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常に楽しく! 常楽高校野球部物語~入学編~  作者: 深淵ノ鯱×kareat
1年・春~夏
35/54

対近松高校戦

 思っていた以上に、すっきりと起きることができた。昨夜、布団に入る時、もしかしたら緊張で眠れないのではないか、と少々危惧していたのだが、疲れを回復したいという気持ちの方が上回ったらしく、三十分と経たぬうちに眠ってしまったようだ。そしてそのまま夜中に目を覚ますようなこともなく、朝を迎えることができたのである。

 ささっと制服に着替え、階下に降り、顔を洗う。いつもの時間の電車で登校すれば十分に集合時間には間に合うので、いつもと同じを心がけて朝の時間を過ごした。両親は、試合を行うと言った時から行きたがっていたが、仕事や用事が入ってしまっているらしく、来られないらしい。特に父さんは、そのことを本気で悲しんでいるようだった。

「じゃあ、お弁当、用意しといたから。で、これが飲み物ね」

 母さんは、変に意識させまいと気を遣ってくれているのか、いつもの様子で僕を見送ってくれた。でも、「試合、頑張ってね」とは言ってくれた。

 外に出ると、今日は既に葵が待っていた。珍しいこともあるもんやな、と思いながら朝の挨拶を交わす。昨日、瑠璃は緊張している、と口にしていたが、葵はそんなことはなさそうだった。いつぞやの彼女自身が言っていた。『どんな物事でも軽視してしまう癖がある』、と。この時の葵は、自らの失言を悔いての発言だったが、今回はその癖が功を奏しているように思えた。何せ、本当にいつも通りなのだ。これから学校に行き、朝休みをクラスメイトと駄弁(だべ)るのに使い、授業中はある時は真面目に、ある時は私語をしながら過ごし、昼休みを経て、最後に野球をして帰る。僕にとって今日は非日常なのだが、葵からはそれを感じさせないほどの、ある種の落ち着きがあった。

「葵は……いつも通りやな」

 思わず口にしていた。先を歩く葵は顔だけ「ん?」と言った感じで振り返る。

「そりゃー……。なんつったって、それが私やからな!」

 はは、と笑いが漏れる。

 僕の考えすぎかもしれないが、葵もあの時の言葉を思い出していたのだろうか。

(……いや、それはないか)

 きっと葵は、素のままの自分を出しているだけなのだ。こうやって、僕の前を堂々と歩いているのが、素の木ノ下葵なのだ。意識せずとも、いつもの自分を創り出すことができ、それを周りに振りまいてくれる。

 気づけば、僕までいつもの日常の風景を感じつつあった。僅か五分ほどで、僕は葵の力を受信したらしい。この調子なら、今日はいいピッチングができそうだ。もっとも、出番があるかどうかはわからないが。

「ねー友哉ー。もし、今日試合に勝ったらどないする?」 

「どうする? って何を?」

「例えばー、焼肉パーティーするとか!」

「そんな余裕あるかな?」

 やろうやーみんなでさー、と駄々をこねるように言い寄ってくる葵をはいはい、と笑顔であしらいながら僕らは歩く。田圃たんぼに植えられた緑の稲が、さわさわと揺れていた。

 焼き肉パーティーは、彼女も本気で言っているのか怪しいが、ひとまず思考の隅に追いやることにする。

 六月の、湿気を含んだ風が、世界を包み込んで流れていた。


 学校に到着したのが八時ごろ。その時にはすでに、開田監督や石崎先輩は到着していた。十五分ほどたってから俊介たちや斜陽のメンバーも到着し、全員がそろったところで、福知山球場へと向かった。

 福知山球場は、常楽高校からバスで十分ほどのところにある、小さな市民球場だ。最近改築を施したらしく、内野スタンドが増設され、多目的トイレなどが設置された。両翼りょうよくは九一メートル。甲子園の両翼が九五メートルなので、結構短めと言える。近くには温水プールや総合体育館などもあり、多くのスポーツが行われている。付近は、別段多くの緑に囲まれているわけでもないが、マラソンや散歩ができる土手があり、そこからちょっと試合を覗いてみよう、という人もいるのではないだろうか。

