表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偽情報の王国で、仮面は割れる  作者: 梓水あずみ
手続きが正義を作る

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/157

31.小さな遅れを置く



夜の港は、昼より音が少ない。


人がいないからじゃない。

いる人間が、余計な音を立てないからだ。


アークは荷縄置き場の陰で、木箱の札を見ていた。

白手袋の指先で、札の端だけを押さえる。


《北倉行》

《粉袋 三》

《要再確認》


最後の一枚だけ、今日つけた札だ。


リオが横で小声を漏らす。


「見るたびに思うけど、嫌な札だな」

「“要再確認”って、止める理由として強すぎる」


アークは札から目を上げない。


「だから通る」


リオは鼻で笑う。

否定じゃない。認めた笑いだ。


「で、どこまで止める」


「半刻」

アークが言う。

「朝の一打目までには戻す」


リオの顔が少しだけ硬くなる。


「間に合わなかったら?」


「俺が出る」


短い返事だった。

リオはそこで何も言わない。

言い返すところだが、今日は言わない。


足音が近づく。

ミラが影から現れた。


「南、見張り二人増えてます」

「札屋の表じゃなく、ひとつ手前の曲がり角に」


アークが頷く。


「反応が早いな」


ミラは首を振る。


「まだ反応じゃないかもしれません」

「最初から今夜は動く日だった可能性もあります」


言い切り方がいい。

思い込みで寄せない。


アークは札を木箱へ戻し、荷役の男に渡した。

屋敷側に借りた手だ。名前は出さない。顔も覚えさせない。


「この札で通せ」

「止められたら、確認待ちだと言え。走るな」


男は頷き、木箱を抱えて闇へ消える。

本当に中身は粉だ。

明日の配給に回る分の一部。少ないが、少ないからこそ効く。


リオが低く言う。


「ここで相手が名簿を触るなら、南だな」


「港で全部処理できないならな」


アークは答え、外套の襟を上げた。


「ミラ、南へ先行」

「札屋の前じゃなく、裏へ入る使いの箱を見ろ」


「はい」


「リオは港で“誰が困った顔を作りに来るか”を拾え」


リオが眉をひそめる。


「困った顔?」


アークは短く言った。


「本当に困ってるやつと、困った顔を配りに来るやつがいる」


その言い方に、リオの口角が上がる。

こういう線の引き方は、アークの癖だ。

人ではなく役目で切る。


「了解。顔の仕事を見る」


三人は別れた。


港の見張り小屋の前では、止められた木箱がひとつだけ置かれていた。


大きくない。

だから目立つ。

大きい荷なら“今日はそういう日”で流れる。

小さい荷だけが止まると、人は理由を聞きに来る。


リオは縄束の影にしゃがみ、見張り台の足元だけ見ていた。


先に来たのは本当に困っている荷役だ。

「朝の列に間に合わねえ」と小声で文句を言う。

顔の筋肉に無駄がない。眠いだけの顔だ。


次に来たのは、見慣れない男だった。


荷役の格好。

だが手のひらがきれいだ。

荷を持つ手じゃない。


男は止まった木箱を見て、すぐ見張りへ近づかない。

まず周りの顔を一周見る。


リオの目が細くなる。


「……来たな」


男は遅れて文句を言い始めた。


「また確認か」

「最近、多いな」


声は大きくない。

周りに届くぎりぎり。

広場の火付け役と同じ仕事の仕方だ。


見張りが面倒そうに返す。


「札がついてる。こっちは知らん」


男は木箱の札を覗き込む。

《要再確認》を見て、わずかに眉を動かした。

その動きが早すぎる。

この札の重さを知っている顔だ。


男はそのまま港の外へ歩き出す。


文句を置くだけ置いて、去る。

困っているふりの仕事だ。


