楽しむ野球
時は正午を回って、午後二時に近づきつつあった。午前十時から始まった試合は、特に問題も起こらず、滞りなく進んだ。そして今、試合を終えた僕らは、グラウンド整備や片づけを済ませ、バスに乗り込んでいる最中だった。今から直行で学校に帰り、休んだ後は反省会である。
バスの中は、冷房がかかっているわけではないがほんのり涼しかった。流れる汗を、首にかけたタオルで拭って、席に座る。
「試合、残念やったね、友哉」
行きとは違って、僕の真後ろに陣取る葵。彼女に倣うように、瑠璃もその隣に腰を落ち着ける。
「でも、あの走りはナイスだったよ! あたしも興奮しちゃった」
八回の裏、一塁から一気にホームベースを目指した僕は、結果的にタッチアウトとなった。僕の体がベースに触れるより、キャッチャーミットが先だったというわけだ。突っ込んだとき、なんとなくそんな気はしていた。だから、大きなショックを受けたわけではなかった。熊川監督は悔しそうな、かつ苦しそうな表情をしていたが、僕やほかの選手を責めることなく、迎え入れてくれた。
九回裏の最後の攻撃は、変わった相手ピッチャーに手も足も出ず、結局3-5で敗れた。でも、初試合、それも最近練習を始めたばかりの連合チームとしての結果としては上々ではないかと僕は思う。もちろん、これで満足してはならない。これから反省点を洗い出し、克服に向けての対策を練る必要がある。
「私にはセーフに見えたんやけどなー、ホンマに」
「仕方ないよ、審判さんがそうジャッジしちゃったんだもん」
葵の悔しそうな声に、瑠璃のもっともな声が振りかかる。
この二人も、今日は選手に負けず劣らず頑張ってくれた。すぐになくなってしまうジャグの補充はもちろん、審判への接待など、僕らのサポートを献身的に行ってくれた。初めてのことは至らぬ点も多々あって、近松高校のマネージャーに教わりながらの活動だったらしいが、特に問題なく行えたようだった。二人を指導してくれたマネージャーとは、雑談ぐらいは交わせる仲になったらしい。そのあたりはちゃっかりしているというか、さすがは葵だな、と感服する。
「あ、そういや瑠璃。今日一日実際の試合を見て、どうやった?」
僕の急な質問に、瑠璃は目を瞬かせる。
「どう……って。ああ、野球知識のこと?」
僕が頷くと、思いだすように天井を仰ぎながら、
「うん、基本的には葵ちゃんに教えてもらっててね。それだけでも充分嬉しいんだけど、監督とか近松高校のマネージャーさんにも助言をもらえたりしたから、結構覚えられたと思うよ。みんな説明がうまくてねー。やっぱり経験者は違うよ」
屈託のない笑みを浮かべながら、瑠璃はそう答える。よかった、少なくとも裏目に出ることはなかった、と一人胸をなでおろす。
「でもやっぱり一日では覚えきれないから、これからも勉強はしていくよ。あまり悠長なことも言ってられないし、できるだけスピーディーにね」
「うん、頑張って。無理はせんようにね」
バスもまたゆっくりと市街地を走行している。梅雨時とは思えない程の青い空と白い雲が広がっている。そんな空の下だからか、車内は決して重いムードではなかった。かといって騒ぎ散らしているわけでもない。全員が「敗北」という結果を受け入れ、それでいて気を落とすことなくバスに揺られている。きっと、みんな初試合を通して、何かしら得たものがあったということなのではないだろうか。それぞれが手にしたプレゼントは全て中身が違って、抱く感想も異なるものになるだろうが、全員に共通点がある。それが今のこの雰囲気を作っているのだろう。
「もうすぐ着きますよー。もし寝てる人がいたら起こしてあげて下さいねー」
監督の穏やかな呼び声がかかる。全員が息を吐き、呻くような声が漏れる。その様子を見て、後ろの女子二人組がくすっと声を出しながら苦笑していた。僕も同時に笑みを浮かべる。
降りる準備が整った頃には、バスは既に常楽高校の敷地内へとたどり着いていた。
