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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
手続きが正義を作る

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44.確認は、書き換えるために来る



扉が三度、叩かれた。


強くない。

せかす叩き方でもない。


ここを使い慣れている人間の叩き方だった。


「確認だ。名簿を開けろ」


扉の向こうの声は低い。

怒っていない。怒る必要がない声だ。


リオが俺の腕を掴んだまま、小さく言った。


「棚の影へ」


押し込むんじゃない。

体の向きを半歩だけずらす。机の角と棚の影が重なる位置に、俺を立たせる。


見えなくするんじゃない。

“視線が流れる場所”から外す。


そういう隠し方だった。


リオは自分の呼吸を一つ整えてから、扉へ向かった。

灯りは弱いまま。弱い灯りのほうが、この部屋では都合がいい。


扉を開ける。


入ってきたのは二人。

腕章の男と、文官風の男だ。


腕章は前に出る。紙を持つ男は後ろで書く。


市場で聞いた証言と同じ並びだった。


俺は棚の影から、息だけ浅くする。


腕章の男が部屋を一度見回した。

目は机を見る。札の山を見る。小皿の黒い粉を見る。

人間の顔は、最後だ。


「遅い」


男が言う。


リオは頭を下げた。


「札の数が合いませんでした。角の点が揃わない束が混じっていて」


言い訳に聞こえる。

だが、机の上を見ると、実際に札の角が一列だけずれている。


さっきまで、そんな山じゃなかった。


――リオが、崩した。


“確認に時間がかかった理由”を、机の上に作っている。


文官の男が前へ出た。

細い指で札の角をつまみ、黒点だけを見る。


「どの束だ」


「北門回しの第三束です」


リオが即答する。


文官は札を数えない。

角だけを見て、裏へ細い線を引く。

その線が入った札は、別の山へ移される。


腕章の男は、それを見ながら言った。


「今夜の分は急ぎだ。朝までに“理由”を揃えろ」


理由。


荷でも人でもない。

理由を揃える。


この部屋がやっている仕事が、それで分かる。


リオは短く答えた。


「はい」


文官が名簿を引き寄せた。

ページを開く。粉の跡が濃いページだ。


俺は棚の影から、指先だけを握る。


そこだ。


文官の指が、行を追う。

名前を見るんじゃない。欄外を見る。

黒点、細い印、空欄、線の有無。


順に見て、順に決める。


「これは通す」

「これは後ろへ」

「これは札だけ先」


短い言葉が落ちるたび、リオが手を動かす。

札の山が分かれる。

順番が変わる。

紙の流れが変わる。


剣も血もない。


それなのに、ここで人の明日が決まる。


文官の指が、ある行で止まった。


俺の喉がわずかに動く。


空欄の多い行。

さっきリオが見せた、粉の跡だけ残った欄だ。


文官は眉をひそめない。

驚きもしない。


慣れた手つきで、その欄の右端に小さく線を足した。


線は一本。

黒点の横に、斜めに短く。


ただそれだけ。


それだけで、行の空気が変わった気がした。


腕章の男が聞く。


「まだ残ってるのか」


文官が答える。


「残してる。消すと騒ぐ」


「じゃあ、動かすな」


「名は置く。先は切る」


俺は意味を飲み込むのに一拍かかった。


名は残す。

行き先だけを切る。


死んだと書かない。

生きてるとも書かない。


探す人間だけが、疲れる形だ。


――セレナ。


胸の奥で名を呼びかけて、噛み殺す。


リオが札を持つ手を止めないまま言った。


「この欄、札はどうしますか」


文官は視線を落としたまま返す。


「作るな」


「照会が来たら?」


「保護の書式で返せ」


保護。


またその言葉だ。


耳に優しい言葉で、行き先を消す。


腕章の男が部屋の奥へ一歩入った。

棚の影に近づく。


俺は体重を動かさない。

動けば、靴が鳴る。


男の視線が棚をかすめた、そのとき。


リオがわざと札の山を崩した。


紙の角が机から滑る。

小皿の縁に当たり、黒い粉が少しだけ散る。


文官が舌打ちした。


「何をしてる」


リオはすぐに膝をついた。


「失礼しました。粉皿の位置が――」


謝りながら、散った札を拾う。

拾う順番が速い。だが雑に見えない。


腕章の男の視線が、棚から机へ戻る。


戻させた。


リオは顔を上げずに、散った札の一枚を文官へ差し出した。


「この束、角点の並びが変です。港印と都側の点が重なってます」


文官が札を受け取り、初めて眉を寄せた。


「……どれだ」


リオは二枚、三枚と並べる。


「これと、これ。それとこれ」


見れば確かに、黒点の位置がわずかに違う。

角の同じ“黒点”に見えるのに、打つ位置が紙幅半分ずれている。


文官の顔つきが変わる。

苛立ちじゃない。計算の顔だ。


「混ざったか」


腕章の男が低く言う。


「どこで」


リオは間を置かず答える。


「港の仕分け場です。箱替えのときに束が一度床へ落ちたと聞いています」


聞いています――と、逃げ道を残す言い方。


断定しない。

紙にされないための話し方だ。


文官は小さく息を吐き、名簿の端へ数字を書いた。

三桁。短い番号。


「この番号の束は、今夜は止める」


リオが頷く。


「止めた記録は、どの書式で」


「仮不一致」


文官の答えが速い。


「理由欄は空けろ。朝に決める」


まただ。


理由は後から決まる。

先に止める。先に流す。先に狩る。


紙の順番は、いつも人より先にある。


腕章の男が踵を返した。


「一刻で終えろ」


文官も名簿を閉じる。

閉じる前に、あの空欄の多い行を一度だけ見た。


見て、何も言わない。


何も言わないことが、一番重い。


二人が出ていく。

扉が閉まる。

足音が廊下の奥へ消えるまで、リオは動かなかった。


完全に音が消えてから、リオが息を吐く。


「……大丈夫ですか」


俺は棚の影から出た。


「お前は」


と言いかけて、やめる。


“助かった”を先に言う場面かもしれない。

だが先に口から出たのは、別の言葉だった。


「今の番号、覚えたか」


リオが、ほんの少しだけ目を細めた。


「三一七」


即答。


「名簿のどこに繋がる」


「港の仮不一致束。今夜は止まる。朝に理由を付けられる」


リオは机の端を指で押さえ、散った札を揃えた。


「止まる束は、追える」


俺は頷く。


止められた理由は、後で作られる。

なら、理由が作られる前に見ればいい。


リオが声を落とす。


「ただし、三一七を追うなら、次は札じゃない」


「何だ」


「刷り場の前段です」


俺は眉を寄せる。


「前段?」


リオは言った。


「札に“理由”を書く前の場所。言い換えるなら――見出しを決める机」


その言葉で、背中が冷えた。


名簿で人を分ける。

札で流れを変える。

最後に、見出しで民を動かす。


全部、繋がっている。


俺は机の上の黒点札を見た。


小さい点だ。

小さいまま、人を削る。


「行くぞ」


俺が言うと、リオはすぐ頷いた。


だが、その前に一枚だけ、札を裏返した。


裏面の端に、薄い粉の指跡がある。

細い指だ。強く押さえず、端だけを止める触り方。


見覚えがある。


俺の視線に気づいて、リオが低く言った。


「……朝まで残るかは分かりません」


俺は札に触れないまま答えた。


「残らなくていい。見た」


リオは何も言わない。


俺たちは灯りを落とし、扉を細く開けた。


廊下の先では、もう次の“確認”が始まっている気配がした。


確認は、調べるために来るんじゃない。


書き換えるために来る。


その前に、俺たちは三一七を追う。

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