41.黒点の門の内側
都の夜は、港より静かだ。
静かだから、音が割れる。
馬車の車輪が石畳を噛む音。巡回の靴音。遠くの鐘。
その全部の隙間に、紙の擦れる音が入り込む。
紙は、夜でも動く。
夜の方が、よく動く。
白仮面を付けた私は、都の裏通りに立っていた。
仮面の内側は狭い。
狭い代わりに、余計なものが消える。
余計なものが消えると、門が見える。
門は、扉じゃない。
門は、印だ。
印があるところに、内側がある。
ミラが私の半歩後ろにいる。
ミラは仮面を付けていない。
ミラは素のまま、内側を見られる目をしている。
素の目の方が、時に強い。
リオは先に溶けている。
溶けているのに、気配だけは近い。
リオの気配は、足だ。
私は布屋の裏で拾った黒点を思い出す。
黒点は、門の印。
赤点は外の狩り。
黒点は内側の狩り。
内側に入る者は、帰り道を失うことがある。
でも、今夜は入る。
セレナの線が、内側へ伸びているから。
「……来ます」
ミラが小声で言う。
来るのは人じゃない。
紙だ。
角を揃えた紙束を抱えた男が、路地の奥から現れた。
男は走らない。
走らないのに、迷わない。
迷わない足は、門を知っている。
男の靴は細い踵。
同じ靴跡だ。
布屋で見た三つの靴跡のうちの一つ。
私は男の顔を見ない。
顔は変えられる。
足は変えにくい。
男は路地の壁に埋め込まれた鉄の輪に手を掛けた。
輪は扉の取っ手じゃない。
輪は、合図だ。
輪を引くと、石の一部が少しだけ沈む。
沈んだ隙間に、男は黒い札を差し込んだ。
黒い札の角に、黒点。
門の印だ。
石が動く。
音が出ないように動く。
音が出ない動きは、内側の動きだ。
私は息を止めた。
止めるのは緊張じゃない。
音を殺すためだ。
石の隙間が開き、男が中へ滑り込む。
滑り込むのに、誰も驚かない。
驚かないのは、ここが日常だからだ。
日常の中に狩りがある。
狩りが日常になると、人は狩っていることに気づかない。
私は石の隙間が閉まる瞬間を見た。
閉まる瞬間に、封蝋の匂いが漏れた。
赤い匂い。
役所の匂い。
内側は、役所と繋がっている。
「……入りますか」
ミラが問う。
私は頷いた。
「入る。でも、追わない」
追うと、門が閉じる。
閉じた門は、二度と開かない。
開かない門は、セレナを遠ざける。
私は石壁へ近づく。
石壁の表面に、薄い溝がある。
溝は、指でなぞれる。
溝は、手続きの溝だ。
手続きは、溝を作る。
溝が深くなるほど、人はそこへ足を落とす。
私は溝の端に指を当てた。
指先が、冷たい。
冷たいのに、血が熱い。
熱いのは怒りじゃない。
決断だ。
白仮面の内側で、私は“決める側”になる。
「……リオ」
私は声を出さずに呼ぶ。
声を出さなくても、リオは来る。
リオは影から現れた。
「門、開いたな」
「見た」
私は言う。
「黒点。石。封蝋」
リオが短く笑う。
笑いは軽い。
でも、今夜の笑いは軽くない。
「内側、臭いな」
「役所の匂いがする」
ミラが言った。
私は石壁の溝をなぞったまま答える。
「役所の匂いがするなら、机もある」
「机の内側に、机がある」
机は外だけじゃない。
外の机は街を動かす。
内側の机は街を殺す。
殺す机は、通報で人を吊す。
吊す机は、原因を決める。
原因を決める机は、正義の顔をする。
白仮面の内側で、私は笑わない。
笑うと、正義に見える。
正義に見せたら、相手が同じ顔をする。
同じ顔をされたら、狩りが増える。
私は溝の端を押した。
石が、ほんの少し沈む。
沈むだけで、門は開かない。
開かないのに、門が反応した。
反応したなら、ここが門だ。
「……鍵が要る」
ミラが言う。
「黒点の札」
「札は、さっきの男が持ってた」
リオが言う。
私は頷く。
「だから、追わない」
「札を奪うのは、今夜じゃない」
今夜は、門を確認する。
門が確認できれば、次は“札を作ってる机”を探せる。
札を作ってる机は、外にある。
外の机を折れば、内側の門は焦る。
焦れば、札が増える。
増えた札のどれかが、落ちる。
落ちた札を拾えば、門は開く。
私は石壁から手を離した。
離す動きは、諦めに見える。
見えるから、相手が油断する。
油断した足が、次の紙を運ぶ。
「戻ります」
ミラが言った。
「戻る。でも、忘れない」
私は言う。
「黒点の門は、ここにある」
リオが頷く。
「内側に、セレナの線がある」
その言葉は、確信じゃない。
でも、今は確信にしない。
確信にすると、焦りが出る。
焦りは紙に負ける。
紙に負けないために、順番を守る。
順番。
通報の順番じゃない。
拾う順番だ。
私は路地の暗さへ溶けた。
都の夜は静かだ。
静かだから、紙の音が割れる。
割れた音の向こうに、門がある。
門の向こうに、机がある。
机の向こうに、セレナの線がある。
私は白仮面の内側で息を整えた。
「……次は、札を拾う番ね」




