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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
手続きが正義を作る

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43/125

43.名は、奥で決まる



黒い粉は、灯りを選ぶ。


強い光の下だと、粉はただ汚れに見える。

弱い光の下だと、粉は「線」になる。指の跡になる。紙が触られた回数まで浮く。


リオが扉を閉めた。

鍵は掛けない。掛ければ「閉じた」が紙になる。開いていれば、ただの出入りに紛れる。


「――見るなら、触らないで」


小声で言って、リオは机の脇へ回った。

机の端に置かれた木箱から、薄い手袋を一組だけ取り出す。白くない。灰色に近い布だ。


「これ、使って」


「お前は?」


「俺は慣れてる」


言い方が軽い。軽いのに、手元は一切軽くない。

リオは指先で紙の山の「角」だけを揃えた。角が揃うと、黒点の列も揃う。


――黒点の山。


港の札、北の札、都の札。

全部が同じ大きさで、同じ厚みで、同じ紙質だ。

違うのは角の黒点だけだった。黒点がある札は、まるで別の国の書類みたいに、別の机に寄せられている。


俺は目を細める。


「……黒点は、何だ」


リオは「答える」より先に「見せる」を選んだ。

名簿の棚へ行き、背表紙の端を二本の指で押す。棚板がわずかに沈んだ。


隠し棚じゃない。

隠すほど大げさにすると、逆に噂になる。


ただ、奥に置くだけだ。

誰の目にも入る場所で、誰も手を伸ばさない位置に置く。


リオが引き抜いたのは、名簿だった。

分厚い。紙が重い。表紙が柔らかいのに、角だけ硬い。


「こっちが“入口”」


名簿を開く音が、乾いて響いた。


ページの端に、粉が薄く残っている。

何度もめくられている場所だけ、黒く汚れている。

よく使われるページだ。よく使われるページは、よく人が消える。


俺は言葉を飲み込んだ。


リオは、名簿の中ほどを開いた。

行が並ぶ。番号が並ぶ。所属が並ぶ。署名欄が並ぶ。


その下に、小さな欄外の記号がある。

丸でも三角でもない。点だ。黒点だ。


「札の角と同じ?」


俺が言うと、リオは頷いた。


「札は、通すための紙に見える。けど本当は――照合のための紙だ」


リオは黒点のある行だけを、指先でなぞった。

なぞり方が、優しい。触れれば痕が残ると知っている人間の触り方だ。


「門で分けると目につくって言ったよな」


「言った」


「だから奥で分ける」


リオは淡々と続ける。


「ここで黒点が付いた瞬間、札の扱いが変わる。配る速度が変わる。通す順番が変わる」


「……それだけ?」


「それだけで、十分だ」


リオが一度だけ目を上げた。

笑っていない。けれど怖くもない。理屈を知っている目だ。


「腹は待てない。待てない腹に、紙が“原因”を渡す」


俺は喉の奥が冷えるのを感じた。


紙が原因を渡す。

原因を受け取った民は、考えるのをやめる。

考えるのをやめた目は、紙が指す方向を疑わなくなる。


そして――(無罪の)誰かを、原因として指差す。


リオが、黒点の行のひとつを指で止めた。


「これ、見ろ」


俺は覗き込む。


行の右端。

署名欄のさらに奥に、小さな空欄がある。

空欄のはずなのに、粉の跡がある。


誰かがそこに何かを書き、拭った跡だ。

書いたのに残さない。残さないのに触れる。触れたから粉だけ残る。


「……消した跡か」


俺が言うと、リオは「消した」とは言わずに言い換えた。


「“書けない形”にした跡だ」


その言葉が、胸の奥を刺した。


書けない形。

行き先のない札。

名簿に残らない保護。


全部、同じ匂いだ。


リオは名簿を閉じた。

閉じた瞬間に、粉がふわりと浮いた。灯りが揺れて、黒点が一瞬だけ増えたように見える。


「アーク」


リオが俺の名を呼んだ。

ここでは、呼ぶこと自体が危険だ。名を呼べば、紙になる。


それでも呼んだ。


「ここに来た理由、もう一つあるだろ」


俺は答えない。

答えた瞬間、言葉が紙になる。


リオはそれでも続けた。


「――セレナの名を探す気なら、表じゃなく奥だ」


奥。

名簿の奥。

札の奥。

声の奥。


俺は息を吸った。


「……あるのか」


リオは、頷かない。

頷けば断定になる。断定は紙になる。


代わりに、指先で机の上の黒点札を一枚だけずらした。

札の下から、薄い紙片が出た。


切れ端だ。

帳簿の端だ。

そして、端にだけ――見覚えのある癖がある。


紙を揃える前に、角を押さえる癖。

風でめくれないように、指先で端を殺す癖。


「……セレナの」


俺が呟くと、リオは声を落とした。


「“だった”と言うな」


言い方が、命令じゃない。

叱咤でもない。


――釘だ。


まだ死んだと決めるな。

決めた瞬間、紙が勝つ。


外で、靴音が止まった。


一つじゃない。

二つでもない。


迷いのない足音が、廊下で揃う。


リオが灯りを落とした。

落とし方が上手い。闇にするんじゃない。弱くする。弱い光のほうが、文字が浮く場所だから。


「来た」


リオが言った。


「誰が」


俺が問うと、リオは短く答えた。


「名を決める側」


扉の向こうで、紙が擦れる音がした。


封を切る音だ。

新しい札を出す音だ。


――また、誰かの名前が動く。


俺は黒点札の山を見た。

黒点はただの点だ。小さすぎて、指で払えば消えそうだ。


それなのに、この国では――

点ひとつで、人が狩られる。


リオが、俺の腕を掴んだ。


「動くな。動いたら、目につく」


「目につけば?」


「噂になる」


「噂になれば?」


「狩りになる」


リオは、そこで止めた。


その先を言う必要がない。

この国では、誰もがもう知っている。


扉が、叩かれた。


強くない。

強くないから、怖い。


「確認だ」


声が落ちた。


「名簿の確認に来た」


――奥まで、来た。


俺は息を殺した。


ここで名を呼べば、紙になる。

ここで名を守れば、紙にされる。


それでも俺は、心の中でだけ言った。


セレナ。


名を呼びたい言葉を、喉の奥で噛み殺したまま、

俺は黒点の山の前で、動かなかった。

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