 九時過ぎに球場入りし、ランニングなどのウォーミングアップを行う。程なくして、近松高校野球部も到着した。両校とも、時間をとってシートノックを行い、球場の土に慣れておく。

 そして、試合開始十分前には、球審の方も球場入りし、準備は万全となった。ちなみに、塁審はホームチームすなわち僕ら常楽高校の誰かが行わなくてはならないのだが、控えが僕と西野しかいない。そのため、特例措置ではあるが、近松高校の控え選手にも手伝ってもらうことになっている。ウグイス嬢の役目も、近松高校のマネージャーの一人がやってくれることになった。

 常楽高校のスターティングメンバーは次の通りだ。

1. 中 柴田

2. 二 支倉

3. 一 山本貴

4. 三 谷村

5. 遊 石崎

6. 右 前田

7. 投 野村

8. 捕 山本良

9. 左 桧山


 先発投手である野村先輩がマウンドに立つと、元々の体躯の大きさに、盛られた土のかさが増して、より巨大に、そして威厳を感じられた。その右腕うわんから投じられる白球を見ている限り、荒れていることはないし、変化球もきちんと良太が求めているところに投げ込んでいる。持ち球であるストレート、ツーシームファスト、カットボール、スローカーブ、シュート、SFFスプリットフィンガーファストボール、フォークを一通り全て投げ終えると、ふぅっと息を吐いた。ちなみに、SFFとはフォークの一種であるが、普通のフォークよりも高速で落ちる。その調子を見て、現時点で不安には思わなかった。

 最後の一球をキャッチし、良太がセカンドに送球する。少し球が上に浮いたが、俊介がきちんと対応して受け取る。それと同時にアナウンスが流れ、一回の表、近松高校の攻撃が始まった。


 野村先輩は、二年間と少し野球をしてきたとはいえ、今回の登板が初めてということになる。中学校の時は普通に野球をやっていたのだろうが、軟式野球と硬式野球では全く違う。ボールのはずみや飛び方はもちろん硬式野球の方が大きいし、雰囲気も変わってくる。そのことが先輩を緊張させたのか、初回から大きなピンチを招いてしまった。先頭打者にフォアボール、続くバッターが送りバントを試みて、綺麗に一塁前に転がしたのだが、これを野村先輩自身が二塁へ送球。一塁ランナーの足が勝り、セーフになってしまった。フィルダースチョイスというやつだ。電光掲示板の「Fc」のライトが赤く光る。続く三番バッターにはストレートをライト前に運ばれ、いきなりノーアウト満塁で四番バッターを迎える展開になった。

「いきなりピンチだね……」

 既に飲み物の準備を終え、ベンチで試合を見守っていた瑠璃がぽつりとつぶやく。ちなみに、用語の解説は葵がやってくれている。

「落ち着いて行けー!! まだ試合は始まったばかりやぞ!!」

 監督がメガホンを片手に怒鳴る。

「監督、一回タイム取りましょう」

 野村先輩を落ち着かせるために、一旦時間をとる。内野手全員がマウンドに集まり、一言二言声をかける。

「何とか最少失点で食い止めてくれると嬉しいんですけどね……」

 誰に聞かせるでもなく一人ぼやき、相手の四番打者を見る。なるほど、さすが打線の中心に座る人物だけあって、当たったらスタンドインしてしまいそうな大柄な人だった。右打席に立つ姿は圧巻と言える。だが、見たところ足はあまり速くはなさそうなので、ツーシームでひっかけさせることができれば、ダブルプレーを献上してくれるだろう。後ろからは相変わらず葵の講座が聞こえてくる。今は犠牲フライやタッチアップの話をしているらしい。先ほどの走塁を見る限り、三塁ランナーは結構な俊足だ。多少浅い外野フライでも、本塁へ突入してくることだろう。

 球審の声がかかり、バッターが改めてバットを構える。野村先輩の「フッ!」という声と共に、初球が投じられた。スクエアスタンスからの大きなスイングはそのストレートに当たることはなく、空を切った。だが、その振りから、確実に大きなあたりを狙っていると感じられた。シュートやフォークを不用意に投げて、ストライクゾーン高めに浮いてしまったら、きっと失点は一点や二点ではなくなる。それをマウンド上の先輩も感じ取っただろう。早くも大粒の汗が光る額を軽く拭い、打者に対峙たいじする。

