99.札の裏側
荷車は川沿いの細い道を下り、小屋の並ぶ影へ入った。
リオは追いかけない。
追いかけたら、追いかけた順番になる。
順番になったら、札が来る。
リオは先に回った。
小屋の裏へ抜ける獣道がある。
土が柔らかい。踏めば足跡が残る。
残る足跡は、あとで罪になる。
だから、踏まない。
石の多い場所だけを選んで進む。
小屋は三つ。
屋根が低く、窓が小さい。
窓には札が貼ってある。
《立入禁止》
《点検中》
点検。
また同じ言葉だ。
同じ言葉は、同じ順番を作る。
二人の腕章が外にいた。
縫い目が新しい。
片方の靴は走らない靴。
宰相府。
リオは息を吐かない。
吐けば白くなる。
白い息は、見つかった証になる。
荷車の男が、札を外した。
《出荷》の札だ。
外した瞬間、荷車はただの車になる。
ただの車なら、誰も指ささない。
男は札を裏返した。
裏に小さな字がある。
鉛筆の番号。
そして、短い一語。
《保護》
出荷の裏に、保護。
物の札の裏に、人の札が貼ってある。
リオは眉を動かさない。
動かせば感情になる。
感情になれば、行動が読まれる。
小屋の扉が開く。
中は暗い。
男が荷車の幌を少しだけ上げた。
中に、布袋がある。
遺留品みたいな袋。
でも袋は重い。
重いものは、物じゃない。
袋の口は紐で結ばれていた。
結び目が、急いだ形だ。
指が滑った跡がある。
リオはその結び方を知っている気がした。
知っている、で止める。
誰の、と言い切らない。
言い切った瞬間に、紙が走る。
小屋の中から、音がした。
布が擦れる音。
それと、息。
短い息。
リオは一歩下がった。
見た、は持ち帰れる。
聞いた、は持ち帰れる。
でも入った、は持ち帰れない。
入った者が、最後に触った者になる。
腕章の男が言った。
「ここは点検中です」
リオは返事をしない。
返事をしたら、会話になってしまう。
会話になれば、名が生まれる。
代わりに、通りすがりの声を作った。
「北の線、まだ通れないんですか」
男はちらりと見る。
見るだけで答えない。
「危ない」
短い言葉。
短い言葉は、札になる。
小屋の影で、別の札が風に揺れた。
木の札ではない。
厚い紙の札だ。
《移送完了》
完了。
ここでも先に書ける。
書けば完了になる。
リオは札の端を見る。
欠けた角の印はない。
だから、この札は目立たない。
目立たない札が、現実を決める。
リオは腰の内側に手を入れた。
紙は持っていない。
札も持っていない。
持つと順番になる。
代わりに、記憶だけを持つ。
《出荷》の裏の《保護》。
鉛筆の番号。
結び目の癖。
息の音。
それだけで十分だ。
十分にしておかないと、生き残れない。
リオは引き返した。
来た道を戻らない。
戻れば足跡が重なる。
重なれば、追ったことになる。
坂の上へ出ると、風が強い。
風は紙を運ぶ。
紙は噂を運ぶ。
掲示板の方角から、声が上がった。
「死んだんだって」
まだ誰も見ていない。
でも、もう決めている。
リオは唇を噛んだ。
噛んだだけで、声は出さない。
見たものは、ミラへ。
順番は、アークへ。
そして、次に来る札を読ませない。




