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常に楽しく! 常楽高校野球部物語~入学編~  作者: 深淵ノ鯱×kareat
1年・春~夏
37/54

二つの笑顔

 その後、三十分ほどにわたって話し合いが行われ、今日の試合から割り出されたデータをもとに、当面の野球部の練習課題、方針などが決められた。一番重要だと考えられたのは、変化球への対応、バッティングフォームの改善だった。

 僕らは完全に井の中のかわずだった。普段の練習の時には、投手である僕やほかのみんなの球を打って慣れているつもりでいたが、所詮それは小さな井戸の中でしか見ていなかった世界だ。今回は、井戸が池になったようなものに過ぎない。けれども、僕らはそれを広いと身を持って感じた。甲子園に行けたらいいな、なんて漠然と考えてはいるが、ここが池ならば、甲子園など宇宙ではないか。僕らは、そこで呼吸をすることはできない。永遠の闇の中を、無重力の世界を、ふわふわと彷徨うことしかできないのだ。それはもはや悪夢だ。何も為せずに、流され続けるなど、僕らが望む結末ではない。

 だが、今この瞬間、二校は確実に前に進みだしている。それぞれのしがらみから解放されるために、新たな歴史を築こうと踏み出したばかりなのだ。

 変化球への対応のための具体的な対策としては、もっと練習試合を重ねて、色々な投手の色々な球を見る、バッティングセンターを利用する、などの意見が挙げられた。バッティングフォームの改善については、監督の指導のほか、素振りの際にそのような意識を持つ、という声が出た。

 監督が話した、楽しむ気持ちの話は、結構難航したのだが、「笑顔を絶やさず」や、「失敗してしまった時の励ましや、成功したときの称賛の掛け声を積極的に」という案が出された。これまでも、そのような気持ちは大事にしてきた方だと思うのだが、きっとまだ足りていないのだろう。全員が全員をカバーできるようになったら、チームの雰囲気や力も右肩上がりになっていくはずだ。その場の雰囲気で、展開が左右されるというのは、実に面白く、そして怖い。恐怖感を感じないためにも、今以上に野球を「楽しめる」ようになるための環境作りは大事だろう。

 そこまで決定したところで、ふと前に立つ野村先輩が、マネージャー二人の方を向いた。これまで特に発言をすることなく、所在無げにじっとしていた葵と瑠璃が若干びくっと体をこわばらせる。

烏滸おこがましいこと言うようで悪いけど……」

 そう前置きしてから、先輩は二人に向かって口を開く。珍しく、歯切れの悪い物言いだった。

「チームの雰囲気良くするためには、女子の協力も必要不可欠やと俺は思うんや。せやから、これからも、いやこれまで以上に、女子にしか出せへんオーラと言うか、笑顔を部員たちに振りまいてほしいんや。頼めるか?」

 男子が笑顔振りまいたって、キモいだけやからな……と苦笑を浮かべながら先輩は言う。

 頼まれた二人はキョトンとしていたが、それは僕も同様だった。全員とまではいかないが、多くの部員が硬直していた。ただ、先輩の意見にはみんな反対はないのだろう。誰も先輩の言葉を遮って反発の言葉を上げたりはしない。全員が、マネージャーの二人を凝視しているようだった。それはそうだろう。シャイな奴はいるかもしれないが、それでも中身は男だ。男だけの空間でむさくるしく過ごすよりは、女子の可憐で、画になる笑顔を見られる方が良いに決まっている。それを単刀直入に言った先輩に、驚いているだけだ。