 二球目はアウトコースに外し、ボール。三球目はストライクゾーンからボールゾーンに絶妙に落ちるSFFで空振り。ツーストライクワンボールと追い込むことができた。

「あと一球!!」

 ショートから石崎先輩が励ましの言葉を掛ける。全員が声を出して自らを鼓舞し、先輩を鼓舞した。

「落ち着いて投げろー!! 一つずつなー!!」

 監督も声を張り上げる。「一つずつ」とは、欲張ってダブルプレーを狙おうとせず、ポップフライや三振で確実にアウトを取っていけ、ということだろう。「ゲッツー取らなあかん」と緊張した状態で投げれば、余計な力が入って、それがワイルドピッチにつながったり、シュート回転して真ん中に吸い込まれていく可能性もある。ダブルプレーは取れるに越したはないのだが、リスクも伴うのだ。

 良太のサインに頷き、すぐにモーションに入る。打ち取ろうとしたのか、打者の手元で微妙に変化するツーシームだった。その目論見(もくろみ)通り、打者は打ち上げてくれて、平凡な外野フライになった。レフトの桧山が落下地点に到達し、捕球体制に入る。一塁に向かって走る四番打者は、大きいのを打ちたかったのか、悔しそうな顔をしていた。

(タッチアップ、されるかな……)

 距離は、決して十分とは言えない。レフトの定位置より少し前と言ったところだろうか。普通の走者なら、きっと無理をしてまで走ることはないだろう。

 しかし、相手は僕の反応を嘲笑うかのごとく、走り出した。桧山も予想はしていただろうが、まさか本当に敢行するとは思っていなかったらしく、反応が一瞬遅れた。慌ててホームに送球するも、軌道は一塁側に逸れ、三塁ランナーがホームイン。簡単に一点を先制されてしまった。

「ドンマイドンマイ!!」

「ワンアウトやで!!」

 相手ベンチの歓声に負けぬよう、ダイアモンドに立つナインは声を出す。

 その後、五番バッターは三振に打ち取ったものの、六番バッターにヒットを打たれて追加点を許し、結局、初回から二点を追う、少々苦しい展開になってしまった。

「いいか、まだまだ二点だ。高校野球に二点なんて、あってないようなモンや。せやから、落ち着いて、自分が打てると思った球を打て」

 監督の助言を受け、一回の裏の攻撃に入る。相手ピッチャーの投球練習に合わせてスイングする打者たちを、僕は静かに眺めていた。


 常楽斜陽打線は、初回から相手右腕の変化球に苦しめられた。相手は、伸びのあるストレートと、チェンジアップを武器に打線を手玉に取り、五回まで無安打に封じ込めた。六回に良太にチーム初安打が生まれ、完全試合は脱したものの、続く桧山がセカンドゴロでゲッツーに終わった。相手ベンチも、その結果を少しばかり感服するような目で見つめていた。きっと今日は調子が良かったのだろう。ストレートが良ければ、変化球も生きてくる。理想を描いたようなピッチングをされ、僕たちは焦りを覚えつつあった。この辺も、慣れていない者の性質のようなものだ。強豪校は、メンタルの調節がうまい。逆境の場面になった時こそ落ち着いて、冷静に判断を下す。僕らにはそんなスキルなど持ち合わせていなかった。

