる風景に、砂塵や土はもはや広がっていない。あるのは色彩に欠けた、空虚な世界だけだ。苦しそうに呻く先輩が流すものの中に、汗とは違うものが混じっているのに気付いた者は、きっといなかっただろう。

 野村先輩は、あの後、気迫のピッチングで見事に相手打線を封じた。それは例えるのであれば、鬼のピッチングだった。汗を振りまき、ただミットだけをめがけて投げる先輩の姿は、相手を襲う鬼であった。それだけに、一点が悔やまれる。その裏の攻撃では、死球でランナーを出し、三塁まで進めたものの、返すことはできなかった。

「楠木、あと、頼んだ」

 七回の表、僕がマウンドへ向かうべくベンチを出ようとすると、野村先輩の小さな声がかけられた。悔しそうな表情は未だ消えていないが、僕に託したという大きな意思が見て取れた。だから僕はうなずきを返す。

「大丈夫です。まだまだ終わりませんから」


 先輩の思いを胸に、そして腕に、ボールに乗せ、相手打線を封じる。投球練習では今一つ調子が良くないかな、と不安に思っていたのだが、先輩がくれた言葉が良いプレッシャーになったのか、ストレート、カーブを丁寧に駆使できた。

 僕の打席が回ってきたのは最終回の、しかもツーアウトになってからだった。相手投手は八回の時点で変わっていたが、投手が変わっても、僕たちが打ちあぐねることに変わりはなく、無得点に終わっていた。ベンチから見ていて思ったのは、この投手はカウントが苦しくなると、変化球を一切投げてこないということだ。実際、変化球の返歌量は大きく、かつ相手ピッチャーにとって良い塩梅あんばいに荒れており、それが僕たちを苦しませていた。対してストレートのコントロールには自信があるらしく、コースにきちんと制球されていた。普通ならそれは泣きっ面に蜂なのだが、予想ができれば怖さも半減する。そして今のカウントは1ストライク3ボール。間違いなくストレートが来るカウントだった。もし変化球が来れば、残念、と思って見逃すしかない。僕はストレートに懸けることにした。

 すぐに投手はモーションに入る。振りかぶられて投じられたのは、やはりストレートだった。ストライクかボールか際どいところだったが、迷いなく振り切り、一気に駆け出す。角度は悪くない。音も問題なかった。長打になることだけを祈って一塁ベースを蹴る。相手チームのレフトが後退していくのが見えた。歓声と息を呑む音がコンマ一秒ごとに増していくのが感じられる。ベンチから見えるのは背中か、それとも正面か――。野村先輩が見る光景は、果たしてどっちなのだろう。

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