表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
北線の削除

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

62/157

62.朝を作る手



夜明け前の屋敷は、音が少ない。


人が眠っているからじゃない。起きている人間が、わざと音を立てないからだ。

アークは廊下の角で立ち止まり、窓の外を見た。まだ空は黒い。けれど、東の端だけ薄く色が抜けている。


朝が来る前に、紙は動く。


昨日、机の上で決めた通りだった。

鐘が鳴る前に配り手が動くなら、止める場所は広場じゃない。刷り場でもない。紙を束ねて、誰に渡すかを決める“中継”だ。


足音が近づく。


「起きてると思った」


リオだった。外套の襟を立て、手には地図の切れ端を持っている。眠気のない目だ。こういう時間のほうが、こいつはよく回る。


アークは窓から目を離さずに言った。


「報告」


リオは壁に寄りかからない。立ったまま、すぐに話す。


「北の配り手は三筋。広場行き、役所前行き、港行き。で、今朝だけ一筋増えてる」


「どこだ」


「南の細路地。いつもは菓子屋の裏で受ける連中が、今日は先に動く」


アークが振り向く。

昨日の“匂い”が、ここで刻に繋がる。


「根拠は」


リオが地図の端を指で押さえた。


「二つ。ひとつは荷車の車輪跡。まだ暗いうちに細路地へ入ってる。もうひとつは見張りの立ち位置だ。港の角に立つはずの男が、今朝は南へ寄ってる」


言い切り方が早い。だが雑じゃない。

見たものを、見た順で並べている。


アークは短く頷いた。


「いい」


リオが少しだけ笑う。


「珍しいな。朝一で褒めるの」


「一回だ」


「十分だ」


軽口のあと、リオの声が戻る。


「ただ、南は狭い。追うと逃げ道が多い。表から入ると散る」


アークは廊下の暗がりを見たまま考える。

散らせば負ける。欲しいのは一人じゃない。束ごとの線だ。


そこへ、階段の下からミラが上がってきた。

息は上がっていない。走ってきた顔ではなく、急いで歩いた顔をしている。屋敷に入る前から周りの目を避けてきた顔だ。


「アーク様」


呼び方は小さいが、はっきりしていた。


「南の細路地、パン屋の裏口がもう開いてます。焼き上がりには早い時間です」


アークは視線を向ける。


「中は見たか」


「中までは。けど、粉袋の数が多すぎます。あの店の朝の量じゃない」


リオが口を挟む。


「紙の束を隠すにはちょうどいい」


ミラは頷く。


「裏口の前に、知らない男が二人。客のふりをしてました。靴がきれいすぎる」


アークは二人を順に見た。

情報が噛み合っている。別々に拾った線が、同じ場所を指している。


「決まりだ」


短く言うと、空気が締まる。


アークは廊下の壁に掛かった屋敷内の見取り図へ歩いた。指先で、南の細路地へ続く道をなぞる。


「正面からは入らない。リオ、お前は先に裏へ回れ。搬入口の前で足を止めるな。通り過ぎるふりをして、数だけ見ろ」


「男の数、荷の数、逃げ道の数」


リオがすぐに返す。


「それと、誰が指示を出してるか」


アークが足すと、リオの目が少し細くなった。


「顔まで見るのか。暗いぞ」


「声でもいい。手つきでもいい。束を触る人間は、ただ運ぶ人間と動きが違う」


リオは口角を上げた。


「了解」


アークはミラへ向く。


「ミラは裏口を見続けろ。入るな。人の出入りだけ数える。もし紙の束が出たら、どこへ渡るかだけ追え。取りに行くな」


ミラが一瞬だけ唇を結ぶ。

取りに行きたい顔だった。けれど、すぐに抑える。


「……はい。追うだけにします」


アークは頷いた。


「今日は“取る日”じゃない。“繋ぐ日”だ」


ミラの目が上がる。

意味が届いた顔だった。


廊下の奥で、執事が静かに待っていた。いつからいたのか分からない立ち方だ。

アークは振り向かずに言う。


「表門はいつも通り開けろ。屋敷は静かに見せる」


「かしこまりました」


執事の返事は短い。余計な確認を挟まない。


リオが外套を直しながら笑う。


「相手は朝を作りに来てる。こっちは何を作る?」


アークは扉へ向かった。


「空振りだ」


リオが眉を上げる。


「派手だな」


「派手に見せるだけだ。中身は静かに取る」


アークは足を止め、二人にだけ聞こえる声で続けた。


「狩りは、紙に名前が載った瞬間に始まる。なら今朝は、名前を載せる手を先に見る」


ミラが小さく息を吸う。


リオは笑いを消した。


「……了解。今日は“配り手”じゃなく、その前だな」


「そうだ」


アークは白手袋をはめる。

仮面は持たない。今夜はまだ、その顔で動く。


「戻った報告は、言葉を飾るな。見た順で言え」


リオが先に動いた。足音が速い。

ミラは半歩遅れて、けれど迷わず続く。


二人が角を曲がる前、アークが呼ぶ。


「リオ」


リオが振り返る。


「無理はするな」


一瞬、リオの目が丸くなって、すぐにいつもの顔に戻る。


「それ、ミラに言う台詞だろ」


「今はお前にも言ってる」


リオは小さく笑って、手をひらりと上げた。


「じゃあ、無茶はしても無理はしない」


言い返しが軽い。こういう軽さで場が持つことを、アークは知っている。


ミラがその横で、短く言った。


「戻ります。必ず」


決め台詞みたいに聞こえたが、飾りじゃない。

この女は、言ったことをやる。


二人が消える。

廊下に静けさが戻る。


アークはひとりで立ったまま、東の空を見た。

もう黒ではない。灰色に変わり始めている。


朝は、勝手には来ない。


誰かが鐘を鳴らし、

誰かが紙を配り、

誰かが最初の言葉を置く。


なら——その最初の手を読む。


アークは歩き出した。

今日は、狩りの始まる前へ行く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