 先輩は、頭を下げてお願いしている。その姿から、思春期男子の下心などは感じられなかった。だからこそだろう。二人とも、悩む顔をほどき、笑顔で頷いた。

「その……今更やけど、お前らもokやんな?」

 先輩がみんなに問いかけると、

「ホンマに今更ですよー!」

 と、茶化すように谷村先輩が言う。その顔はもちろん笑顔で、それが移ったように、部室は笑いに包まれた。

「監督も、問題ないですよね?」

 度が過ぎんかったらな、と一つ条件を提示されたが、特に問題は無いようだった。

「……これで、ちったぁ華やかになるんかな?」

 隣にいた良太が、こっそり耳打ちしてくる。僕も声を潜めて返す。

「どうやろ? 葵も瑠璃も、種類は違えど可愛いっていう枠に入るはずやし……。二人とも誰かを笑顔にさせるんは得意やから、大丈夫なんちゃう?」

 と、本人たちにはやや聞かせづらい話をしていると、

「そこ! 私語をするな!」

 と叱責を受けてしまったので、縮こまりながら謝る。みんなの視線が痛かった。そして、何事もなかったように、ミーティングは続けられた。

「それじゃ、今日話し合っとかなあかんことは一通り終わりました。ほかに言いたいこと、伝えたいことがある人は挙手してください」

 数秒待ったが、誰も手を挙げる気配はない。

「では、最後に監督からお話があります」

 そう言って、監督と入れ代わり立ち代わり、野村先輩は自分の場所へと戻っていった。


 監督の話もそう長いものではなかった。だが、その内容は決して薄くはなかった。

 まずは、明日から期末テスト二週間前であること。それぞれの勉強もあるだろうから、無理に練習には参加しなくてよいが、できることなら参加して体をなまらせないようにしてほしい、というのが一つ。その期間は、体力づくりの方を優先してやってほしいとのことだった。そしてもう一つが大きな話題だったのだが、それは夏の甲子園に向けた府大会の話だった。極力練習には来てほしい、というのもこれに関わっている。常楽も斜陽も期末テストが七月四日からで、府大会の開会式が七月十一日。テスト終了から大会までは、数日しかない。体が動かなくなってしまえば、この僅かな期間を、体の回復に費やすのは非常に効率の悪い話である。一週間前はさすがに部活停止になってしまうので仕方ないが、少しでも調子の良い状態で大会を迎えてほしい、との話だった。

「では、わたくしの話は以上です。開田先生、何かほかにお話はありますか?」

 そう締めた熊川監督は、こちらも部屋の隅で置物のようになっていた開田監督に声をかける。開田監督は一回いえ、と首を振った後、思い直したように顔を上げ、解散後常楽の選手だけ集まってほしい、と言った。一体何の要件だろう、と考える暇もなく、熊川監督の「では、解散!」という掛け声がかかり、全員が動き出した。人の波に押されるようにしながら外に出ると、少し熱気を孕んだ風が頬を撫でた。人口密度の高い空間に長時間いたせいか、それさえも涼しく感じられる。しばらくその風にひたっていると、やがて常楽の面子がそろった。熊川監督はその横を軽く会釈しながら通り過ぎていく。僕らは帽子を取って頭を下げてから、開田監督の方へ向き直った。

「それで、監督。わざわざ俺たちを集めた理由は……?」

 石崎先輩が代表して尋ねる。

 監督はしわになっていた服を軽く伸ばし、咳払いを一つしてから、

「明日からテスト二週間前っていうのはさっき熊川監督が仰ったとおり、みんなわかってると思う。もちろんテストは大事なんだけど、僕としては、明日からの一週間、みんなに参加してほしい。原点に返ったような基礎体力作りばかりの地味な練習になってしまうけど、真夏の球場で戦うんだから体力はつけておかないと、試合中にぶっ倒れてしまう。そんなことになったら、斜陽の選手にも迷惑や負担をかけちゃうし、何より僕はみんなを守れなかったことになる。そんなことになったら、きっとみんなが後悔して自分を責めちゃうと思うんだ。だから、そうならないためにも、明日からの練習には参加してほしい」

 ほぼ一息で言いきった監督は酸素を求めるように二度三度息を吸い込む。その最中、僕らは黙ったままだった。不安そうに監督の瞳が揺らぐ。

 しかし、それを裏切るかのごとく、誰かが「ぷっ」とふきだした。ほかの誰でもない、石崎先輩だった。それにつられたように、みんなが笑いだす。監督は呆然と、笑い転げる僕らの様子を見つめていた。

「ちょ、どうしてみんな笑うんだ!?」 

 やがて我に返ったように叫ぶ監督。まだ腹を抱えたままの石崎先輩が答える。

「くすっ……いや、めっちゃ真面目に当たり前のことを言わはるもんですから、ちょっと可笑しくなっちゃって……すみません」

 半ばあきれたように監督は見ていたが、先輩の発した「当たり前」という言葉に気づいたのか、目を丸くする。

「『当たり前』ってことは……?」

 そろそろ笑いの虫もどこかに行ったらしく、全員落ち着いてきた。代わりに、先輩の声が大きく響く。

「今さっき、監督の言葉に笑った奴ら……。そいつらは、練習に参加する気満々、っつうことですよ!」

 そして「笑った奴ら」、すなわち全員は、また笑みを浮かべたのだった。


 ミーティングが終わった僕らは、着替えて一旦教室に入る。僕たち福知山線組は、次の電車まで少々時間があるのだ。駅に行っても暇だし、だったらちょっと駄弁ろうや、ということで、日曜日の誰もいない教室に一年生がそろった。俊介と亮輔は時間が迫っていたらしく、先に学校を後にした。

