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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
北線の削除

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79.水のそばの前室

役所前の朝は、紙より先に声が立つ。


危ないのは窓口じゃない。

窓口に立つ前に、何をどう言うかを渡される人間だ。


アークは役所の裏通りの角で足を止め、まだ閉まったままの勝手口を見ていた。

横にはミラ。少し離れて、リオが荷運びのふりで縄束を肩にかけている。


今朝の狙いは一つ。

朝の窓口文の差し替え指示――“口に出る前の一文”を、誰がどこで渡すかを取ることだった。


「刻は」


アークが低く聞く。


「一打前です」


ミラが答える。


「黒袖の使いは、まだ入ってません」


リオが縄束を直しながら口を挟む。


「代わりに、役所の下働きが二人増えた」

「どっちも靴が新しい」


アークは頷く。

増えた手は、朝だけの手だ。

紙を運ぶためじゃない。言い回しを回すための手だ。


勝手口の内側で、木の鳴る音がした。

鍵を外した音じゃない。

板を立てかける、短い音だ。


ミラの視線が動く。


「中で机を寄せてます」


アークは扉を見たまま言う。


「窓口前の机じゃない」

「渡し机だ」


その言葉の直後、勝手口が細く開いた。


先に出たのは、昨日見た補助役の女だった。

木盆は持っていない。代わりに、巻紙を三本、布で包んで抱えている。

札じゃない。

文を渡す持ち方だ。


リオが小さく吐く。


「来たな」


アークはまだ動かない。


女の後ろから、黒袖の男が出る。

役所の文官服に見えるが、袖の内側だけ黒い布が覗く。

昨日ミラが拾った“仮達”の線だ。


男は女へ巻紙を一本渡し、残り二本を別の下働きへ渡した。

渡す前に、紐の結び目を爪で一度だけ弾く。


ミラが低く言う。


「札屋の通用口と同じ確認です」


「中身じゃなく、仕事を見る手だ」


アークが返す。


黒袖の男は三人を散らした。

正面窓口側、通報受付側、そして役所裏の回廊側。

朝の言い回しを、窓口ごとに分けている。


リオが肩を揺らす。


「全部追うか?」


アークは首を振る。


「一本でいい」

「最初に声になる線を取る」


「どっちだ」


「正面窓口側」


アークは言い切った。


「今朝、人が一番多い」

「意味を先に置くなら、そこからだ」


リオはもう頷いている。


「俺が外から拾う」


「行き先だけだ」


アークが釘を刺す。


「奪うな。今朝はまだ繋ぐ」


リオが口の端だけ上げる。


「分かってる」

「お前の“今日はまだ”は長いけどな」


軽口の形にしているが、目は笑っていない。

相手の手が一段上に来ているのを、リオも感じている。


補助役の女が正面側へ回る。

リオが人の流れに紛れて追う。


アークはミラへ向いた。


「ミラは黒袖を見ろ」

「渡したあと、どこへ戻るか」


ミラがすぐに返す。


「はい」

「文の元を持ってる机へ戻るはずです」


「そうだ」


ミラは影へ入る。

いつものように、顔より先に足を消す動きだった。


アークは一人で勝手口の近くへ寄る。

覗かない。

覗けば終わる。

代わりに、開いた隙間から漏れる音だけを待つ。


紙を置く音。

机を擦る音。

そして、低い声。


「正面は“遅れ”じゃなく“調整”で言え」

「通報は“混雑”を先に置け」


アークの目が細くなる。

言い回しの差し替えだ。

事実を変える前に、受け取り方を変えている。


続けて別の声がした。

若い。役所の中で聞く声だ。


「北線の件は」


一拍、間が空く。


黒袖の声が被せる。


「名を出すな」

「例えで回せ」


アークの指先が止まった。


向こうも同じことをしている。


こちらが今朝から始めた“外で固有名を出さない”を、

相手はもっと前から、街を動かす側の手順として使っている。


そのとき、正面側から小さな騒ぎの音が上がった。

怒鳴り声ではない。

列の向きが一度だけ乱れる音だ。


アークは動かない。

耳だけを正面へ向ける。


すぐに、別の声が重なった。

聞き慣れた軽さ。


「ちがうちがう、今朝の遅れは北倉じゃない」

「帳場の調整だ、列を崩す話じゃねえ」


リオだ。

先に意味を置き直している。


騒ぎが広がり切る前に、話題をずらした。

うまい。

しかも“ずらした”と気づかれにくい言い方でやっている。


勝手口の中で、黒袖の声が低くなる。


「外にいるな」


短い言葉だった。

だが警戒の向きが変わった音だ。


アークは壁から半歩離れ、役所裏の掲示板へ移る。

貼り紙を読む人間の形に戻す。


そこへミラが戻った。

速いが、息は乱れていない。


「黒袖、回廊に入りました」

「裏の記録室じゃないです。窓口控えの前室」


アークの視線が動く。


「前室か」


ミラが頷く。


「中へは入ってません」

「でも、控え束を運ぶ下働きに、巻紙の残り一本を渡しました」


繋がった。

朝の一文は、窓口に直接渡していない。

いったん“控えの前室”で、役所の文に見える形へ寄せている。


アークは低く言う。


「机がもう一段ある」


ミラの目が上がる。


「言い回しを、役所の文へ直す机」


「そうだ」


その瞬間、役所の正面で人の流れが戻る音がした。

今度は崩れない。

リオが止めた。


小さな進展だった。

だが十分だ。

今朝の相手の狙いを、全部通させずに一段だけ削いだ。


リオが裏通りへ回ってきて、開口一番で言う。


「正面は止めた」

「でも、補助役の女は途中で文句を変えた」


アークが聞く。


「どう変えた」


「最初は“北倉の遅れで列が伸びる”」

「すぐに“役所の調整で順番が変わる”へ言い換えた」


ミラが低く言う。


「中で聞いた指示と同じです」

「“遅れ”じゃなく“調整”」


リオが目を細める。


「つまり、朝の文は二重だな」

「渡した文そのままじゃなく、その場で言い換える役がいる」


アークは頷いた。


「補助役は運び手だけじゃない」

「声の継ぎ手だ」


役所の中で鐘前の気配が立つ。

もう長くは見ていられない。

相手もこちらの気配に触れている。


アークは二人を見る。


「今日はここまでだ」


リオが眉を上げる。


「取らないのか」


「取る」


アークは短く返した。


「場所を変える」


ミラが先に理解した顔になる。


「窓口控えの前室……」


「今夜、そこを見る」


アークは役所の勝手口ではなく、裏回廊の排水溝の方を見た。

古い役所ほど、紙の出入りより先に、水と捨て紙の出方に癖が出る。


「文を直す机があるなら、直した痕が残る」


リオの口角が上がる。

今度はいつもの軽さが少し戻る。


「またゴミ山かと思ったら、今度は水か」


アークは歩き出しながら言う。


「水は嘘を薄くする」

「でも消しきれない」


ミラがその後ろで、小さく言った。


「今朝、相手も名を伏せてました」


アークは振り返らない。


「だから急ぐ」


正面で朝の鐘が鳴り始める。

人の顔が窓口へ向き、今日の一文が街へ出ていく音だ。


三人はその音から離れるように裏通りを抜ける。


今朝奪えたのは紙じゃない。

朝を作る順番の、もう一段奥の机だった。


そして次に狙う場所は、役所の内側でも窓口でもない。


文を役所の言葉に洗い直す、水のそばの前室だ。

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