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偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
手続きが正義を作る

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35.配給所の戻し欄



配給所の朝は、役所前より先に疲れている。


まだ日が高くないのに、列の顔がもう擦れている。

待つことに慣れた顔だ。怒る前に、諦める順番を知っている顔でもある。


ミラは水桶置き場の影から、その列を見ていた。

見るのは先頭じゃない。窓口でもない。

列の終わりと、札を戻す盆の動きだ。


配給所の係は三人。

窓口で札を受ける者。

帳面へ記す者。

奥へ札を運ぶ補助役。


昨日アークが止めた役所前と違って、ここは怒鳴り声が立ちにくい。

生活そのものの場所だからだ。

だからこそ、順番を混ぜる手は見えにくい。


「……戻し方が違う」


ミラは小さく呟いた。


普通の配給札は、受けたあと木箱へ落とす。

だが、青線の札だけは、帳面役の右手へ渡る。

木箱に落ちない。

一度、手の中で止まる。


帳面役は四十前後の女だった。

視線を上げない。

だが指だけが速い。

札を受けるたび、端を揃え、裏の記号を見て、帳面の欄を変える。


欄を変える。


ミラの背中に、昨日の紙片の「戻し先」が重なる。


配給所の脇で、子どもが泣いた。

列が少し崩れる。

その隙に、補助役の若い男が列の中ほどへ入り、声を落とす。


「北の列は今日は遅い。先に相談だけ通せる」


押しつける声じゃない。

助けるふりの声だ。


数人の足が揺れる。

どこへ並び直すかを迷う足だ。


ミラはその若い男を見ない。

帳面役の手を見る。


補助役が声を置いた直後、帳面役の女は青線の札を一枚だけ別に置いた。

“遅れが出る列”として、先に欄を作った動きだった。


「……先に入れてる」


誰が困るかを、列の前に帳面へ入れている。


そこへ、見慣れた歩幅が通りの端に現れた。

リオだ。荷運びのふりで縄束を担いでいる。

視線は合わない。

合わないまま、縄を下ろす場所だけがミラの近くを選んでいる。


「港前、二声目いた」

縄を置きながら、リオが小さく言う。

「一声目のあとに“役所も困ってる”を足す役」

「怒りを役所へ向けすぎない調整役だ」


ミラは目を動かさず返す。

「こっちは帳面役。青線の札だけ、木箱に落とさない」

「補助役が声を置く前に、欄を作ってる」


リオの息が一瞬止まる。

すぐに笑いで戻す。

「当たりだな」


そのとき、配給所の裏口から若い文官が入ってきた。

役所裏で見た顔だ。

右足が少し外へ逃げる歩き方。


文官は帳面役の女に紙を一枚渡す。

女は読まずに折り、帳面の下へ差し込む。

差し込む前に、端の結び目だけ確かめた。


リオの声が低くなる。

「倉庫横と同じだ」


ミラは小さく頷く。

「中身より、仕事の印で通してる」


文官が去ったあと、配給所の列に小さなざわめきが立つ。

北の列が遅れる、という声が広がり始めた。

誰か一人の大声じゃない。

補助役の置いた言葉が、列の口で増えていく。


ミラは列の終わりから一人の男を見つけた。

配給札を握ったまま、列を離れない。

だが耳だけが補助役の声を追っている。

動くタイミングを待つ顔だ。


使われる側じゃない。

混ぜる側の顔だ。


「リオ」

ミラが小さく呼ぶ。


「ん?」


「列の最後尾、灰色の外套。声は出してないけど、口火の待ち方です」


リオは縄を担ぎ直し、何でもない顔で列の端を見る。

口角がわずかに上がった。


「いるな。次の火」


ミラは帳面役の手へ視線を戻す。

帳面の端が一瞬めくれ、欄の見出しが見えた。


《相談》

《再確認》

《保留》

そして、細い字で《戻し》。


ミラの指先に力が入る。


配給所にも“戻し”の欄がある。

箱だけじゃない。

人の順番にも、戻し先がある。


そのとき、帳面役の女が初めて顔を上げた。

まっすぐミラの方を見る。

見た、というより、数えた目だった。


ミラは視線を外さない。

逃げると印になる。

ただの列待ちの人間みたいに、足元へ目を落として一歩だけずれる。


帳面役はすぐに視線を戻した。

まだ刺さっていない。

だが、近い。


リオが縄束を肩に乗せる。

「ここ、長く居ると焼ける」


ミラは短く答える。

「もう一つだけ見る」


「何を」


「札を戻す箱の行き先」


配給所の奥で、木箱の蓋が閉まる音がした。

補助役が二つの箱を運ぶ。

ひとつは普通の札箱。もうひとつは薄い箱。

薄い箱だけ、裏口へ回る。


ミラの目が細くなる。

「……分けてる」


リオが小さく笑う。

「じゃあ入口がある」


ミラは頷いた。

「運び手の入口」


言葉にした瞬間、次に見る場所がはっきりした。

札屋でも役所前でもない。

配給所から外へ出る、薄箱の道だ。


列のざわめきが一段大きくなる。

誰かが「北は遅い」と声を上げた。

そのすぐあとで、灰色の外套の男が、少しだけ言い直した。

「でも相談は先に通るらしい」


二声目の仕事だ。


ミラは配給所を離れる前に、その言い直しだけを耳に入れた。

怒りを広げるんじゃない。

向け先を整えるための声。


相手は、毎朝それをやっている。


なら、こちらはその箱を追う。

札ではなく、箱の戻り道を。

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