 先発の野村先輩は初回こそ失点を喫したものの、二回以降はすべての球種をコーナーに決め、得点を許さなかった。七回を投げ終え、六安打二失点と、試合を作ってくれた。

 八回は西野が登板した。しかし、二死後に四球を与えたところからコントロールにばらつきが生じはじめ、ランナーを二人溜めてから痛いスリーランを浴びることとなってしまった。一人目に与えた四球は、決して勝負を避けて与えたようなものではなかった。ボール半分ほどボールゾーンだっただろう。審判の右手が上がっていてもおかしくはなかった。けれど、だからこそ、ショックが大きかったのかもしれない。続く打者に与えたものは、同じ四球でも全く異なるものだった。ストレートは高く浮き、変化球は見当違いの方向へ流れていく。スリーボールから一球ストライクは取ったものの、その後ははっきりとボールとわかる球だった。この時もタイムをとって落ち着かせに行ったのだが、結局、浮いたスライダーを痛打され、三点を献上することになった。どうやら西野は、「普通に投げている分には問題ないが、一度打たれるとずるずる行ってしまう」タイプの投手らしい。三つ目のアウトを取り、ベンチに戻ってくる西野の顔は、一時はうかがうことができなかった。光のせいもあったかもしれないが、帽子を目深にかぶり、必死に顔をみせまいとしているようにも見えた。

「ドンマイ」

 みんながねぎらいの声をかける中、僕も声をかけたのだが、反応は芳しくなかった。暗い顔で下を向き、苦しみの最中さなかから無理やり作り出したような笑みを浮かべただけだった。

「よっし、点取られてしもた西野のためにも、ちょっとでもこの回に反撃せなアカンで!! 全員、最後のつもりでやれ!!」

 みんなで円陣を組み、声を出す。先ほどの回は三人で片付けられたため、八回は四番の谷村先輩からだ。先頭打者の出塁は、ベンチのムードを上げ、得点に絡みやすくなる。右のバッターボックスに立つ先輩からは、意地でも塁に出てやる、という意思がありありと感じられた。

 追い込まれた直後の三球目。金属音と共に、白球が矢のように飛んでいくのが垣間見えた。

「いったっ!?」

 思わず身を乗り出し、声を上げる。打球はレフトのポールに迫るように伸びている。

「入ったんちゃう!?」

 しかし、審判の手は回らなかった。代わりに両手が挙げられる。打球はポールの左側をかすめるように抜けていった。本当に掠めていればホームランだったのだから、悔しさは並大抵のものではない。先輩はファールだということを一人、初めから認識していたのか、苦笑いを浮かべていた。ピッチャーはほっと安堵の息を漏らしていた。

「絶対入ると思ったのになぁ……」

 良太が我がことのように悔しがる。だが、すぐに表情を切り替え、

「タイミング合ってますよー! 仕切り直しです!」

 と、叫ぶように言う。

「その調子や! 次は入れてやれ!!」

「まだまだ行けますよ!!」

 石崎先輩と、桧山も続いた。

 その言葉が届いたのか、ツーストライクツーボールの並行カウントから、久しぶりのヒットで先輩は出塁した。外野へボールが抜けた瞬間、鬱憤を晴らすかのようにベンチは沸き立った。

 これで勢いに乗った常楽斜陽打線は、続く石崎先輩がライト前へのヒットでつなぎ、ノーアウト一塁三塁。前田先輩はフォアボールを選んで、ノーアウト満塁の大チャンスとなった。

 ここで監督が動いた。ピッチャーの西野の場面で、代打に僕を起用したのだ。まさか高校の初打席がこんなチャンスの場面になるとは思ってもいなかった。まず、チャンスが来たことに驚きだ。

 僕は一瞬固まってしまったものの、すぐにまとわりつく氷を溶かし、自分のバットを手に取った。いつも握っているはずだが、今日のこの瞬間だけは重く感じた。ずしりと響く鉄塊てっかいを持っているような気分だった。

(僕も……まだまだやな)

 しかし、卑屈になっている暇などない。一つ息を吐きだし、バッターボックスに向かう。相手投手は、続投することになったようだった。僕が監督ならもう変えるけどな、などと不要な感想を抱きつつ、一八.四四メートル先を見据える。

 初球はアウトコース低めの変化球。これがみんなを悩ませたチェンジアップだろう。確かに落差はあるが、疲労のせいか、あまり脅威には感じなかった。二球目はストライクを狙いにきたストレート。これは際どいところを突かれたのだが、審判のジャッジはボールだった。「ナイス!」「見えとるでー!」と、ベンチからの声に励まされる。これでカウントはワンストライクツーボール。僕有利のカウントを作ることができた。三球目のストレートはあっさりと見逃し、バッティングカウントからの四球目。ここで勝負をかけることにした。

