序章『舞踏会の月華』
王立宮殿の絢爛たる大広間は、熱気と眩いばかりの光に満ちあふれていた。
王国の十七歳を迎える若き貴族たちの社交界デビューを祝うために催されたこの舞踏会。表向きは華やかな祝祭でありながら、その実、野心と虚飾、そして家格を巡る謀略が蠢く戦場であった。煌びやかなドレスの裾が翻り、宝石が眩しく輝く。名家の子息と令嬢たちが笑みを咲かせる。
だが、今宵の舞踏会には静寂に包まれていた。次いで、感嘆の声が響き渡り、ざわめきへと変わる。
大階段の上から舞踏会を見下ろす、一人の少女。月光をそのまま紡ぎ出したかのような、眩い銀の髪。美しさを誇る令嬢たちでされ、霞んでしまうほどの美貌。そして何より、見る者を金縛りにするほど不気味でありながら、抗いがたい魅力を秘めた紫紺の瞳。
一つ一つの所作には気品が宿っており、社交の場における振る舞いにも一切の隙がない。奏でられる演奏を舞う姿は、まるで生まれながらに舞踏のために存在しているかのようだ。
「まるで、月明かりの中に佇む女神のようなお方だ」
誰かが溢したその言葉は、人々の間に伝播し、やがて確固たる憧憬へと変わっていった。恐れと賛嘆を込め、人々はいつしか彼女をこう呼ぶようになった。
『舞踏会の月華』と。
誰もが知りたがっている。
どこの名家のご令嬢なのか。
彼女の名を知る者はいるか。
彼女の正体を探ろうと躍起になった。だが、謎めいた彼女を知る者はいなかった。
そして、彼女の微笑みの裏に秘められた冷徹な瞳の奥底を知る者は、誰一人としていない。
彼女の名前は、ルチアナ・ファン・ノクティス。
かつて王国の右腕と呼ばれ、絶対な権勢を誇ったノクティス公爵家の一人娘。だが、彼女が十歳の時に国の醜い陰謀と悪徳貴族たちの策略によって無実の罪を着せられ、処刑された。母とルチアナは全てを失い、かろうじて王国内の片隅へと身を潜め、平民として生きる道を選んだのだ。
加えて、残酷な運命は彼女を襲った。十二歳の時、心労と貧しさから病弱だった母が流行り病によってこの世を去った。天涯孤独となった彼女は、母の唯一の知人の老婆に引き取られることになった。
両親を相次いで失った暗闇の中で、ルチアナの胸をしめつけたのは途方もない悲しみだった。たが、、その深い悲しみはいつしか漆黒の復讐心へと飲み込まれていった。父の命を奪い、母の笑顔を奪い、自分たちの誇りを踏みにじった者たちを絶対に許さない。
この手で必ず、冤罪を晴らし復讐を果たす。その強い執念だけが、彼女を突き動かす生きる糧となった。
豊かな恵みを蓄えた土地によって、広大に広がる農地。無数の鉱山にから溢れんばかりの多種多様な鉱石。そして、名君と称えられるスルト・ヴァル・プロスパラ王の治世のもと、その国は誰もが羨む「理想郷」と呼ばれていた。
だが、華やかな王国の影には、王国を内側から蝕む貴族たちの悪意と陰謀が渦巻いていた。
そんな、王国の最果ての辺境の街の一角にひっそりと佇む小さな薬草調合店がある。
店内には黙々と薬草を調合する一人の少女がいる。黄金のように透き通るほど美しい金髪と澄み渡る空のような碧眼の瞳を持つ少女、アルカナだ。
だが、透き通るように美しい髪は無造作にまとめられ、顔を覆うような大きな眼鏡。さらに、身体の線を隠すようなぶかぶかの野暮ったい衣服。
華やかさとは、無縁のどこにでもいる薬屋の少女だ。
「よし!これで、今日の分の調合は完成ね」
陶器製の乳鉢に入っている粉末状の薬を小さな匙で掬い上げる。一回分ずつの小さな紙包みに分け、最後に薬の種類を記した札を添えた。
これで、今日の調合はひと段落だ。
その時、扉に取り付けられた小さな鐘がチリンチリンと軽やかな音が鳴り響く。
「いらっしゃいませ」
顔を上げるとそこには見慣れた村の子どもや、近隣でしか採れない薬草を求めてやってくる商人の姿があった。この店を訪れる客は様々だ。だが、その大半は裕福な貴族や商人ではなく、薬を必要としているごく普通の庶民たちだ。
「アルカナお姉ちゃん!今日もお母さんの薬ちょうだい」
元気な声とともに、一人の少女が駆け寄ってくる。
マルカ。私の腰ほどまでしか身長のない、小さな少女だ。両手には覆い隠すように数枚の銅貨が握られている。
「マルカちゃん、いらっしゃい。いつもの咳止めね。今用意するから、ちょっと待っていてね」
「うん、待ってる!」
私は棚に並ぶ薬瓶の中から、いつもの咳止めを探し始める。
こうして、毎日のように薬を求める人々が訪れる。




