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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
手続きが正義を作る

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42.名簿の奥



都の裏口は、派手じゃない。


派手だと目立つ。


目立てば、紙になる。


裏口は、石壁の間に挟まった細い扉だった。


扉の前に列はない。代わりに、待つ人間がいない。


待たせないのが都のやり方だ。待つ暇を与えない。


リオが扉の前で足を止めた。


「ここから先は、声を落として」


「最初から落としてる」


俺が言うと、リオは肩だけで笑った。


扉の向こうは、匂いが違った。


油でもパンでもない。乾いた紙の匂い。


それに、粉の匂いが混じる。


黒い粉。指先につくと落ちない粉。


紙に移るための粉だ。


部屋は広くない。


机が三つ。棚が二つ。壁に名簿。


窓は小さい。光が弱い。


弱い光のほうが、文字がよく浮く。


机の上には札が山になっていた。


港の札。北の札。都の札。


どれも同じ大きさで、同じ厚み。


違うのは角だ。


角に、小さな黒点がある札だけが、別の山になっている。


「……ここで分けるのか」


俺が言うと、リオは頷いた。


「門じゃ分けない。門で分けると、目につく」


「目につけば、噂になる」


「そう。噂になると、狩りになる」

狩りってのは、通報札に名が載った人間を民が追い、役所が“保護”の名で連れていく流れのことです。


狩りという言葉が、ここでは軽かった。

軽いのに、意味は重い。


都は狩りを“始めない”。始まったことにするだけだ。


奥の机で、係が札を受け取っている。


係は顔を見ない。手も見ない。


角だけを見る。


角を見て、黒点があれば、札の裏に細い線を引く。


線を引いた札は、黒い粉の入った小皿の上へ置かれる。


粉が紙に付く。紙に付いた粉は、指にも付く。


係が次の札を取ろうとしたとき、俺の視線が止まった。


小皿の脇に、布がある。


白い布じゃない。灰色の布。


拭くための布じゃない。包むための布だ。


リオが言う。


「粉は、都の匂いです」


「匂い?」


「粉が付いた指で触った紙は、あとで分かる。誰がどこを通ったか。どこで止まったか」


俺は息を吐いた。


「追跡か」


「追跡って言うと嫌がる人がいる。だから“管理”」


リオの言い方は、都の言い方だった。


丁寧に言えば、正しい顔ができる。


俺は札の山を見た。


「黒点は、誰が付ける」


リオは一拍置いた。


「付けるのは港。……でも、決めるのは都です」


答えになっていない。


いや、答えになりすぎている。


港が付けているのに、都が決めている。


責任だけが分散する構造だ。

俺は棚の名簿を見た。


革の背表紙に、年月が書かれている。


開かれたままのページが一つあった。


指で押さえられて、めくれないようにされている。


そのページの欄のひとつだけ、妙に空白が多い。


名前はある。


だが、横の欄が欠けている。


「……行き先が書けない」


俺が呟くと、リオが視線をそらした。


「書けないのは、守ってるからじゃない」


俺が続ける。


「隠してるからだ」


リオは何も言わない。


否定しないのが、肯定に見える。


俺は欄の名前を読まなかった。


読めば、ここで関係ができる。


関係ができれば、紙が強くなる。


代わりに、欄の端の小さな印を見た。


角の黒点と同じ色。


同じ粒子の黒。


「……これ」


俺が指を伸ばしかけた瞬間、リオの手が空気を切った。


触れない。


触れる直前で、止める。


「そこは、触らないでください」


声が、初めて硬い。


「理由は」


「理由を書けないからです」


リオは言い切った。


「書けないものに触ると、あなたが紙になります」


俺は口角だけ動かした。


「もう紙だろ」


「……まだ、書き切れてない」


リオの言葉が、都の息だった。

俺は指を引っ込めた。


引っ込めた手を、帽子のつばへ戻す。


「次は」


俺が言うと、リオは頷いた。


「名簿の奥。台帳の奥。……奥へ行くなら、別の入口です」


「黒点の列か」


「ええ」


俺は息を吸った。


黒点は門じゃない。


選別だ。


選別された先にあるのは、説明じゃない。


“処理”だ。


リオが、紙の山から一枚だけ抜いた。


抜き方が雑に見えない。慣れている。


札の角には、黒点がある。


リオはそれを、俺に渡さず、机の上に置いた。


「持たないで」


「持てば、持ち物になる」


「持ち物になれば、奪われる」


リオは淡々と言った。


「ここでは、あなたの手を汚さないほうがいい」


その言い方が、怖かった。


手が汚れる仕事を、知っている人間の言い方だった。

俺は札を見下ろした。


角の黒点は、小さい。


小さいのに、列を作る。


列ができれば、人が減る。


人が減れば、紙が増える。


都は、そうやって静かに狩りを続ける。


俺は札を持たずに言った。


「案内しろ。……俺が行く」


リオが、初めて目だけで笑った。


「はい。公爵。――名を出さずに」


俺は頷き、影へ踏み出した。

名簿の奥へ。


紙の奥へ。


書かれる前に、触れてはいけないものの手前へ。

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