リオは立ち上がらない。

男をすぐ追わない。

先に、見張り台の横で縄を巻いていた古株の荷役に近づいた。


「兄さん、最近その札多いのか」


古株は肩をすくめる。


「さあな。前より役所の目が細けえ」

「でも妙なのは、札がついた荷の話、先に広がるんだよ」


リオは何でもない顔で頷く。


「誰が広げる」


古株は笑う。


「口の軽いやつらだろ。どこにでもいる」


どこにでもいる。

だから厄介だ。

誰でもない顔で、同じ役目をする。


リオはそこで離れる。

もう十分だ。

あの男は、港で“遅れ”を拾って外へ流す役だ。


南の通りでは、ミラが札屋の裏手を見ていた。


今夜は表の灯りが早い。

店じまいの顔をしながら、裏の出入りだけ増えている。


使いの若い男が二人、薄い木箱を持って入った。

ひとり出て、また別のひとりが入る。


箱の数が合わない。


ミラは壁の角に指を置いて、回数だけ数える。

一、二、三、四。

出たのは二。


残った二箱分の処理が、中で起きている。


そこへ、昼に見た若い文官が来た。

歩幅は同じ。右足が少し外へ逃げる。


文官は戸を叩く前に、周囲を見た。

前より長い確認だ。

警戒が増えている。


戸が開く。

文官が入る。

五つ数えたところで、中から乾いた声が漏れた。


「港の再確認、一本」

「朝一打前に戻せ」


ミラの背中が冷える。


来た。


アークが置いた遅れに、向こうが触った。


しかも“戻せ”と言った。

ただ記録に合わせるだけじゃない。

朝の刻に間に合うよう、流れそのものを修正している。


別の声。店主だ。


「青線じゃ足りない」

「北は先に不安が立つ」


乾いた声が返す。


「じゃあ赤点を一枚混ぜろ」

「港前じゃなく、役所前に」


ミラの指先に力が入る。


港の遅れを、役所前の通報へ寄せる。

流れを横に繋ぐ指示だ。


そのとき、裏手の角に人影が差した。


見張り役だ。

昼とは別の男。

背が高い。


ミラはすぐに下がらない。

下がると音が出る。

先に呼吸を細くして、体の重心だけを落とす。


男は裏手を覗き、薄く舌打ちした。


「猫かよ」


小声で言って去る。

本当に猫が通ったらしい。

塀の上で爪の音がした。


ミラは目を閉じずに待つ。

十数えてから、壁沿いに戻る。


――港の再確認、一本。

――朝一打前に戻せ。

――赤点を一枚、役所前へ。


拾えた。

十分だ。


屋敷へ戻る途中、ミラは一度だけ空を見た。

雲が薄い。朝は冷える。

冷える朝ほど、人は並ぶ前に不安を口にする。


そこへ赤点が混ざる。


相手は、明日の朝をもう組み始めていた。


帳場で再合流したとき、アークは先に聞いた。


「触ったか」


ミラは頷く。

結論から言う。


「触りました」

「港の再確認一本、朝一打前に戻せ、です」

「足りなければ赤点を役所前へ混ぜる指示も出てました」


リオが低く笑う。


「釣れたな」


アークは笑わない。

机の上の空白札を裏返し、墨で一本線を引く。


「机の脚が一本出た」


リオがアークを見る。


「一本?」


「港の遅れを、南で受けて、役所前へ返す脚だ」


アークは言って、もう一本線を引いた。


「明日、これを切る」


ミラが顔を上げる。


「札屋ですか」


「違う」


アークの声は低い。


「役所前で“赤点が混ざる瞬間”を押さえる」


部屋の空気が張る。


表で押さえる。

人の目の前で止める。

それは今までより一段、危ない。


リオの目が光る。


「ようやく表に出るか」


アークは短く返した。


「出る」

「でも捕まえるのは人じゃない。順番だ」


その言葉のあと、外で朝前の風が鳴った。

まだ夜なのに、もう次の朝の準備の音に聞こえた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