 いつもはクラスメイトで埋め尽くされている教室は、ひどく閑散としていて、異世界のような雰囲気が感じられた。まだまだ陽は高いが、教室内は曇天どんでんであるかのように、薄暗かった。

 一つ深呼吸した良太が、「ほんなら何しよか?」と問いかける。葵と瑠璃は教室後方の手ごろな椅子に、僕は後ろに備え付けられているロッカーの上に、良太も僕の近くでロッカーにもたれかかっていた。

「とりあえず、私ゃ疲れたわー。はよ帰って昼寝したい」

「あたしも今日はくったくただよ。頭も体もフル稼働だったし」

 瑠璃の言葉に小さな苦笑が芽生える。

「なんか試合の間じゅう、瑠璃は葵からいろいろ教わっとったようやしな。わしはキャッチャーやったからあんま見えとらんかったけど、攻撃中なんか休む暇なく、やったやろ」

「そうなんだよー。葵ちゃんがスパルタでさー」 

 ころころと笑いながら瑠璃が葵を見る。その言葉に反抗した葵が瑠璃とじゃれつく。そんな平和な光景を見つめていると、思わず微笑みが浮かんでしまう。

「あ、そういやさ」

 瑠璃に引っ付いたまま、葵が思いだしたように声を上げる。

「野村先輩に叱られたとき、二人何話しっとったん?」

 問われて、僕と良太は思わずうっと詰まる。白状しろ、と言われれば言うかもしれないが、あまりすぐに言えるようなものではない。幼馴染とはいえ恥ずかしいものは恥ずかしいし、瑠璃とは知り合ってまだ数か月だ。もしかしたら瑠璃は言われ慣れているかもしれないが、言った結果引かれてしまえば、今後の野球部の空気にも影響してくるかもしれない。そう思うと、うかつに告白するわけにはいかなかった。

「いや、その、何というか……」

 しどろもどろになりながら、僕は必死に言葉を探す。葵だけでなく瑠璃までもが、興味深そうに僕らの方を見つめていた。

 助けを求めるべく良太の方に視線を寄越したが、目が合った瞬間逸らされる。裏切られてしまった。

「あ、あれだよ。えーと……そう、今後の日本の政治について――」

「友哉がそんなこと話すはずがない」

 嘘とバレバレの話だったので、容赦なく一刀両断される。はぁ、と一度ため息を吐いてから、

「ま、友哉らーも健康な年頃の男子なんやし、女子に言えんようなちょっとエロい話もするわな。どんなこと話しとったんか気にはなるけど、ここは諦めといたるわ」

 と折れてくれた。別にエロい話でもないのだが、訂正すると墓穴を掘ってしまいかねないので、何も言わないことにする。

「ねぇ葵ちゃん、えろい話って?」

 何も知らなさそうな瞳で問う瑠璃。

「瑠璃は知らなくていいから」と良太。

 仲間外れにされたようで、少し悲しそうな顔をする純真無垢な少女を包み込むように、みんなに微笑みが浮かんだ。


 そうわいわいと騒いでいるうちに、電車の時間が近くなってきたので、四人に二年生二人を加えた六人で駅へ向かう。空はそろそろオレンジ色に染まりつつあった。

 十分歩いて駅に着き、ホームに上がって、既に止まっていた電車に乗り込む。今の時間は大阪おおさか行きの列車なので、寝過ごしたら篠山口を越えて、関西の中心都市まで行ってしまう。寝過ごしたら地獄である。

「ちょっと飲み物買ってくるから、先に電車乗っといて」

 みんなが乗り込んでいくのを見ながら、近くの自販機へ行く。お金を入れて、コーラを買う。

 四両の車内は、ちらほら人がいたが、空席はあった。ちょうど四人席を確保できたらしく、手を振っているのが見える。

「あ、コーラ買ったん?」

 僕の手を見て葵がにやりと笑む。そうやけど、と僕が返すと、

「な、振ってええ?」

 笑顔で訊ねてきた。

「いいわけあるか」

 即座に反駁はんばくする。僕がコーラを買うと、ことあるごとに誰かが振ろうとしてくるので、回避するのが大変だ。まぁ、そう思いながらも、なんだかんだで楽しいのだが。

「けちー」

 唇を尖らす葵の正面に僕は座る。

 眩しくオレンジ色に輝く夕陽が、僕らを優しく照らし続けていた。

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