 ストレートを二球続けた後なので、恐らく三球連続は来ないだろう。ピッチャーも、ここはスイングしてくるだろうとは予測しているはずだ。だからきっと変化球が来る。もし裏をかいてストレートを投げられたなら、カットするか見逃すしかない。

 狙いを変化球に絞って、次の球を待つ。サインはすぐに決まった。

 両チームの歓声が交錯する中投げられたのは、やはり変化球だった。体に当たりそうなボールゾーンからストライクゾーンに食い込んでくる、フロントドアと呼ばれる球だった。しかし、ある程度予想していたため、体がすんなりと動いた。

 あたりは決してよくはなかった。三遊間を力なく転がっている。だが、守備は定位置よりも前に来ていた。そのため、サードが飛びついても、止めることはできず……。

 一塁ベース上で小さなガッツポーズが生まれた。極端に喜ぶようなことはしないが、それでも腹の底から嬉しさが込み上がってくる。ぼてぼてに詰まったことが幸いして、ランナー二人をホームに返すことができた。これでスコアは2-5。しかもランナーは二人溜まっているので、ホームランが出れば同点だ。一塁側ベンチが盛り上がりを濃くする。流れはこちらがわに傾きつつあった。

 次の良太がバッターボックスに入る。この雰囲気に乗っかって、何とか出塁してほしい。一塁キャンパス上でそう祈るだけだった。

 しかし、ここに来て相手投手はギアを上げたらしかった。背水の陣だと思って投げたのかもしれない。

 良太は、みんなの期待を背負っていると感じていたのか、ちょっと固くなっていた。ツーストライクと追い込まれてから、カウントを整えたまでは良かったのだが、その後高めの吊り球を振ってしまい、三振。続く桧山は、持ち味のフルスイングを封印してまで、単打に努めたのだが、結果は実らず、セカンドへのポップフライ。インフィールドフライが宣告され、ツーアウトになってしまった。

 さっきまでの雰囲気は徐々に萎みかけていた。無理もない。完全に不利な状況から、簡単にアウトを二つも取られてしまったのだ。

「まだまだ終わってへんぞー!!」

「そうや! 何暗い顔しとんじゃ!!」

「お前らしくないで!!」

 もはや、どの声が誰かなど理解できない。色んな言葉が交わり、グラウンドを行き交い、僕らの元へ届く。頭上から照りつける日差しが、小さな戦場を照らす。その時、僕はなぜか唐突に思った。あの、五角形を駆け抜けたい、と。二つのベースを周回して、みんなの元へ帰りたいと。そしてハイタッチでも交わしたい。それはとても不思議な感覚だった。軟式野球の時とはどこか違う雰囲気。言葉では表現できない、躍動感だろうか、高揚感だろうか、そんな昂ぶる気持ちが僕を支配した。

「焦らずにー、落ち着いてな!」

 柴田に声をかける。少しだけ、頷き返してくれた気がした。

「よしっ!」

 一人で意気込む。僕も返してくれ! とホームベースを睨みながら祈る。柴田はなんと、初球から打ってきた。このような切羽詰っている場面は苦手だから、若いカウントから打っていこうと決めていたのかもしれない。しっかり振りぬいた打球は、マウンドを強烈な速さで抜けていき、セカンド、ショートをも全く追いつかせることなくセンター前へと抜けていった。しかも、ランナーを見過ぎたのか、センターの選手が捕球にまごついていた。それを確認して、三塁のベースコーチの西野が手をぐるぐる回す。センターの方は一切見ずに、その指示に従った。

 二塁ランナーだった前田先輩は既に本塁に生還して、両手を上下に振り、僕を迎えてくれている。三塁ベースを回ったあたりで、「もっと走れ友哉!」「友哉ー!!」と、貴浩と思しき声と、マネージャーたちの声援が聞こえてきた。あと一メートル、というところで、白い物体が飛んできた。それはキャッチャーミットに収まり、僕を襲う。足に何かが触れる感触があった。だが、僕も狭い隙間をかいくぐり、土にまみれた白の五角形に体を伸ばしていた。

 一瞬時が止まる。水を打ったように、静まり返る。しかし時は再び流れ出す。きゅっと目を瞑り、頭上に降りかかる審判の宣告を待った。

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