表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
手続きが正義を作る

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

54/157

54.広場の顔、路地の紙



広場の南は、昼より先に顔が集まる。


まだ鐘が二つしか鳴っていないのに、掲示板の前には人だまりができていた。市場へ向かう前の足。店を開ける前の手。仕事へ行く前に、まず何を信じるかを決めに来る顔だ。


リオは人垣の外を回った。


正面から読まない。読むふりをして、読む人間の顔を見る。誰が文を読み上げるか、誰が先に頷くか、誰が言葉を足すか。紙は文字だけで走らない。口が引っぱる。


掲示板の前に、役所の若い文官が立っていた。背筋だけはまっすぐで、声が少し震えている。


「北線事故に関する追加通達。流言の拡散を禁ずる。疑わしい者を見かけた場合は――」


そこで文官は一度、紙を持ち直した。


持ち直したというより、見せた。


本文の終わりに近い位置の印が、朝の光を拾う。読み終わった人間の目が、最後にそこへ落ちるような高さだ。


昨夜、アークが言っていた通りだった。


命令の紙じゃない。見せる紙だ。


リオは掲示の文面を全部は追わない。代わりに、周りの声を拾う。


「やっぱり内通者か」


「北門の整備のやつら、怪しいって聞いた」


「港もだろ。荷が消えてる」


言葉が、もう混ざっている。


紙に書いてあることと、路地で配られた紙のことと、昨夜の噂が、一つの話みたいな顔をして広がっていく。


広場で文官が読み終えるころには、もう誰も文官の声を聞いていなかった。人は紙を読むより早く、隣の口を見る。


「……ここは飾りだな」


リオは小さく言って、その場を離れた。


本当に効いているのは、さっき見た脇口の紙だ。帳場に入る紙。値段を決める人間に先に届く紙。広場は、その後で正しそうな顔をつけるだけ。


角を曲がると、朝の混雑に紛れて、あの黒い外套がまた見えた。


さっきの追手だ。


今度は距離が近い。十歩。わざと見せているような近さだった。


リオは速度を落とさない。


逃げれば追われる。振り返れば覚えられる。なら、気づいていない顔で歩かせる。


井戸端の列を抜け、布屋の軒下をくぐり、香辛料屋の前で足を止める。鼻を刺す匂いに紛れて、後ろの靴音を聞く。


黒い外套も止まった。


――やっぱり、半端だ。


宰相府の犬にしては近すぎる。町の私兵にしては、追い込みが甘い。


リオは店先の木箱を覗き込むふりで、横目に指先を見た。


黒い外套の男の右手。親指の付け根に、薄く黒い汚れが残っている。煤でも泥でもない。乾いた、粉っぽい黒だ。


リオの胸の奥で、昨夜の机の紙がつながった。


刷り場。


版を触る人間の手につく黒。


「……配り手じゃなく、刷る側か」


言葉は口の中だけで転がす。


男は視線を逸らしたまま、香辛料屋の庇の影に入る。こちらを急かさない。逃がすふりで、行き先だけを知りたがっている動きだ。


リオはそこで、わざと一度だけ迷うふりをした。


左の路地を見て、やめる。右を見て、歩き出す。追う側が「先を読める」と思うときほど、足は甘くなる。


三つ目の角で、リオは荷車の列にぶつかった。


いや、ぶつかったふりをした。


「悪い!」


声を張って荷車の脇へ体を入れる。木箱と箱の間、布の影、馬の腹の向こう。町の通りは、人より物のほうが大きい。追う目はそこで切れる。


リオは荷車の反対側へ抜けると、今度は走らずに歩いた。


走る音は残る。歩く音は混ざる。


一度だけ振り返る。


黒い外套の男は、荷車の向こうで足を止めたまま周囲を見ていた。追う目じゃない。探す目だ。つまり、見失っている。


「よし」


リオは息を整え、細い路地を市場の裏へ抜けた。


持ち帰るものが増えた。


配り手の線。印の位置。広場が飾りだという確信。そこに、刷り場へつながる手の汚れ。


名簿に届かなくても、外から切れる足がある。


アークならそう考える。


そう考える相手の顔を思い浮かべて、リオは少しだけ口元を緩めた。


その直後、胸の内ポケットの感触に指が触れる。


昨夜預かった、細い紙片。


まだ開くなと言われたもの。


リオは指を離した。


「……先に戻る」


誰に聞かせるでもなく言って、歩幅を上げる。


今日のうちに伝えるべきことがある。町が次の紙を飲み込む前に、アークの机に並べるべき情報がある。


朝の町はもう動き出していた。


店の戸が開き、値札が掛け替えられ、誰かが掲示の文句を口真似する。


その全部の下を、見えないところで紙が走っている。


なら、その足を折る。


リオは人波に紛れながら、屋敷の方角へ向かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