狭い部室に、メンバー十一人が集う。本当なら教室を借りて行いたいところなのだが、ユニフォームは汚れているし、斜陽の選手たちは制服を学校においてきてしまっていたということで、むさくるしい空間に僕たちは浸る羽目になった。端っこで縮こまっている葵と瑠璃に対して、なんだか申し訳ない気持ちが湧き上がってくる。
「まずは、今日の初試合、お疲れ様でした。わたくしが思っていた以上に、良い試合をしてくれました」
熊川監督がみんなの前に立ち、笑顔で言う。僕を含め、部員たちは少しばかり顔を綻ばせたものの、それ以上の感情が漏れることはない。
「ただし、課題点も多く見つかりましたし、わたくしが見つけられていない、選手自身が感じたこともあるでしょう。わたくしはしばらく黙っていますから、皆さんでどんな課題点があげられるか、話し合ってみてください」
そう言って、監督は部室の隅へ移動する。変わって、主将の野村先輩が前に立った。
「えー、では、先ほどの監督の言葉に合った通り、今から反省会を開きます。全員、思ったことを挙手して述べてください」
どこからか引っ張ってきたホワイトボードとペンを片手に言う。間髪入れる暇もなく、西野が手を上げる。
「あの……これはぼくの問題になってしまうんですが、緊張して球が上擦ってしまい、余計な失点を重ねてしまいました。ぼくの失点が無ければ、チームは勝っていたのに……。メンタルの面でまだまだ特訓が必要だと感じました」
西野の話を聞いた先輩は、「メンタルの強化」とボードに書く。今にも謝りだしそうな顔をしていたが、今この場に、西野を責められる奴はいないだろう。もともと、今回の試合は初試合で、探り探りな部分もあったし、何より西野はまだ一年生だ。経験だってまだ浅い。責められるのはおろか、寧ろこれからの飛躍を期待されるほどであろう。
他は、と促す先輩に、ちらほら手が上がる。
それから十分もせぬうちに、様々な意見が挙げられた。相手投手の吊り球や変化球に対応しきれなかった、もっと積極的に先の塁を目指すべきだった、声があまり出ていなかった、慌てて打つあまりボール球に手を出していた、などの発言があった。先発した野村先輩自身は、立ち上がりをいかに抑えることができるか、という点を挙げていた。
反して、良かった部分も挙げられた。最後まであきらめなかった姿勢、初回のフィルダースチョイスを除けば、守備のミスはなかったことなど。
一通り部員の意見が出そろったところで、監督の意見を聞く。
「わたくしが感じたことも、皆さんが出したことと本質はほとんど一緒です。ですので、細かいところだけ挙げていきます」
多くのバッターが、相手の投球に対して、強引に振っていたこと、そしてヘッドが下がって打球があまり伸びていなかったこと、守備がやや緩慢に感じたこと、選手からも出た話ではあったが、声が相手校と比べると出ていなかったことが挙げられた。そこまで話し終えた監督は、一度部員全員を見回した。
「ですが、皆さんにはこれら以上に足りていない物がありました。何かわかりますか?」
僕らを試すような表情で、全員を見据える監督。結束、意思疎通、信頼、などと口々にみんなが話すが、どれも的を射ていないらしく、監督の表情は変わらない。
五分ほど経ったが、誰も監督の望む回答には行きつかず、主将が代表して「すみません。わからないので、俺たちに足りない物を教えてください」と頭を下げた。
二、三回監督はうなずいた後、
「あなたたちの野球に足りない物。それは、『野球を楽しもうとする気持ち』です」
と宣言した。
水を打ったように部室内が静まり返る。たっぷり三十秒ほど間をおいて、
「今日は、初試合でした。その緊張も少なからずあったことでしょう。それでも、あなたたちから、感じる『野球を楽しむ気持ち』は、近松高校と比べてだいぶ劣っているように思いました。具体的に言うと、完全に押されていると、笑顔が無くなる、であったりですね。もちろん、これはわたくしの意見なので、皆さんがどうとらえるかは自由ですが、わたくしは、皆さんの中に芽生えるその気持ちを奮い立たせることを、重点的に練習して行ってはどうかと提案します」
そう言い残し、監督は元の場所に戻っていった。




